攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

庄内藩 の検索結果:

攻城団テレビで相撲の歴史について話をしました

…のみ白石藩片倉家)、庄内藩酒井家、姫路藩酒井家、出雲藩松平家、鳥取藩池田家、阿波藩蜂須賀家、高松藩松平家、久留米藩有馬家、熊本藩細川家などがあります。 またこれらの藩がずっと力士のパトロンになっていたかというとそうでもなくて、あくまでも藩主のパーソナリティというか、相撲好きかどうかで決まったようです。戦乱もなく、江戸詰が基本の江戸大名にとって、趣味や道楽は暇つぶしの観点でも重要になりますが、その対象として茶道や華道と同じように相撲もあったのかもしれません。 なお今回このテーマ…

【殿様の左遷栄転物語】死後に仕掛けられた罠 加藤清正

…つ親・忠長派にプレッシャーを与えようとしたのでは、と見られる所以である。 息子の光正は翌年(あるいは、移送される途中で舌を噛んで死んだとも)に死に、忠広は庄内藩預かりとなって、1653年(承応2年)に死去。大名としての加藤家は清正と忠広の2代で断絶してしまったのだ。ただ、忠広の子孫自体は生き残った、という話がある。庄内の地で女性との間に一男一女をもうけ、幕府の目から隠すために死んだことにし、百姓として生き残らせたのである。これもまた、ひとつの「再興」の形とはいえないだろうか。

【江戸時代のお家騒動】酒井忠徳による財政改革 豪商・本間光丘の起用

…(天明元年)【舞台】庄内藩【藩主】酒井忠徳【主要人物】酒井忠徳、本間光丘 度重なる凶作などにより藩財政は危機的状況 お家騒動というほどの事件にはならなかったが、藩政改革が内部対立に結びついたケースをもうひとつ紹介する。こちらの主役は本間光丘という1人の商人だ。 18世紀後半、庄内藩は歴代藩主の浪費や度重なる飢饉によって財政破綻しかけていた。江戸藩邸にあった七代藩主の酒井忠徳はまだ若く、国元の家臣たちは逼迫する財政に頭を抱えるしかない。そんな時に財政管理者に任命されたのが、庄内…

【江戸時代のお家騒動】庄内藩・酒井忠重のお家乗っ取り 暴君の野望恐るべし!

…(正保3年)【舞台】庄内藩【藩主】酒井忠勝【主要人物】酒井忠勝、酒井忠重、酒井忠当、高力喜兵衛 餓死者1000人を出した典型的「暴君」酒井忠重 江戸時代初期、欲しいもののためには手段を選ばない、まさに「暴君」のイメージがぴったりだとされる大名がいた。それが酒井忠重だ。彼は庄内藩の初代藩主・忠勝の弟であり、兄の転封に合わせて白岩領8千石の領主となったが、その後本家の乗っ取りを企み策略を巡らせたのである。 白岩時代の忠重の暴政は凄まじかった。10年以上にわたって農民たちに苛政を強…

4.江戸幕府のシステムに縛られた外様大名

…じい。また、ある年の庄内藩・酒井家では、国元でかかった支出が約5千両だったのに対し、江戸での支出は約2万両だったという。実に6倍である。ここからもわかるように、参勤交代と江戸での生活にはとてつもない金額が必要だった。 「移動中に旅費が足りなくなり、調達するためにしばらくその場に逗留するしかなくなった大名」あるいは「節約のために大名行列をつくらず、(普通は籠なのに)草軽履きで国元に帰った大名」がいた一方で、「大名行列が道中で落とすお金が財政上大きな割合を占めていた藩」もあったと…

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