今回は北海道にあるチャシについての解説です。アイヌ民族の城とされますが、じっさいには戦うための場所だけでなく、祭祀をおこなう聖域でもあったようです。
戦国時代には日本各地で行われた合戦のうち、最大規模はどの合戦だと思いますか?
小姓上がりの家老が専横を極めるというのはわりとよく聞く話ですが、磐城平藩内藤家の家老・松賀族之助が起こした一連の騒動はかなり度を超えていたようですね。
今回は白い城と黒い城についての解説です。あくまでも防火・防腐技術のちがいなのですが、いまでもテレビでは黒=豊臣系、城=徳川系と紹介されることが多いですね。でも秀吉の聚楽第や名護屋城も白い天守だった説があるんですよ。
高島城で販売されている記念誌「諏訪の浮城 高島城すべて」を諏訪地域振興局さんから献本していただきました。
徳川四天王の筆頭・酒井忠次の孫であり、酒井忠勝の弟にあたる忠重はなかなかエキセントリックな人物だったようで、主家の乗っ取りを画策しました。その後、2万両の手切れ金で追い出されたものの何者かに襲われて殺されています。
今回は城下町についての解説です。近世城郭では必ず城下町がつくられたそうですが、そういう意味では二条城は異質な存在ですね。京都のお城は聚楽第とかもそうですが、町が先にあってそこにお城をつくる珍しいパターンなのかもしれません。
正親町天皇は後奈良天皇の子で、後陽成天皇の祖父にあたります。幼い頃の伊呂波太夫が温石をもらった相手です。この当時の朝廷はとにかく困窮しており、即位の礼にかかる費用も大名からの献納に頼るしかなかったそうです。正親町天皇の場合は毛利元就がお金…
長家といえば元畠山家の家臣で、能登が信長の支配下となった際に信長から直接領地を与えられていたこともあり、前田家としても手を出しづらかったようです。そんな状況下で起きたのが浦野事件でした。
今回はお城につくられた庭園についての解説です。大名庭園には記事中で紹介されている後楽園や兼六園のように城の外につくられた「城外庭園」と、二条城のように敷地内につくられた「城内庭園」があります。面積の差が最大のちがいですが、それによって城内…
在地領主のまま大名として存続した大名家のひとつに大村藩・大村家がありますが、秀吉そして家康に重要な収入源の長崎港を奪われたため、財政難におちいっていました。その解決策として一族の領地を召し上げるというのは幕府との事前交渉なしには実現不可能…
今回は横矢(よこや)についての解説です。まさか横矢だけで一本の解説が書けるとは思いませんでしたが、たしかにいろんな横矢の仕掛けがあるんですね。死角をなくし、効率的に攻撃する工夫はすごいと思います。
桐紋というと豊臣秀吉が有名ですが、じつは五三の桐、五七の桐以外に、九七の桐とか五五の桐とかのバリエーションがあったことをご存知でした?
右腕となる有能な部下にトップの座を奪われるというのは現代でも企業や政治のなかで見られますが、状況が変わったからとはいえ勝手な都合で排除される部下にしてみればたまったものではないですよね。
今回は馬出しについての解説です。石垣のお城は西日本に多いのですが、馬出しにかぎっては東日本のお城に多いですね。武田氏は丸馬出し、北条氏は角馬出しが多かったようです。