攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

多門櫓 の検索結果:

【家康の城】名古屋城 家康築城術の到達点!

…徴の三つ目は枡形門と多門櫓です。馬出から土橋を渡った先には枡形門が構えられており、本丸全体を多門櫓で囲っています。これは徳川家康の信頼の厚かった築城名人・藤堂高虎の技術です。内堀は弓矢で攻撃できる距離に幅を狭めており、多門櫓からの総攻撃によって敵を寄せ付けない構造となっています。さらに枡形門は内枡形ではあるものの少しだけ堀に出張った形の最新式枡形です。駿府城でこの技術を用いた枡形門が作られていますが、駿府城より後に築城した名古屋城にもこの最新式の枡形門を配置しています。このよ…

【家康の城】二条城 徳川の権威の象徴!

…づくりで、その上には多門櫓が廻らされています。一方で内側の塀は格式の高い築地塀となっています。二条大路という市街地に単郭というシンプルな構造の城、しかも儀礼と将軍の宿泊所としての役割ではありますが、築城当時は豊臣秀頼が大坂城にいたこともあり、防備と格式の両方を備えたつくりであったと考えられます。 将軍の城・二条城 将軍の城としてふさわしい巨大城郭だ 先にも述べた通り、現在みられる二条城の姿は家光が三代将軍だった寛永期に、後水尾天皇の行幸を迎えるために大改修されたものです。天守…

【家康の城】江戸城 世界有数の一大城郭と城下町!

…と、大天守と小天守が多門櫓で連結した連立式天守であることがわかります。これは現存の姫路城天守と同じ構造です。また、「慶長見聞集」によると天守は雪の嶺のように白かったと書かれていることから、白漆喰総塗籠の白亜の天守であると考えられます。つぎに、本丸南の城門は城壁を外側に張り出して互い違いにした出入り口である「外枡形」が連続している、いわゆる「連続外枡形」の形式となっています。外枡形は信長の安土城黒鉄門や、秀吉の豊臣大坂城本丸桜門などに使われた形式で、これを連続させて用いて防御機…

【家康の城】駿府城 家康初となる石垣づくりの近世城郭!

…門、櫓門、南及び西の多門櫓で構成されています。よく見るとこの枡形は一部が堀に出っ張った状態になっており、内枡形と外枡形の混合型ともいえる構造です。これは江戸城でも見られる構造で、江戸城から慶長期の駿府城に引き継がれ、さらに後に誕生する名古屋城にも引き継がれた最新の枡形構造なのです。さらに、本丸の玄関前御門とその前面の馬出や、台所御門とその前面の馬出の構造は名古屋城に引き継がれているもので、石垣を用いた枡形門と武田流築城術の馬出を組み合わせた最新型の防御構造なのです。 1605…

【2021/2022】年末年始にお城は営業してる?(全国のお城の営業状況調査)

… 城址は常時公開 ※多門櫓の内部公開(土、日、祝日)は12月29日〜1月3日まで休業 ○ 原城 長崎県南島原市 城址は常時公開 ※続日本100名城スタンプ設置場所の有馬キリシタン遺産記念館は12月29日~1月3日まで休館 ○ 角牟礼城 大分県玖珠町 城址は常時公開※豊後森藩資料館は12月28日~1月4日まで休館 ○ 勝瑞城 徳島県藍住町 城址は常時公開※勝瑞城館跡展示室は12月29日〜1月3日まで休館 ○ 玖島城 長崎県大村市 城址は常時公開 ※大村市観光コンベンション協会は…

【お城の基礎講座】89. 三大連立式天守(さんだいれんりつしきてんしゅ)

…に小天守と2基の櫓を多門櫓で結んだ連立式構造になっています。大天守と小天守を中心に乾櫓(いぬいやぐら)と天守二の門櫓などをつなぐ多門櫓で構成されています。曲輪内には東蔵と西蔵を設けており、塩蔵と銃弾蔵(鉛蔵)だったと言われています。連立式天守なので四隅に天守や櫓が建てられており、遠くまで見渡せて死角がないのが特徴です。大天守へ通じる小天守の玄関は唐破風が付いた御殿のような出入り口になっていますが、小天守から大天守に続く出入り口の扉は分厚く頑丈です。連立式天守は平山城の小高い山…

