攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

名古屋城本丸御殿 の検索結果:

石川県立歴史博物館で開催中の特別展「御殿の美」を取材してきました

…予定で(このあたりは名古屋城本丸御殿に近い)最初は入口付近(玄関・式台・実検の間・虎の間)が対象となっています。 金沢城は加賀藩前田家の居城であることは有名ですが、どんなお城だったかについては意外と知らない方も多いと思います。ぼくも今回までよく知らなかったのですが、もともとは多くのお城と同じように本丸に天守と御殿があったそうです。それが(これもあるあるですが)天守は落雷で焼失、またその後に本丸御殿も火災により焼失したため、3代・利常の代に二の丸を拡張して、メインの執政エリアと…

二条城で開催された学芸員解説会に参加してきました(遠侍・勅使の間)

…城内のほかの欄間や、名古屋城本丸御殿などでも確認できますが、完全に同一のものが彫られているのではありません。 勅使の間の欄間彫刻には大和松に錦鶏(きんけい)、さらに椿や薔薇が彫られているのですが、反対側にある遠侍一の間から見ると錦鶏がいない(=裏)そうです。このことから遠侍一の間よりも勅使の間のほうが格式が高いことがわかると。たしか名古屋城本丸御殿でもこっちからは将軍が見るので、と案内してもらった記憶があります。 釘隠は括袋型(かったいがた=袋を括った形状)でこれは遠侍、式台…

【家康の城】名古屋城 家康築城術の到達点!

…古屋城パンフレット、名古屋城本丸御殿パンフレット 「城の鑑賞基礎知識」(三浦正幸著、1999年9月16日、至文堂) 「歴史群像シリーズ 図説縄張りのすべて」(加藤理文ほか、2008年3月10日、学研) 「図説 近世城郭の作事 天守編」(三浦正幸著、2022年1月31日、原書房) 「図説 近世城郭の作事 櫓・城門編」(三浦正幸著、2022年5月25日、原書房) 「日本の城 天守・櫓・門と御殿」(三浦正幸監修、2020年1月6日、学研プラス) 週刊 日本の城 改訂版 (デアゴステ…

名古屋城で開催中の企画展「初公開 門外不出 巨大杉戸絵」取材レポート

…した。出土品が展示されていますので、こちらもお見逃しなく。 さらにミュージアムショップに寄ったら「名古屋城本丸御殿障壁画集」というすごい本がありました。お値段、なんと9800円! さすがに躊躇したのですが、襖絵だけじゃなく杉戸絵も掲載されていますし、天井画まで写真に撮って掲載されていたので(持って帰るのは重くて大変でしたが)購入しました。攻城団のライブラリに入れておくので、スタジオに遊びに来られた際に閲覧していただけます。 news.kojodan.jp kojodan.jp

【画像73枚】名古屋城・西の丸御蔵城宝館の見学レポート

…an.jp ちなみに名古屋城本丸御殿は1945年(昭和20年)の空襲で焼失しましたが、御殿内の障壁画は当時の名古屋市職員の方々により避難させられていたので、戦火を免れていまも残っています。(これほんとに素晴らしい英断でしたよね) 開館記念特別展「名古屋城誕生!」 オープニングを記念した特別展として、初日からは名古屋城の築城をテーマにした特別展がはじまります。今回招待いただいたのはその内覧会でもあったのですが、最初の展示ということもあり数ある資料から築城、とくに石垣普請について…

【お城の基礎講座】82. お城の忠実な復元・平成の復元ブーム

…れています。最近では名古屋城本丸御殿(愛知県)が木造で復元されるなど、様々な形で復元整備されています。発掘調査も盛んに行われており、今後ますます復元整備されるところが増えてくるものと期待しています。 福井県にある山上の一乗谷城と山麓の朝倉氏館は、二元構造の中世城郭として見ごたえたっぷり 岐阜県飛騨市にある江馬氏下館(山麓)には城館が復元されており、高原諏訪城(山上)には曲輪や土塁などの遺構が残る 名古屋城本丸御殿は当時の工法で復元された 【おススメの本を一冊】 「日本の城 天…

