攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

二条城で開催された学芸員解説会に参加してきました(遠侍・勅使の間)

7月19日(水)からはじまった二条城二の丸御殿の遠侍「勅使の間」特別入室にあわせて、恒例の学芸員による障壁画解説会が昨日開催されました。
参加してきたのでその内容を紹介させていただきます。じっさいに二の丸御殿に入る前に知っておくと現地で室内を見る際により楽しめると思います。

なお今回の学芸員は降矢さんでした。

特別入室「勅使の間」学芸員解説会

以下、降矢学芸員の話をぼくが理解できたまま書いているので、不正確な部分があるかもしれません(だいたいは理解できてると思います)。
あと個人的なコメントもちょいちょい差し込んでますが、いちおう関係のありそうな話に限定しているので参考情報として読んでいただければ。

まずは二条城全体の話。

1603年(慶長8年)に徳川家康によって築かれた当時はほぼ正方形の単郭だったが、1626年(寛永3年)におこなわれた後水尾天皇の行幸(寛永行幸)にあわせて城域を西方に拡張し本丸を造営、もともとの御殿は大改修されて現存する二の丸御殿に。

この改修(拡張)前後の様子は桝田先生に描いていただいた復元イラストで比較するとわかりやすいです。

(左)家康の築城時(右)寛永年間の改修時

現在、二の丸御殿を見学すると車寄から入って遠侍→式台→大広間→黒書院→白書院と奥に向かい、さらに白書院→黒書院(牡丹の間)→大広間→式台→遠侍と裏側を通って戻るルートになっています。
このうち、最後に見学する部屋が今回対象の「勅使の間」です。

1626年(寛永3年)当時の復元図。

当時の大きな建物としては3つ、将軍・家光のための二の丸御殿、大御所・秀忠のための本丸御殿、後水尾天皇のための行幸御殿です。

このうち二の丸御殿以外は焼失してしまったので現存していません。
現在、二条城にある本丸御殿は明治26年から27年にかけて御所から移築した桂宮家の御殿です。桂宮家のルーツは八条宮家で、後水尾天皇のおじさんにあたる智仁親王を祖とするなど歴史的にも二条城と深いつながりがあるのですが、長くなるのでその話は割愛します。

解説のポイントはこれらすべての建物内の障壁画は狩野派によって描かれたということです。

勅使の間について

勅使の間とは天皇の代理人として朝廷から派遣された使者のこと。

その勅使を二条城で迎えるために用意されたのが「勅使の間」ですが、当時は「殿上の間」「遠侍 上段」などと呼ばれていたそうです。
「勅使の間」という呼称が使われたのが史料として確認できるのは現在の『京都新聞』の前身である『日出(ひので)新聞』による明治33年のことで、江戸時代の呼称ではないとか。

まあ当時は白書院も「御座の間」と呼ばれたり、黒書院も「小広間」と呼ばれていたらしいので部屋の名称はけっこう流動的です。

二条城において主人は将軍ですから常に将軍が上座(上段)に座るわけですが。この部屋だけは勅使が上段に座ったと考えられています。

ここで江戸時代初期における幕府の対朝廷工作(天皇および朝廷の統制)の話。

禁中並公家諸法度を制定するなど、幕府は朝廷を束縛する方向で政策を進めますが、さらに秀忠の娘で、家光の妹にあたる和子(もともとは「かずこ」で入内する際に「まさこ」と読みを変える)を後水尾天皇の后にして宥和政策もとります。
アメとムチというか、朝廷内部に幕府関係者を堂々と送り込むための戦略というか、なかなか強引でしたたかなやり口で、だからこそぼくは秀忠の政治家としてのセンスを評価しているのですが、じっさいにはこの夫婦は仲が良かったらしいです。

ただ和子を大事にしていてもその実家である徳川家に対しては相変わらず良く思ってなかった後水尾天皇は行幸の翌年に起きた紫衣事件(しえじけん)をきっかけに、幕府に何の相談もなく譲位をするなど、朝幕間の関係は最悪な状況になりました。

その関係修復を図るために家光は上洛します。30万の軍勢を率いて上洛している時点で話し合う気がどこまであったかわからないですけど。

このとき二条城へ入った家光のもとへ勅使がやってきた記録があります。その後、将軍は上洛せず勅使が江戸へ向かうということが229年間続きました。
幕末に入った1863年(文久3年)、家茂が上洛をするとこのときも勅使を迎えています。そして最後の将軍である慶喜が将軍宣下を受ける際も勅使がやってきています。

ただこれらは「勅使が二条城へやってきた(迎えた)」という記録であって、勅使の間で何かがおこなわれた記録ではありません。
はっきりと勅使が勅使の間に通されたと記録されているのは最後の慶喜のときだけで、このときは勅使は車寄から勅使の間に案内され、儀式が行われる大広間に案内し、休憩時にまた勅使の間に案内する、という記録があります。

つまり勅使の間は勅使専用の休憩室という役割だったようです。
言い換えると、部屋の構造からイメージできるような、上段に勅使が座り、下段に将軍が座って、天皇の言葉を拝聴するといったやり取りが行われたかどうかはわからないと。
個人的にはこの話がかなり驚きでした。

勅使の間の特徴

つづいて勅使の間の特徴として、降矢学芸員は以下の5つを紹介されました。

  1. 上段框(かまち)や帳台構に、黒漆塗でなく透漆(すきうるし)塗の木目を表した欅(けやき)材
  2. 帳台の間は、通り抜けできない
  3. 天井画が上下段とも同じ(飾金具は違う)
  4. 対面所の向きが、東西(他は南北)
  5. 付書院がない

大広間や黒書院など上座である一の間(上段)と二の間(下段)の段差の部分の木材(=框)には黒漆が塗ってあります。
しかし勅使の間の框には木目が見えるように透明な漆が塗られています。
(これは写真だとわかりにくいですが現地で見るとはっきりわかります)

帳台構の木材も同様です。

また大広間の帳台構は出入口としても使われていたように、裏側にある帳台の間には廊下側に出る扉があり、通り抜けられる構造になっています。
しかし勅使の間はほかに出られる扉はなくただの箱状の部屋になっているだけです。ではこの部屋(帳台の間)が何に使われたのかと質疑応答の際に聞いたのですが、現時点ではよくわかっていないとのことでした。この室内にもきれいな絵が描かれているので用途が気になりますね。

天井画は上段、下段ともに同じものが描かれています(通常はちがう絵が描かれる)。

ただし辻金具は上段と下段と少しちがってます。下段の間の天井画は花菱紋。

以下の写真は上段の間の天井画で、唐草紋の中に徳川家の裏紋である「六葉葵」がデザインされています。なぜここに裏紋があるのかはわからないそうです。

次に対面所の向きです。

二条城には奥から白書院、黒書院、大広間と3つの部屋で家臣と対面しました。常に将軍は北側に(南を向いて)座るというレイアウトになっています。
しかし勅使の間は勅使が東側に(西を向いて)座るという、明らかに配置を変えているのですが、これも現時点では理由がわからないそうです。

また床の間、違い棚、帳台構、付書院の4点セットでもって「座敷飾り」と総称され、部屋の格式を示すのですが、勅使の間には付書院がありません。

付書院はちょっとした書き物などをするための机代わりとして作られたのでゲストである勅使には必要ないものではありますが、これもなぜ作らなかったのかはわからないとのこと。
こうしてみると建物が現存していても、どう使われたのか、なんのために作った(作らなかった)のか、わからないことはたくさんあるものですね。

欄間彫刻からわかる部屋の格式

また特別入室では欄間彫刻にも注目です。この筬(おさ)欄間は彫刻が入っているので「筬欄間飛入彫刻(おさらんまとびいりちょうこく)」と言うらしいのですが、リバーシブルになっています。

この両側から見られるような構造は二条城内のほかの欄間や、名古屋城本丸御殿などでも確認できますが、完全に同一のものが彫られているのではありません。

勅使の間の欄間彫刻には大和松に錦鶏(きんけい)、さらに椿や薔薇が彫られているのですが、反対側にある遠侍一の間から見ると錦鶏がいない(=裏)そうです。このことから遠侍一の間よりも勅使の間のほうが格式が高いことがわかると。
たしか名古屋城本丸御殿でもこっちからは将軍が見るので、と案内してもらった記憶があります。

釘隠は括袋型(かったいがた=袋を括った形状)でこれは遠侍、式台で共通しています。
二条城は建物ごとに釘隠は統一されていて、大広間に向かって豪華になっていきます。これも部屋や建物の格式を示す手法のひとつで、細部にいろんなメッセージが込められているのがほんとうにすごいですね。

構造としては三重になっているとか。大きな土台に丸いパーツをあわせて、最後に三つ葉葵の入った小さなパーツをはめこむと。

勅使の間の障壁画について

最後に障壁画についてです。

二の丸御殿には約3600面の障壁画が残っており、そのうち寛永行幸にあわせて制作された1016面が重要文化財に指定されています。
そのほか江戸時代に修復されたもの(おそらく幕末の上洛時でしょう)、明治時代に制作されたものに分類されます。

先述のとおり、障壁画はすべて狩野派の絵師によって描かれたのですが、勅使の間の障壁画は狩野甚之丞(かのう じんのじょう)が43歳のときに描いたそうです。なお甚之丞は寛永行幸の2年後に亡くなっているとか。

寛永年間は狩野永徳の孫、狩野探幽が率いる新世代の狩野派と、永徳の様式を受け継いだ旧世代の狩野派(甚之丞もそのひとり)のちょうど移行期であり、共存していた時期でもありましたので、二の丸御殿には両方のスタイルで描かれた障壁画を見ることができます。

旧世代は奥行きや高さを表現し、大画様式(大画方式)と呼ばれるドーン、バーンといった迫力のある絵で、一方の新世代は枠内に収め余白を活かしたすっきりした絵です。
名古屋城本丸御殿の上洛殿は1634年(寛永11年)に増築されているので、寛永行幸よりあとになります。この上洛殿に描かれた探幽の絵はまさにすっきりした絵なので、ぜひ狩野派や障壁画に興味を持たれた方は名古屋城へ行ってみてください。

