攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

真田氏 の検索結果:

【家康の謎】家康はなぜ上田城の戦いで自ら出陣しなかったのか?

真田氏は小規模な大名ながら、家康をはじめとする戦国時代末期の人物を主役とする大河ドラマでは欠かせない勢力になっている。2016年の『真田丸』の記憶がまだ新しい人も多いだろうし、今回の『どうする家康』でも、真田昌幸役には佐藤浩一氏が割り当てられているあたりからも、その役の大きさがよくわかるというものだ。では、どうして真田氏はここまで大きく扱われるようになったのか。それは三度にわたって徳川氏を痛い目に遭わせたからであり、その一度目が先週の放送回でも扱われた、いわゆる第一次上田城の…

大晦日に攻城団テレビで〈【大河ドラマ直前予習企画】どうした家康〉をライブ配信しました

… →この和睦の条件で真田氏が支配する沼田領を北条氏の領土としたことがのちに問題に 家康の次女・督姫を氏直の正室として同盟を結ぶ 家康は甲斐と南信濃を加えて五カ国大名に 多くの武田旧臣も取り込む →井伊の赤備えなど軍事面の強化、大久保長安などの有能な代官も獲得 北条氏と同盟を結ぶ? 織田家内での権力争い 織田信孝・柴田勝家 vs 織田信雄・羽柴秀吉の対立。勝家の誘いを断り、家康は信雄・秀吉方に →戦勝祝いとして秀吉に初花肩衝を贈っている(このとき石川数正が初めて秀吉と会うと、そ…

【サイン本プレゼントあり】「ぶらり真田家ゆかりの31城跡めぐり」のご紹介

…矢沢城・砥石米山城・真田氏本城・真田氏館・松尾古城・小諸城 ・松代城■群馬県/沼田城・箕輪城 ・下小屋城 ・松井田城 ・白井城 ・長野原城、丸岩城 ・羽根尾城 ・嵩山城 ・横尾八幡城 ・岩櫃城 ・雁ヶ沢城 ・中山城 ・尻高城 ・鎌原城 ・名胡桃城 ・猿ヶ京城 ・明徳寺城 ・小川城■新潟県/春日山城 ■和歌山県/九度山 ■大阪府/大坂城 ・真田丸御城印を通常販売している城跡の御城印情報も掲載しております。大河ドラマ真田丸以降に新たに分かった発掘調査結果(沼田城、岩櫃城)の新情報…

【戦国軍師入門】真田幸隆――謀略に長けた「攻め弾正」

…一目置かれていた。 真田氏は信濃(現在の長野県)小県郡(ちいさがたぐん)の豪族・海野氏(うんのし)から分かれたとされ、真田郷を領有するようになってからこの名前を名乗ったという。このあたりは幸隆の父の名前も含めてかなり諸説あってハッキリとしていないところがある。 ところが、1541年(天文10年)に武田信虎(たけだ のぶとら)・諏訪頼重(すわ よりしげ)・村上義清(むらかみ よしきよ)が攻めてきて、幸隆を含めた真田氏・海野氏は小県郡から追われてしまう。彼は上野に逃れ、その後に信…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑨――武田信玄に苦汁をなめさせ、内応であっさりと落ちた城・砥石城

…て武田氏の家臣である真田氏のものとなり、第二次上田合戦の記録の中にその名前が出てくる。 1548年(天文17年)に第一の敗北である「上田原の戦い」で義清に敗れた信玄はその2年後、義清が別の敵と戦っている隙を突いて、武田氏と村上氏の勢力の境目として重要な拠点である砥石城に進撃した。信玄はまず偵察隊を送り、城の様子を慎重に確認した後で、攻撃に踏み切った。これに加えて村上方の豪族に対する調略も行い、城攻めはうまくいくかと思われた。ところが砥石城の守りは堅く、1ヶ月にも及ぶ攻防戦で武…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく①――「力の差」に圧倒された城・小田原城

…氏が上野の名胡桃城を真田氏から奪ったという報せが入る。これは秀吉の定めた惣無事令を違反しているとして、ただちに諸大名に北条氏討伐のため出陣を命じた。 かくして1590年(天正18年)、秀吉の命を受けた西国や北陸の諸大名が出陣、いくつかのルートを経て関東にたどり着き、支城を落としながら小田原城に迫った。これに対して北条方は、主だった諸将らを小田原城に集め、また下田城や韮山城にも兵を集めた。上杉謙信や武田信玄を撃退した時のように、今回も籠城戦で対抗する作戦であった。しかし豊臣方の…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は⑨――徳川本隊を釘付けにした城――上田城(第二次上田合戦)

