攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

多聞城 の検索結果:

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】天守閣と高層石垣の近世城郭――「戦国の城」の終わり

…なったのが松永久秀の多聞城(多聞山城)、織田信長が足利義昭のために作った二条城(足利義明御所)、信長自らが作り上げた安土城の三つだ。 多聞城は高い石垣と天守閣の原型となる白塗り漆喰の建造物を持った城であり、二条城は一番最初に天守閣を備えた城であるという(金閣寺の影響を受けた、とも)。そして安土城こそが高い石垣と当時では考えられない五層七重の天守閣(天主)をもった、「象徴の城」の先駆けであった。城の目的が「防衛」と「統治」だった、というのは何度も紹介してきたとおり。しかしこれ以…

【お城の基礎講座】75. 織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく)

…まつながひさひで)の多聞城(たもんじょう)で初めて多聞櫓(たもんやぐら、多門櫓とも書く)が築かれたり、天守ぐらいの大櫓が建てられていました。どれもも近世城郭にあるものですが、これらは各地においてそれぞれの発展をしてきたものでした。それを新しい城という形に集約させたのが織田信長です。 安土城(滋賀県)の大手道がよく復元されている。近世城郭の完成を見た場所だ 新しい城作り 織田信長は城作りだけでなく兵農分離(へいのうぶんり)も進めていました。専門職としての武士や兵隊を作るというこ…

【お城の基礎講座】32.平櫓(ひらやぐら)と多門櫓(たもんやぐら)

…す。その名前の由来は多聞城(奈良県奈良市)に初めて建てられたからという説があります。多門櫓は、土塀の代わりに城壁の上に長く続くように建てられ、本丸、二の丸といった重要な曲輪(くるわ)に建てられました。櫓などに接続され、さらには櫓と櫓を結ぶ形で多門櫓が配置され、鉄壁の守りとなっていました。江戸城や大阪城、名古屋城などの大きな城郭には、ほぼすべての城壁に多門櫓が建てられていました。大阪城に現存する大手門脇の多門櫓は28間(約56m)の長さになりますが、当時の総延長は873間およそ…

日本にあるお城の数

…奈良にある多聞山城(多聞城)なんですけど、いまは奈良市立若草中学校になっています。学校になってる城址もじつはたくさんあります。 こうの | 城址碑[多聞山城] 学校なので見学許可を得ないといけなかったりとハードルは高いものの、こうして城址碑があるのはありがたいです。(石碑や案内板がない城址もたくさんあります) kojodan.jp まずは狭義の、最終的には広義の「お城」を網羅したい 攻城団は初心者向けのサイトとしてつくっているので、オープンにあたり、天守や櫓が残っていたり、長…

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