【2020/2021】年末年始にお城は開いてるの?(全国のお城の営業状況調査)

… 城址は常時公開 ※多門櫓の内部公開(土、日、祝日)は12月27日が最終、新年は1月9日から ○ 原城 長崎県南島原市 城址は常時公開 ※続日本100名城スタンプ設置場所の有馬キリシタン遺産記念館は12月29日~1月3日まで休館 ○ 角牟礼城 大分県玖珠町 12月28日~1月4日は豊後森藩資料館が休館 ※城址は見学可能 ○ 勝瑞城 徳島県藍住町 城址は常時公開 ○ 玖島城 長崎県大村市 城址は常時公開 ※大村市観光コンベンション協会は12月29日〜1月3日まで休業 ○ 秋田城…

【お城の基礎講座】75. 織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく)

…聞櫓(たもんやぐら、多門櫓とも書く)が築かれたり、天守ぐらいの大櫓が建てられていました。どれもも近世城郭にあるものですが、これらは各地においてそれぞれの発展をしてきたものでした。それを新しい城という形に集約させたのが織田信長です。 安土城(滋賀県)の大手道がよく復元されている。近世城郭の完成を見た場所だ 新しい城作り 織田信長は城作りだけでなく兵農分離(へいのうぶんり)も進めていました。専門職としての武士や兵隊を作るということです。そのため、それらの武士を常備軍として収容する…

【お城の基礎講座】65. 枡形(ますがた)

…の枡形内。高い石垣と多門櫓に囲まれる 金沢城の枡形内。枡形内で右に折れ曲がった先には厳重な櫓門が構える 左折れと右折れ 枡形虎口には左折れと右折れというのがあります。虎口を厳重に守ろうとする場合は通路を折り曲げますが、枡形の場合も同じです。枡形は二つの門で厳重に守りますが、枡形内で敵が直進できないように二つの門を直角に配置するのが通例です。敵から見て右に折れ曲がる枡形、いわゆる右折れが圧倒的に多くなっています。これは櫓門の上から敵に矢を射ることを想定しているからです。つまり城…

【お城の基礎講座】48. 城の蔵(くら)

…蔵です。構造としては多門櫓とほぼ同じです。多門櫓は石垣や土塁の上に建っているのに対し、蔵は平地に立っています。また多門櫓は石落としや狭間(さま)などの攻撃装置を持っていましたが、蔵にはそういったものはありません。蔵と言っても農家などにある土蔵よりは大きくて立派なものでした。広さは奥行きが2間(約4m)から3間(約6m)、間口は3間(約6m)から10数間と大小様々ありました。土蔵には石を並べた布基礎(ぬのぎそ)が設けられ、その上に木の土台を敷き半間ごとに柱を建てました。布基礎と…

【お城の基礎講座】32.平櫓(ひらやぐら)と多門櫓(たもんやぐら)

…に長く続く櫓のことを多門櫓(たもんやぐら)と言います。今回はこの平櫓と多聞櫓について見てみましょう。 平櫓(ひらやぐら) 一重櫓のことを平櫓(ひらやぐら)と言います。平櫓は最も簡単な形のやぐらです。屋根は、入母屋造りとするか、格式が低い切妻造とされていました。二重櫓よりも大きさも小さく、高さも低いため、物見としてはあまり使われなかったようです。土塀などがないところに平櫓が建てられることが多かったようです。また天守などに付属する付櫓として建てられることも多かったようです。 多門…

【お城の基礎講座】2.城の建物

…門と一体化した櫓門、多門櫓などがあります。 御殿(ごてん) さらには政(まつりごと)を行うために御殿がありました。御殿は政以外に城主の住まいとすることもありました。 その他 これらの建物以外には倉庫や馬屋などもありました。このように城内には天守だけではなく色々な建物が建てられていました。 城郭にあった建物 城郭にかつてあった建物で、天守、櫓、門以外で現存しているものをピックアップしてみましょう。 御殿(ごてん) 現存する御殿は日本に現在四つしかありません。 本丸御殿 現存して…

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