攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

藤堂家 の検索結果:

【殿様の左遷栄転物語】「したたかな男」藤堂高虎の息子 藤堂高吉

…たろう。 本家と名張藤堂家の根深い確執 1630年(寛永7年)、高虎が75歳でこの世を去る――その3ヵ月前、彼は高次に家督を譲り渡していた。高吉は高次が生まれて以来、藤堂家から冷遇される傾向にあり、ここに来てそれが決定的なものとなったといえる。高吉は高次の家臣という立場にまで落とされたのだった。高虎としては、養子であり、しかも豊臣家と縁が深くて幕府に目をつけられかねない高吉よりも、やはり実子を選びたかった、ということなのだろうか。 父の死去から間もなく、高吉はそれまで本拠地と…

【江戸時代のお家騒動】生駒騒動 バカ殿様と家臣団の対立に幕府が絡む複雑怪奇な構図

…しかも後見人を務める藤堂家が罰しなかったということで、前野・石崎派の者たちはさらに勢いづいた。結果、内部の亀裂はさらに深まったのだった。 そのため、帯刀は再度藤堂家に訴え出ることになる。今回は、土井家、脇坂家は裁定に加わらず、先代より生駒家の後見職を務める藤堂家に一任されることになった。 抗争する重臣たちを喧嘩両成敗にしようとするが…… このままでは生駒家の内紛が絶えず、いずれ幕府に知られて改易となるだろう――そう考えた高次は、事件に関わった者たちを召集し、喧嘩両成敗として両…

【お城の基礎講座】77. 一国一城令(いっこくいちじょうれい)

…光物産協会) 一方、藤堂家のように二国を支配しているところは、伊勢国の津城(つじょう)、伊賀国の伊賀上野城(いがうえのじょう)の2城を保有していました。 一国一城令の例外 一国に一城とした以外の事例を見てみましょう。 加賀藩(前田家) 加賀国、能登国、越中国の三令制国で二城(金沢城、小松城) 鳥取藩(池田家) 因幡国、伯耆国の二令制国で三城(鳥取城、米子城、倉吉城) 福井藩(越前松平家) 越前国に三城、のち二城(北ノ庄城(のち福井城)、丸岡城(のち丸岡藩として独立)、越前府中…

2.譜代家臣団の成立

…家、森川家、稲葉家、藤堂家、高木家、堀田家、岡部家、朽木家、土岐家、稲垣家、丹羽家、三浦家、遠山家、加々爪家、内田家、小堀家、西郷家、奥田家、脇坂家、京極家、毛利家、山口家、柳生家、堀家、蜂須賀家、増山家などが含まれる。 これらとは別に松平家の一門がある。実は譜代大名として数えられる松平一族も少なからず存在したのだ。 松平一門 徳川を名乗ることができたのは、基本的に御三家と御三卿だけで、それ以外の一門――および元々松平を名乗っていた十八松平(十四松平)――はすべて松平姓を使っ…

3.戦国大名から外様大名へ

…。国持ち大名、ただし藤堂家・佐竹家などは対象にならない)や、「松平」の称号を与えられる家(松平一族や徳川一族、徳川一族との血縁がある家、そして外様大名が特別な名誉として与えられる)などもあり、これも「格」を構成する大きな要素となった。これらは別に徳川家が始めたことではなく、以前からあった習慣の一種であることを付記しておく。 さらに「移動に用いる乗輿の種類」とか「行列で乗る馬に虎革の覆いがかけられる」とか「表門に家紋を付けてよい」など、様々な形で大名たちには「格」の差があり、そ…

築城の名手(1)藤堂高虎が築いた城

…ましたが、情報元は『藤堂家記録』のようです) そのほか『今治城見聞録―四百年の歴史を紡ぐ海のお城の物語』などを参考に、調べてみてわかった情報をまとめてみました。 藤堂高虎がかかわったとされる城 出石城(1583年、天正11年) 大和郡山城(1585年、天正13年) 京都聚楽第(1586年、天正14年)※秀吉の命により縄張り 粉河城(1587年、天正15年)※秀吉から紀伊粉河1万石を与えられ、猿岡山に城を築く 赤木城(1589年、天正17年) 伏見城(1594年、文禄3年)※秀…

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