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琉球国王・尚円王の生まれ故郷である伊是名島を取材してきました

記事執筆の背景、関係性の開示
今回の取材は沖縄県・一般財団法人沖縄観光コンベンションビューローがおこなっている沖縄本島周辺離島を対象とした「旅行社・メディア等招聘事業」としておこないました。そのため伊丹空港から那覇空港までの往復航空券および沖縄での宿泊費(那覇市内に一泊、伊是名島に一泊)については自己負担なしで取材させていただいたことを開示しておきます。

今回の沖縄取材では離島がテーマということで、伊是名島(いぜなじま)にいってきました。
「伊是名島ってどこ?」って思った方も多いと思います。ぼくも今回はじめて知ったんですけど、沖縄本島の左上(北東)に位置する離島です。この島には琉球王国・尚巴志王の祖父が築いた「伊是名城(いぜなグスク)」というグスクがあるのですが、第二尚氏王統の祖である尚円王の出身地でもあります。

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このあたりは別記事でしっかり説明するつもりですが、琉球国王の尚氏には「第一」と「第二」があります。琉球を統一した尚巴志の王統が「第一」で(正確には最初の王は巴志の父である尚思紹です)、7代つづいたのちにクーデターで即位した尚円からはじまる王統が「第二」となります。
「尚」という姓は明から賜ったともいわれており(諸説あり)、理由はともかく尚円王は(明との朝貢貿易のために)尚氏を名乗り継続させたのでそれぞれを第一尚氏・第二尚氏と呼んで区別しています。

つまり伊是名島は第一尚氏にとっても第二尚氏にとってもゆかりのある島で、琉球の歴史を知る上ではぜったい訪問しておいたほうがいい場所なんです(しかも伊是名島にはハブがいない!)。
今回は一泊二日で尚円王となった金丸(かなまる)ゆかりの場所をめぐり、さらに伊是名城を地元学芸員の方に案内していただきました。

かなりの長文になっていますが、よろしくお付き合いください!

初日は尚円王(金丸)ゆかりの地めぐり

伊是名島へは沖縄本島の北部にある運天港(うんてんこう)からフェリーが出ています。

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運天港は今帰仁城の近くにある港です。本格的なフェリーで、ひさしぶりの乗船にわくわくします(前回乗ったのは大分から神戸までのさんふらわあ号かな)。

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このイラストがのちに尚円王となる金丸です。あとで同じデザインの銅像が出てきますのでおぼえておいてください。

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船内には即位後の尚円王を描いたかわいいイラストがあちこちにあります。

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運天港から伊是名島の仲田港までは約1時間、そこそこ揺れましたけどとくに船酔いすることもなく楽しめました。
伊是名島が近づいてくると、ちょうど海側から見た伊是名城がよく見えるので、もし寝る場合も着港の20分前くらいには目覚ましをかけておいたほうがいいですよ。

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海際の大きい岩山が伊是名城です。

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船内の様子はこんな感じです。あ、Wi-Fiも完備でした。

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伊是名島に到着した初日は民宿「なか川館」のご主人で観光協会の副会長でもある中川さんに島内を案内していただきました。
(島内の移動は二日間とも、いぜな島観光協会の上間さんにクルマを出していただきました)

まずは金丸の生誕地へ

最初に向かったのは尚円王(金丸)の生家です。
「みほそ所」という名前の「ほそ」が「へそ」のことで、それに「御」をつけて「みほそ」と呼んでいるそうです。おそらく胎盤を埋めたのだろうとおっしゃっていました。

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中川さんの話はほんとうにおもしろくて、島出身の英雄・金丸のことを誇らしげに語ってくださったし、「沖縄ではね」と琉球の文化や言葉についても補足してくださったのでとてもわかりやすかったです。

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ここには「諸見の神アサギ」という豊穣・豊漁祈願などの祭祀をおこなうための茅葺きの建物があります。
伊是名島ではいまも集落ごとにこうした神アサギが残っています。「アサギ」というのはごちそうのことで、いまから30年くらい前までは「ノロ」と呼ばれる神職の女性(神女)が祭祀をとりおこなっていたそうです。

