今回は城門の中でも格式の高い門として知られる薬医門についての解説です。二条城の東大手門は当初もいまも櫓門ですが、寛永期の天皇行幸にあわせて(2階から見下ろすのは不敬ということもあり)一時期だけ薬医門に改修されました。
第2シーズン最終回は人吉城です。相良氏にこんな内紛があったことは知りませんでした。この時代、親兄弟でも対立することは珍しくなかったとはいえ、バトルロイヤルみたいな展開ですね。
今回は櫓の名称についての解説です。鉄砲櫓や硝煙櫓などは倉庫としての名称ですし、太鼓櫓などもそうですね。城外を監視する目的の櫓は本丸や二の丸の四隅に建てられることが多く、方位の名前がついてることが多そうです。
二条城で開催されている「二条城×ネイキッド 夏季特別ライトアップ2020」に行ってきました。
田辺城は京都にあるといっても日本海側なので、西軍は気にせず大津城を落としておけばなんの問題もなかったはずなんですけどね。そもそも500しか兵がいなかった情報をつかめてない時点でどうなのかと。
今回は櫓門についての解説です。おそらく格式の高さでいうと唐門のほうが高いと思うのですが、もっとも強固で防御力にすぐれた門なので大手門などの主要な門に使われています。
「本能寺の変」に黒幕がいたという説はどれも根拠がありませんが、秀吉や家康以外にも朝廷、足利義昭、毛利輝元、森蘭丸、堺商人、イエズス会などたくさんの黒幕候補がいます。誰かが書いてましたが、黒幕にあやつられたとするのは明智光秀に対してとても失…
藩祖というのはその藩が成立(立藩)したときの初代藩主とほぼ同じ(たまに加賀藩前田家や福岡藩黒田家など初代藩主の父になる)と思っていましたが、どうやらその考え方はまちがっていたようです。
今回は平櫓と多門櫓についての解説です。多門櫓の名前の由来については松永久秀の多聞城(多聞山城)から命名された説以外にも、楠正成が渡櫓内に多聞天を祀ったからとか諸説あるそうですね。
御城印バインダーに新カバーが登場しました。品切れだったリフィルも補充しましたのであわせてお買い求めください。
丸亀城の人柱伝説、とくに「裸重三」のほうは現地にも案内がありましたが、石垣をのぼることなんて石工じゃなくてもできるだろうと不思議に思っていました。生駒正俊が一国一城令の際に幕府の目をごまかして存続させたという話の真相も気になります。
今回は二重櫓についての解説です。貴重な三重櫓と比べて、現存する二重櫓は全国にけっこうあります。内部を公開されているケースもけっこうあるので、ありがたく見せていただきましょう。
掛川城というと山内一豊の居城のイメージが強いですが、もともとは朝比奈氏の城なんですよね。ちなみにその当時の城は掛川古城と呼ばれていて、いまの掛川城からは少しだけ離れた場所にあります。
今回は三重櫓についての解説です。現存する三重櫓は8城12基と現存天守と同じくらいレアです。天守とちがって内部が公開されていないところも多いので、より貴重かもしれませんね。
「本能寺の変」における明智光秀の動機としてもっとも古くから語られてきたのは、いわゆる「怨恨説」というものでした。ただその根拠はどれも乏しく、むしろほかに理由になりそうなことが考えられないからという消去法的な推論だったようです。