【お城の基礎講座】45.御殿の中奥と奥

…のは江戸城と名古屋城だけだそうです。 復元された名古屋城本丸御殿 まとめ 御殿の中奥と奥は城主の私的空間であり、生活に必要な居間や寝室、風呂屋などがありました。造りは表御殿に比べて簡素ではあったものの、完全にプライベートな空間を保っていました。ということで、御殿の中奥と奥というお話でした。じゃあね🖐️ このコラムが毎日メールで受け取れます 以下のページからメールマガジン(無料)に登録すれば、このコラムの第1回からメールで読むことができます。 【無料】たかまる。メルマガのご案内

【お城の基礎講座】44.表御殿

…ました。 復元された名古屋城本丸御殿。玄関の造りも絢爛豪華 広間 広間は表御殿の中でも特に贅沢な作りになっています。一番奥が一段高い上段の間(じょうだんのま)という作りで、城主が着座するので着座の間(ちゃくざのま)とも呼ばれています。上段の間には座敷飾りがあります。いわゆる床の間と、その脇の棚、縁側に面した出窓の付書院(つけしょいん)、敷居を一段高くして襖を立てた帳台構(ちょうだいがまえ)からなっています。その豪華さは城主の威厳を高めるためのものです。また多くの場合、上段の間…

【お城の基礎講座】43.御殿は何で構成されているか?

…ました。 復元された名古屋城本丸御殿。当時の尾張藩の政治の場 まとめ 近世城郭では御殿が多く建てられ、政治を行う場所でもあり城主の住居でもありました。御殿には表と奥がありそれぞれ役割が異なりました。犬山城にも松の丸御殿、西御殿、三光寺御殿の三つの御殿が存在していました。ということで、お城の御殿は何で構成されているのかというお話でした。じゃあね🖐️ このコラムが毎日メールで受け取れます 以下のページからメールマガジン(無料)に登録すれば、このコラムの第1回からメールで読むことが…

江戸城での控室は家格によってちがうらしい

…殿や、(復元ですが)名古屋城本丸御殿と比べても巨大すぎるので、大名たちは登城の際に御殿内で迷子にならないように各部屋の間取りが記された見取り図を持ち歩いていたそうです。二条城二の丸御殿の大広間は223.5畳ですが、江戸城本丸御殿の大広間は490畳と倍以上の大きさでしたし、部屋数も桁違いでした。しかも同じような部屋ばかりだからか、障壁画の題材などがメモされていて、絵を見て自分がどこにいるかを把握したとか。 いまの江戸城本丸御殿跡は芝生の広場になっていますが、おおよその位置は松の…

二条城で開催された二の丸御殿大広間四の間特別入室と学芸員解説会に参加してきました

…でい)が残っている 名古屋城本丸御殿・上洛殿の欄間彫刻を見れば当時の極彩色だった頃のイメージが掴めると思う 雲によって前後関係を表現し、奥行きを出す描き方は桃山様式で、二の丸御殿では甚之丞が担当した遠侍と、この大広間四の間にだけ見られる 二の丸御殿の改修時には年代的には三世代くらいの絵師が参加しているので、新世代と旧世代の新旧両方の様式が見られるのも特長 なお金工の専門家によれば引手金具にも新旧両方の様式が見られるとのこと 障壁画は1年2ヶ月で二の丸御殿以外も含めてぜんぶ描き…

【鹿児島】仙巌園の御殿はすごかった(写真満載レポート)

… 二条城二の丸御殿や名古屋城本丸御殿を見てもわかるように、御殿建築では釘隠しや引手金具など細かい意匠のちがいで部屋ごとの格式を表現しますが、この仙巌園の御殿においても部屋ごとに釘隠しがちがうので見逃さないようにチェックしましょう。 ところどころ金が残ってるのがあります。 これは珍しいコウモリの釘隠しですが、コウモリは漢字で書くと「蝙蝠」で「蝠」の字が「福」に似てるから縁起が良いとされるそうです。 そしてこちらはさらに珍しい陶器でできた釘隠しです。桜島大根がデザインされています…

名古屋城本丸御殿を見学してきました

…曜日に一般公開される名古屋城本丸御殿の第3期工事部分「上洛殿」を取材する機会をいただいたので見学してきました。 たっぷり写真を撮影してきたので、みなさんにご紹介します。 なお名古屋城本丸御殿は現在も内部の撮影は可能なのですが、おそらく当面の間は人が溢れてゆっくり撮影できないと思いますので、このページの写真を見ながら撮影したい場所のイメージをしておくといいかもしれません。 名古屋城本丸御殿、第3期工事部分について はじめに名古屋城本丸御殿についての説明をすると、ここは徳川家康の…

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