「本能寺の変」に黒幕がいたという説はどれも根拠がありませんが、秀吉や家康以外にも朝廷、足利義昭、毛利輝元、森蘭丸、堺商人、イエズス会などたくさんの黒幕候補がいます。誰かが書いてましたが、黒幕にあやつられたとするのは明智光秀に対してとても失…
藩祖というのはその藩が成立(立藩)したときの初代藩主とほぼ同じ(たまに加賀藩前田家や福岡藩黒田家など初代藩主の父になる)と思っていましたが、どうやらその考え方はまちがっていたようです。
今回は平櫓と多門櫓についての解説です。多門櫓の名前の由来については松永久秀の多聞城(多聞山城)から命名された説以外にも、楠正成が渡櫓内に多聞天を祀ったからとか諸説あるそうですね。
御城印バインダーに新カバーが登場しました。品切れだったリフィルも補充しましたのであわせてお買い求めください。
丸亀城の人柱伝説、とくに「裸重三」のほうは現地にも案内がありましたが、石垣をのぼることなんて石工じゃなくてもできるだろうと不思議に思っていました。生駒正俊が一国一城令の際に幕府の目をごまかして存続させたという話の真相も気になります。
今回は二重櫓についての解説です。貴重な三重櫓と比べて、現存する二重櫓は全国にけっこうあります。内部を公開されているケースもけっこうあるので、ありがたく見せていただきましょう。
掛川城というと山内一豊の居城のイメージが強いですが、もともとは朝比奈氏の城なんですよね。ちなみにその当時の城は掛川古城と呼ばれていて、いまの掛川城からは少しだけ離れた場所にあります。
今回は三重櫓についての解説です。現存する三重櫓は8城12基と現存天守と同じくらいレアです。天守とちがって内部が公開されていないところも多いので、より貴重かもしれませんね。
「本能寺の変」における明智光秀の動機としてもっとも古くから語られてきたのは、いわゆる「怨恨説」というものでした。ただその根拠はどれも乏しく、むしろほかに理由になりそうなことが考えられないからという消去法的な推論だったようです。
今回は明治時代におこなわれた天守の払い下げについての解説です。ちょっと意外なテーマですが、たしかにお城にとっては大事な歴史のひとつですね。
湯築城は戦国大名・河野氏の居城ということもあり、気になるお城ランキングで常に上位にいます。資料館のみなさんの対応が素晴らしくて、訪問した方はみんな褒めてますね。
今回は明治以降に再建された天守がいつ建てられたのかについての解説です。文化庁が定めた基準を満たした復元天守は全国に5城しかないというのは、すごく貴重な存在ですね。
原城は「島原の乱」で3万7千人の一揆勢が立てこもった城として知られています。一気としては日本の歴史上最大規模となります。島原藩主・松倉勝家は責任を問われて改易、のちに斬首となりましたが、江戸時代に大名が切腹ではなく斬首を命じられた唯一のケー…
今回は再建された天守のうち「復興天守」と「模擬天守」についての解説です。お城めぐりをはじめた頃は、こうした史実とことなる再建天守を邪道だと思ってましたが、最近はこれはこれでありと感じるようになりました。ちがうということさえわかっていれば地…
団員の十林寺さんが板橋区立美術館で開催中の館蔵品展「狩野派学習帳 今こそ江戸絵画の正統に学ぼう」を見てきたそうです。さっそくレポートを書いていただいたので紹介します。