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ぼくの足元にネコがいるのが見えますか。
このネコはすごく人懐っこくて、ずっとくっついてくるんです。中川さんの話をいっしょに聞いてるし、めちゃくちゃかわいかった。

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みほそ所の一帯は「尚円王御庭(うなー)公園」として整備されています。
1996年(平成8年)に金丸生誕580年を記念としてできたそうですが、20年以上経過したいまも丁寧に管理されているきれいな公園でした。

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そして公園のほぼ中央にはカッコいい金丸の銅像が建てられています。
伊是名島出身の版画家、名嘉睦稔さん制作による若き日の金丸(尚円)像です。生誕580年記念なので台座も含めて(だいたい)5m80cmだそうですよ。

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台座の白い石は福建省から持ってきたそうです。前日に訪問した「グスク展」で当時の琉球では首里城の初代龍柱も含め、福建省の石がたくさん使われていたと聞いていたのでいろいろつながりました。

金丸が指を指しているのは24歳で島を離れた彼がたどりついた宜名真(ぎなま)の方角です。

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島で暮らしていた頃の金丸は「北の松金(にしぬまちがに)」と呼ばれていました。
沖縄では北を「ニシ」と発音するのでややこしいのですが、東西は太陽の動きにあわせて東を「アガリ(上がり)」、西を「イリ(入り)」と読みます。
「西表島を『イリおもてじま』と読むでしょう」と中川さんに教わって「たしかにそうだ!」と納得しました。じつはこの前日に首里城にもいってきたのですが、首里城には「東(アガリ)のアザナ」と「西(イリ)のアザナ」があって、なぜこんな読み方をするのかと疑問に思っていたのが見事に解決しました。

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中川さんからは金丸の生涯についても教わりました。
金丸は百姓から国王にまで成り上がったという、まるで豊臣秀吉みたいな人物ですが、彼はこの伊是名島から本島の最北端である宜名真(国頭村)に渡り、さらに首里に向かうと越来城(ごえくグスク)の越来王子に見出され、のちに越来王子が尚泰久として王位につくと、その側近となります。

しかし尚泰久王が亡くなり、尚徳王が即位すると金丸は関係が悪化し、尚泰久王に与えられた自らの領地である内間村に隠遁します。そしてその尚徳王が亡くなると、重臣たちに押されて国王に即位したという流れです。
(尚徳王の遠征中にクーデターを起こしたという説などもあります)

ちなみに金丸が尚円王として即位したのは1469年ですから、本土ではちょうど「応仁の乱(1467年〜)」がはじまった頃ですね。

またここには興味深い石碑があります。
第21代当主・尚昌(しょうしょう)の娘で、22代・尚裕(しょうひろし)の姉にあたる井伊文子(いいふみこ)の歌が書かれた石碑です。名前のとおり、文子さんは井伊家(16代・井伊直愛)に嫁いだのですが、尚氏と井伊氏がつながっているとは知りませんでした。

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尚円王御庭公園の敷地内には金丸が産湯として使った「潮平井」もありますし、写真を見てもわかるようにほんとにきれいな公園なのでのんびりお弁当を食べるのにちょうどいいと思います。
ネコと遊べるかもしれませんしね。

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金丸が伊是名島を出るきっかけとなった水騒動事件の現場へ

「北の松金」と呼ばれていた金丸には「島一番の働き者、島一番の好男子、島一番の知の利がある者(知恵者)」と評判だったそうです。
そんな彼が島を出ることになったのが「水騒動事件」です。干ばつで村じゅうの田んぼが枯れる中、金丸の田んぼだけ水が枯れなかったことから、村人たちから水泥棒の疑いをかけられ、命の危険が迫ったため島から逃れたといわれています。それがこの「逆田」です。

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「逆田」の名前の由来は、(地形的に)下の田んぼの田主たちが金丸の田んぼの畦を切り、自分たちの田んぼに水を流そうとしたのですが、翌日になっても田んぼは干からびたままで、金丸の田んぼだけが水をたたえていたため、「水が逆さに流れたのではないか」と噂になり、逆田の名がつけられたそうです。