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勅使の間の画題は「楓檜桃小禽図(かえでひのきももしょうきんず)」で、ひとつずつは「楓図」や「檜図」などと呼ばれています。

楓は葉先が赤くなっています。これは「野村楓(ノムラカエデ)」という品種だそうです。別名「イロハモミジ」とも。

本物の写真も見せていただきました。北大手門のところに植えられているそうです。まず赤い葉になって、あとから緑になるから葉先に赤が残ると。

明治時代に書き直された部分が

特別入室で間近で見られる障壁画のうち、明らかに明治時代に描き直された部分があるそうです。それがこの下段の「檜図」の部分です。

なぜそんなことがわかるかというと、1863年(文久3年)に家茂とともに上洛した奥絵師の板谷広春(いたや ひろはる)が描いた模写(スケッチ)が板谷家に残っており、そこには7羽の鳥とスミレが描かれているからです。

東京国立博物館のサイトで検索することができます。

板谷家伝来資料データベース詳細画面

板谷家は、江戸幕府の御用絵師住吉広守(1705~77)の弟子慶舟広当(1729~97)が、住吉家を継いだ後、板谷家に復したことに始まる幕府御用絵師の家系で、江戸におけるやまと絵画風の継承流派である住吉派の支流として、代々幕府の御用を勤めました。
平成22年3月、板谷家に伝来した下絵や模写、抜き写しなどを含んだ粉本、古文書、印章など10629件の資料が板谷家第8代当主板谷広起氏の遺志により夫人静子氏から「板谷家伝来資料」として東京国立博物館に一括寄贈されました。同家の古文書の一部は、大村西崖編『東洋美術大観 五』(明治42年 審美書院発行)で翻刻されているものの、模写等の粉本類は未紹介であり、御用絵師の活動ならびに作画学習の様子を知ることのできる原資料として貴重なものです。さらに、「板谷家伝来資料」には、江戸時代の御用絵師としての活動を示す資料以外に、明治維新後の新政府役人としての活動を記録した文書なども含まれており、江戸幕府の御用絵師が江戸幕府制度の解体後に歩んだ姿もしのぶことが出来ます。
なお、本データベースは平成23~27年度科学研究費補助金(基盤研究A)「板谷家を中心とした江戸幕府御用絵師に関する総合的研究」(課題番号 23242013)の研究成果です。

明治時代、二条城が離宮となった際に描き直されたとか。

二条城の模写事業は寛永3年時に戻すことを目標にしているので、いつか7羽の鳥とスミレも描かれた当時の絵に戻せるといいなと話されてました。

ちなみに勅使の間はずっとこんな感じでした。おそらくコロナ前に訪問された方であればスカスカの部屋だったのを覚えてらっしゃるかと思います。
(これはこれで帳台の間が丸見えだったりでおもしろいのですが)

模写事業が進み、いちばん大きな大床(画面左奥)の模写画がはめられたのが令和3年のことなので最近ですね。

上段と下段を境界部分に天井から下がっている「垂れ壁(たれかべ)」についてもいまは空洞になってますが、ここにも模写画が入るそうです。
横長なのでパーツを最後にくっつけるんだとか。

廊下側の障壁画、腰障子の部分はまだですが、こちらも模写画は完成しているそうなので近いうちにはめ替えがおこなわれるでしょう。

帳台の間の室内にもこんな障壁画が描かれています。
扉の裏側なので特別入室でも見ることができない部分ですね。これは御所の障壁画を転用した可能性が高いそうです。

最後に、大正天皇は皇太子時代、本丸御殿を宿泊所していて何度も二条城を訪問されています。そのとき勅使の間で宮司たちと対面された記録があるそうです。なぜこの部屋を使ったのかはわからないのですが、こういう部屋の歴史もおもしろいですね。

勅使の間の特別入室は8月21日までですのでお早めに。
なお特別入室とあわせて、展示収蔵館(二条城障壁画 展示収蔵館)では勅使の間(上段の間)を再現した原画が展示中です(こちらは9月10日まで)。二の丸御殿を見る前後に立ち寄って、ぜひ原画と復元画を見比べてみてください。

ja.kyoto.travel

二条城について再勉強中

コロナ禍では人数制限などもありなかなか参加できなかった学芸員解説会ですが、ひさしぶりに参加できて楽しかったです。

降矢さんの解説もとてもわかりやすく、特別入室での見るべきポイントも教えていただいたので、このあとの現地の見学がはかどりました。天井画の辻金具に六葉葵があるとか、教えてもらってなければ絶対気づいてないです。

攻城団でもコロナ前は二条城のガイドツアーを5回開催したのですが、そろそろ再開していければなと思っています。ガイドブックをつくったのは2017年(平成29年)12月で団員総会を初開催したときのことですが、まだこの当時は「勅使の間の絵は甚之丞ではなく長信の説もある」と書いてあるとおり、筆者が断定できてなかったのですが、今回の解説回を踏まえてここは修正しないといけませんね。

攻城団がつくった二条城ガイドブックの中身

前日夜の「NAKED 夏祭り 2023」の取材に続けて24時間に2回も二条城を訪問することになりましたが、二条城は何度訪問しても新しい発見があるし、おもしろいです。
ぼくが感じたおもしろさをみなさんにシェアするためのガイドツアーなので再開したらご参加ください。

あと大久保ヤマト先生に描いていただいた「マンガでわかる二条城」もオススメです。寛永行幸のことも大政奉還のことも二条城の歴史をコンパクトにまとめてあるのでこちらもぜひ!

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二条城で開催中の「NAKED 夏まつり2023 世界遺産・二条城」の見どころを写真と動画で紹介

本日から二条城ではじまった「NAKED 夏まつり 2023」ですが、前日夜に開催された報道陣向け内覧会にお誘いいただいたので参加してきました。去年に続いてありがとうございます。
去年は感染対策を強く意識した構成でしたが、5類に移行したこともあり今回は声を出すことを前提にしたインタラクティブアートが用意されるなど、今年ならではの取り組みがあってお子さんはもちろん大人も楽しめるイベントになっています。

まずは写真を使って各スポットを案内しつつ、最後に一周まわって撮影した動画でご紹介します。

写真で紹介する「NAKED 夏まつり2023 世界遺産・二条城」

唐門 ライトアップ

いつものように唐門のライトアップです。でもそれでいいと思ってます。
過去には唐門にプロジェクションマッピングをしていたこともありますが、唐門はただ照明をあてるだけで金が映えるので十分です。この荘厳な感じは一切の演出不要ですね。

日中だと見づらい天井や上方の彫刻も夜ならしっかり見れるのでいいです。

夜の唐門はほんとうに美しいので、終了間際の人が少ない時間帯にぜひ見てほしいです。

二の丸御殿前 ライトアップ

もちろん中には入れないのですが、御殿前の広場がライトアップされています。
(おそらくここで何かをやると人が滞留して大混雑になるからだと思います)

地面のブルーが夏っぽくていいです。

二の丸庭園 ライトアップ

庭園もいつもの感じでライトアップされています。
ぼくはこの夜の庭園をかれこれもう10回以上見てますが、何度見てもいいなあと感動しています。

ここは少し早い19時くらいの時間(いわゆるマジックアワー)に見るのも美しいですよ。

本丸内堀 プロジェクションマッピング花火大会

今回のいちばんの目玉がおそらくこのプロジェクションマッピング花火大会です。
去年もここでは同じようにプロジェクションマッピングで花火が上がる仕掛けがあったのですが、今回は手拍子や「たーまーやー」という掛け声に反応して、花火の数が変わるようになっています。

考案されたディレクターの山王堂さんは「ようやく声を出せるようになったので人の賑わいを作品に反映させたい」というような話をされてました。
ぼくは恥ずかしくて声は出さなかったんですけど、ここにいるスタッフの方々が率先して手拍子や声出しをしてくださるので(おそらく期間中も)周囲に気をつけながら叫んでみてもいいかと。

参加者の手拍子や掛け声といったリアクションに反応するインタラクティブパート「たまやタイム」(60秒)と、決まった映像が流れるショータイム(120秒)が連続します(その後30秒のインターバル)。
なのでだいたいここで5分前後留まる感じですかね。

清流園前 ライトアップ

春には桜、秋には紅葉のライトアップがおこなわれる清流園前は夏らしく、ホタルなどをイメージしたライトアップになっていました。

じつはこのエリアにある行灯はスポンサードできるのです!

この名入れ行灯は入場料付きで5000円で購入できます(混雑時も優先入場できるそうです)。
しかも売上の一部は京都の文化財保護に寄付されるそうなので、攻城団もスポンサードしてみました。

訪問された際はぜひ探してみてください!

この名入れ行灯は前期後期でわかれていて、いまは後期(8月7日~8月20日))のものが購入できます。自分も記念にスポンサードしたいという方はこちらからどうぞ。ぼくは後期分も購入しました。

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ハイパー縁日

ここも去年と同じように見えて、アップデートされていました。
まずかき氷やドリンクなども買えるようになっていたのはマスクをはずせる状況になったからでしょうね。
かき氷の抹茶とほうじ茶のシロップは福寿園とのコラボだそうです。

あと前回なかったアトラクションとしては「ハイパー千本引き」がありました。紐を引っ張るとくじの結果が画面に表示されるのですが、唐門や虎の絵など二条城にちなんだものもあって楽しそうでした。

こんな感じですが、各スポットで写真を撮ったり最後の縁日エリアで遊んだりしてるとだいたい1時間くらいじゃないかと思います。

動画で紹介する「NAKED 夏まつり2023 世界遺産・二条城」

エリア内を一周、ジンバルを持って動画撮影してきたのでイベントの雰囲気をつかんでいただけるかと思います。


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終わりに

このイベントは18時半から入れるのですが、その時間帯だとまだ明るいのと例年行列がすごいので少し遅い時間に出かけたほうがいいかもしれません。
ただしマジックアワーの唐門や二の丸庭園の写真を撮るならその時間帯がむしろベストですし、何周でもできるのでどんどん暗くなっていく様子を撮影するのもいいかもしれません(ちなみにぼくはこの日、3周してます)。

これが19時半の写真です

取材日(7月20日)はだいたい19時半から20時くらいになると暗くなってました。
これは前回も書いたのですが、オススメは終了間近に入場することです。イベントは22時までやってますので、20時半とか21時くらいに入場すればかなり空いてると思います。唐門の無人撮影ももしかしたら可能かも。

ぜひ京都に宿泊して夕食後の散歩として二条城へ行ってみてください。
みなさんの上洛をお待ちしています!

