攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

明智光秀とお岸ーーあるいは史料と伝説の向こうの家族

光秀の長女「お岸」は最初、荒木村重の息子に嫁いだとされます。村重が謀反を起こした際に離縁となり、その後は親族でもある明智左馬助(明智秀満)に嫁いだのですが、ドラマでもそのへんは描かれそうですね。

明智光秀と柴田勝家ーーあるいは一線を引かれた同僚?

光秀と勝家、ともに織田家の重臣同士ではあるものの、意外と接点はなかったのでしょうか。

けっきょく江戸時代に藩はいくつあったのか

江戸時代に存在した藩の数を知りたいだけなのに、見つけることができませんでした。藩の定義から整理していかないとダメなようです。

江戸時代をデータベース化する

江戸時代に存在した藩と、それぞれの歴代藩主について、ぱっと見ただけで全体を把握できるようなデータをつくっています。

公開が再開された二条城にいってきました

今日から公開が再開された二条城を訪問してきました。府民限定ということもあり貸切状態でしたが、ひさしぶりに訪問できてテンションが上がりました!

明智光秀と朝倉義景ーーあるいはあやふやな朝倉家臣伝説

美濃を追われた明智光秀が仕えたとされるのが朝倉義景なのですが、この話はほんとうなのでしょうか。

7.寵臣の出世と末路

最終回はおまけとして、裏道ともいえるイレギュラーな出世を遂げた人物たちを紹介します。田沼意次や柳沢吉保など有名どころから、脇坂安董など通な人物までお楽しみください。

6.譜代大名の懐事情

譜代にかぎらず、江戸時代の大名たちには参勤交代や御手伝普請などの負担が重くのしかかっていました。なかには旅費を工面できずに涙を流した藩主もいたそうです。

5.譜代大名の出世頭「老中」

一部の大名家をのぞいて、譜代大名の出世の最高位は「老中」でした。老中になるためにはいくつかの条件があり、また賄賂なども必要だったようです。

4.出世と譜代大名

幕府に用意されていたさまざまなポストの紹介と、立身出世を目指した譜代大名たちの出世コースについてまとめました。

3.江戸幕府における譜代大名の役割

譜代大名は江戸幕府において重要な役割を占めていました。領地は国内の要所に配置され、また幕政においても要職は原則、譜代大名が就任していました。

2.譜代家臣団の成立

譜代大名といっても徳川家(松平家)にいつの時期から仕えたかによって立場が異なっていたようです。

#コロナに負けるな御城印好き達 企画について、takubomayさんに聞いてみました

GW中にツイッターで開催されていた「#コロナに負けるな御城印好き達」という企画について、主催者のtakubomayさんにお話を伺いました。

1.譜代大名の定義

江戸幕府においていわゆる親藩・譜代・外様と呼ばれた大名たちのうち、譜代大名の定義についてまとめてあります。

明智光秀と藤田伝五ーーあるいは共に近江生まれ?

藤田伝吾は「多聞院日記」によれば筒井順慶との取次役だったとされ、また別の史料「蓮成院記録」によれば明智姓を与えられ、光秀が死んだときに伝吾も自害したそうです。

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