攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

立花家 の検索結果:

【現在1766城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧

…城(福岡県福岡市) 立花家史料館 300円 印刷 A6 2023年11月27日 仲島城 御城印 まるごとしすい、道の駅 季楽里あさひ 300円 印刷 2023年11月25日 名島城 御城印 金潜紙バージョン 名島城(福岡県福岡市) 名島神社 社務所、甘味処 戦国や 立花館 700円 印刷 はがき大 2023年11月23日 秋月城 御城印 秋月鎧揃え版 秋月城(福岡県朝倉市) 朝倉市立秋月博物館、秋月駐車場管理組合 観光案内所、筑前秋月 和紙処、朝倉市観光案内所 ほとめく館 5…

【戦国軍師入門】立花道雪――輿で戦場を駆けめぐった、雷神の生まれ変わり

…。しかし、これは名門立花家の門跡を継いで、さらに出家した後の名前で、それ以前の名前は戸次鑑連(べっき あきつら)という。 彼はその生涯において九州各地を転戦し、様々な戦いを繰り広げているが、その姿は実に特徴的なものだった。道雪は馬ではなく輿(こし)に乗って戦場を往来したのだ。これについてはひとつのエピソードが伝えられている。 それはとある夏の日のこと、道雪は急に降り出した雨を避けて大樹の下で雨宿りをしていた。この時、突然雷鳴が轟いて彼の身体を稲妻が撃つ。しかし、道雪はとっさに…

【殿様の左遷栄転物語】本領にこだわり続けた執念 相馬利胤

…馬家ぐらいのものだ(立花家の柳川は豊臣政権によって与えられたものである)。 このときのことがよほど印象的であったのか、のちに秀忠は利胤に対して「辺部な奥州ではなく、江戸に近いもっと便利なところに移してやろうか」と持ちかけた、という話がある。幕府は基本的に、関東から外様大名を排除する方針であったから(そもそも佐竹が秋田に移されたのもその一環と考えられている!)、これが本当なら破格の特別扱いと考えてよい。にもかかわらず、利胤は「相馬家は鎌倉時代からこの地にいて、長く親しく付き合っ…

【殿様の左遷栄転物語】米五郎左の息子 丹羽長重

…長重はかつて離散した家臣団を呼び戻した、とされる。ちなみに、棚倉・白河両藩の藩主は丹羽家の後はずっと譜代・親藩大名しか入っていない。この点にも、丹羽家への(及び、丹羽の前に棚倉藩主だった立花家への)幕府の姿勢が見えてくる。 丹羽家は長重の子・光重の代に陸奥国二本松へと移され、この地で幕末の動乱を迎えている。幕末の二本松藩といえば戊辰戦争において少年ばかりの部隊が玉砕を遂げた「二本松少年隊」の一件が有名だが、そこに長重の立ち回りの拙さ、一本気な気質を見るのは、考えすぎだろうか。

【殿様の左遷栄転物語】天下無敵の勇将 立花宗茂

…とから、婿養子として立花家を継ぐことになった。「婿」養子であるから、もちろんこの時に宗茂は道雪の娘と結婚している。彼女の名は誾千代。1度は家督を譲られ、立花城の女城主となったほどの女傑である。それほど気が強かったのが影響したか、両者の間に子が生まれることはなかった。 宗茂が立花家を継いだ頃、主家である大友家は未曾有の危機に遭遇していた。戦国時代終盤、大友宗麟のもとで全盛期を迎えたこの家は、その宗麟が進めたキリスト教化によって内部に混乱をきたし、また九州南部から躍進した島津家の…

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