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なお水騒動については似たようなエピソードがほかにもあるので創作の可能性もあるのですが、伝わっている金丸の人物像(働き者でイケメンで頭がいい)を考えれば島の女性たちがほっとかないので、男たちの嫉妬を避けるために島を脱出した可能性もあるかもしれないと中川さんはおっしゃっていました。
それを裏付けるのが、この歌碑です。

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島一番の好男子である金丸がいなくなったことを嘆いた歌ですが、金丸のためならばと島の女性たちが彼の田んぼに水を運んだ可能性もあるかもしれないねと中川さんはおっしゃっていました。

いちおう合理的な説明もあって、金丸の田んぼのところには湧き水が出ているんだそうです。これはいまでも湧き出ているそうなのですが、あえて(棚田という不便な)この場所を選んだところが金丸の優秀さの証明であり、ほかの村人とはちがう知識を持っていたことから金丸は本土から流れてきたのではないかという説まであるそうです。

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現在の逆田周辺はさとうきび畑になっていますが、この逆田だけは村によって維持管理されており、地元の小学校が体験学習として毎年田植えをするそうですよ。
また一帯に広がるさとうきび畑はいつでも田んぼに戻せるようにあえて道路より低くしているんだとか。金丸にならって知恵をしぼってるんだと中川さんは笑って話されてましたが、とても素敵な話ですよね。

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伊是名島の名所めぐり

まだまだ見どころはたくさんあります。
そのひとつが伊是名集落にある銘苅家(めかるけ)住宅です。ここは尚円王の叔父の子孫が住んでいた家で、国の重要文化財に指定されています。

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約600坪の大きな家ですが、琉球の住宅はだいたい母屋の右手に迎賓用の離れがあり、また左手には家畜小屋があるそうですね。

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見てのとおり無人であるにもかかわらず、建物の戸や障子が常時開放されていてびっくりするのですが、中川さんは「村では当たり前だよ」と笑って話されてました。

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クルマに乗り、伊是名村ふれあい民俗館へ向かいます。

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沖縄の離島ではけっこうこうした民俗館があるそうですね。

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館内には島で発掘されたものや、島民が使用していた道具などが展示されてます。

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説明する中川さんの後ろのケース内に展示されているのが伊是名玉御殿(いぜなたまうどぅん)でおこなわれる公事清明祭(クージヌシーミー)に用いられる道具類(本物)です。

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これを間近で見れるので貴重ですよね。

公事清明祭[伊是名城]
提供:いぜな島観光協会 | 公事清明祭[伊是名城]

さらにその公事清明祭(クージヌシーミー)の会場である伊是名玉御殿へ。
清明祭(シーミー)というのは先祖のお墓参りのことで、尚円王の父と母が眠る伊是名玉御殿でおこなわれる公事清明祭は、誰でも見学することが可能だそうです。

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ちなみに現在の正式名称は「玉御殿(たまうどぅん)」です。もともとは「伊是名玉御殿」でしたが、2017年(平成29年)に国の重要文化財に指定された際に正確な名前にするよう指示があり「玉御殿」になりました。
首里城にあるのも読みは同じなんですけど、「玉陵」と表記が異なります。

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案内板にあるとおり、二度の移転を経て現在地に移されました。とくに伊是名城跡に建立したというよりは風水で場所を決めていく過程で、同じ場所になったようです。
(もっともそれだけここが良い場所ともいえますね)

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初日はここまで。
伊是名島はクルマで一周しても30分くらいと小さな島ですが、だからこそ島内のあちこちに金丸にゆかりの場所がたくさんあるんですね。

この日は「なか川館」に宿泊させてもらいました。

2日目は伊是名城を攻城!

翌日は午後のフェリーで帰るので、取材は午前中だけとなります。
朝から伊是名玉御殿に向かい、伊是名村初の学芸員である大城さんと合流して、門の中を見学させていただきました。

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かなり急な石段をのぼります。

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こういう非公開エリアに入れていただけるのはありがたいことですね。

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ただの漆喰で囲まれた倉庫のようにも見えますが、これは尚円王の両親が祀られている墓所です。
尚円王の子である尚真王によって1688年(元禄元年)に建造されました。尚円王の生誕地である伊是名島は国家的な聖地として大事にされたようです。

