今回は堀底の形状の分類についての解説です。薬研堀とか毛抜堀はよく城郭検定の問題に出るんですが、こういうのって誰が命名したんですかね。江戸時代の人?
朝倉宗滴の名で知られる朝倉教景は一族の軍師として、各地を転戦し武名を轟かせていました。
今回は水の入ってない堀=空堀についての解説です。空堀というと山城のイメージが強いのですが、じっさいは大坂城や名古屋城などの近世城郭にもあります。訪問した方であれば名古屋城の空堀に鹿がいるのを見たことがあるんじゃないでしょうか。
将軍家にかぎらず、兄弟間で世継ぎの座を争うことを避けるために嫡男以外を仏門にいれるということはよくある話でしたが、義昭については還俗してほんとうに幸せだったのかわからないですね。
今回はお城を囲う水堀についての解説です。近世城郭の水堀は鉄砲や大砲などの影響もありかなり幅が広いですよね。水堀越しに見る隅櫓はとてもカッコいいので好きな構図です。
名軍師・太原雪斎のエピソードは多々ありますが、軍事と外交の両面での才能が際立っているのがこの竹千代を取り戻した一連の軍事行動ですね。
今回は曲輪(くるわ)の名前についての解説です。どうして「西の丸」や「北の丸」はあるのに「南の丸」がないんでしょうね。南側に大手をつくる(=出丸はつくらない)ことが多かったとか?
軍師には祈祷師や僧侶などさまざまなタイプの者がいました。彼らは知識や交渉でもって味方に有利な状況をつくり勝利に貢献しました。
今回はお城の縄張りの形状についての解説です。たかまる。さんが書かれてるとおり「ひとつとして同じ縄張の城はない」のですが、一方で明らかに模倣・酷似してるケースもあるので、自分が訪問したお城の縄張りを見比べてみるのもおもしろいと思います。
それほど有名ではないものの、斎藤龍興という人はじつに興味深い人物です。信長に負け続けたものの、これだけ長きにわたって反抗し続けたのは見事です。
今回はお城の曲輪・郭についての解説です。お城の縄張りが地形を活かしてつくられたため、曲輪の形や大きさ、数もさまざまですが、近世城郭になっていくと平地に築かれたこともあり方形の曲輪が増えました。
戦に勝つために軍師が果たした役割についての解説です。戦う前に勝敗を決するような状況をつくることが有能な軍師には求められました。
株式会社カワダから世界最小級ブロック「nanoblock(ナノブロック)」の新商品として「首里城」が発売されました。この商品の売り上げの一部は「首里城火災復旧・復興支援寄付金」として寄付されるそうです。
今回はお城の縄張りについての解説です。「ここからここまでは門!」といった感じで縄を張ったことからそう呼ばれるようになったらしいのですが、平面的な地形から立体的なお城の完成形をイメージできる人はすごいなと思います。
戦国大名は相手に勝つために、少なくとも負けないために、事前に「戦略」を構想し、「戦術」を駆使しました。とくにその才能があったのが織田信長です。