攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

真田丸 の検索結果:

沼田市で開催中の「上州沼田真田丸展」を見にいってきました

…沼田市では「上州沼田真田丸展 〜もうひとつの真田の舞台〜」が開催されています。 七尾市でのプロジェクトの件で、沼田市と県立沼田女子高等学校が共同制作された「歩いてめぐる真田の里 沼田の城下町満喫MAP」についてヒアリングするためにコースケさんと沼田市を訪問してきました。 (こっちのレポートは後日コースケさんに書いてもらいます) 「真田丸」でもたびたび登場する沼田ですし、ぼくはまだいったことがなかったので、「上州沼田真田丸展」のレポートも書きたいからと同行したというわけです。 …

『真田丸』前半まとめ(とこれから起こることを整理)

みんな大好き『真田丸』もとうとう折り返しです。 そこで前半の内容をみんなで振り返ってみましょう。 年表にしてびっくりしましたが、まだ初回から数えると10年も経ってないんですね。 前半のストーリー振り返り 大河ドラマ『真田丸』は武田家が滅亡する1582年(天正10年)からはじまります。 この年は織田信長が横死する「本能寺の変」が起きた年でもあり、戦国時代の一大転換点となった年なのですが、まさかここからスタートするとは思いませんでした。 あと個人的にはバイオリンが流れるオープニン…

唐入りの前線基地、名護屋城はめちゃくちゃ広かった(そして名護屋城博物館はすごかった)

…坂をのぼります。 「真田丸」に乗っかったのぼりがたくさん立ってました。 真田幸村、在陣の地。 ほとんどの大名はここに来てるので、「在陣の地」っていっちゃうとけっこうな人数になるよなあと思いつつ、でもまあウソはついてないですね。 真田親子はたしかに在陣してて、しかも朝鮮にはわたらなかったそうです。 (名護屋まで来たけど渡海してない人数となると家康などわずかしかいないです) いきなりの石垣。どどん。 けっこう不意打ちみたいにあらわれますよ。 隣接する佐賀県立名護屋城博物館に先に立…

関白と征夷大将軍はどっちがえらいのか

…入れて読みます。 『真田丸』で秀吉が「とよとみのひでよしである」と名乗ってたのは「豊臣」も氏だからです。「羽柴秀吉(はしばひでよし)」であり、「豊臣秀吉(とよとみのひでよし)」でもあったわけですね。 こういう細かいとこも正しくやってる『真田丸』は時代考証の先生たちがすばらしい仕事をなさってますよね。 せっかくなのでぼくらは「お、なんでいま『とよとみの』っていったの?」という疑問からいろいろ学ぶとおもしろいと思います。 前置きが長くなりましたが、いよいよ本題です。 ぶっちゃけ関…

よくわかる第一次上田合戦

いよいよ今週の『真田丸』は前半のクライマックス「第一次上田合戦」です。 ご存知のとおり、真田昌幸は上田城で二度、徳川軍を撃退しています。その最初の合戦が今回の「第一次上田合戦」で、たんなる籠城戦ではなく撤退する徳川軍を城外まで追撃してることから地名をとって「上田・神川(かんがわ)の合戦」や「神川合戦」とも呼ばれます。 ざっくりと合戦の経緯をまとめました。 (いうまでもなく「諸説あり」満載の経緯なので、事実と異なる部分があるかもしれません) 信幸が一隊を率いて戸石城に布陣 徳川…

真田幸村(真田信繁)ってどんな人?(おもな出来事をまとめた年表)

…たい。 大河ドラマ『真田丸』は1582年(天正10年)3月からはじまりますが、信繁はその3年後の1585年(天正13年)から上杉家、羽柴家(豊臣家)での人質生活を送ることになります。 ようやく父・昌幸のもとに戻ったかと思うと、「関ケ原の戦い」で敗れ、父とともに九度山に幽閉されます。 上のグラフを見てもわかるように、信繁の人生の大半は、人質か幽閉なんですね。 とくに九度山で蟄居していた1600年(慶長5年)から「大坂の陣」でふたたび歴史の表舞台に登場する(というか信繁はそれまで…

リアル真田丸を見てきました(三光神社、心眼寺、安居神社などを訪問)

…たので大阪に寄って、真田丸跡を見てきました。 こないだテレビでやってるのを見て、じっさいに自分でもあの空堀の高低差を味わってみたかったんですよね。 今回のコースはこんな感じです。 大河ドラマ『真田丸』のタイトルの由来にもなっていますが、真田丸というのは1614年(慶長19年)に徳川家康が大坂城を攻めた「大坂冬の陣」において、豊臣方についた真田信繁が築いた砦(出城)のことです。 ま、すでにみなさんご存知ですよね。 ここから少しだけ真田丸の説明をしますので、もう知ってるよという方…

『真田丸』のオープニングに備中松山城が登場

…したね、大河ドラマ『真田丸』。ツイッターでいろんな人の感想を見てる感じでは評価もこの先の期待も高かったです。ぼくも草刈さんの真田昌幸がカッコよくて、あとやっぱり武田勝頼ですよね。あの悲哀のドラマを初回から見れるなんてほんとすごい。 で、ぼくが「おおっ!」って思ったのがオープニングです。ずっと静かなバイオリンの演奏で、いつババーンと盛り上がるのかと思いながら見てたけど、最後までおごそかな感じで終わりましたね。あとは映像。ドラマのシーンが挿入されるオープニングってひさしく見てなか…

真田信繁は伊達政宗と同い年!?(真田家のみなさんとおもな戦国武将の生年比較)

…年みたいですね。 『真田丸』出演俳優の生年 せっかくなので大河ドラマ『真田丸』で真田家を演じる方々の生年もチェックしてみました。 大河ドラマ『真田丸』の出演者とじっさいの年齢 人物名(役名) 生年月日(年齢) 草刈正雄(真田昌幸) 1952年9月5日(63歳) 大泉洋(真田信幸) 1973年4月3日(42歳) 堺雅人(真田信繁) 1973年10月14日(42歳) 堺さんと大泉さんは同い年なんですね。というかぼくのひとつ上なのか。お父さん役の草刈さんとは21歳差なので、これはじ…

真田三代って誰のことをさしてるの?

…が今回の大河ドラマ『真田丸』で昌幸を演じるというのがなんとも胸熱ですよね!) 『真田丸』は信繁が主人公なので、たぶん今回も幸隆はほとんど取り上げられないと思うんですけど、幸隆以前の真田家はほとんど記録が残ってないくらいの地方豪族だったので、そこから武田信玄に近づいて一度は占拠された真田領を奪還して成り上がっていくあたりはドラマ以上にドラマチックです。なんといっても「攻め弾正」なんて異名で呼ばれてた人がおもしろくないわけがない。 ぼくはこういう地方の小競り合いこそ戦国時代だと思…

内郭と外郭

…が築いた出丸(通称「真田丸」)は外郭南門の外側に築かれたものです。 江戸城の外郭は史上最大の規模で、堀・石垣・塀が渦状に配されて江戸市街のすべてを囲んでいました。 kojodan.jp 豊臣秀吉が築いた京都の「御土居(おどい)」も典型的な総構えで、その総延長は5里26町余(22.4km)にもおよびました。 なお、現在判明している総構えの最古の遺構は、有岡城のものです。 天正年間に荒木村重により改修され総構えとなりましたが、10年ほどで廃城となっています。 (余談ですが有岡城と…

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する