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向かって左の「東室」には父・母・姉の親族が、右の「西室」にはその他の親族の遺骨がおさめられています。
2005年(平成17年)には尚円王御庭公園のところで紹介した22代・尚裕氏と井伊文子氏(分骨)も葬られたそうです。

なお首里城の「玉陵」は中央に「中室」があって合計3室となっています。
これは亡くなったあとに風化して骨になるまで放置するための場所が必要だったためです。

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発掘調査の際の写真も見せていただきましたが、内部はかなり狭いです。
というのも宝飾類もいっしょに埋葬されたため、墓荒らしから守るために壁を厚くしているからです。最大1.8mということですから、ほぼ巨大なブロックということですね。
麓には警備の人の詰所(番所)もありました。

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また琉球には神聖な場所にはサンゴを敷いて場を清める風習があるのですが、ここには伊是名島「東の浜」のサンゴが敷いてあります。もちろん「アガリのはま」と読みます、もうおぼえましたね。

そしていまは総漆喰ですが、かつては瓦葺きの屋根だったそうです。
信長も一部の家臣にしか瓦葺きの建物を建てる許可を与えませんでしたが、当時の琉球も瓦を葺くには許可がいりました。ここは王族の墓所なので瓦が使えたというわけです。
その名残りとして側面にはこのように丸瓦が残っています。

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図柄はおそらく牡丹だろうとのことでした。

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地面にもよく見ると瓦が落ちてます。

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「沖縄なのに屋根にシーサーがいないんですね」と聞いたら、シーサーを乗せる風習がはじまったのは100年ちょっと前からなんだそうです。
明治時代以降、一般家庭でも瓦を使えるようになった頃からはじまったんじゃないかと大城さんはおっしゃっていました。こういう話を聞くのがとても楽しいんですよね。

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玉御殿前の石段は斜めになっているのですが、わざとのぼりにくくしているんだそうです。
のぼるのも大変でしたが、降りるのもかなり危険でした。

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伊是名城を攻城!

最後は攻城団としてのメインイベントでもある、伊是名城の攻城です。
玉御殿の脇を歩いていくと、登城口があります。

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いきなり両脇に石積みがあるんですけど、島の人たちの中には「おじー(おじいちゃん)が積んでた気がする」と話す人もいて、これが当時のものなのかどうかはわからないそうです。
個人的には崩れた石積みを島民が復元したというのも素敵な話だと思うんだけど、学術的にはどっちかはっきりさせておきたいですね。

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すぐに最初の平場に出ます。
こうした人工的な曲輪跡がこの先もたくさんあって、伊是名城は典型的な連郭式縄張りとなっています。

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大城さんは「いろいろ落ちてるんですよ」と陶器や磁器の破片を見つけて教えてくれました。

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さらに進みます。この先はけっこう道も細く、草も多くて注意が必要です。
(先頭がぼくに代わっているのはテンションが上ってるからだと思います)

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小さめの曲輪や、曲輪を支える石積みがあったり、本土の戦国初期の山城と雰囲気は似ています。
それこそ畠山時代の七尾城とかに近いかも。

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少し進んだところで分岐点にたどり着きます。
ぼくらが見ているほう(島側)に進むと山頂に、海側を進むと中腹にあるイシカー(井戸)へ行けます。沖縄では井戸のことを「カー」といい、ほかのグスクでも「○○カー(またはガー)」という井戸がたくさんあります。

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この日は時間的にも装備的にも山頂を目指す余裕はなかったので、イシカーのほうへ進みました。

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海側を歩くので見晴らしが最高です。

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仲田港もよく見えます。

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下の写真に見えている島は「降神島(うるがみじま)」といって、天から神々が降り立った島という言い伝えがあります。

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本土だと神様は山に降りるのですが、琉球では島に降りるんですね。
この島は無人島なんですけど、甘崎城(古城島)のように干潮時は歩いて渡れるんだそうです。

ようやくイシカーにたどり着きました。

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たしかにいまも水があります。
当時、今帰仁城の軍勢が攻め寄せた際に、水を絶って攻め落とす作戦をとったのですが、籠城した伊是名城の兵たちが馬を洗うなどして豊富な水があることをアピールすると、諦めて撤退したという伝説があるそうです。