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去年の記事はこちらです。
「ハイパーお面」など同じ仕掛けも多いのですが、それだけ参加者に人気があったということなのでしょう。

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四百年遠忌記念特別展「大名茶人 織田有楽斎」のプレス内覧会に参加してきました

本日4月22日(土)から京都文化博物館ではじまる四百年遠忌記念特別展「大名茶人 織田有楽斎」のプレス内覧会が昨日開催され、ありがたいことに攻城団もお声がけいただいたので参加してきました。

ぼくが好きな狩野山楽の絵もたくさんあって個人的にも非常におもしろく感じましたし、これはぜひみんなにも見に来てほしいと思いました(ちなみに東京のサントリー美術館でも2024年1月末から東京展として開催予定です)。
いつものように大量の写真を撮ってきたのですが、今回はあえてポイントを絞って紹介しますので、つづきはぜひ会場でご覧ください!

長益は主君を見捨てて逃げた卑怯者なのか?

1582年(天正10年)に起きた本能寺の変の際、織田信長の弟である織田長益(のちの有楽斎)は信長の嫡男・信忠と行動をともにしていましたが、信忠は自害した一方で、長益は生き延びています。
この史実自体は広く知られていますし、またこのエピソードから長益を「逃げた男」とネガティブな印象で語られることも多いですよね。でもそれは正しい評価なんだろうか、というのが本展のポイントのひとつです。

というのもこの特別展が開催されるきっかけが正伝永源院のご住職・真神さんたちの有楽斎の名誉回復を願ってのことだからです。
内覧会の前に真神さんの挨拶があり、そこで「長益のネガティブなイメージを払拭したい。彼はたんに逃亡したのではなく、織田家の血筋を残すための決断をしたんじゃないか」とおっしゃっていました。その真偽はわからないのですが、今回の特別展に向けて京都文化博物館で調査された結果、どうやらこの悪評は江戸時代初期に書かれた『義残後覚(ぎざんこうかく)』が初出らしいのです。

加賀中央図書館が所有するものが第1部に展示されています。

「織田家の悪口に満ちている本」と西山学芸員は紹介されていましたが、Wikipediaにも「豊臣秀吉に関しては絶賛に近い形で紹介されるが、織田信長については酷評されている」と紹介されてますね。
ゲームでは謎のキャラクターとしてよく出てくる幻術師・果心居士の記述もあるようで、たしかにうさんくさい系の本のようです。

現代でもフェイクニュースが拡散して、その訂正記事はまったく読まれず、まちがった情報だけが広まり定着してしまうことはよくありますが、徳川家康が織田家で悲惨な人質時代を起こしたエピソードのように、この長益の悪評も創作話が引用されまくった結果、数百年後には事実として語られてしまったことのひとつなのかもしれません。

しかし「逃げの源吾(長益の名は源吾)」と伝わる長益がもし本当に卑怯者なのであれば、彼はその後、秀吉や家康から相手にされることもなかったでしょうし、武士の社会で立場を守ることもできなかったはずです。
つまり逆説的ではあるけれど長益のその後の活躍は、彼の行動が当時の価値観において非難や軽蔑の対象ではなかったことを証明しているとも言えます。

――というような理解のもと、長益がどんな人たちと交流し、どんな役割を果たしたかについての展示がつづきます。

やっぱりすごい「蓮鷺図襖」

第3部からは織田有楽斎時代、つまり武士としてよりも茶人や文化人としての彼を紹介する展示となっています。
有楽斎がつくった国宝の茶室「如庵」は千利休好みの「待庵」、小堀遠州好みの「密庵」とともに国宝三茶室のひとつですが、その扁額(犬山にあるものではなく正伝永源院に伝わるもの)や、多くの茶道具が展示されています。

千利休や武野紹鴎が作った茶杓もあれば、有楽斎自らがつくった「落葉」と名付けられた茶杓も展示されていました。

また茶碗のコーナーには「有楽井戸」と呼ばれる大井戸茶碗のほか、徳川美術館やマスプロ美術館から借りてきた有楽好みの茶碗が展示されています。

そしてこの特別展の目玉はなんといっても狩野山楽が描いた「蓮鷺図襖」でしょう。
チラシにも使われている、このインパクトのある金碧障壁画は豪華で美しいのでぜひ間近で見てほしいです。ちょうど椅子もあるのでしばらく座って見るのがいいですね。

ぼくは2022年3月の「京の冬の旅」で正伝永源院が特別公開された際に「蓮鷺図襖」を見ましたが、今回は室中と同じ配置で展示されています。
有賀学芸員に案内された際、その演出の素晴らしさに自然と「すごい」と口にしてました。

そして最後の第5部は現在の正伝永源院ということで、現役の茶道具などが展示されています。
茶事に関する秘伝のマニュアルとも言える「正傳集」なども必見です。

ということで、ポイントを絞って紹介しましたが、これはほんの一部です。
書状も茶道具も障壁画もまだまだたくさん展示されていますので、残りは会場でご覧になってください。
図録も売ってたのでお帰りの際はぜひ!

動画レポート

画像が粗くて申し訳ないですが、動画レポートです。学芸員のみなさんの説明も聞こえますのでぜひどうぞ。


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招待券プレゼント

この特別展「大名茶人 織田有楽斎」のペア招待券を抽選で2名の方にプレゼントしますので、ふるってご応募ください。

プレゼントの応募受付は終了しました。

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二条城で開催される「NAKED 夏まつり 2022」の見どころを写真と動画で紹介

7月22日(金)から二条城で開催される「NAKED 夏まつり 2022」の報道陣向け内覧会にお誘いいただいたので参加してきました。
(ありがたいことです)

二条城のナイトイベントはもう何年もNAKED, INC.(ネイキッド)が手掛けていて、それはコロナ前から続いているのですが、感染対策に気をつけながら展示や演出を改善されていて素晴らしいです。
意図的にソーシャルディスタンスを作り出す『NAKEDディスタンス提灯®︎』や、今回初登場の消毒液を使った感染症予防対策アート『NAKEDつくばい™️』など、インタラクションをうまく使った展示で感染対策に十分気をつけながらコロナに立ち向かおうというポジティブなメッセージがこめられていると感じました。

ざっと2分の動画にまとめたのでまずはご覧ください。

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今回は報道陣だけじゃなくインフルエンサーなども招待されていたので100人くらいいました。
動画にはほとんど人が映ってませんが、これはひととおり案内していただいたあとで、ぼくがひとりで2周目をまわって見学したときのものが中心だからです。
なのでイベントが開催された際にはもっと人混みができると思いますが、密にならないよう、人流が停滞しないように係員を置いて誘導すると説明がありました。

以下は個々のポイントについて紹介します。
まず最初は唐門のライトアップです。コロナ前は閉じた唐門や二の丸御殿にプロジェクションマッピングをすることが多かったのですが、密が生まれやすいということもあり最近は本丸石垣にプロジェクションマッピングをするようになりました。
お城好きとしては唐門はライトアップのほうが金の装飾も美しいのでありがたいです。

二の丸御殿前を抜けて、二の丸庭園へ進むのですが、ここで『NAKEDディスタンス提灯®︎』の貸し出しがあります。
赤、オレンジ、黄色、水色、緑の5色が用意されています。
(数に限りがあるのと、雨天時は貸出中止のようです)

二の丸庭園もライトアップです。

これは見慣れた光景ではありますが、庭園に沿って歩く人々の『NAKEDディスタンス提灯®︎』の灯りがとてもきれいでした。

そして本丸石垣のプロジェクションマッピングです。
今回は「内堀花火大会 -NAKED FIREWORKS-」と題して、約75mの石垣をスクリーンとして花火の映像が投影されるのですが、これまでになかった試みとしてQRをかざすことで花火を作成して打ち上げることができます。

しかもイベントのために用意されたメタバース内でも花火が上がるそうで、リアルとバーチャルのクロスオーバー体験という今回のテーマに沿った作品となります。
人が多い場合に自分が上げた花火をどこまで認識できるのかわかりませんが、この試みはおもしろいなと思いました。

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清流園前は行灯が並んでいます。

3500円のチケットを買うとこの行灯に名前を入れることができるそうです。
(攻城団の名前を入れたいなと思ってちょっと迷いましたが、持って帰れないのでやめました)

台所前の広場(前庭)にハイパー縁日が開催されています。
ここに今回初登場の『NAKEDつくばい™️』が展示されています。手を入れると金魚と花火が映し出されて、消毒液が吹き出ます。

さらに「ハイパーおめん」というインタラクションアートがあります。
これは自分の顔をカメラに写すとお面が表示されて、さらにメタバース内のアバターの顔として反映されるそうです。

ぼくはスマホで動画を撮影していたのでやれなかったのですが、大人も子供も楽しめると思います。
(週末だとけっこう行列ができそうなので気をつけてください)

スムーズにまわれば30分〜1時間程度でしょうか。
イベントは22時までやってますので(最終入場は21時)、オススメは20時以降の入場です。18時半から入れますが例年すごく行列ができるのと、明るいうちだとライトアップやプロジェクションマッピングがきれいじゃないので、遅めの時間のほうが人も少なくてゆっくり楽しめると思います。

なおこれを書いている7月21日(木)の京都府の新規陽性者数は3,626人と他府県同様、京都も急増しています(東京は3万人を超えましたが)。
去年は緊急事態宣言が発令されたので途中で開催中止になってしまったので、今年は最後まで無事に開催できるといいですね。みなさんも感染対策をしっかりした上で楽しんできてください。

