攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

大津城 の検索結果:

【現在1761城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧

…刷 2024年3月 大津城 御城印 令和六年春の琵琶湖版 大津城(滋賀県大津市) びわ湖大津プリンスホテル コンビニエンスショップ 550円 印刷 A6 2024年3月23日 具志川城跡 御城印 具志川グスク(沖縄県糸満市) 道の駅いとまん情報館 500円 印刷 A6 2024年3月20日 花倉城 御城印 花倉城(静岡県藤枝市) 葉梨西北活性化施設 白ふじの里 300円 印刷 縦16cm、横10.5cm 2024年3月20日 砕導山城 御城印 若狭高浜駅×砕導山城 砕導山城(…

中村優希さんによる「〈幻の安土城〉復元プロジェクト・歴史セミナー 安土城復元研究の過去・現在・未来」参加レポート

…る調査の結果、近隣の大津城には赤瓦が用いられていたことが明らかになったことを検討するなら、赤瓦が存在しなかったとは完全に言い切ることはできないと思われます。この問題の解決には「安土山図屏風」の発見を待つほかないでしょう。 ・天主台西裾部の建物について 発掘調査の結果検出された礎石列。(配布資料より引用) 天主台西側南端(いわゆる伝二の丸東溜)に2列の礎石について、これまで千田嘉博先生や佐藤大規先生は懸造の遺構として解釈され、三浦正幸先生や中村泰朗先生は階(きざはし)として解釈…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は⑧――関ヶ原の戦い当日まで持ちこたえた城・大津城

…れたといわれる近江の大津城(滋賀県大津市)は、琵琶湖の水上交通およびこれを迂回する陸上交通の要所である大津に築かれた城である。琵琶湖に面した水城で、湖水を引き込んだ堀が三重に作られ、かなり強固な防備となっていた。最初の城主は浅野氏で、もともとの居城だった坂本城を建築材として利用したらしい。その後、江戸時代初期に解体され、さらに別の城の建築材に流用された。 関ヶ原の戦いの前哨戦で、この大津城も戦火に晒された。当時の城主は京極高次で、その妻は豊臣秀吉側室・淀殿の妹である初だ。この…

【殿様の左遷栄転物語】コネに救われた2人の大名 新庄直頼と久留島長親

…伽衆であり、また近江大津城、大和宇多城とたびたび領地が変わって、最後には摂津高槻城に落ち着いた。この時の石高は息子の直定と合わせて2万6千石とも3万石ともいう。その後に起きたのが、問題の関ヶ原の戦いである。直頼は周辺の諸将と歩調を合わせる形で西軍に参加した。しかし関ヶ原での決戦には参加せず、伊賀国は上野城の包囲に加わっている。戦いが終わるとすぐさま家康に恭順を示し、「本当はあなたに味方したかったのですが、上方の諸大名はみな石田三成に味方してしまったので、私ひとりがそれに反対す…

【殿様の左遷栄転物語】天下無敵の勇将 立花宗茂

…として有名)の籠もる大津城攻略に参加していたからである。この城が落ちたのと関ヶ原の戦いの終結は同日(9月15日)であった。三成が敗れたことを知った宗茂は豊臣家の本拠地である大坂城に入り、徹底抗戦を主張したものの受け入れられず、やむなく九州へ戻って柳川城に籠もった。 九州では立花家の旧主人である大友義統(宗麟の子)が、西軍側について兵を挙げていたもののすでに敗れていた。宗茂の籠もる柳川城も加藤・黒田・鍋島といった東軍側諸大名の軍勢に囲まれて追い詰められる。結局、家康から所領を安…

【お城の基礎講座】88. 三大湖城(さんだいこじょう)

…前まではこの付近では大津城が大きな城でしたが、関ヶ原の戦いで被害を受けてしまったため、徳川幕府が天下普請によって膳所城が作られました。天下普請第一号の城として有名です。現在では城のほとんどが破壊されてしまい、遺構を見ることはなかなか出来ません。縄張を担当したのは築城の名手藤堂高虎(とうどうたかとら)です。本丸部分は当時は陸続きではなく、琵琶湖の中に石垣を築いて島のようにし、本丸の西の隅には四重四階の天守が設けられたそうです。現在は膳所城跡公園として整備されており、石垣などがわ…

【お城の基礎講座】24.籠城のために

…国攻めにて 伏見城や大津城:関ヶ原の戦いの前哨戦にて 豊臣大坂城:大阪冬の陣夏の陣にて 会津若松城:戊辰戦争にて などがあります。もっと他にもあるかもしれないので、いろいろと探してみてください。 備えあれば 戦国の世ではいつ籠城戦になるかわからないため、城郭全体だけでなく天守にも籠城戦に必要な設備が備えられたところがあります。※ここでは天守の籠城への備えだけに絞りました。 畳敷き 籠城戦において多くの人々が天守に詰めることになれば、そこは一転して生活の場にもなります。天守の床…

城葱さんの「城もなか」道中記【彦根城編】

…と彦根に移築縮小前の大津城の四層天守を表現しているのか? ならば彦根城というより「大津城もなか」なのでは? なんて悶々と疑問もわいてくるわけなんですが、それは城好き・城もなか好きの空想遊びということで、彦根城の城もなかとしておきましょう。 またこの皮は鯱部分に注目です。井伊の赤備の兜にそびえる角のように、鯱部分が比較的大きく目立ち、しっかり存在感を示しています。立体型のもなか皮で鯱部分がここまで強調されているのも珍しいです。きっと立体型の皮は出っ張りが多いとその部分が衝撃で傷…

大津城 開城がわずかに早かった城

大津城は近江国(滋賀県大津市)にあり、琵琶湖による水運だけではなく、街道が集まる要所として重要視されている。豊臣秀吉もその重要性を認識し、家臣の浅野長吉に命じてここに築城させた。大津城は水城と呼ばれる平城の一種で、外敵を防ぐために水堀(湖沼などを堀として利用する)がある城だった。城はその後、所有者を次々と変え、今回紹介する騒動が起きた「関ヶ原の戦い」のときは京極高次が城主となっている。 こうの | 城址碑[大津城] 高次は近江に生まれたが、幼い時は織田家の人質として岐阜にいた…

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