…軍を撃退した上田城と真田氏が、再び徳川軍とぶつかることになったのである。 京で挙兵した石田三成に対し、徳川家康は軍をいくつかに分けて中央へ進めた。諸大名は東海道を先発させ、自らは江戸に寄った後にゆっくりと進軍。そして、後継者と決めていた息子の秀忠には徳川氏の本隊ともいえる大軍を預け、中山道を西上させた。信濃方面の西軍派勢力を平定させたのちに、京に向かうのが秀忠の役目であった。 その前に立ちふさがったのが真田昌幸であり、上田城であった。昌幸は会津の上杉討伐軍には参加していたが、…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城・名勝負ピックアップ②――徳川の大軍を押し返した城・上田城(第一次上田城の戦い)

…った。上田城を領する真田氏が俗に「徳川の天敵」などと称される所以であるが、まずここでは「第一次上田城の戦い」について紹介したい。 上田城は1583年(天正11年)、武田家臣の真田昌幸が城郭として整備したと伝えられる。それ以前にも昌幸の父である幸隆(砥石城の攻略で知られる)がもともとこの地にあった常田氏の居館を整備しているが、城郭としての上田城は昌幸の手によるものだ。山を背にした平城で、かなりの規模であったと考えられるが、詳細はわからない。 しかし、上田城は完成してすぐに戦火に…

【戦国時代の境界大名】小笠原氏――名門武家、宿願のために三英傑の元を渡り歩く

…た変わる。同じ信濃の真田氏とともに徳川の与力大名(戦時に軍事指揮下に入る)となったのだ。さらに徳川が旧領から関東へ移されると、これに従って下総古河3万石へ移された。この頃にはほぼ完全に徳川家の家臣となっていたのだろう。「関ヶ原の戦い」においてはすでに代替わりしていた秀政が、当然ながら東軍に与し、宇都宮城(栃木県宇都宮市)に入って会津の上杉景勝が関東に攻め入ってこないように備えた。この功績を評価されてか、戦後に信濃飯田5万石に、さらに1613年(慶長18年)になって父祖の地であ…

【戦国時代の境界大名】真田氏――時代の趨勢そのままに主君を変える

真田氏の発祥と、幸隆の活躍 真田氏は、もしかしたら一番有名な大名家のひとつかもしれない。もとより「真田幸村(信繁)」は知らない者がいない有名人であるし、その父・真田昌幸の徳川氏を相手にとっての大立ち回りに憧れる人も多いだろう。加えて2016年度NHK大河ドラマ『真田丸』が大変な評判になったからだ。 ただ、境界大名としての真田氏を語ろうと思うと、少々前置きが長くなる。真田氏は独立した大名であった時期が短いからだ。もとはごく小さな地域を支配する国人でしかなった真田氏が、戦国の動乱…

八王子城 戦国の終わりを告げた城

…だが、北条氏の家臣が真田氏の領地を奪ったことを理由に、北条氏の討伐を決めたという経緯があった。それに対して、北条氏の家中では交戦か、融和かで意見が分かれていた。当主の氏直は戦うべきではないと考えていたが、彼の父である氏政、叔父の氏照らは交戦を主張した。氏照は軍の指揮をするため、八王子城を家臣に任せて精鋭とともに小田原城に入り、秀吉を迎えうった。 関東に進軍した秀吉軍は、大軍で小田原城を囲んで支城を落城させていく作戦をとった。支城のひとつである八王子城には上杉景勝、前田利家、真…

上杉謙信ゆかりの地おすすめ17選

…野で10万石を治めた真田氏の松代藩の記述などもあり、歴史好きとしてはなかなかに楽しめる内容です。 その他、長野盆地の自然や風土、民俗などをテーマにした常設展や時期ごとに替わる特別展もあり、プラネタリウムも人気を集めているようです。 「武田上杉武将列伝」など大河ドラマに関連した特別企画展が行われることが多いのでチェックしてみましょう。 所在地 長野県長野市小島田町1384-1(※博物館は小島田町1414) アクセス 車の場合、上信越自動車道 長野ICから3分。電車の場合、JR・…