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建物内はスマホのレンズを通したほうがよく見える

大徳寺の特別公開にいってきました。
いっさい撮影禁止だったので詳細なレポートは書けないのですが、ちょっとおもしろいことに気づいたので紹介しておきます。

それは薄暗い建物内はスマホのカメラを通して見たほうがはっきり見える、ということです

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この写真は仏殿という建物の中を撮影したものです。
仏殿は特別公開エリアではなく、いつも公開されていて、誰でも無料で見学可能です。中には入れませんが、写真のように外からのぞき込むことはできます。

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ちなみにこの仏殿に参拝すると、大徳寺のすべての塔頭に参拝したことになるそうです。

天井画は狩野元信が描いたとされる「雲龍図」ですが、風化していてよくわかりません。いつでも参拝できるようにと開放しているため風化しちゃうんだそうです。
でも肉眼だとほとんどなにも見えないので、びっくりするくらいきれいに見えました。

また写真の奥に見える大きな仏像(釈迦如来)は徳川家綱が寄進したものです。
徳川家ゆかりの京都の寺というと知恩院や南禅寺のイメージが強いのですが、じつは紫衣事件で流罪となった沢庵をのちに徳川家光が尊崇したことで大徳寺と徳川家に縁ができたそうです。

スマホのレンズを通して見える世界

せっかく現地にいるんだから写真ばかり撮らずにちゃんと自分の目で見なきゃといつも反省しているのですが、建物内など暗い場所の場合はむしろスマホのレンズ補正を積極的に活用していったほうがいいのかもと思いました。
4Kテレビと同じで見え過ぎちゃうことの功罪はあるのでしょうが、スマホのレンズを通して見てみるという小技をおぼえておくといいかもしれませんね。

なおこの大徳寺本坊の特別公開は9月27日までなので、お早めにお申し込みください。
空きがあればその場でも申し込めるみたいですが、事前に予約したほうが確実です。

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「二条城×ネイキッド 夏季特別ライトアップ2020」に行ってきました

全国的に猛暑がつづいていますが、昨夜は二条城まで夜の散歩に出かけてきました。
ここ数年、二条城では毎年のようにライトアップイベントを開催していますが、今年もコロナの感染予防対策をとった上での開催となりました。

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具体的には入口での検温、マスク着用、手指消毒、代表者が「京都市新型コロナあんしん追跡サービス」に登録*1といったところで、入城者数も制限しているそうです。さらに城内ではソーシャルディスタンスを確保するために提灯の貸し出しをしていました(利用は任意)。

規模は縮小、でもARなど新しい取り組みも

イベント内容としては

  • 唐門と二の丸御殿のライトアップ
  • 二の丸庭園のライトアップ
  • 寛永天守が再現されるAR
  • 本丸石垣へのプロジェクションマッピング
  • 清流園・香雲亭のライトアップ
  • シャボン玉コーナー

といったところで、いつもは飲食エリアや物販コーナーなども用意されるのですが、今回はありませんでした。

規模を縮小した開催ではあったものの、夜の二条城に入れるというのは何度来てもテンションが上がるし、唐門のライトアップなどもきれいだったので写真と動画でざっとご紹介しますね。

まずは唐門から。

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二の丸庭園ではARの案内がありました。ネイキッドの公式アプリを入れて看板を読み取ると寛永行幸の際に築かれた天守が画面内に表示されます。

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じっさいに表示させるとこんな感じです。夜だし、ちょっとイマイチ。

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庭園のライトアップは光源の位置も考えられてるそうで(と以前のイベント時に伺いました)、とくに風のない日は鏡面反射が美しいです。

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メインイベントが本丸石垣のプロジェクションマッピングです。

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動画も撮影したのでどうぞ。約3分ですが、持ち上げての撮影だったのでちょっと腕がプルプルしてますね。


二条城×ネイキッド 夏季特別ライトアップ2020

百鬼夜行とか、鳳凰とか、いろいろテーマを変えて映像をつくってくれてるのですが、二条城の歴史を学べるような内容とか、狩野派の障壁画を石垣に投影(石垣画?)とか二条城ならではの映像作品ができたらもっといいのになと思いました。
(一般向けのイベントなので花火とかをテーマにするのは理解できるのですが)

ちなみにソーシャルディスタンス確保用の提灯はこんな感じです。

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このエリアはいつも木々にライトアップしてます。
今回はここでシャボン玉を飛ばしていて、子どもが楽しそうにはしゃいでいました。こういうサービスはいいですね。

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北大手門。最近のはイベント時でもここまでしか近づけないのですが、東大手門の修理中はここから出入りさせてもらえる時期もあったので、また近くで見たいです。

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こんな感じで、写真を撮ったりしながらで1時間くらいでした。

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この夜間イベントは8月30日までです。
週末は少し混雑するようなので、できれば平日のなるだけ遅い時間の入場が空いてると思います(ぼくは9時前に入場しました)。

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VRアプリも配信

今回のイベントにあわせて、ネイキッドからVR限定コンテンツ「NAKED NINJA -Nijo-jo Castle-」が配信されています。
ぼくは今回、このゴーグル付きチケットを買って入場しました。通常チケットが1200円、ゴーグル単体が800円で、セットチケットが1800円だからちょっとだけお得です。

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よくあるVR用の組み立てゴーグルが入ってます。

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映像自体はYouTubeにアップされていてURLを知ってれば誰でも見れるみたいです。URLをシェアしちゃいけないとは書いてないので、たぶん貼り付けても大丈夫だと思うのですが、いちおう控えておきます。

こんな感じの映像が見れます。

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上のほうにプロジェクションマッピングで狩野派の障壁画をって書いたんですけど、こっちのVRコンテンツで二の丸御殿の紹介を一般の方向けにやってました。

「虎!」とか「松!」とかすごく単純な紹介ですけど、最初はそこからでぜんぜんいいと思います。

 ほかのお城のも見てみたい。

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*1:厚生労働省の新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)を入れているのに、さらに京都市の追跡サービスに登録させるのは意味がないと思うのですが、どうなんでしょうね。

二条城で開催された二の丸御殿「黒書院三の間」学芸員解説会に参加してきました

今日は朝から二条城で開催された「黒書院三の間」学芸員解説会に参加してきました。
今月15日から特別入室がはじまっており、部屋のほうは初日に見学してきたのですが、そもそも黒書院は(しかもその三の間は)どのように使われていたのか、また室内に描かれた障壁画の題材や意味について教わってきたので、スライドとメモを共有させていただきます。

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冒頭、元離宮二条城事務所の北村所長から挨拶がありました。
コロナで6週間休城することになったこと、例年だと平日5千人、週末1万人ほどの来城者が再開後は平日100〜200人、週末1000人と激減していることを話されていました。
さらにこの学芸員解説会は毎回とても人気なのですが、コロナ対策のため人数を半分(35人)にして、これまではおこなっていた二の丸御殿内での現地解説は取りやめにせざるをえないとおっしゃっていました。

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もともと二条城は中国人を中心としたインバウンドの観光客と修学旅行生が大半を占めていたので、いまの閑散ぶりは観光客を優先してきた反動だという厳しい声もあるのですが、二条城ではここ数年こうした市民向けの解説会を開催してきたことも事実で、それはちゃんと評価すべきだと思います。
特別入室と解説会は学芸員からの発案だと以前おっしゃっていましたが、今後も継続していただきたいですね。

二条城の歴史について

今日の担当は中野学芸員です。

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はじめて二条城に来られた方もいらっしゃったので、最初は二条城の歴史や概要についての紹介です。

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二条城の歴史という意味ではもちろん現代までつづいているのですが、こうした二の丸御殿の障壁画を案内する場合は寛永行幸までのみの話にとどめることが多いです。
(逆にいうと、こうして江戸時代初期の建物と絵画が残っているというのがいかにすごいかということですね)

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後水尾天皇の行幸を迎えるにあたり、徳川家は幕府の威信をかけて二条城の大改修工事をおこないます。城も約二倍に拡張し、御殿と天守を新築し(完全な新築は本丸御殿や行幸御殿ですが、二の丸御殿もほぼ新築と言えるほどの改修だったようです)、室内にはすべて狩野派による障壁画が描かれました。

残念ながら現在残っている建物は二の丸御殿のみです。
行幸御殿が移築された仙洞御所は先日、京都新城跡の痕跡が見つかったところですね。

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黒書院三の間とはどんな部屋なのか

いよいよ本題です。今回、特別入室が実施されている黒書院三の間についての説明に入ります。

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二の丸御殿に入ったことのある方であればこの平面図でなんとなくわかると思いますが、入口から入ってすぐの虎の絵が描いてあるのが遠侍、大政奉還の様子を再現した人形のある部屋が大広間、その先にある赤く囲ってある建物が黒書院です。

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黒書院は一の間、二の間、三の間、四の間とぜんぶで四部屋あります。ただし右側の「牡丹の間」も当時は畳敷きで部屋扱いになっていたようです。
このうち一の間と二の間で謁見がおこなわれるのですが、三の間は将軍に拝謁する者が控えている場所として使われました。

なお黒書院はとなりの大広間に対して江戸時代は「小広間」と呼ばれていました。
同様にさらに奥にある白書院も「御座の間」と呼ばれていたのですが、いつどのように黒書院、白書院と呼ぶようになったのかはわからないそうです。

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各部屋の使い方は大広間と同様です。
大広間の場合は中心部分に部屋(じっさいには将軍専用通路)があったり、ちょっと構造が異なりますが、三の間で控えて、お許しが出たら二の間に進んで対面する、という段取りは共通しています。

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黒書院が使われた記録によれば、寛永行幸の際は門跡(もんぜき)たちが饗宴の場として使用したそうです。門跡とは皇族・公家が住職をつとめたお寺のことで、この場合は招待された住職のことを指します。

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また1632年(寛永9年)に秀忠が亡くなると、1634年(寛永11年)に家光が30万人を引き連れて上洛するのですが、このとき二条城を使用しています。

