攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

鍋島家 の検索結果:

それなりの戦国大名家は合戦で負けても滅亡しない(ことが多い)

…和的な下剋上を経て、鍋島家が江戸時代へ入って幕末まで続いたのはご存じの通り。 ●即滅亡ではないが実質的に命脈が失われているケース ・中国の二強の片方、一度は戦国時代に上洛まで達成した大内氏のケースを紹介する。→大内氏は古代に百済の王族がやってきて聖徳太子に謁見し、日本に定着したという伝説がある。鎌倉時代より武士として力を持ち、西日本でも有数の大名の一つとして権勢を誇った。戦国時代には新興勢力である尼子氏の台頭もあったが、中国地方を代表する戦国大名だったのは間違いない。・そんな…

【10大戦国大名の実力】最後に――「家を守る」ために

…家督を継がせたのも、鍋島家が長男を廃嫡したのも、すべては「時の権力者の不興を買わないように、厚遇を受けられるように」という目的の下の行動だったのでは、という推測が成り立つのです。徳川家が「秀吉にかわいがられた男」を警戒するのは当然ですし、「家康の養女の子」に敬意を払うのも当然のことです。それが杞憂ではなく事実だとわかるのが、池田家のケース。外様大名である池田家は督姫の血(つまり家康の血)を継いだことで厚遇され、領地は姫路という交通の要所でこそなくなったものの、二系統が大藩とし…

【殿様の左遷栄転物語】二重に抱えた複雑な事情 佐賀藩鍋島家

…関係 肥前国の佐賀藩鍋島家は、二重の意味で「家督」に関係する問題を乗り越えて成立した藩であり、そのために長く後遺症を引きずることになった。鍋島家は藤原家の末裔とも近江源氏佐々木家の流れを汲むともいうが、もともと北九州の有力豪族である龍造寺家に仕える重臣である。龍造寺隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)の母・慶誾尼(けいぎんに)が、夫である龍造寺周家(りゅうぞうじ ちかいえ)の死後、家の安定化をはかって鍋島清房(なべしま きよふさ)と再婚した。これにより、周家の跡を継いだ隆信と、清房…

【江戸時代のお家騒動】有馬氏の出世 騒動を起こさずに主家を吸収合併

…果たす 鍋島騒動は、鍋島家が家臣でありながら主家の実権を握っていたことに端を発した騒動だった。しかし、「騒動を起こさずに主家を吸収した」パターンもある。 播磨の有馬氏がそうだ。有馬氏は播磨の名門・赤松氏の支流である。播磨守護である赤松則祐の子・義祐が摂津国有馬郡に配されたことで、有馬氏を称するようになったのだ。八代目・則頼の時には一時所領を失うなど危うい時もあったが、その後の織田信長の中国攻めにおいて、これを担当した羽柴秀吉の補佐にあたった。この時、則頼が中国路に詳しかったこ…

【江戸時代のお家騒動】鍋島騒動「猫化け話」に象徴される龍造寺家の悲劇

…家の領地は家臣である鍋島家が相続し、佐賀藩を成立させた。その後、佐賀城下には自装束を着て馬に乗った高房の霊が現れると噂されるようになる。この噂と没落した龍造寺家の悲劇が組み合わさり、生まれたのが「猫化け話」と呼ばれる怪談だ。 「猫化け話」にはいくつかパターンがあるものの、大体の筋書きは同じである。佐賀藩の二代藩主・鍋島光茂の時代、城下に住む龍造寺又一郎という盲目の青年がいた。彼は囲碁に長けていたため、囲碁を好む光茂によってたびたび城に呼ばれていた。ところがある日、囲碁の最中に…

2.譜代家臣団の成立

…っていた十八松平(十四松平)――はすべて松平姓を使っていた。また、徳川直系の保科家や越智家、紀伊徳川の一族になった鷹司家、松井家にも松平の姓が与えられている。さらに家臣でも目覚ましい功績のあった柳沢家や、有力な外様大名の前田家、島津家、伊達家、黒田家、浅野家、毛利家、鍋島家、池田家、蜂須賀家、山内家などにも松平を名乗ることが許されている。これらは毛利家を除いて、明治維新まで松平姓を使い、本来の姓を使わなかったという。 次回「(3)江戸幕府における譜代大名の役割」につづきます。

4.江戸幕府のシステムに縛られた外様大名

…ったのだろう。また、鍋島家などは幕府に警戒されるのを避けてか「西国の大大名とは婚姻関係を結ぶべきではない」と考えていたようで、主に東国の大大名、あるいは御三家・譜代・公家などから妻を選んでいる。 また、武家諸法度には一時期を除いて「私的な婚姻」の禁止が明文化されている。第一章で触れたように、婚姻政策によって他勢力とよしみを通じるのは、古今東西における勢力拡大の常套手段である。そのため、かつて豊臣秀吉は支配下の諸大名が私的な婚姻関係を結ぶのを禁止した。その死後に家康は秀吉の命令…

『死ぬことと見つけたり』――『葉隠』から見出された武士のアーキタイプ

…』を生み出した佐賀藩鍋島家に次々巻き起こる騒動を物語の筋とし、二人の武士がそれらの問題に立ち向かっていく様を描いている。一人は斎藤杢之助。鉄砲の達人で狩りの名手、そして何より「死人」である。鍋島武士に伝わる「毎日朝起きると死のイメージトレーニングをする」ことで何事にも動じぬ精神を獲得した彼は、平然とした顔でとんでもないことをやらかす。それは時に殿さまを激怒させるような無茶苦茶なので、お城勤めなどとても出来ぬ。故に浪人として捨て扶持をもらっている。もう一人は中野求馬。鍋島の名門…

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