明智光秀と明智氏、あるいは「歴史に埋もれたものたち」

…、四年前の上信の豪族真田氏を描いた『真田丸』や三年前の遠州の豪族井伊氏を描いた『おんな城主直虎』はまさにそういう話であったので、ぜひ今回の明智氏の様子と見比べてほしい。若き光秀の気持ちについて、より深く理解することができるはずだ ただ、史料を追っていくと明智氏には別の側面も見えてくる。実は室町時代には名門・土岐の一族として自らも京に出て、外様衆や奉公衆などという役職について活躍していたらしい形跡が見えるのだ。このような京とのつながり、名門一族の末裔としての意識は、先行作品とは…

舅を追い返した小松姫

…で、上野に勢力を持つ真田氏に嫁入りしている。そのきっかけは徳川氏の真田氏が争ったことだった。このときに徳川氏は小勢力である真田に随分手を焼かされ、結局講和で戦いが終わる、ということがあった。その後、小松姫は家康の養女になったうえで、昌幸の長男である信之の妻になったのである。背景には、真田氏を危険視した家康の、婚姻政策によって身内に取り込もうという思惑があったのではないかと考えられる。当時としては珍しくない政略結婚だったが、夫婦仲は非常に仲睦まじかったようだ。 やがて豊臣秀吉が…

上田城 徳川氏の猛攻を二度も凌いだ堅城

…れた。それ以降、代々真田氏によって継承されている。城は現在の長野県上田市の、千曲川の河岸段丘の上にあった。さらに千曲川の分流である尼ヶ淵に面しており、天然の堀の役割を果たしていた。 YUSUKE | 西櫓・南櫓(尼ヶ淵から)[上田城] 真田氏は武田氏、上杉氏、北条氏、徳川氏と有力な大名に挟まれ、主を変えながら戦国の世を生き抜いてきた。そのため、領地に関する問題も起きやすい。一度目の争いが起きた時にも、それが発端だった。 1585年(天正13年)、幸隆から家督を継いだ昌幸は、徳…

【協賛:東吾妻町】「真田氏上州の拠点 岩櫃物語」のご紹介

…のくらいにして、では真田氏が支配する前の岩櫃城の歴史はご存知ですか? そして真田氏はどのようにした岩櫃城を手に入れたのでしょう? このあたりの歴史はドラマでは描かれなかったのでご存じない方も多いのではないでしょうか。 今回紹介するのは岩櫃城がある群馬県吾妻郡東吾妻町の職員の方々が制作された、まんが歴史読本「真田氏上州の拠点 岩櫃物語」です。 これを読めば、岩櫃城の歴史、岩櫃城と真田氏のかかわりが10分ほどでバッチリ理解できます! 1ページ1エピソードの体裁で、第1話は「岩櫃山…

真田三代って誰のことをさしてるの?

…三代」と呼ぶときは、真田氏中興の祖であり信繁(幸村)のおじいちゃんである真田幸隆からはじまる、幸隆―昌幸―信繁をさすようです。ちなみに最近は「幸隆」ではなく「幸綱」のほうが正しいらしいですね。 真田家の家系図を置いておきます。 個人的には嫡男であり、真田家を守った信幸がはしょられてるみたいでもやっとするんですけど、お父さんについていった信繁が入っちゃうのかな。あと信幸(「関ヶ原の戦い」後に信之に改名)の子と孫は家督争いでいろいろもめてて、こっちはこっちで「真田三代トンデモ大騒…

日本全国の戦国関連資料館

…野県上田市 上田城 真田氏歴史館 長野県上田市 真田本城 真田宝物館 長野県長野市 松代城 長野市立博物館 長野県長野市 松本市立博物館 長野県松本市 松本城 春日山城跡ものがたり館 新潟県上越市 春日山城 兼続お船ミュージアム(長岡市与板歴史民俗資料館) 新潟県長岡市 与板城 石川県立歴史博物館 石川県金沢市 金沢城 前田土佐守家資料館 石川県金沢市 金沢城 藩老本多蔵品館 石川県金沢市 金沢城 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 福井県福井市 一乗谷城 富山市郷土博物館 富山…

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