家光は二条城で多くの者と対面しているのですが、黒書院と大広間で相手が異なっているというデータがあります。これまでも外様大名は大広間、譜代や親藩(家門)は黒書院で対面するという説明でしたが、データを見ると黒書院は公家――それも身分の高い公家――と対面する用途としてむしろより使われていたようです。

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黒書院三の間に描かれた障壁画について

つづいて障壁画についての解説です。
公家と応対するためにつくられた黒書院はほかの部屋の障壁画と比べてどのような特徴があるのでしょうか。

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まず、黒書院の障壁画は長押の上下で場面が変わっている(別の絵が描いてある)のが特徴です。
下の写真は北面と西面を写したものですが、北面(画面右)を見ると、下の絵は長押までで、長押の上には浜辺の松を題材にした別の絵が描いてあります。
(西面は二の間につづく面なので長押の上には欄間があります)

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描かれた題材である「松」は二の丸御殿全体で使われているモチーフで、「永続と繁栄」を意味しています。

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以下は大広間と式台の写真ですが、いずれも長押をぶち抜いた大きな松が描かれています。

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写真で見比べるとわかると思いますが、大広間と式台は長押を無視して、上下を共通のキャンバスとして描いていますが、黒書院は上は上、下は下と独立しています。
この長押を無視して巨大なキャンバスとして見立てるというのも二の丸御殿障壁画を担当し、当時の狩野派のリーダーであった狩野探幽のアイデアですが、黒書院については迫力ある絵で相手を圧倒するのではなく、複数の場面を描くことを優先したようです。
(威圧より歓迎を示したのではないかとおっしゃっていました)

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季節の移ろいが描かれている

また季節が描かれているのも黒書院の障壁画の特徴です。
具体的なポイントを教えていただきました。

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まず東面の左下には夏から初秋にかけて咲くミズアオイが描かれています。

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次は南面の左下。

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ここには秋に咲くリンドウが描いてあります。

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そして西面の中央下あたり。

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ここには冬に咲くスイセンと寒菊が描いてあります。

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また北面の右側には稲刈りが終わった田んぼが描いてありますね。

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また松に雪が積もっているなど、冬の表現も確認できます。

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このように部屋をぐるっと見回すことで、夏から冬にかけての表現を目にすることができるわけです。

じゃあ春は? となるとそれは一の間と二の間に描いてあります。「桜花雉子図(おうかきじず)」と呼ばれるこの絵には大きな桜が描いてあるのですぐにわかります。
控えの間である三の間で夏から冬にかけての景色を眺め、将軍と対面するために通された二の間で春を描いた絵を見ることで晴れやかな気持ちにさせる仕掛けがあったと考えられます。

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黒書院の障壁画には季節が描かれていることは知っていて、ただし二条城の説明だったか、ほかの先生の本だったかで「一の間と二の間が春、三の間が冬、四の間が秋、牡丹の間が夏」と教わって、これまでガイドツアー等で話していたのですが、それは訂正しないといけませんね。
たしかに描かれた題材を見ていけば三の間だけで夏から冬が表現されています。
(だとしたら四の間や牡丹の間を含めた黒書院全体でのメッセージはあるのか、ないのか)

なおこうした季節の移ろいを描くのは和歌の世界に通じるもので、公家に対して徳川家はこうした教養を備えていることを暗に示しているのではないかということです。

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この「浜松図」がどこの浜辺を描いたものかはわからないのですが、名所図として描かれてきた画題には田子の浦、明石浦、天橋立などがあるとのこと。
こうした名所も和歌で読まれる対象であり、「松図」の季節の移ろいの表現とあわせて、和歌の世界観ということです。わかる人にはわかる、という空間をつくったわけですね。

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担当した筆者は狩野尚信

この黒書院全体を任されたのが当時20歳だった狩野尚信で、彼は探幽の弟として才能を発揮しました。
じっさいにはこうした障壁画はひとりで描くわけじゃないので、何をどのように描くかをリーダーである探幽と決めて、スタッフに指示する役割でした。おそらく重要な部分は自ら筆を取ったと思われます。

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ちなみに尚信が20歳で黒書院を担当したことは知ってましたが、そののちに狩野甚之丞(じんのじょう)の娘と結婚していたことは知りませんでした。

以下は以前ぼくが講師をつとめた「めっちゃよくわかる二条城」で使用した狩野派の家系図です。尚信から見るとひいおじいちゃんの孫の娘を嫁にしたということになります。

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三の間の部屋全体の構成について

こちらは当日配布された資料(黒書院の展開図)です。

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ちなみに通常は南側の廊下から覗き込む形になるので、とくに南面と東面はふだんぜったいに見ることのできない面となります。特別入室で見学される際はしっかり見ておきましょう。

黒書院の障壁画を全体で俯瞰してみたときに、大広間との類似点があります。
それが集中と空白です。いずれも部屋の対角である北東隅と南西隅にスペースがつくられています。逆の対角にはモチーフを集中させていて、大広間と共通しています。

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大広間三の間を描いたのが兄である探幽なので「三の間の構成はこうしよう」という指示があったのではないかということでした。

黒書院三の間(キャプチャでは「西面」となっているけど正しくは「北面」)の松ですが、この自然界には存在していない、いびつな形状の松と似ている松の絵が大広間にも描かれています。

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天井画と釘隠しも忘れずに

特別入室の特典は天井画がしっかり見れることです。
障壁画は複製ですが、天井画は江戸時代に描かれたオリジナルがそのまま残っています。

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アップするとこんなデザインです。

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対面の相手が進むことになる二の間の天井画とデザインが似ています。

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でもじっくり見てみると地文様が少し格式高い感じに仕上がっています。
(「稲妻」と指定してあるとか)

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釘隠しはふだんから見れますが、牡丹の花を熨斗で巻いた「花熨斗形」と呼ばれるものです。

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牡丹の花は「百華の王」「富貴の象徴」とされ、「桐に鳳凰」はよくセットで描かれるモチーフで、徳川家の安泰をメッセージとして絵に込めています。

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大広間の釘隠しもコンセプトは同じです。

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ただし大広間の釘隠しが基本的にすべて同じデザインになっているのに対して、黒書院の釘隠しはちょっとずつちがうんだそうです。これは気づいてなかった。

たとえば熨斗が重なっている部分、鳳凰の向きなど、ひとつとして同じデザインがないそうなので、見学される際はぜひ釘隠しも注目してください。
(つくりが丁寧というか、お金がかかっているとおっしゃっていました)

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以上、約40分の解説会でした。

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もう一回だけ解説会に参加するチャンスがあります

なおこの学芸員解説会はもう一回、8月5日(水)に開催されます。
解説会自体は10時開始なのですが、整理券方式となっており、当日の開城時間である朝8時から城内の事務所で整理券が配布されます。今日は8時ちょうどに入城したのですが、20人弱は並んでいたので参加を希望される方は早めに整理券をもらいにいったほうがいいかもしれません。

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(この整理券はレクチャールーム入室時に回収されたのだけど、日付入りだしウイルス付着のリスクもあるんだから回収しないほうが安全なんじゃないかと思った)

ぼくは年間パスポートを持っているので整理券をもらったあと城外のコメダコーヒーで休憩していましたが、年間パスポートや一口城主証をお持ちでない方は案内所で再入城できるのか相談してみてください。

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御土居に登れる場所があるなんて知らなかった

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かつて豊臣秀吉が洛中をぐるっと22.5kmにわたって囲っていた御土居ですが、いまでも京都市内にはいくつか部分的に残っています。
いちばん有名なのは北野天満宮の中にあるもので、ここは以前見学したことがあります。

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北野天満宮の御土居はかなり間近で見ることができるのですが、市内各所に残された御土居は国の史跡ということもあり、フェンスで囲われていて近づくことはできません。
こんなふうに立入禁止になっています。

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でも用紙に名前を書くだけで、この中に誰でも入れるってご存知でした?
ぼくも先日教えてもらったばかりなのですが、さっそく出かけてきました。

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鷹ヶ峰にある光悦堂へGO

上の立入禁止の写真はちょうど北端(正確には北西隅)にあたる鷹ヶ峰の御土居です。
この眼の前にある和菓子屋さん「光悦堂」でお願いをすれば南京錠の鍵をお借りすることができるんです。

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ご主人にひと声かけて、用紙に名前と連絡先を書くだけです。

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立入禁止区域に誰の付き添いもなく勝手に入るのはドキドキしますが、お借りした鍵で門を開きます。

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土塁の高さは5m以上はあったように思いますが、こちらが外側、つまり「洛外」にあたります。

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けっこう広いスペースなのですが、おそらくこれがそのまま御土居の外側の空堀なのでしょう。

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謎の石組み。
もちろん当時のものではないのでしょうが、なんなのかわかりませんでした。

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土塁の上にも登れるので、登ってみました。

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時期的に草ボーボーだったので奥まで行くのは断念しましたが、隣のアパートの屋根とだいたい同じ高さだということがわかります。

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道路側を見るとこんな感じ。前に見えてるのが光悦堂さんです。
奥に見えてる山は比叡山。

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見学時間は10分程度でしたが、貴重な体験ができました。
御土居の規模がすごいことは数字や地図上では理解していましたが、こうして自分の目で見てしかもじっさいに登ってみて高さを実感できたのはよかったです。

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洛中と洛外の境界ですから、どうしても市内の中心部からは距離もあるし、アクセスもよくないのですが、近くに「鷹峯上ノ町」バス停があるのでクルマがなくても大丈夫です。
京都駅からだと地下鉄で北大路駅まで出て、そこから市バス・北1号系統に乗ればOKです。阪急を使う方は大宮駅から市バス・6号系統に乗れば行けます。

ほんとうに誰でも見学できますので、お店の定休日(木曜日)だけチェックして出かけてくださいね。

御土居餅もオススメ!

