攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

枡形 の検索結果:

城葱さんの「城もなか」道中記【鳥取・島根編】

…きます。まずは二の丸枡形虎口がお出迎え。美しすぎる方形がはっきりわかる枡形は眺めただけで何か清々しい気持ちになりました。枡形を抜けて階段上部から枡形を眺めるのが特にいい。そこからはテニスコートとなっている二の丸を抜け、曲がりくねった坂道で山を登ります。 尾根までくると、登り石垣と内膳丸のある右側と本丸のある左側に分かれています。まずは本丸を落とそうと左へ。段々に重なる石垣が、大迫力で現れる。山の上の幾重にも立ち並ぶ石垣は見応えありますね。また本丸を前に展望場となっていて、米子…

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編♯5】

…土橋門や近くの井戸、枡形、土塁に塀と見所はたくさんありますが、本丸跡に残る大きな土塁や、三の丸の遊歩道外の土塁なども個人的にはいい感じでした。土橋門から三の丸の外側をぐるりと回る道も土塁の高さを感じるいい道でした。土橋門のある三の丸で終わらず、本丸の方まで足を伸ばして欲しいです。 館林城は市民の施設が立っていることから、市民の生活に城がある感じがして、なんだかほっこりするとともに、もう少し歴史のあるこの城の存在を感じる場所にならないかなぁと思いました。城もなかをはじめ、まだま…

【家康の城】名古屋城 家康築城術の到達点!

…ょう。特徴の三つ目は枡形門と多門櫓です。馬出から土橋を渡った先には枡形門が構えられており、本丸全体を多門櫓で囲っています。これは徳川家康の信頼の厚かった築城名人・藤堂高虎の技術です。内堀は弓矢で攻撃できる距離に幅を狭めており、多門櫓からの総攻撃によって敵を寄せ付けない構造となっています。さらに枡形門は内枡形ではあるものの少しだけ堀に出張った形の最新式枡形です。駿府城でこの技術を用いた枡形門が作られていますが、駿府城より後に築城した名古屋城にもこの最新式の枡形門を配置しています…

【家康の城】江戸城 世界有数の一大城郭と城下町!

…は本丸南側には連続外枡形を有していたこと。三つめは北側には三重の馬出が構えられていたことです。 「江戸始図」では建物は書かれていませんが、石垣については黒く塗りつぶす形で描かれており、門の通路なども的確に描いています。そのラインをたどっていくと、大天守と小天守が多門櫓で連結した連立式天守であることがわかります。これは現存の姫路城天守と同じ構造です。また、「慶長見聞集」によると天守は雪の嶺のように白かったと書かれていることから、白漆喰総塗籠の白亜の天守であると考えられます。つぎ…

【家康の城】駿府城 家康初となる石垣づくりの近世城郭!

…口であり、いわゆる「枡形(ますがた)」の門となっています。つまり、方形の区画を石垣と堀で囲み、中堀にかかる東御門橋と高麗門、櫓門、南及び西の多門櫓で構成されています。よく見るとこの枡形は一部が堀に出っ張った状態になっており、内枡形と外枡形の混合型ともいえる構造です。これは江戸城でも見られる構造で、江戸城から慶長期の駿府城に引き継がれ、さらに後に誕生する名古屋城にも引き継がれた最新の枡形構造なのです。さらに、本丸の玄関前御門とその前面の馬出や、台所御門とその前面の馬出の構造は名…

特別公開中の二条城西門を見てきた

…門は櫓門でありながら枡形虎口になっていないのですが(堀幅も超狭い)、これはそもそも戦うための城ではなく、天皇を迎えるために増築・改修された経緯や、その後の利用目的も諸大名や朝廷の勅使との謁見であったことを考えればわからなくもないです。 ただ反対側の裏門にあたる西門は典型的な枡形虎口となっているんですよね。(本丸の東門、西門も枡形虎口ですね) ただ裏門であることに加え、そもそも3代・家光の上洛以降は幕末の家茂上洛まで230年ほどの間、二条城が利用されなかったこともあり、城番のモ…

【お城の基礎講座】69. 城下町(じょうかまち)

…くいちがいこぐち)や枡形虎口(ますがたこぐち)などを作って厳重に守っていたのです。 まとめ 城下町は城の発展とともに発達してきました。現在でもその町割りがよく残っているところがあります。江戸時代の絵図を片手に街歩きをすると新たな発見があることでしょう。それもお城めぐりの楽しみのひとつですね。ということで、城を守る城下町というお話でした。じゃあね🖐️ このコラムが毎日メールで受け取れます 以下のページからメールマガジン(無料)に登録すれば、このコラムの第1回からメールで読むこと…

【お城の基礎講座】67. 横矢(よこや)

