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【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】3-3.「日本最初の星の城」の原典への旅(3)-「野崎の丘」に実を結んだ19世紀フランス「砲戦の時代」の防衛構造・戸切地陣屋-

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サヴァール教本によれば、大砲が主力兵器となった時代の防衛戦は視界の確保が重要で、さらに敵の機動力を奪い守備するポイントを限定させるという極めて論理的なプランであることがわかります。
では戸切地陣屋はどのくらい忠実に教本の内容を反映しているのか。時田さんの調査によれば城が築かれた「野崎の丘」の自然地形もうまく活用し、かなり正確に再現していると言えるそうです。

では、サヴァール教本の内容と戸切地陣屋の構造とを、実際に見比べていきましょう。

まずは星形本陣からです。サヴァール教本の全313章から「Gebastioneerde Forten(稜堡式要塞)」の設計・解説を行っている章(116・123・126・127)における模式図を戸切地陣屋本陣と見比べると、正方形とその中央等分線・対角線を基準とした対称的・幾何学的な星形構造……つまりはヴォーバン以降の稜堡式築城定理に即し、かつ先述した戸切地陣屋遺構の考古学的分析から推定した設計構造と合致することを確認しました(図25)。

図25.サヴァール教本における稜堡式要塞設計の基本模式図(左・中)と、戸切地陣屋の平面構造の推定図(右)。サヴァール教本による構造理解がヴォーバンの理念を継承しているのが伺えるとともに、両者が非常に近似していることがわかる。

さらに、そのうち127章を読み進めていくと、標準的な稜堡式要塞を実際に造った場合の各部の寸法・角度についてサヴァールが計算し導き出した数値が列記されていますが、これらが戸切地陣屋の星形本陣の該当する部位と一致を見せたのです(図26)。
こうした複数の要素における一致は、同時期に象山・主馬らが参照できる可能性のある他のオランダ語教本との間には見られませんでした。

図26.サヴァール教本において示された標準的な稜堡式要塞設計の具体的数値と、戸切地陣屋との寸法(左)および角度(右)における一致。寸法の単位は「エル(el)」で、当時メートル法へと移行していたオランダでは1エル=1メートルとして扱っていた。角度については現在の遺構における実測値を比較に用いたが、竣工より約170年を経てなお、ほぼ数値は一致している。

以上を勘案すると、まず本陣の設計構造については、サヴァール教本を手本としかつその内容に極めて忠実に行っている可能性は極めて高いと考えられます。
つまり、戸切地陣屋本陣は、ヴォーバンによって体系化され連綿と受け継がれてきた稜堡式築城=星形要塞の系譜にほぼ間違いなく連なるものである、といえるでしょう。

次に、「野崎の丘」全体の空間利用について、サヴァール教本内の記述と照合していきましょう。同教本内における優位陣地(有利な戦場)の構築に関連する部分について、いくつか訳して引用します。

[引用a]「(有利な戦場とは)部隊の運用に妨げなく、相互に援護が可能であり、かつ大砲の射程範囲……少なくとも小銃あるいはぶどう弾(※)の射程範囲内まで……を制圧下に置くものである。このため(射線を妨げる)樹木・岩・建築物などを除去する。(中略)また、戦場を制圧するための(陣地を置く)高台の前方には、窪みなど不可視の箇所がない緩やかに伸びる斜面を備えていなければならない。

(※ぶどう弾…16世紀頃より使われた砲弾の一種。子弾を集積した弾でその様がぶどうに似る。発射と同時に子弾が飛散するが通常弾に比して射程は短く、近距離での対人などに用いられた。)

[引用b]「(「有利な戦場」についての補注)2.軍(を配備する陣地)の側面は、敵にとって侵攻を困難にする、あるいは攻撃のためにそれを迂回する必要が生じるような障害物によって守られていることが好ましい。この障害物とは、深い森林・流水または湖沼・渓谷・山・村落・要塞などである。」

[引用c]「前方の(斜面)地形については、砲台からの視界や着弾を遮ったり、敵が身を潜めその動きを隠しながら接近を有利に行うことができるようなものが無いようにすること。