光悦堂さんの名物がその名も「御土居餅」です。

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御土居餅の存在自体は以前、京都市考古資料館を訪問した際に館長から教えていただいていたのですが、まさかここでつながるとは。
こしあんの豆大福でとてもおいしかったです。

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じっさいにはわらび餅とかほかにもいろいろ買って帰ったんですけど。

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ちなみに光悦堂の前の道をそのまままっすぐ坂をのぼっていくと、悟りの窓・迷いの窓で有名な源光庵があります。
(残念ながら2021年まで拝観休止)

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公開が再開された二条城にいってきました

二条城が4月7日の臨時休業以来、約1ヶ月ぶりに公開再開となりました。
京都府はまだ緊急事態宣言が解除されていないこともあり、「府民限定」での再開となっていますが、せっかく近くに住んでいるのでさっそく初日に出かけてきました。
ぼく自身は2月15日以来の訪問なので約3か月ぶりとなります(こういうときに前回訪問日がすぐ確認できるので攻城団は便利ですよ)。

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府民限定、しかも初日ということもあり、13時頃に訪問したのですが、チケット売り場には誰もいません。

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城内もほとんど観光客はいなくて、唐門前も無人でした。
ここまで人がいないのは経験がないかもしれません。

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二の丸御殿はマスク着用が必須となっています。

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中の展示は変わってませんでしたが、所々に空気の入れ替え用に換気ダクトが設置されていました。
庭園側から確認できます。

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二の丸庭園も作業員の方とすれちがっただけで、観光客は0人でした。

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1時間ほどいたのですが、城内で見かけた観光客は10人ほどでした。二条城側の係の方と、本丸御殿が修復工事中なのでその作業をされてる方々のほうがはるかに多かったです。

木が伐採されて見やすくなった

本丸の南側にあった木が伐採されてすっきりしました。
2018年1月に撮影した写真があったので比べてみましょう。

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本丸内部は全方位「雁木造り」という石階段になっているのですが、よく見えるようになりました。

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ここも以前はほとんど見えてなかったんです。

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天守台の上からだとさらによくわかります。
もともとここには多聞櫓があったらしいので、木がないほうがぼくはいいと思います(復元できるならもっといいですね)。

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また西南隅櫓のところも以前はジャングルのようになってたのですが、見通しが良くなっています。
通路がきれいに整備されているので、今後もしかしたら西南隅櫓の特別公開が予定されているのかもしれません。

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唐破風もはっきりと見えますね。

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展示収蔵館では黒書院の障壁画(原画)が展示

展示収蔵館も開いてました。

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今年度の第1期「花咲く対面所 ~〈黒書院(くろしょいん)〉に描かれた春 ~」が今日からの公開となっています(ほんとは4月23日〜でした)。
黒書院の障壁画は大広間と異なり、季節感があり、また動物なども描かれているので大広間の「松!」や遠侍の「竹と虎!(あと豹!)」よりも華やかです。

さらに黒書院といえば有名な「大政奉還図」に描かれた部屋なので、この絵と見比べるのもおもしろいと思います。

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6月21日(日)までなので、府民の方はぜひお早めに。
なおコロナウイルス感染対策のため、スリッパがなくなっていて、作品解説の資料配布も取りやめになっていました(代替案を検討中とのこと)。
スリッパはたしか二の丸御殿も廃止になってたと思います。

まだまだこれからですけど応援しています!

コロナの収束状況を見ながら、また対策を講じながらの段階的な再開のため、大休憩所は休みとなっていました。
残念ながら御城印やグッズなどは購入できません。

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駐車場も1台だけ、バスは(基本的に観光バスは府外からですので)0台でした。

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京都府民以外への公開がいつになるかはわかりません(早ければ来月くらいでしょうか)が、いまはそれぞれが地元のお城の再開状況をチェックして、自分が住む地域のお城の情報を相互に発信しあえると、収束後に出かける楽しみも増えるのでいいと思います。

余談ですが、マスクをして城内をぐるっと見学するとけっこう疲れました。
ぼくの日頃の運動不足もあると思いますが、マスク着用で熱中症のリスクが高まるという話もありますので、水分補給をしっかりして適度な休憩を取りながら見学するようにしましょう。

二条城ガイドツアーも年内には再開できるといいですね。

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二条城で開催された二の丸御殿「式台の間」特別入室と学芸員解説会に参加してきました

昨日は二条城で開催された二の丸御殿「式台の間」の学芸員解説会に参加してきました。

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やること満載でしっかりしたレポートは書けないのですが、投影されたスライドをぜんぶ写真に撮ってきたので簡単ではありますけど教わったことを共有します。
(なにもしないよりはマシかなと)

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以下、スライドを並べつつ、要点だけコメントを付け加えますね。

二条城の概略

最初は二条城の略史などを簡単に。
家康が築いて、家光の時代に最盛期を迎えたという話ですが、二の丸御殿の話をするときはどうしても寛永行幸に向けた改修になってしまうので、二条城の長い歴史の一部しか紹介できないのがもどかしいですね。

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式台の間の役割

まずは二の丸御殿の図面から。
今回の対象は雁行型に並んだ建物の右下部分になります。

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二条城を訪問した客人はまず「遠侍(黄色)」で待たされ、その後「大広間(緑)」で将軍と対面することになるのですが、中間に位置する「式台の間(赤)」で老中が取り次ぎます。 

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なお大広間に松の絵が描かれるのは、松が常緑樹であることから永続性(=徳川の天下が今後もつづくように)という意味が含まれています。

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「式台の間」というのは老中が来殿者と対面する部屋です。

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この式台の間にもやはり松が描かれています。 
その理由は大広間に準じる晴れやかな場であるためだと考えられます。

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式台=式台の間+老中の間

老中は「式台の間」の裏側にある「老中の間」で執務をしていました。

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現在、収蔵館ではこの「老中の間」の3室(老中一の間・二の間・三の間)の原画が公開されています。

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老中の間の障壁画は一の間が「春と夏」、二の間が「秋」、三の間が「冬」と一年を表現しています。
二の丸御殿内で季節を描いているのは黒書院と老中の間だけですね。

「三の間」については狩野興以が描いたと比定されていますが、一の間と二の間については誰が描いたかはわかっていません。原画公開中の展示収蔵館には渡辺了慶の可能性があると書いてありました。

あと老中の間は完全にバックヤードなので簡素な造りになっています。長押の上はしっくいの白壁で絵が描かれてませんし、天井も竿縁天井ですしね。

「松図」は誰が描いたのか

さてこの「式台の間」に描かれた巨大な松の障壁画、通称「松図」は二条城を代表する障壁画のひとつです。

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この筆者について、中井家に伝わる「御城内御本丸二之丸御殿向指図」によれば、采女=狩野探幽とあるため、長らく探幽が描いたとされてきましたが、一方で絵の構図の特徴から狩野山楽によるものとする説もあります。

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狩野派は初代・狩野正信が足利義政の御用絵師になって以降、織田信長、豊臣秀吉と常に権力の中枢の御用絵師として画壇に君臨してきました。
それは徳川の時代になっても変わらず、二条城の改修時は天才と謳われた狩野探幽をリーダーとして大量の絵を制作しました。

山楽は探幽の祖父にあたる狩野永徳の弟子で、江戸にいかず京都に残り「京狩野」と呼ばれていました。

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ふたりは世代もだいぶちがうので、画のタッチも異なります。
ただし障壁画は何度も修復を繰り返しているので、絵そのものから特定できることは少なく、むしろ「構図」により筆者を特定していくのだそうです。

ポイントは木の全体像で、おおきな三角(傘型)になっているのがわかると思います。

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以下の大広間の障壁画は探幽が描いたことが確実視されているのですが、こちらの松は平べったい感じで三角っぽさはありません。

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一方、山楽が描いたとされる妙心寺天球院の松の絵や、水墨画ではあるものの正伝寺の山水図は三角形の構図になっています。

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二条城では昨年、大広間四の間の「松鷹図」を山楽筆であると発表したように、二の丸御殿内の障壁画の作者比定にかなり積極的ですが、話の感じからいってあともう少し根拠になるものが見つかれば山楽に断定できるんだけどなあって印象を受けました(現時点では断定されていません)。

今後に期待ですね。

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ちなみにこちらが狩野山楽筆と特定された「松鷹図」です。

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腰障子の「花鳥図」は17世紀の作品のコラージュ

「式台の間」の北面(通常の見学路から正面に見える面)は「松図」ですが、それ以外の三面はすべて腰障子(腰付き障子)となっています。

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障子下部にある障壁画も狩野派によるものなのですが、どうやら寛永期に描かれたものではなく、だいぶあとの時代に描かれたもののようです。
しかも断裁跡などがあることから、もとは別の絵(襖絵)だったものを切り貼りしたとのことでした。

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このプロセスがすごくおもしろかったのですが、裁断面や引手金具のあとを目印にパズルのように貼り合わせていくと、春と秋それぞれを描いた障壁画が現れるというのです。
(二の丸御殿に展示されてるレプリカはこうした裁断後は再現せず模写してるそうです)

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これを全体でやるとふたつのグループにわかれます。

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まず春を描いたAグループ。

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つづいて秋を描いたBグループ。

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これらの絵の作者はわからないそうですが、木の描き方などから17世紀のものに近いと推定されています。

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また後年描かれたことを示す別の理由として、改修時の指図にはいまある海棠(かいどう)ではなく「山吹」や「すみれ」や「たんぽぽ」が描かれたと記録されています。

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加えて、こうした切り貼りは二の丸御殿のほかの場所でも見られており、とくに二条城は離宮として使われた時代もあるため、絵が傷んでいた場合の修復として別の絵が貼り付けられたと考えられています。

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そのほかの見どころ

特別入室では天井画も必見です。廊下からだとちゃんと見えませんしね。
ちなみに天井画も狩野派が手がけた作品ではあるものの、区分としては「建造物の一部」であるため重要文化財の指定とはなっていません。
そのおかげで(障壁画のようにレプリカではなく)原画を見ることができます。天井画は京都市に下賜されてからはまだ一度も修復していないそうです。

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式台の間の天井画は二羽の孔雀が描かれています。
(口を開けたのと閉じたのが向かい合っているので「あ・うん」ですね)

周囲に描かれているのは富貴を表す牡丹唐草です。

また釘隠しも見ておきましょう。
両脇を袋とじにしたように見えるので「括袋形釘隠(かったいがたくぎかくし)」と呼ばれています。

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現地で見たら廊下側にひとつ中央の金具がはずれているのがありました。
これも室内からしか見えない位置なので特別入室期間中にぜひチェックしてみてください。

