攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

池田恒興 の検索結果:

【家康の合戦】小牧・長久手の戦い 家康・人生のターニングポイント

…族に与えられ大垣城に池田恒興、岐阜城に息子の元助、美濃金山城に森長可が入りました。 一方で家康は、安土城を訪れたのちに立ち寄った堺で、本能寺の変の報せを受けました。危機を感じた家康は伊賀経由で岡崎城へ急ぎかえりました。家康三大危機のひとつにも挙げられる、いわゆる「伊賀越え」です。からくも逃げ帰った家康は明智討伐に出ようとしますが秀吉が討ったとの知らせを受けるや織田領となっていた上野・甲斐・信濃をめぐって北条と争い(天正壬午の乱)、結果として三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五か国…

【家康の合戦】高天神城の戦い 武田vs徳川の攻防戦!

…尾張・伊賀・伊勢を、池田恒興と息子がそれぞれ大垣城・岐阜城に入って美濃を治め、恒興の娘婿である森長可が美濃金山城に入って東美濃を平定しました。このように情勢が刻一刻と変わっていく中で、羽柴秀吉と織田信雄の関係が悪化していき、家康も参戦することとなる小牧・長久手の戦いへと進んでいきます。次回は、小牧・長久手の戦いについて書いていきます。 まとめ 武田と徳川の間で起こった「高天神城の戦い」は3度起こりました。最後に高天神城を攻め落とした家康は遠江を平定することに成功し、その後の五…

【家康の合戦】姉川の戦い 家康の活躍で浅井・朝倉を撃退した戦い!

…家康軍には丹羽長秀や池田恒興が加勢したと言われます。いよいよ姉川の戦いが始まりました。 戦闘は、4月28日未明に家康軍と朝倉軍との激突から始まりました。はじめは朝倉軍が優勢でしたが、榊原康政が側面から朝倉軍を突き、形勢が逆転したと言われます。一方で、信長と浅井氏との間でも戦闘が始まりました。こちらもはじめは浅井氏が優勢でしたが、横山城を取り囲んでいた西美濃三人衆(稲葉一鉄、氏家ト全、安藤範俊)が側面から攻撃をはじめ、浅井勢がみるみるうちに不利になっていったと言われます。この戦…

大晦日に攻城団テレビで〈【大河ドラマ直前予習企画】どうした家康〉をライブ配信しました

…予想されたが、美濃の池田恒興らが秀吉方についたため(犬山城を攻略)、尾張が戦場に 家康は小牧山城に本陣を置く 兵力差は信雄・家康軍は1万5〜6千、秀吉軍は6〜10万と圧倒的 秀吉は別働隊に岡崎城を攻めさせる三河中入りを決行。家康は追撃、急襲して壊滅させる その後は大きな合戦はなく、最終的に信雄と秀吉は和睦(和睦とはいえ立場は逆転) 家康も次男(のちの結城秀康)を人質として出すことに。石川数正の子(のちの石川康勝)と本多重次の子(のちの本多成重)が付き従った 秀吉と和睦する? …

「外戚 なぜ嫁の実家は偉いのか」の動画を公開しました

…田信長の乳兄弟である池田恒興、伊達政宗の乳母・喜多の異父弟にあたる片倉景綱、淀殿の乳母・大蔵卿局の子である大野治長など、乳母の関係を通じて出世した人物は多数います。そして江戸時代でも、おそらくもっとも有名な乳母である春日局がいますよね。こうしてかつての摂関や執権ほどではないにせよ、乳母の立場でも権力は行使できたわけです。 けっきょくのところ権力者の幼少期をともに過ごすというのは強い影響を残すのでしょうね。現代でも「おじいちゃん子(おばあちゃん子)」という言葉があったりしますが…

【殿様の左遷栄転物語】「神君の婿」 池田輝政の子供たち

…、戦国時代においては池田恒興が織田信長の乳兄弟として、また側近として活躍したのが有名である。信長の死後は羽柴秀吉についたが徳川家康との戦いの中で息子とともに討ち死にし、生き残った次男の輝政が跡を継いだ。この輝政が徳川家康の娘。督姫を継室にもらって「神君の婿」と呼ばれたのはすでに紹介したとおりである。 さて、関ヶ原の戦いで東軍側について戦功をあげ、またその後も幕府に対して忠実であり続けた輝政は、徳川家との密接な関係もあって、広大な所領(一族全体で92万石!)を与えられた。そのた…

【戦国合戦こぼれ話】羽柴秀吉の中国大返し

…を探していた。光秀軍は1万3000とされており、自軍の2万だけでは少し不安だったようだ。結果、丹羽長秀や池田恒興らが秀吉方についている。12日夜、山崎から約10キロ離れた冨田に到着。そして翌日の13日、山崎の地で光秀軍とぶつかったのである。 出発からわずか1週間。秀吉の迅速すぎるといってもいい行動のおかげもあって光秀に完勝した。この勝利により、秀吉は全国統一への切符を手に入れたといってもいいだろう。 初出:『歴史人』ウェブサイト(2011年12月19日) kojodan.jp

【戦国合戦こぼれ話】小牧・長久手の戦い―外交交渉で決着

…戦いは秀吉方についた池田恒興(つねおき)が徳川方の城を占領したことから始まった。さらに同じく秀吉方の森長可(ながよし)が小牧山に陣を敷いたのだが、これは徳川の軍勢によって打ち破られた。やがて秀吉の本隊が到着して両軍はしばらくにらみ合っている。この膠着を打破するべく、池田恒興と森長可、さらに秀吉の甥にあたる三好秀次らによる別働隊が三河方面へ進出した。しかしこの動きは家康によって完全に看破されており、羽柴別働隊は徳川軍の挟み撃ちによって壊滅してしまったのである。 兵力において勝る…

ペーパークラフト「戦国の合戦 山崎の戦い」をつくってみました

…ので大丈夫でした。「池田恒興ってこんな旗印だったのか」とか確認しながら作業するのもいいと思います。 複数人でやったほうが楽しい 全部切り抜き終わりました!両軍の兵力差がなんとなく実感できますね。 あくまで参考程度ですが、ぼくはこの切り抜き作業だけで約6時間かかりました。(ぼくはこういう作業が苦手なので、器用な方ならもう少し早くできるとは思います) ひとりでやるのはけっこうつらいので、複数人で作業しながら、みんなで「山崎の合戦」のことや参戦した武将について知ってることを披露しあ…

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