女城主 の検索結果:
…采だけど、代表銘柄「女城主」で有名な地元の名蔵元「岩村醸造」とのコラボっていうところが見事。地域の産物と手を取り合って、岩村城を通して地域を活性化しようとされているのが、脈々と動き続けている城下町の一端を垣間見たようで、嬉しくなる。城下町は、城だけでは成り立たず、町の停滞しないチャレンジとジャンルを問わず織りなす協働精神が、活気を繋いでいくのだなぁと感じたところです。 岩村醸造さんのあま酒を使用して、かめや菓子舗さんが自家製あま酒あんに仕上げたとのこと。色味が白っぽいので白あ…
もうひとつ、女城主と城にまつわる物語を紹介しよう。ただし、こちらは鶴崎城のそれよりもはるかに悲劇としての色合いが強いエピソードなのだけれど。信濃と美濃の境目に築かれた岩村城(岐阜県恵那市)は、標高721メートル、高度差でも180メートルという地形を活用した難攻不落の名城であり、「日本三大山城」のひとつにも数えられる。霧が立ち込めるところから「霧ヶ城」の別名もある。古くより遠山氏が城主であり、戦国時代には遠山景任(とおやま かげとう)が織田氏の支援を受けつつ武田氏の攻撃を撥ね返…
…たらしい。この城で、女城主として指揮をとり、敵を迎え撃った女性の伝説がある。彼女の名は妙林尼(みょうりんに)。吉岡鑑興(よしおか あきおき)の妻だったが、夫は1578年(天正6年)の耳川の戦いで島津軍と戦った時、戦死してしまった。その後、息子の統増(むねます)が鶴崎城主となる。 しかし、1526年(天正14年)に島津軍が豊後に攻めてくると、統増は大友宗麟の命令を受けて大友氏の居城・丹生島城に招集される。こうして鶴崎城が城主不在となったため、妙林尼が実質の城主として兵を動かすこ…
…督を譲られ、立花城の女城主となったほどの女傑である。それほど気が強かったのが影響したか、両者の間に子が生まれることはなかった。 宗茂が立花家を継いだ頃、主家である大友家は未曾有の危機に遭遇していた。戦国時代終盤、大友宗麟のもとで全盛期を迎えたこの家は、その宗麟が進めたキリスト教化によって内部に混乱をきたし、また九州南部から躍進した島津家の圧迫に苦しんで、急激な衰退を迎えていたのである。これを支えていたのが宗茂のふたりの父――養父の道雪と実父の紹運だった。最終的には道雪は病没し…
…を思えば首をひねる。女城主とは名ばかりで発言権はなかったのか。それほどまでに亡き夫の城と領民を守ろうという気持ちがあったのか。今となってはわからないことである。 確実にわかるのは、これを知った信長が激怒したことだ。面子を潰されたのだから当然である。この頃の信長は畿内での戦いに忙しく、また1573年(天正元年)に信玄が死去し、勝頼に代替わりしたといっても武田氏の脅威が大きかったため、すぐに動くことはなかったが、遠からぬうちの逆襲を心に誓ったはずだ。 信長にとって好機がやってきた…
岩村城は源頼朝の家臣・加藤左衛門景廉という人物によって1195年(建久6年)に造られたと言われる。彼は源頼朝の挙兵で軍功をあげ、岩村遠山庄を与えられ、この城を築城した。それを機に遠山氏を名乗り、以後居城としてきた。岩村城は軍事交通の要衝で、武田信玄、織田信長、徳川家康が争奪戦を繰り広げており、遠山氏は中小豪族に見られるように主を変えながら、家を存続させてきた。 天下布武 | 石垣群(六段壁)[岩村城] 1572年(元亀3年)に当主の遠山景任が嗣子のないまま亡くなると、夫人おつ…
…150円 岩村醸造(女城主の醸造元)の甘酒を使用した甘酒餡を使用し、味噌のアクセントで深みのある味。 大垣城もなか 大垣城 岐阜県 つちや 210円 手作りタイプ。石垣に、スマイル(笑顔)が彫り込まれており、笑み積みにちなんでいる。 城最中 掛川城 静岡県 コマツ菓子店 130円 粒あん、掛川茶の抹茶あん、しそあんの3種類。 掛川城もなか 掛川城 静岡県 伊藤菓子店 140円 胡桃が混ぜ込まれた粒あん。皮は四層角左寄り型。 城のある町 小山城 静岡県 石間舗 130円 求肥入…