攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

池田家 の検索結果:

【現在1766城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧

…日 姫路城 御城印 池田家家紋版 姫路城(兵庫県姫路市) 姫路城売店 300円 印刷 A6 2023年2月1日 田間城 御城印 田間城(千葉県東金市) 田間神社、道の駅 みのりの郷 東金、まるごとしすい 300円 印刷 2023年1月28日 湯前城 御城印 湯前城(熊本県湯前町) 市房山神宮 里宮神社 300円 印刷 はがき大 2023年1月16日 安城城 御城印 安祥城(愛知県安城市) 安城市歴史博物館 330円 印刷 2023年1月14日 鶉古城 御城印 記憶の城通常版 …

攻城団テレビで相撲の歴史について話をしました

…出雲藩松平家、鳥取藩池田家、阿波藩蜂須賀家、高松藩松平家、久留米藩有馬家、熊本藩細川家などがあります。 またこれらの藩がずっと力士のパトロンになっていたかというとそうでもなくて、あくまでも藩主のパーソナリティというか、相撲好きかどうかで決まったようです。戦乱もなく、江戸詰が基本の江戸大名にとって、趣味や道楽は暇つぶしの観点でも重要になりますが、その対象として茶道や華道と同じように相撲もあったのかもしれません。 なお今回このテーマを取り上げたのは、団員のたまさんから2019年に…

【10大戦国大名の実力】最後に――「家を守る」ために

…。 もっと複雑なのは池田家のケースです。信長の乳兄弟として彼を支えた恒興、その子で豊臣政権で活躍したものの関ヶ原の戦いでは家康についた輝政の後、家督を継いだのは長男の利隆(としたか)でした。普通ならこれだけなのですが、なぜか弟の忠継(ただつぐ)が岡山藩に入り、彼が若くして死ぬと同母弟の忠雄(ただかつ)が跡を継ぎました。その後、当主の急死で後継者が幼かったことから利隆の家系と忠雄の家系はそれぞれ国替えされ、前者が岡山藩、後者が鳥取藩を代々継承することになりました。どうしてこんな…

【殿様の左遷栄転物語】「神君の婿」 池田輝政の子供たち

…石」 岡山藩・鳥取藩池田家の例はちょっと変わっている。他のケースと違って徳川家ゆかりの子は家督を奪わず、新たな藩を建ててもらったのである。 池田家の発祥は諸説あるが、戦国時代においては池田恒興が織田信長の乳兄弟として、また側近として活躍したのが有名である。信長の死後は羽柴秀吉についたが徳川家康との戦いの中で息子とともに討ち死にし、生き残った次男の輝政が跡を継いだ。この輝政が徳川家康の娘。督姫を継室にもらって「神君の婿」と呼ばれたのはすでに紹介したとおりである。 さて、関ヶ原の…

【お城の基礎講座】77. 一国一城令(いっこくいちじょうれい)

…、小松城) 鳥取藩(池田家) 因幡国、伯耆国の二令制国で三城(鳥取城、米子城、倉吉城) 福井藩(越前松平家) 越前国に三城、のち二城(北ノ庄城(のち福井城)、丸岡城(のち丸岡藩として独立)、越前府中城) 仙台藩(伊達家) 陸奥国に仙台城と家臣片倉氏の白石城の二城 高松藩(生駒家) 讃岐国の高松城を残してすべてを破却したと報告したが、丸亀城は破却せず樹木で覆い隠して立ち入りを厳しく制限していた。幕府にうその報告をした例である。 尾張藩(尾張徳川家) 尾張国、美濃国の一部、三河国…

【江戸時代のお家騒動】最上騒動 3代にわたる改易への根深い藩内対立

…の成長後に返還するという返答をした。こうして最上家は改易となり、義俊は近江1万石に移された。義忠や彼を擁立しようとした家臣らも、他家に預けられている。 ちなみに、義忠は岡山藩池田家に預けられた後に御三家の一角である水戸藩徳川家の家老になっており、「水戸黄門」のモデルとして名高い徳川光圀の養育係にまでなったという。義俊はその後、26歳の若さでこの世を去っている。跡を継いだ子の義智が旧領を取り戻そうとしたがそれもかなわず、「義康の呪いで最上家は再興できない」などと噂されたという。

3.江戸幕府における譜代大名の役割

…石の勢力を持っていた池田家を鳥取へと移し、本多忠政を配置している。さらに、周辺の明石や龍野も本多家と姻戚関係にある譜代大名で固めた。実際、姫路は西国の押さえとして最重要視されていた。代替わりなどで藩主が幼少になってしまった場合、その家を転封して本多家、奥平家、結城家、榊原家、酒井家といった有力かつ武断派の譜代大名を配置したほどである。 1619年(元和5年)、幕府は大坂を直轄地とする。同年、広島藩の福島正則が無断で城の石垣を修理したとして領地没収となり、浅野家がこれに代わるこ…

2.譜代家臣団の成立

…っていた十八松平(十四松平)――はすべて松平姓を使っていた。また、徳川直系の保科家や越智家、紀伊徳川の一族になった鷹司家、松井家にも松平の姓が与えられている。さらに家臣でも目覚ましい功績のあった柳沢家や、有力な外様大名の前田家、島津家、伊達家、黒田家、浅野家、毛利家、鍋島家、池田家、蜂須賀家、山内家などにも松平を名乗ることが許されている。これらは毛利家を除いて、明治維新まで松平姓を使い、本来の姓を使わなかったという。 次回「(3)江戸幕府における譜代大名の役割」につづきます。

アゲハチョウの家紋

…ある瓦紋なのですが、池田家のものだそうです。揚羽蝶ってすごいですよね。めちゃくちゃオシャレです。でも旗に描くのも大変そうです(この時代は印刷とかないわけですから全部手描きだったはずで、大変そう)。 kojodan.jp そもそもは池田家の始祖、池田恒利が信長から揚羽蝶の家紋の使用を許されたところからこの紋様を使うようになったそうです(平資盛の末裔を称する信長は、木瓜紋以外に桓武平氏の定紋・揚羽蝶も大事にしたみたいですね)。そういえばマンガ『センゴク』の主人公、仙石秀久も信長か…

【京の冬の旅】妙心寺天球院で狩野山楽・山雪の「竹虎図」等を見てきた

…に恵まれず離縁され、池田家に戻ります(子に恵まれなかったのではなく、人質に出されるのを拒否して実家に帰った説なども)。直接、鳥取城にやってきたかはわからないのですが、たぶん兄・輝政の吉田城にいったんじゃないかと思います。鳥取城は若桜城から近いので寄ったかもしれません。ともあれ、天久院は自分の弟で初代鳥取藩主となった池田長吉のいる鳥取城にやってきて、ここに彼女の居所があったことから、「天球丸」と名付けられたそうです。 ただね、ここで話がややこしくなるというか、現地ではお寺を建立…

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