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【戦国を彩る名軍師たち】秘伝を焼いてしまった軍配者・角隈石宗

軍師は軍配者とも呼ばれ、呪術師や儀式執行者としての顔があった。
事象の吉凶を判断し、戦に相応しい日取りを占うのが彼らの仕事の一部とされることがあったのである。そのため、軍師にはしばしば神秘的な力や業績の噂がつきまとうのだが、北九州の大大名・大友氏に仕えた角隈石宗(つのくま・せきそう)はその代表格とも言える人物だ。

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石宗については「空から脇差を降らせた」「風を巻き起こした」「カラスを呼び寄せた」などの逸話が語られており、不思議な力を持つものと考えられていたフシがある。
ただ、その伝説には天気に関するものや鳥などに関わるものが多い。
そのため実際の石宗は別に超常の力を持っていたわけでなく、軍師として必要な気象や動物、自然についての知識を備えており、それによって常人には出来ない事が出来たのでは、という説があり、私もこれに賛同する。
また、石宗は単に占いや呪術に関わるだけでなく、軍学にも通じており、武田流や小笠原流などを学び、しかも「大事の所伝」という兵法・軍学の秘術を修めていたという。

これだけ優れた人物である石宗は主君・大友宗麟にもかなり信頼されていたようだが、やがてその両者の関係にヒビが入っていく。
きっかけは宗麟がキリスト教に傾倒していったことのようだ。
石宗は軍配者として日本古来の宗教に親しかったせいか、それとも別の理由があったのか、その態度を激しく非難したため、宗麟との仲が悪化した、というわけだ。

やがて1578年(天正6年)、宗麟は勢力を拡大するべく日向国へ兵を向ける。
これに対して石宗は「宗麟が厄年(49歳)であること」「日向のある未申(ひつじさる)は凶の方角であること」「去年より、凶を示す彗星の動きが見えること」をあげて宗麟に翻意を求めたが受け入れられない。
その絶望のためか、石宗はあの「大事の所伝」を焼き捨ててから日向遠征の軍勢に従軍した、という。

主君に対する失望は強かったろうが、それでも彼は優れた軍配者だった。
この遠征において大友軍と島津軍がぶつかった「耳川の戦い」のさなか、「血河の気」という不吉な予兆を自軍の上に読み取っている。
しかし彼の進言は重臣によって握りつぶされ、大友軍は大敗。
石宗もまたこの戦いの中で散ってしまったのである。

初出:『歴史人』ウェブサイト(2013年10月21日)
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