本土でも「白米伝説」として籠城側が米で馬を洗って水が豊富であると誤解させるエピソードが各地に残っていますが、ちょっと似ていますね。

じつはほかにも人柱だとか似たような話はたくさんあるそうです。
その理由について大城さんに聞いたら、おそらく当時から本土との人の交流はあったので、そうした逸話も商人や移住者を通じて琉球に入ってきたんじゃないかとおっしゃっていました。

ちなみにこの井戸のところから海側に出ると、サスペンスドラマのラストシーンで使えそうな断崖になっています。
フェリーから見えてたのがこっち側の面ですね。

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またここからは山頂も見えますが、頂上へのアタックが大変だということがよくわかりますね。

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さっきの分岐点に戻って、少しだけ山頂側に進むと最後の曲輪があります。
かなり広いので建物もあった可能性が考えられます。

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このあたりにも明らかに人工的な石積みがあるんですよね。

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伊是名城は未調査のため不明な点も多いとのことで、たとえば伝承では13〜14世紀頃に築城されたとのことですが、遺物を見るかぎり15世紀以降の痕跡しか見られないので正確な築城年代もわかっていないそうです。
大城さんはこの伊是名城の調査を実現させたいとおっしゃっていましたが、「なにかわかったらぜひ寄稿してください!」とお願いしておきました。

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前日の「グスク展」で教わったとおり、グスクは自然地形を活かして築かれるのが基本ですが、伊是名城は比較的初期のグスクでありながらもその特徴もしっかり残しているし、斜面の石積みなどはまちがいなく当時のものだと思われます。
今帰仁城や中城城といったグスク特有の石垣の曲線美はないものの、いわば詰の城として使われていた頃のグスクの荒々しさはこの伊是名城のほうがはっきりと残っていますね。

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ぜひ多くの人に訪問してもらいたいグスクです。

おまけ:展望台から見た伊是名城

伊是名島には展望台がいくつかあるんですけど、伊是名山森林公園の展望台からは伊是名城の全景がよく見えるのでオススメです。

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望遠で撮影するとさっきまでいた伊是名玉御殿がはっきりわかりますね。

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もうひとつ、ギタラ展望台からだと連なっている山が一直線になるので伊是名城がきれいな三角に見えます。

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ちなみにこっちの展望台は名前のとおり「海ギタラ」と「陸(あぎ)ギタラ」がよく見えます。
ギタラというのは切り立つ岩という意味だそうで、自然地形がなんとも神秘的ですよね。
海側にあるのが海ギタラです。この浜ではウミガメが産卵するそうです。

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そして島側を見ると陸ギタラがあります。

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最後に、今回の取材において伊是名島での宿の手配から島内の送迎、ガイドをつとめてくださった中川さん、大城さんとスケジュールをご調整くださった、いぜな島観光協会には深く感謝いたします。

またいつか再訪したい伊是名島

訪問するまでは名前すら知らなかった伊是名島と伊是名城ですが、めちゃくちゃ楽しかったです。
金丸と呼ばれていた頃の尚円王を知ったことで、琉球の歴史にもより一層興味がわきましたし、なにより今回お世話になった上間さん、中川さん、大城さんといった島の方々がすごくいい方ばかりでした。
(ほかにも宿や食堂で出会った方々も素敵な方ばかりでした)
記事中の写真にもけっこうぼくの笑顔があったと思いますが、笑いと学びにあふれた取材になりました。

今回は取材費を出していただいているので、こちらとしては「褒め」のスタンスで紹介しなきゃと思っていたのですが、余計なことをあれこれ考える必要がないくらい、伊是名島のことが好きになったし、また再訪したいと本気で思っています。

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いま運天港から伊是名島には一日2本のフェリーが出ています。
なので1本目のフェリーで伊是名島に行き(到着がだいたい11時半)、伊是名城の中腹(ぼくがいったイシカーあたり)までを散策して、すぐに港に戻れば、2本目のフェリーの出港時間の13時半にはなんとかまにあうでしょう。
だけどわずか2時間の滞在ではもったいないです。

この記事で紹介したように尚円王御庭公園や逆田など伊是名島には見どころがたくさんありますので、できれば一泊してほかの名所もまわってほしいし、島の方々と少しだけでも会話を楽しんでもらいたいなと思います。

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