攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

野面積み の検索結果:

城葱さんの「城もなか」道中記【九州編】

… 寒天やわらび餅での野面積み石垣を表現していて、バニラと抹茶アイス、白玉、あんこ玉がのっていますが、これも石垣の石に見立てているんじゃないかと思います。 裏込石を模したポン菓子が素晴らしい着眼点! アイス、あんこ、クリームにとても合います。サクサク触感がまたよい! コーンフレークはパフェによく使われているけど、こういう形でポン菓子を食べたことがなかったので新発見でした。これからもポン菓子を裏込め石として使った進化系城もなかが出てきそうだなと思いました。確かにそっくりです。石垣…

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編#3】

…い! ぼこぼこ感から野面積みのようですが、五層の天守で野面積みってのはあるのか?と思いつつ、神戸城(三重県)では野面積みの天守台に五層六階の天守があったとされるので、まぁなくはないのか? なんて考えを巡らせてしまいます。城もなかから生まれる城への想いを馳せるあれこれも、楽しみのひとつですね! パッケージは八王子城もなかと味のある黒文字で名前の書かれたシンプルな透明フィルム。包装としての役割はしっかり果たしつつ、透明なフォルムで魅せる五層の迫力、そして君の名は? というまでもな…

【家康の城】浜松城 家康が大いに学ぶ機会となった城!

…時代以降のものです。野面積みの天守台や本丸の石垣も堀尾吉晴時代のものと考えられています。残念ながら家康時代の遺構が表出しているものはありませんが、先にも述べた通り家康時代のものと考えられる堀が発掘されており、地下には多くの遺構が眠っているのではないかと想像を掻き立てられます。 浜松城の基本情報 築城者 今川貞相(諸説あり) 築城年代 永正年間(1504年~1521年) 別名 引馬城、曳馬城、出世城 分類 梯郭式平山城 家康にまつわる出来事 元亀元年に武田侵攻に備えて岡崎城から…

大阪城で公開されている豊臣時代の石垣を見てきました

…代は自然石を積んだ「野面積み」と呼ばれる積み方です。お城好きの中にはこの野面積みがいちばん好きだという方もけっこういらっしゃいますね。 いまの大阪城は本丸を囲う石垣など、びしっと整形されたブロック状の石垣が美しく積まれているので、その差がよくわかると思います。直方体に整形されているのもそうなんですけど、石のサイズがぜんぜんちがいますね。 余談ですけど「算木積み」と呼ばれるこの隅っこ部分の交互に積まれた部分の石の巨大さには圧倒されます。 なぜ地中に石垣が残っているのか まず大阪…

【プレゼントあり】「名城の石垣図鑑」のご紹介

…垣のこと――いわゆる野面積み、打込接ぎ、切込接ぎや穴太衆など――が書かれた本も数多くあります。また全国のお城を紹介する本はそれ以上にたくさん出版されていますし、うちの本棚にも数十冊はあると思います。 しかし石垣だけをテーマに1冊というのはなかなか珍しいです。最初、攻城団に写真の提供依頼があって、タイトルの「名城の石垣図鑑」から石垣の写真集かなと思っていたのですが、小和田先生が監修されているだけあって解説部分も充実しています。前半は石垣の基礎知識(石垣の種類や作り方など)につい…

南山王の居城・南山グスクと、沖縄最南端の具志川グスクを取材してきました

…てみたかったんです。野面積みなのにアーチを描いた城壁が見事なので。 ちなみに伝承としては、久米島にあった具志川グスクの二代目按司・真金声(まかにくい)が戦いに敗れて本島まで逃れてきて築いたのがこのグスクで、だから名前が同じといわれてるのですが、真偽は不明です(ぼくは疑わしいと思っています)。中川さんもその可能性は低そうだとおっしゃっていて、なぜなら生活した痕跡がないからです。煮炊きをしたあともなければ、そもそも水がないので、ここを拠点にすることはむずかしいと。だから海岸警備の…

かつての王都・浦添グスクと浦添ようどれを取材してきました(伊祖グスクも)

… 井戸もありますが、野面積みの粗いつくりなので、親富祖さんは「水が溜まったかわからない。雨水を一時的に溜めておく程度の井戸だったのかも」とおっしゃってました。 さらに奥に進みます。 「旗立て岩」と呼ばれる見張り台からの見晴らしが最高です。もともとはここにも御嶽がありました。 牧港もよく見えますので、おそらく英祖王が浦添グスクに移ったあとも港の監視などのために使われたと思います。 「発掘調査をしてないのであんまり説明することがないんだよね」とおっしゃってましたが、「旗立て岩」か…

【プレゼントあり】沖縄県立博物館で開催中の「グスク展」を取材してきました

…ね。 グスクの石垣も野面積みから進化している 本土の城の石垣は野面積み→切込接ぎ→打込接ぎと石材の加工技術の発展とともに積み方も進化していますが、グスクの石垣も同様です。 ただし野面積みこそ共通なのですが、その後は布積み(豆腐積み)、相方積み(亀甲乱積み)と進化します。本土の場合は布積みは石垣の目地が通っている場合に呼び、また亀甲積みも佐賀城など一部の城で見られますがグスクほど多くありません。 これは石のちがいによるものです。沖縄の石垣には矢穴がありませんが、これは琉球石灰岩…

たかまる。さんの丸岡城シンポジウム「ここまでわかった!お天守の新しい知見と謎」参加レポート

…、矢穴技法が一切なく野面積みであるということから、慶長5年以前の石垣ではないかという可能性を指摘されていました。 北陸においては天正3年頃、越前府中城や小丸城などで天守台石垣が作られたと言われており、丸岡城の天守台石垣もその頃かそれ以後に作られた可能性も否定できません。 また天守台に70~76cm 程度の床下のような穴蔵(あなぐら)のようなものがあったということや、南側に出っ張りの石垣が見つかったという報告もされていました。 しかしこれらがどのようなものだったのかについては謎…

二条城に唯一残る慶長期の石垣?

…ごいことですよね。 野面積みだからといって古い石垣とはかぎらない よくある話ですが、野面積みの石垣を見つけると「お、これは信長や秀吉の時代の石垣か?」と考えがちですが、そうともかぎりません。修復工事でもともとあった石をそのまま使うことは多いですし、技術の伝承スピードや職人の状況――たとえば天下普請で地元の腕利きの職人が不在だった――で、地域によって、あるいはタイミングによって、技術の劣る石垣を築かなければならないといことはあります。(もっとも野面積みのほうが積むのがむずかしい…

石垣の種類(石の加工技術や積み方、外観による分類)

…方として、古い順に「野面積み(のづらづみ)」・「打込接ぎ(うちこみはぎ)」・「切込接ぎ(きりこみはぎ)」の3つがあります。「接ぎ(はぎ)」というのは「つなぎ合わせる」という意味だそうです。 それではじっさいの写真を使ってそれぞれの積み方を紹介しますね。 野面積み 野面積みは自然石をそのまま積み上げる手法です。そのため石の大きさや形はバラバラで、隙間や出っ張りもたくさんあります(隙間には小石を詰めて強度を高めます)。欠点はこうした隙間や出っ張りによって、敵が簡単に登れちゃうとい…

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