攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

稜堡式城郭 の検索結果:

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】読者からの質問とその回答

…と、そこから派生した稜堡式城郭全般に対する質問など、さまざまな角度からの問いに対して時田学芸員が答えてくださっています。約18000字におよぶ、読み応えたっぷりの質疑応答となっていますので、ぜひお読みください! 読者からの質問とその回答 Q.時田学芸員が「現地でここは必見」とオススメできる見どころを教えてください(匿名希望さん) やはり一番感じてほしいのは戸切地陣屋がかの地に立つ所以となったロケーションの良さですね。それを感じられるおすすめのポイントは、正門の脇の土塁の上から…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】5.おわりに

…陣屋、そして「日本の稜堡式城郭・堡塁」のその後 冒頭でもお話したとおり、戸切地陣屋の知名度は極めて低く、またその本質も百数十年にわたり解き明かされることはありませんでした。しかしここ5ヶ年の調査研究により、この城が、洋式軍学の定理・理論を柔軟に理解かつ咀嚼しかつ当時世界の軍事の前提となりつつあった砲戦による火制範囲を組み込んだ「優位先奪」「陣前減滅」を可能とする防衛構造を本邦で初めて実現し、かつ拠点としてヴォーバン以来の稜堡式星形堡塁を備えた、文字通りの「日本最初の星の城」で…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】4.「早すぎた」洋式軍学理論のゆくえ-戸切地陣屋、そして「日本の稜堡式城郭・堡塁」のその後-

…半月堡がある姿こそが稜堡式城郭としての「完全」であり、現在の一ヶ所しか残らずしかも馬出のごとく用いられている状況……つまりは「日本的」常識に基づく用途に転じられている状況こそが本来用途からすれば「特異」であることがおわかりいただけると思います。 さらに、工事開始から5年後、竣工間近の1862年(文久元年)の『箱館亀田一円切絵図』にある五稜郭を見ると、そうした西洋軍学に係る要素が「日本的」常識に上書きされていっていることがわかります。北西に密着・密集して建設された役宅群は本陣か…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】3-3.「日本最初の星の城」の原典への旅(3)-「野崎の丘」に実を結んだ19世紀フランス「砲戦の時代」の防衛構造・戸切地陣屋-

…の例 日本陸軍史における近代的砲戦陣地構築の最初期例 などの歴史的価値を見出すことができるといえるでしょう。 次回の記事:4.「早すぎた」洋式軍学理論のゆくえ-戸切地陣屋、そして「日本の稜堡式城郭・堡塁」のその後- 戸切地陣屋についての質問を募集中 この連載を読んで戸切地陣屋に興味を持った方も多いと思います。時田学芸員に聞いてみたいことがあれば以下のフォームから質問を送ってください。後日回答をいただく機会を作ります。記事についての感想もお待ちしています! kojodan.jp

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】2.「日本最初の星の城」戸切地陣屋の防衛構造の概略

…築かれます。日本初の稜堡式城郭ですがその稜堡はひとつしかありません。しかしあらためて地形や大砲などの射程距離を踏まえるとこれは「ひとつだけで十分」という評価になるそうです。ヨーロッパの軍学を取り入れた戸切地陣屋がどのようにここを拠点に防衛しようとしたのか、その構造についてじっくり説明していただきます。今回は図解もたっぷりです。 前回の記事:1-3.戸切地陣屋ができるまで(3)-松前崇広・藤原主馬の軍制改革と、その「思わぬ」結末- 西方を「アナタヒラの崖壁」(『松前志』内の描写…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】はじめに

…た日本初の星形要塞(稜堡式城郭)として大変価値の高いお城です。この連載ではまだまだ知らない人が多い、あるいは存在こそ知っていてもその真価を理解できていないぼくのような人たちに対して、戸切地陣屋の魅力やすごさを北斗市郷土資料館の時田太一郎学芸員に解説していただきます。 北海道北斗市野崎に所在する松前藩戸切地(へきりち)陣屋は、中近世ヨーロッパにおいて対銃砲戦の城郭構造として発祥・発達した稜堡式築城術を日本で初めて採用した城郭であり、1855年(安政2年)の幕府による蝦夷地上知(…

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