攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

蒲生氏郷 の検索結果:

攻城団テレビで相撲の歴史について話をしました

…組ではこのほかにも、蒲生氏郷、伊達政宗、島津斉彬と西郷隆盛、山内一豊らのエピソードを紹介していますが、徳川家康が「相撲をやるなら畳の裏を返せ。畳の縁がすり減ってお茶の師匠が怒る」と注意したという逸話はおそらく創作でしょうけど、そのくらい相撲を取ることが日常的に行われていた裏返しでもありますね。 勧進相撲から興行・スポーツとしての相撲へ 江戸初期、京都・大坂から勧進相撲(勧進=寺社や橋の建立や復興のための寄付目的で行われる相撲が、やがて普通に営利的な興行に)が出現します。また盛…

【プレゼントあり】日帰りで行ける福島の城と城下町めぐり〈CJ Monmo〉

…禄2(1593)年に蒲生氏郷氏が入城し、天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名。以降、代々の城主によって治められてきた。明治時代に入り、一度は石垣を残して取り壊されるも、昭和40(1965)年に再建され今に至る。会津若松城というと、新政府軍の攻撃を受けながらも1ヵ月にわたり籠城戦を耐えたことから〝難攻不落の城〞として知られるが、天守から走長屋、鉄門(くろがねもん)、南走長屋、干飯櫓までが連結された造りからも、その堅牢さが偲ばれる。本丸を中心に整備された「鶴ヶ城城址公園」も、内堀より内…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は⑤――独眼竜の攻撃に晒された城・二本松城

…われたのちに、家臣の蒲生氏郷が入った。その後は城主を変えながら、最終的に1643年(寛永20年)に入城した丹羽氏の時代で幕末を迎えることとなる。幕末期には少年ばかりで編成された部隊、二本松少年隊の悲劇で有名である。 1585年(天正13年)、当時の城主・畠山義継は、親交のあったか小浜城主の大内定綱が政宗に敗れたことにより、危険を察して伊達氏に属することを表明した。しかし政宗はこれを受け入れなかった。彼の父・輝宗の説得によってなんとか政宗は態度を和らげて両者の間に交渉が行われる…

【サイン本プレゼントあり】「蒲生氏郷伝説」のご紹介

…いる振角卓哉さんが「蒲生氏郷伝説」をサンライズ出版(淡海文庫シリーズ)から7月に出版されました。 地元・日野の出身である蒲生氏郷の実像に迫る一冊となっています。氏郷は織田信長の娘婿となり、また豊臣秀吉のもとでは会津92万石を任されるなど、天下人たちから高く評価された戦国武将でした。また利休七哲のひとりであり、通称「鯰尾兜(なまずおのかぶと)」と呼ばれるユニークな兜(黒漆塗燕尾形兜)を着用していたことでも知られていますね。 今回はこの「蒲生氏郷伝説」を著者である振角さんより2冊…

【江戸時代のお家騒動】蒲生騒動 藩主夭逝が藩内の混乱を招く悪循環

…松平忠郷【主要人物】蒲生氏郷、蒲生秀行、松平忠郷、蒲生郷成、岡重政 信長、秀吉にも愛された蒲生氏郷が、会津藩の基礎を築く 蒲生騒動は戦国時代に起きたお家騒動だ。騒動の舞台となるのは、豊臣政権時代に活躍した大名・蒲生氏郷が亡くなった後の蒲生氏である。氏郷は近江出身で、はじめ織田信長に仕えていたとされる。信長は氏郷がまだ13歳であった頃から彼の力量を見抜いていたようで、自分のもとで元服させたり娘の冬姫を娶らせたりしている。 その信長が本能寺の変で亡くなり、後を継ぐかのように羽柴秀…

初代藩主と藩祖のちがい

…蒲生秀行です。秀行は蒲生氏郷の嫡男で、氏郷は上杉家の前に会津の領主だったので、返り咲いたわけですね。なのでふつうに考えれば藩祖は初代藩主である秀行か、その父である氏郷となるはずです。 蒲生家はその後、秀行の長男・忠郷が25歳で急死したため改易となり、加藤嘉明が会津藩主となります。その加藤家も嘉明の子の明成の代で改易となり、そうして1643年(寛永20年)に入封するのが保科正之です。以後、保科家(=会津松平家)がご存知の通り幕末まで会津藩主をつとめるのですが、歴代藩主で数えると…

上杉謙信ゆかりの地おすすめ17選

…が支配し、秀吉により蒲生氏郷が一時支配し、家康が世を治めると移封された上杉氏が廃藩となるまで支配しました。 上杉神社の鳥居には上杉謙信の軍機である「毘」と「龍」の文字が風にはためいており、入口に立つだけで感慨深いものがあります。鳥居をくぐるとすぐ謙信公の銅像が迎えてくれます。上杉神社は紆余曲折あり、上杉謙信のみを祀る神社となったそうです。 大河ドラマ「天地人」放映後に上杉景勝と直江兼続の銅像も仲良く並んで建てられたようです。 CLAD | 上杉謙信像[米沢城] zenko |…

【戦国を彩る名軍師たち】三成に過ぎたるものが二つあり――島清興

…れをし、諸国を放浪。蒲生氏郷や豊臣秀長といった名だたる将に仕えたのち、石田三成の家臣となった。 三成は豊臣政権で五奉行を務めた人物であり、典型的な官僚タイプである。決して武功がないわけではないが、小説『のぼうの城』で有名な忍城攻めの失敗(小田原征伐の際、北条方の城に水攻めを行うも失敗、非常に攻めあぐねた)などの例を見ても、戦場の猛将ではない。 そこで彼は武勇で知られた清興に目をつけたのだが、その誘い方が凄い。なんと、三成は当時の自分の所領四万石のうち一万五千石(一説には二万と…

『真田丸』前半まとめ(とこれから起こることを整理)

…みに高山右近の陣では蒲生氏郷と細川忠興らとすき焼き(牛鍋)パーティをしていたそうです。いいですね。 pic.twitter.com/DFhuyUu8Hy — 攻城団 (@kojodanjp) 2016年6月12日 第24回「滅亡」 前回の最後に義兄である小山田茂誠が再登場しました。高木渉さん、ほんと最高ですよね。 信繁は茂誠に助けられ、なんとか氏政と対面します。 「......引き際をどうか、お考えください。徳川も上杉も真田も、皆、己の道に折り合いをつけ、生き残ってまいりまし…

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する