攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

茶々 の検索結果:

【10大戦国大名の実力】北条家②――関東に進出する北条早雲

…足利政知の死後、子の茶々丸が異母弟にあたる潤童子とその生母らを殺害するクーデターを起こし、自身が堀越公方となってしまったのである。これに対して1493年(明応2年)、早雲は堀越御所を攻めて茶々丸を倒し、伊豆を占領することに成功している(この攻撃は5年に及んだとも)。通説ではこの行為は「クーデターを起こして権力を握ったものとはいえ、自身の勢力拡大のために足利一族を倒して一国を奪ってしまった」と理解され、下克上のごく初期の例と考えられてきた。 しかし、近年ではその背景として中央で…

戦国時代のはじまりと終わり

…う/ほりこしくぼう)茶々丸の討伐=明応の政変で新将軍の座についた義遐(よしとお、のちの義澄(よしずみ))が母と弟の敵討ちを命じたとも こうした出来事が連鎖的・複合的に起こっていく中で、「室町幕府が全国を支配する」という構造が(建前はどうであれ)実質的に失われていき、室町幕府が有名無実化していく=戦国時代のはじまりと理解するのが妥当な気がします。 ただ「応仁の乱」が大きな契機となったことはまちがいないと思います。というのも室町幕府では守護は京にいる決まりで――だから領国を統治す…

戦国時代の足利将軍についてざっくり理解する

…方の後継者は異母兄の茶々丸に決まっていたため、幼少の頃から京に招かれ天龍寺香厳院の僧になっています。ちなみにこの茶々丸はのちに伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められ、堀越公方家は滅亡しています。還俗して将軍についた義澄ですが、基本的には細川政元の傀儡でした。そのため「永正の錯乱」で政元が暗殺されるとスポンサーを失うこととなり、周防の大名・大内氏を味方につけた義稙の上洛を許し、義澄は京から近江に逃亡しました。おもしろいのがこのとき義澄が頼ったのは義尚や義稙が討伐した六角氏で、「敵の敵は…

小谷城 浅井三姉妹が父と暮らした城

…娘がいた。娘の名前は茶々、初、江で、豊臣氏と徳川氏の覇権争いに大きな関わりを持つという数奇な運命を背負い、落城までの短い時間を家族で過ごした。 天下布武 | 大広間[小谷城] そもそも長政とお市の結婚は、戦国ではよくある政略結婚であった。織田信長と浅井長政は1567年(永禄10年)、あるいは翌年に同盟を結んだとされ、そのときに信長はお市を長政に嫁がせた。ところが、1570年(元亀元年)に信長が越前侵攻を進めると、長政は反旗を翻した。越前の朝倉氏と同盟関係にある長政に連絡なしに…

【戦国合戦こぼれ話】忍城攻防戦、甲斐姫の奮戦

… 秀吉は戦場に側室の茶々を呼びよせるなど、余裕しゃくしゃくといった面持ちであったが、唯一豊臣方をてこずらせた相手がいた。支城である忍城主・成田氏長の娘、甲斐姫である。 この時、氏長は小田原城を助けるべく忍城を空けていた。そこへ秀吉の優秀な部下として名高い石田三成が攻めてくる。忍城が水城であったことから、三成は秀吉が織田信長に仕えていた時代、備中高松城を落とすのに使った水攻めを試みた。ちょうど梅雨時でもあったし、この作戦は成功するかと思いきや、痛い目を見たのは三成の方であった。…

『真田丸』前半まとめ(とこれから起こることを整理)

…、竹内結子さん演じる茶々など、新キャストが続々と登場します。地方から出てきた信繁が中央のスケールに圧倒される様子が見事に描かれていました。 個人的には数正の出奔の背景に昌幸と信尹がかかわっていたという設定はおもしろかったです。 出奔の理由はいまだにわかっていませんが、事実としてこの数正の出奔がなければ真田家は滅亡していた可能性が高いわけで、ミステリーのお約束である「いちばん得をした人間が犯人」を採用するならば、昌幸が裏で動いたというのは説得力があります(だからといって真実とは…

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