攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

【戦国軍師入門】厳島の合戦――策謀の限りを尽くした天才・毛利元就

厳島合戦の勝利は結果を知っているとそう難しくないように見えますが、毛利元就が打った数々の布石はまさに戦略家ですよね。なお宮尾城はこの戦いのために築かれたのではなく、それ以前から大内氏の城として存在していたようです。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城にまつわる面白い話③――「爆発炎上」した城?・信貴山城

松永久秀の謀反の背景には「麒麟がくる」で採用されたとおり、信長が久秀のライバルである筒井順慶を大和守護にすえたことにあるようですが、爆死伝説は昭和に生まれたエピソードみたいですね。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城にまつわる面白い話②――秀吉の一夜城(その2)・石垣山城

記事にあるとおり、間近の距離で築城工事をしている以上、北条方がまったく気づかないことはありえないと思います。むしろ約3ヶ月で石垣づくりの居城が完成していく過程を見せつけられるほうが守備側の精神的ダメージは大きいのではないかと。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城にまつわる面白い話①――秀吉の一夜城・墨俣城

秀吉についてのエピソードは創作あるいは誇張されたものが多いので、この墨俣一夜城にまつわる話も江戸時代に書かれた『武功夜話』にしか記載がないため真偽は定かではないのですが、建材を筏にして川に流すなどその後に秀吉が実行した水攻めのようにスケー…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】悲劇の舞台⑤――お市の方が殉じた城・北ノ庄城

北ノ庄城の天守は7層とも9層とも言われており、その前年に焼失した安土城に匹敵する規模であったと伝わっています。なかでも現在丸岡城で確認できる笏谷石の石瓦が使われていたことがルイス・フロイスの記録にあり、さぞすごかったんでしょうね。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】悲劇の舞台④――お市の方が最初の夫と死に別れた城・小谷城

元亀元年の姉川の戦いで敗北するも、そこから3年間、浅井氏は抵抗をつづけており、長篠の戦い同様、戦国大名同士の争いが一度の勝敗で滅亡に至らないことを示しています。ただどこまで計算だったかはわかりませんが、小谷城を攻めることで朝倉氏を要害・一乗…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】悲劇の舞台③――玉砕の舞台になった城・高遠城

仁科盛信は一族・重臣の逃亡や寝返りが相次ぐ中で最後まで武田家に忠誠を尽くした人物としてファンも多いですよね。盛信は自刃したものの、その子の信貞は生き延びて江戸幕府の旗本になっています。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】悲劇の舞台②――悲劇の女城主伝説の城・岩村城

秋山虎繁がおつやの方を正室として迎えたという有名なエピソードですが、史実と異なるという説もあるとか。ちなみに養子に出された勝長はその後も生き延びて、最後は本能寺の変で信忠とともに討死したそうです。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】悲劇の舞台①――夫の仇をとるための奮戦の舞台となった城・鶴崎城

妙林尼の史料はほとんど残っていないそうですが、耳川の戦いで夫が戦士したために出家し、名乗った名前だそうです。ルイス・フロイスの文書にも彼女と思われる記録があることを考えると、当時はそれなりに話題になったのでしょう。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑩――内部分裂で落ちた城・七尾城

その後、上杉謙信が死に、織田信長が天下人になったので上杉方についた遊佐氏が裏切り者のように語られていますが、はたして本当のところはどうだったのか。七尾城の戦いを別の観点から捉えた「マンガでわかる七尾城」もぜひ読んでください。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑨――武田信玄に苦汁をなめさせ、内応であっさりと落ちた城・砥石城

戦国時代の信濃をめぐる争いは村上義清抜きには語れません。もともと義清は信玄の父、武田信虎と同盟を結んでいたため信玄の侵攻を受けることとなり、上田原の戦い、砥石崩れと二度にわたり撃退したものの、攻め弾正こと真田幸綱により砥石城が攻略されると…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑧――わずかな兵に乗っ取られた城・稲葉山城

策略で奪い取った稲葉山城を放棄した竹中半兵衛はその後、隠遁生活を送ったそうですが、城を返したとはいえ主君を裏切ったわけで、斎藤龍興はなぜ殺さなかったのでしょうね。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑦――支城を失い、戦意を失った城・観音寺城

六角義治は一時期、亡命してきた一乗院覚慶(のちの足利義昭)を匿ったこともあるのですが、三好三人衆に通じて覚慶を追放したため、その結果として義昭を奉じた信長の上洛戦で戦うことになりました。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑥――水に沈んだ城――備中高松城

秀吉の才覚か、軍師・黒田官兵衛の知略か、あるいはその両者が最高に噛み合った結果か、この中国方面軍時代の秀吉の合戦はドラマチックなものが多いですね。のちの天下人ということで過大評価もあるのでしょうが、スケールがいち家臣の枠を飛び越えています。

榎本先生の最新刊「ナンバー2の日本史」について対談しました

今月発売されたばかりの榎本先生の最新刊「ナンバー2の日本史」について、その内容を紹介する番組を攻城団テレビでライブ配信しました。 動画はアーカイブで視聴可能ですので、ぜひご覧ください!

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