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今回もとてもおもしろかったです。

学芸員解説会はもう一回、1月23日(木)の14時から開催されますので、ご都合のつく方はぜひ。
受付開始の13時半からけっこうたくさん並んでましたが、後ろのほうでもよければ14時ギリギリでも大丈夫じゃないかと思います。 

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【12/8まで!】「世界遺産登録25周年記念 FLOWERS BY NAKED 2019 ー京都・⼆条城ー」にいってきました

気づけば今週日曜日までだということで、昨夜あわてて二条城で開催中のナイトイベント「世界遺産登録25周年記念 FLOWERS BY NAKED 2019 ー京都・⼆条城ー」を見てきました。
毎回のように見に行ってますが、今回は新作部分が多く、また本丸石垣へのプロジェクションマッピングという初の試みもあって見ごたえがありましたよ。

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東大手門から入ったところへの投影も初じゃないかな。

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唐門は短めの映像がループしています。

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二の丸御殿大広間にも。
今年のテーマは鳳凰が城内各スポットを飛び回ってるというストーリーのようです。

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ライトアップされた二の丸庭園に入れるのもこのイベントのいいところで、風がない日には鏡面反射して美しい庭園を見ることができます。

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そして本丸石垣への投影。
石垣へのプロジェクションマッピングはわりとよくありますが、二条城でははじめてです(たぶん)。

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これも内堀の水面に反射してきれいなので、土塁が切れてるところで見るといいと思います。
(ぼくは背が高いのでふつうに土塁越しに見れたんだけど)

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あとは台所で華道で知られる池坊とコラボした謎の作品とか、以前にも展示されていたインタラクション系の作品が展示されていました。

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前は靴を脱いで台所と御清所(おきよどころ)に上がって作品を鑑賞していましたが、今回は上がらずに鑑賞・体験できるようにルートの見直しがされていました。毎年開催されているイベントでこういう改善がおこなわれるのはいいですよね。

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繰り返しますが、このイベントは今週日曜日までなのでうっかりしていた方はお早めに!
近所の方や宿泊される方は20時以降に入ると空いてていいですよ。

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紅葉の名所、大徳寺高桐院にいってきました

本堂の屋根瓦の葺き替え工事などのため拝観休止中だった臨済宗大徳寺の塔頭・高桐院が、ようやく11月10日から一般拝観が再開されたので、さっそく訪ねてきました。

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ここは「そうだ 京都、行こう。」のポスターにもなった赤い絨毯で有名なお寺ですので、もう少し紅葉が進んだら大勢の観光客が参拝されると思います。

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この参道は左右を楓に囲まれているため「楓の庭」と呼ばれているのですが、細い参道の両側が紅葉の落ち葉で真っ赤に染まります。

その先もじつに趣のある素敵な参道になっています。

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高桐院は細川家の菩提寺

大徳寺の塔頭である高桐院は細川忠興(三斎)が建立した細川氏の菩提寺です。
江戸時代初期の武将で茶人としても有名で「利休七哲」のひとりにも数えられる忠興ゆかりの寺院だけあって、書院は利休の邸宅を移築したものといわれています。

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境内はすべて撮影オッケーなのもうれしいですね。
この客殿南庭(本堂前庭)もあと少しで真っ赤になります。

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室中にある木像はちょっと暗いのですが、中央に開祖である玉甫紹琮(細川幽斎の弟)、左側に忠興のものがあります。

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忠興の木像はちょっと小さめでした。

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これがかつて聚楽第にあったという利休邸を移築した書院「意北軒」です。利休切腹後に取り壊されようとしていたのを玉甫紹琮が移築したそうですね。

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襖絵は狩野探幽の弟で宗家を継いだ狩野安信が描いたとされる水墨画です。

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さらに書院につづく茶室「松向軒」は1628年(寛永5年)に忠興自ら建立したもので、忠興好みの二帖台目で、三帖の水屋がつき、茶室には珍しい黒壁を使うなど、壁や天井にも趣向が凝らされていて有名です。
この茶室はもともと北野大茶会で使われたとも伝わるそうですが、高桐院でいただいたパンフレットにはその記載がないので(たんに「三斎公の手で建立」とだけある)真偽は不明です。

 

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蒲落ち天井(がまおちてんじょう)や網代天井(あじろてんじょう)など、屋根がすべてちがうのが洒落てますよね。

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茶室につづく露地(茶庭)も素敵です。

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庭の奥には細川家歴代の墓

境内には忠興とガラシャの墓のほか、細川幽斎はじめ一族の墓があります。
墓所へ通じる門には九曜紋とともに五七の桐門がありますね。

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忠興とガラシャの墓石に使われている石灯籠はもともとは千利休が愛用していた灯篭でした。豊臣秀吉もこれをほしがったそうですが、利休はわざと欠けさせて秀吉に渡さなかったという逸話があります。
その後、利休が切腹の際に忠興に贈られました。

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忠興以外の細川家当主の墓はこちら。

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高桐院には歌舞伎の創始者といわれる出雲阿国の墓と、その阿国の恋人とも夫ともいわれる名古屋山三郎の墓もあるのですが、現在は立入禁止だそうです。

墓所の手前には三斎井戸と呼ばれる井戸がありました。

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また庭にある袈裟型降り蹲踞(けさがたおりつくばい)は加藤清正が朝鮮出兵の際に、朝鮮王城の羅生門礎石を持ち帰り、細川忠興に贈ったものを利用したと伝わります。
忠興はこのつくばいをとても気に入ったそうで、参勤交代の際にも持ち歩いていたといわれています。

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苔がいい感じですね。

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先日訪問した総見院の掘り抜き井戸も清正が朝鮮から持ち帰った石でつくったものと案内されていましたし、黄梅院にも清正が持ち帰った石がありました。これは日本に帰国する際は(多くの兵が戦死したために)船が軽くなってしまったので、大量の石を積んで持ち帰ったことが原因です。

軒丸瓦などに細川家の家紋「九曜紋」が入っています。

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竹林のある片隅にひっそりとたたずむ高桐院は庭、茶室、水墨画と見どころ満載のお寺です。
紅葉のときだけじゃなく、雪の日もすごく美しいみたいなのでいってみたいですね。

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御朱印には九曜紋なし

御朱印をいただきました(300円です)。
九曜紋が入ってるかなと思ったのですが、入ってませんでした。

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【京都】2019年秋に開催される歴史好き向けの特別公開・特別拝観・ライトアップイベントまとめ

京都のお寺はいつでも見学できるわけではなく、決まった時期にだけ一般公開されるところも多数あります。
このページには歴史好きのみなさんが興味を持ちそうなお寺だけを厳選して紹介しています。
毎年のように特別拝観が開催されるところもあれば、数年おきにしか拝観が許されないところもありますので、見逃さないようにチェックしてくださいね。
なお、ほかにも清水寺や平等院の夜間特別拝観など魅力的な特別拝観が予定されていますので、こちらのページもあわせてご覧ください。

ja.kyoto.travel

目次
  1. 大徳寺本坊 曝涼(ばくりょう)展
  2. 大徳寺 黄梅院 秋季特別公開
  3. 大徳寺 興臨院 特別公開
  4. 大徳寺 総見院 秋季特別公開
  5. 真如院 庭園の特別公開
  6. 北野天満宮 御土居ともみじ苑ライトアッ
  7. 高台寺 秋の特別拝観・ライトアップ
  8. 妙覚寺 庭園 特別拝観
  9. 正伝永源院 秋の特別公開・寺宝
  10. 妙顕寺 夜間拝観ライトアップ

厳選! 歴史好きにオススメの秋の特別公開

この秋に特別公開されたり、ライトアップが予定されている寺院のうち、歴史好き・戦国武将好きのみなさんが気になるだろうところを独断と偏見でピックアップしました!

大徳寺本坊 曝涼(ばくりょう)展

日時:
2019年10月13日(日)
9:00~15:00(受付終了)
※雨天中止

拝観料:
1500円

曝涼(ばくりょう)とは虫干しのこと。
通常は非公開ですが、毎年10月の第2日曜だけは狩野探幽筆方丈襖絵など、約100点におよぶ寺宝が虫干しを兼ねて公開されます。

大徳寺 黄梅院 秋季特別公開

期間:
2019年10月5日(土)~12月8日(日
10:00~16:00
※10月28日は拝観休止

拝観料:
800円

織田信長が、父・信秀の追善供養のため創建した小庵にはじまる寺院で、のちに豊臣秀吉が増築しました。
本堂や唐門、日本の禅宗寺院において現存最古という庫裡は重要文化財に指定されています。
特別公開では、豊臣秀吉の軍旗「瓢箪」をかたどった池を配す千利休作庭の「直中庭(じきちゅうてい)」、利休の「茶の湯」の師である武野紹鷗(じょうおう)好みの茶室「昨夢軒」が公開されます。
※現在本堂の屋根は修復中

大徳寺 興臨院 特別公開

期間:
2019年10月5日(土)~12月15日(日)
10:00~16:30
※12/2〜12/15は16:00受付終了

拝観料:
600円

能登守護・畠山義総によって創建された寺院で、その法名を取って寺名を興臨院としました。
戦国時代、畠山家の衰退とともに荒廃しましたが、1581年(天正9年)に能登を任された前田利家によって屋根の葺き替えがおこなわれ、以後は畠山家に加え前田家の菩提寺ともなっています。
本堂、表門、唐門が室町時代創建で禅宗建築の代表作で、重要文化財に指定されています。
また「昭和の小堀遠州」と謳われた作庭家・中根金作が復元した桃山風の荘厳な石組みを持つ方丈庭園や、茶室「涵虚亭」も見どころです。

大徳寺 総見院 秋季特別公開

期間:
2019年10月12日(土)~11月30日(土)
10:00~16:00
※11月3日、10日は11:30から公開
※11月21日は15:00受付終了
※11月22日は終日休止
※その他、法務により拝観休止の場合あり

