攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

宇都宮藩 の検索結果:

仇討ちの歴史について教わりました

…たという。きっかけは宇都宮藩主・奥平忠昌(おくだいらただまさ)の葬儀で、家老の奥平隼人(はやと)と奥平内蔵介(くらのすけ)が口論し、ついには刀を抜いての斬り合いになったこと。内蔵介は自決して彼の家は取り潰されてしまったため、息子の源八(げんぱち)と彼に同情する仲間たちは仇討ちを決心する。そこでまず隼人の弟を殺害し、さらに江戸にいた隼人を付け狙った。決戦の日、火消し衣装で江戸を進んだ源八の一団は七十人余りで、隼人らを討ち取ることに成功した。 赤穂事件(元禄赤穂事件) あるいはこ…

【殿様の左遷栄転物語】政争で潰された大名② 宇都宮藩本多家

…(元和5年)に下野国宇都宮藩15万5千石を与えられる。これが正純にとっては破滅の第一歩となった。 その後、宇都宮城を大きく改築するとともに、城下町の整備も行っている。城の改築に着手した理由は、1622年(元和8年)の家康七回忌に日光東照宮で開かれる大祭に秀忠も参加する予定になっていたからのようだ。そしてその往復の際に宇都宮城で宿泊することになっていたためとされる。 ところがその際、秀忠は帰り道では宇都宮に寄らなかった。そして正純は出羽国山形藩主の最上義俊が改易となったためその…

【江戸時代のお家騒動】蒲生騒動 藩主夭逝が藩内の混乱を招く悪循環

…年)【舞台】会津藩、宇都宮藩【藩主】蒲生秀行、松平忠郷【主要人物】蒲生氏郷、蒲生秀行、松平忠郷、蒲生郷成、岡重政 信長、秀吉にも愛された蒲生氏郷が、会津藩の基礎を築く 蒲生騒動は戦国時代に起きたお家騒動だ。騒動の舞台となるのは、豊臣政権時代に活躍した大名・蒲生氏郷が亡くなった後の蒲生氏である。氏郷は近江出身で、はじめ織田信長に仕えていたとされる。信長は氏郷がまだ13歳であった頃から彼の力量を見抜いていたようで、自分のもとで元服させたり娘の冬姫を娶らせたりしている。 その信長が…

【江戸時代のお家騒動】宇都宮釣天井事件ーー秀忠派が長安事件の復讐を果たす?

…(元和8年)【舞台】宇都宮藩【藩主】本多正純【主要人物】本多正純、徳川秀忠、加納殿 大御所家康の懐刀・本多正純の絶大な権力 本多正純は、父の正信とともに幕政の中心を担っていた人物である。幼少期より徳川家に仕え、徳川家康が秀忠に将軍職を譲り大御所として駿府に移った時も、家康に伴われて駿府城に入っている。正信や大久保忠隣といった重臣でも秀忠を補佐するため江戸に残されたことを考えれば、家康が正純を駿府に伴い傍に置いたことは、彼にいかに大きな信頼を寄せていたかをうかがうことができる。…

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