…出させるもの。 横矢枡形(よこやますがた) 城壁に枡形(四角形の突出部)を設けるもの。 合横矢(あいよこや) 城壁に二ヶ所以上の突出部を並べて、その間に挟まれた凹の部分に両側から攻撃をしかけるもの。 左袖(ひだりそで) 合横矢で、城内から見て左側だけを残して右側をなくしたもの。 屏風折(びょうぶおれ) 城壁に三角形の突出状の折れがあるもので、形が屏風に似ている。 横矢隅落(よこやすみおとし) 城壁の出隅部を斜めに築いたもの。斜めに対しても効果あり。 邪(斜、ひずみ) 城壁をゆ…

【お城の基礎講座】66. 馬出し(うまだし)

…しては馬出しではなく枡形が登場しました。馬出しの大きさは100坪ぐらいが標準ですが、城ごとに異なっています。現在ではほとんどが再開発によって遺構は失われてしまいました。現存する例としては、 諏訪原城(すわはらじょう) 五稜郭(ごりょうかく) 名古屋城(なごやじょう) 篠山城(ささやまじょう) などわずかになっているようです。 馬出しの実例としては角馬出しが多いようで、角馬出しの変形として曲尺馬出し(かねうまだし)がありました。これは曲輪の城壁が直角に折れ曲がった位置に長方形の…

【お城の基礎講座】65. 枡形(ますがた)

…た小さな広場のことを枡形(ますがた)と言います。この枡形は虎口の最終的な発展系と言われており、城内からの攻撃が有利になるように考えられています。近世城郭における出入り口の最終到達点ということですね。今回はこの枡形について学んでいきましょう。 枡形虎口(ますがたこぐち)の形 城の出入り口である虎口(こぐち)を石垣や土塁で囲った小さな広場のことを枡形(ますがた)と言います。枡とは、お米やお酒を測る方形の容器のこと。なので、基本的には四角い形になっています。枡形は虎口の最終的な発展…

【お城の基礎講座】64. 虎口(こぐち)・城の出入り口

…さらに発展させたのが枡形虎口(ますがたこぐち)です。枡形虎口には内枡形虎口(うちますがたこぐち)と外枡形虎口(そとますがたこぐち)の2種類があります。どちらも共通しているのは四方を塀などで囲って、城門が二つ設置されていることです。 平入り。城壁に入り口を開けただけの出入口 食い違い虎口。通り道を屈曲させた出入口。敵はまっすぐ進めず、城内から攻撃された 外枡形虎口。城外に四角い広場のような枡形を設置。門が2か所ある 内枡形虎口。城内に四角い広場のような枡形を設置。門が2か所ある…

【お城の基礎講座】33.櫓門(やぐらもん)

…使われました。また、枡形門(ますがたもん=四角のエリアを塀などで囲い、2か所に門を構えた出入り口)の場合は、城内に近い方の門を櫓門とするのが一般的です。櫓門は上の櫓に窓や狭間(さま)が作られ、外の様子を常に監視することができました。またここから攻撃することもでき、防御力は非常に高いです。さらに櫓の張り出した部分の床を開けば石落としとなるため、櫓に迫ってきた敵に対しても攻撃ができました。 江戸城大手門の櫓門 櫓門は格式が高いので、天守と同じような装飾を施したものもあります。姫路…

一泊二日で大河ドラマ「麒麟がくる」ゆかりの地をめぐってきました

…前でした)に北門跡の枡形や土塁も案内していただきました。 奥に見えているのが天王山です。 明智光秀は「山崎の戦い」で敗れるとこの城に撤退していますが、光秀が本陣を置いたとされる恵解山古墳までは歩いていける距離なので、あわせて訪問されることをオススメします(なお光秀本陣跡は大山崎町の境野1号墳の説もあり)。 kojodan.jp また長岡京市では毎年11月に長岡京ガラシャ祭が開催されていますが、来年はちょうど大河ドラマで「山崎の戦い」が放送される頃なので大賑わいが予想されますね…

こーたさんの「史跡犬山城跡指定記念シンポジウム 〜史跡犬山城跡のこれから〜」参加レポート

…がっており、大手道が枡形虎口(ますがたこぐち)になっていて敵が攻めてきたら門を閉めて閉じ込められる仕掛けになっていた。 ・櫓(やぐら)の名称も、一般的には巽(たつみ)櫓などと方位を示す場合が多いが、犬山城では鉄砲櫓・弓櫓など用途を冠したものになっている。〔感想〕城主や家臣たちにとってはわかりやすくても、敵にとっては何が格納されているか筒抜けで心配にならなかったのでしょうか。 ・建造物としての遺構は天守のほか大手筋脇の石垣くらいしかないものの、犬山市の発掘調査により雑草や樹木の…

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