「本能寺の変」の翌年、1583年(天正11年)に織田信長の菩提を弔うため(また家中での主導権争いに先んじるため)、豊臣秀吉によって建立された塔頭で、寺名は信長の法号にちなんでつけられています。
表門は創建当時そのままの姿で現存しており、境内には信長以下、嫡男・信忠ら一族を弔った供養塔や墓があります。
また、本堂には秀吉が奉納した木造織田信長公坐像(重要文化財)が安置されています。この木像は慶派の仏師、康清によるもので、その大きさは高さ三尺八寸(約115cm)の等身大で作られました。

拝観料:
600円

真如院 庭園の特別公開

期間:
10月19日・20日・26日・27日
10:00~15:00

拝観料:
600円

真如院は日蓮宗本圀寺の元塔頭で、足利義昭が入洛した際には織田信長がこの寺で迎えたと伝えられます(現在は移転)。
瓜実灯籠・烏帽子石・呼子手水鉢がある枯山水庭園が見どころで、もともとは信長が義昭のために作庭したものです。うろこ石を並べることで流れを表現した、極めて独創的な手法とされます。寺の移転とともに現在地に移し、昭和を代表する作庭家・重森三玲氏の手により復元されました。

北野天満宮 御土居ともみじ苑ライトアップ

期間:
2019年11月9日(土)~12月8日(日)
日没~20:00

拝観料:
1000円(茶・菓子付)

豊臣秀吉が京の都市改造の一環として御土居は江戸時代以降、そのほとんどが破壊されましたが、現在も北野天満宮の境内には残っています。
もみじが紅葉する秋には特別にライトアップが予定されています。

高台寺 秋の特別拝観・ライトアップ

期間:
2019年10月25日(金)~12月15日(日)
9:00~21:30
※12月14日は雪月花のため圓徳院は拝観休止

拝観料:
600円(掌美術館見学付)

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豊臣秀吉と北政所ねねのゆかりのお寺です。日没になるとライトアップされ、暗闇に華麗に染まった紅葉が美しく浮かび上がります。とくに高台寺の臥龍池と臥龍廊は幻想的です。

妙覚寺 庭園 特別拝観

期間:
2019年11月1日(金)~12月8日(日)
9:00~15:00

拝観料:
800円

本能寺とともに織田信長の上洛時の宿所とされ、千利休による茶会も催された古刹です。その後、豊臣秀吉の京都都市整理によって現在地に移転しました。
なお妙覚寺大門は寺伝によれば、聚楽第の裏門であったものを、1663年(寛文3年)に移築したと伝わります(さらに古い年代という説もあり)。

正伝永源院 秋の特別公開・寺宝展

期間:
2019年11月2日(土)~12月8日(日)
10:00~16:30(受付終了 16:00)
※11月11日~11月15日は拝観休止

拝観料:
700円

建仁寺塔頭で、織田信長の弟である織田有楽斎と熊本藩主・細川家の菩提所です。
本尊は釈迦如来で客殿、庫裡、鐘楼、唐門などのほか有楽斎に関する遺品も多く伝わります。境内には有楽斎が建てた国宝の茶室「如庵(じょあん)」が復元され、暦貼りや鱗板、有楽窓などが見られます。方丈では狩野山楽筆の襖絵「蓮鷺図」や元首相・細川護煕氏による襖絵が公開される予定です。

妙顕寺 夜間拝観ライトアップ

期間:
2019年11月16日(土)~12月8日(日)
18:00~20:00

拝観料:
800円

日像が後醍醐天皇より寺領を賜り、建立した寺院です。
かつては二条西洞院にあり、豊臣秀吉が妙顕寺城を築くために現在地に移転を命じられました。
尾形光琳ゆかりの寺としても知られ、期間中は日中(10時~16時)も「秋の特別拝観」として、琳派ゆかりの数々の寺宝が公開されます。

京都 秋の特別公開パンフレット

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京都文化博物館の企画展「京の歴史をつなぐ」にいってきました

京都文化博物館で開催されている企画展【ICOM京都大会開催記念】「京の歴史をつなぐ」にいってきました。
これも「百花繚乱 ニッポン×ビジュツ展」と同様、ICOM(国際博物館会議)京都大会の開催記念イベントのひとつです。

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この企画展もフロア内のすべてを撮影OKでした。素晴らしい。

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羅生門の模型があったり。

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出土した瓦が展示されてました。1000年以上も前なのに、こんなにきれいに残ってるんですね。

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ほかにも鳥羽法皇の肖像画とか、院宣とか、東三条殿の屋敷の模型とか、いろいろ展示がありましたが、ぼくがいちばん興奮したのはやっぱりこの「参内図屏風」です。

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説明を読むと、二条城から御所に向けて進む参内行列を描いているのですが、東福門院和子が入内する様子を描いたと推定されています。
(もしそうならば描かれている二条城も家康が築城した最初の慶長期二条城になる)

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ほかには加藤清正の書状なども展示されてました。
金工職人・後藤家に伝わるもので、後藤家が清正に虎の毛皮を贈ったことを感謝した礼状だそうです。

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京都に住んでいるので、こういう平安京の図面を見てるだけでも楽しめます。
(うちはこの枠外なんですけど)

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この企画展も9月29日(日)までなのでお早めに!

www.bunpaku.or.jp

京都文化博物館の特別展「百花繚乱 ニッポン×ビジュツ展」にいってきました

京都文化博物館で開催されている特別展「百花繚乱 ニッポン×ビジュツ展」にいってきました。
今年、京都ではICOM(国際博物館会議)が開催されるということであちこちでいろんな記念イベントが開催されていて、これもそのひとつです。

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伊藤若冲の「象図」や鈴木其一「風神雷神図襖」など、東京富士美術館が所蔵するコレクションの中から、「カワイイ」「サムライ」「デザイン」「黄金」「四季」「富士山」といったキーワードで日本美術の名品を紹介しています。
しかも! この特別展はすべての作品が撮影可能になっています。
和泉守兼定の刀剣も! 円山応挙の「狗子之図」も! 海北友雪の「源平合戦図屏風」も! すべて写真に撮り放題です。せっかくなので撮りまくってきたので、写真を中心に紹介していきますね。

キモカワ”Kawaii"☓日本美術

最初のコーナーは「カワイイ」がテーマです(お化けもあるので「キモカワ」になってるっぽい)。

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いきなり登場するのが伊藤若冲の「象図」です。
若冲が本物のゾウを見て描いたとされるのですが、なによりこの構図がすごいし、ゾウを塗らずに背景を墨で塗りつぶすというアイデアもすごい。

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狩野尚信の「猛虎図」もまったく猛虎感がないかわいいトラがいいです。
二条城のトラもそうですけど、狩野派が描くトラってぜんぜんこわくないですよね。

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円山応挙が描く子犬、応挙の弟子である長澤蘆雪が描くウサギと愛くるしさ満点。

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歌川国芳の「里すずめねぐらの仮宿」は「天保の改革」によって役者絵や遊女に関わる絵が禁止されたため、人間をすべて雀に変えて描いています。

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ほかにも写楽や歌川広重などの作品がありました。

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この変わり兜も「カワイイ」コーナーに展示されていました。
シャチホコの形をしています。誰が使ったんだろう。

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サムライ☓日本美術

まずは海北友松の子である海北友雪の「源平合戦図屏風」です。

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左隻に屋島の合戦を、右隻に鵯越の逆落としのシーンを描いたベタな構成ですが、これがベタだと学べたのは、先日の徳川美術館で「合戦図」について教わったからです。

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歌川国芳が描いた「四条畷手の戦い」です。

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刀剣は「備前國長船住近景」「長曽祢興里入道乕徹」「和泉守藤原兼定作」が展示されていました。

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このコーナーの最大の見所は、島津斉彬の甲冑でしょう。

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なぜ幕末にこんな家風な甲冑をと思いますが、鎌倉時代の部品も残っているそうで、要するに島津家に代々伝わるものなのでしょうね。

兜の前立に動物がいます。

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これは狐だそうで、島津家の家祖で鎌倉幕府御家人だった島津忠久が住吉大社の境内で狐火に守られながら生まれたという伝説に基づいているとか。

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デザイン☓日本美術

デザインとありますが、ここは「琳派」のコーナーです。
鈴木其一の「風神雷神図襖」が目玉です。

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酒井抱一の「白梅図」なども。

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黄金の国☓日本美術

つづいてのテーマは「金」! 金碧障壁画や金の蒔絵など、もっともきらびやかなコーナーでした。

狩野派の「洛中洛外図屏風」に岩佐派の「源氏物語図屏風」という見事な金屏風。

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これは天璋院篤姫の婚礼調度で、陶磁器製の茶碗をのせる台とそのふたです。木製漆塗ですが、さすが将軍に輿入れするだけあってめちゃくちゃきれいでした。

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ほかにも桐鳳凰蒔絵硯箱や鹿秋草蒔絵硯箱などが。

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インパクトがあったのがこの宇和島伊達家の乗物です。
駕籠の中でも引き戸が付いている高級なものを乗物と呼ぶそうですね。

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宇和島伊達家の家紋である「竹に雀紋」と「竪三引両紋」がいいですね。

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四季☓日本美術

狩野派の「吉野山龍田川図屏風」です。狩野派の誰の作品かはわからないようです。

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これは狩野常信の「四季山水図屏風」です。

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ほかには呉春(松村月渓)の「蘭亭脩契図」や谷文晁の「青緑山水図」がありました。

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富士山☓日本美術

最後のテーマは「富士山」です。

歌川広重、葛飾北斎といった「教科書で見たことある」絵が並んでいます。

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会期終盤の平日でしたが、そこそこの混雑でした。
でもじつに満足度の高い展示で、ほんとうに素晴らしかったです。

www.fujibi.or.jp

この特別展【ICOM京都大会開催記念 京都新聞創刊140年記念 東京富士美術館所蔵】「百花繚乱 ニッポン×ビジュツ展 〜北斎、広重、若冲、応挙 大集合!風神雷神から日本刀まで〜」は9月29日(日)までなので、お早めに!

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