─サヴァール教本第2章(戦場における有利・不利について)より引用、邦訳筆者

[引用d]「……稜堡を有する堡塁は、そのフロント(※訳注:稜堡・稜角の先端どうしを結ぶラインの長さ)は200~240mとすること。それを超えると(間が広すぎて)稜堡側面からの援護砲撃の威力が減衰してしまうためである。また、この長さは120m以下にしてはならない。堡塁が小さくなりすぎ、稜堡・稜角での作戦行動に十分なスペースが確保できないためである。」

─サヴァール教本第126章(稜堡式要塞の設計について)より引用、邦訳筆者

[引用e]「(陣地構築の)事前準備として、陣地周囲は1,000~1,200mの範囲においてすべて(防衛に有利な状況へと)整えなくてはいけない。そのためには、前述の距離の範囲内にある家屋・塀・石組みや樹木・雑木・生垣・下草に至るまで、敵の(陣地への)接近に有利に働くものはすべて除去しなければならない。(以下略)」

─サヴァール教本第285章(要塞構築のための事前整備について)より引用、邦訳筆者

以上の記述を戸切地陣屋の防衛構造における状況と比較してみましょう(図27)。すると、

(1)堡塁は高台に位置し(引用a)、その前面に敵の接近や防御に利するような障害物を持たない緩やかな斜面=キルゾーンが広がっている(引用a,c,e)。また、キルゾーンの範囲は堡塁に備えられた大砲類の射程範囲である半径約900mに及ぶ(引用a,e。現在後世の道路切土によって失われている斜面を含めると1000mを超える)。
(2)堡塁およびキルゾーンとして機能する斜面の両側面は、敵の侵攻・進行を阻害する「アナタヒラの崖」や小沢といった自然地形からなる障害物によって守られかつ区切られている(引用b)。
(3)本陣稜角のフロントはちょうど200mであり、稜堡式堡塁における理想値の範囲内である(引用d)。

……と、その条件の多くを満たしている、あるいは合致していることがわかります。

図27.サヴァール教本にみる砲戦優位陣地構築の際の条件(左)と、それと「野崎の丘」における戸切地陣屋の防衛構造との比較(右)。戸切地陣屋が、星形本陣だけではなく全体の空間利用に至るまで、サヴァールによって示された条件を満たした砲戦優位陣地を構成していることがわかる。

加えて、サヴァール教本にはこうも書かれています。

「すべての陣地は、その防衛のために、その大きさと攻撃ポイント(火力起点)の数に比例した数の戦力を必要とする。たとえ難攻不落とされる陣地であっても、そのことを忘れてはならない。」

─サヴァール教本第2章(戦場における有利・不利について)より引用、邦訳筆者

当時の松前藩において、防衛拠点に常駐させることができる人員・砲数は限られていました。ここで無理に火力起点=砲台を増やせば、そのランニングコストで拠点運営が破綻することは確実です。
その観点で見ると、戸切地陣屋の星形本陣の構造と向きは「常駐可能な火力を一稜に集中させ、さらにその火制範囲により陣前のキルゾーンを全て制圧可能にすることで、コスト・戦力両方の課題を解決している」といえるでしょう。

これらを勘案すると、戸切地陣屋は先に提示した陣屋本陣の平面構造のみではなく、「野崎の丘」における防衛構造の構築における空間利用とその配置、そして戦力の運用についても、サヴァール教本における当時のヨーロッパにおける軍事的ノウハウを元に築き上げている可能性が高い、ということになります。

もしそうであれば、この城は日本で初めての稜堡式星形城郭というのみでなく、日本において初めての近代陸戦に対応した陣地構築の実践例であるということにもなります。

以上をまとめると、戸切地陣屋には、

  • 開国前の日本における洋学伝習─特に佐久間象山による洋学教育の実態および実践を把握する上で極めて貴重な「物的証拠」

  • 世界の稜堡式築城の系譜において、「『稜堡式堡塁』と『火制を主眼とした広域陣地』を融合させた防衛構造」という、この時代(19世紀前半~半ば)特有のあり方を実践・構築した日本における唯一の例

  • 日本陸軍史における近代的砲戦陣地構築の最初期例

などの歴史的価値を見出すことができるといえるでしょう。

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