今回は白河小峰城からはじまった「平成の復元ブーム」についての解説です。木造復元、御殿など天守以外の復元も多く、お城の多様な楽しみ方を提供してくれていますね。
生駒騒動は幼年の藩主のもとで家老が権力を握るという、わりとよくある構図なのですが、最後に藩主後見人・藤堂高次が下した喧嘩両成敗という裁定が失敗だったと思います。
今回は昭和に再建された天守についての解説です。現在ぼくらが見学できるお城の天守の多くは、この昭和の天守再建ブームに建てられたものですが、建築基準法の制約から外観のみの復元でした。
生まれたばかりの赤ん坊・十五郎はのちに明智光慶と名乗るのですが、初陣の記録もなく史料から実在は確認されるものの、謎の多い人物です。バナーにも使っている有名な光秀の肖像画を所蔵する岸和田市の本徳寺を開山した僧が光慶という説もあるとか。
朝鮮と幕府の板挟みになった対馬の宋氏がおこなった国書改竄事件をご存知ですか? 藩の家老が事の顛末を暴露したのですが、将軍・徳川家光の対応は意外なものでした。
今回は幕末に築かれたお城についての解説です。じつは「最後のお城」というのはいくつかあるんです。「最後の日本式」城郭とか「着工が(竣工が)最後」とか、最後とする基準によって松前城や園部城など複数のお城がピックアップされます。
関西地区限定なのですが、テレビの御城印特集に出演しました。そのコーナーの動画が番組公式YouTubeチャンネルにアップされたので、少しだけ裏話を含めてご紹介です!
この黒田騒動は私利私欲ではなく忠義から起こしたお家騒動という点でかなり特異なケースですが、栗山大膳のような忠臣がいたということが黒田家のすごさなのかもしれませんね。
今回は元和偃武後(武家諸法度による新規築城が禁止されて以降)に築かれたお城についての解説です。まったく築かれなかったかというとそんなことはなく、明石城や福山城などけっこう新築もあるのです。
現在、熊本城でおこなわれている夜間公開にいってきました! ちょうど本丸の大銀杏も紅葉が見頃でしたよ。
古参と新参、ベテランと若手、よくある対立構造ではありますが、とくに藩主交代など代替わりのタイミングではその対立が顕在化しやすいようですね。
今回は「武家諸法度」についての解説です。武家とはいえ(旗本御家人は含まず)基本的に大名を対象にした法令で、その内容は将軍が交代するたびにアップデートされました。
織田信長により比叡山焼き討ちに遭った天台座主・覚恕は正親町天皇の弟です。中立の立場を守らず朝倉・浅井連合軍を比叡山にかくまったことが理由とのことですが、なぜ比叡山は信長に敵対したのか、そこには複雑な事情がありそうです。
妬み嫉みが事件の引き金になることは現代でもよく見られますが、この桑名藩で起きた野村騒動はまったくの冤罪であるにもかかわらず一族までが死刑となってしまった悲劇です。
今回は「大坂の陣」後に発令された「一国一城令」についての解説です。一国一城といいつつも、伊予国には大洲城・松山城・宇和島城と大名ごとに城の領有を認められるなど、けっこう例外があります。でもそのおかげでふたつの天守が現存しているので、例外に…