今福砦攻防戦や真田丸の戦いで歴戦の武将たちとともに戦い、八尾・若江の戦いで討死した木村重成がどんな武将に成長したのかは見てみたかったですね。
全国のお城の年末年始の営業状況を調べました。せっかくいったのに休みだったということのないよう事前にチェックしてから出かけてくださいね。
攻城団で御城印のサンプルを製作した際のメモやノウハウを共有しますので、検討されている方はぜひ参考にしてください。
足利義輝は11歳で将軍となり、30歳で亡くなっているのですが、朝倉義景や上杉輝虎、伊達輝宗など多くの戦国武将に偏諱を与えていますね。
気づけば今週日曜日までだということで、昨夜あわてて二条城で開催中のナイトイベント「世界遺産登録25周年記念 FLOWERS BY NAKED 2019 ー京都・⼆条城ー」を見てきました。
大河ドラマが決定したことで、すでに多くの明智光秀に関連した本が出版されていますが、いま読んでおくべき書籍を厳選してご紹介します。
日本号を呑み取った母里太兵衛のエピソードはまさに「いくさ」ですよね。「武士に二言は無い」と差し出した福島正則もカッコいい。
団員の藤里さんに金蔵寺城の訪問レポートを書いていただきました。写真を見ただけでもかなりハードな山城のようですね。
ビジネスリンクヤマトから発売されている「ねこねこ日本史名所にGo!」シリーズをご紹介します。
立花宗茂の実父、高橋紹運が命をかけて時間を稼いだ「岩屋城の戦い」は壮絶な籠城戦だったようですね。
「ウォーカープラス」に掲載されたインタビュー記事でカットになった部分も含めたこうのの回答の全文を公開します。
「人取橋の戦い」で殿をつとめて討死した鬼庭左月は、政宗を支えた片倉喜多、鬼庭綱元の父としても知られています。
おそらく同時代の武将たちにとっても真田幸村(信繁)のような生き様はあこがれの対象だったのでしょうね。
11月16日に坂井市のたかむく古城ホールで開催されたシンポジウムについて、たかまる。さんに参加レポートを寄稿していただきました。
当時19歳の甲斐姫はその後、秀吉の側室になるのですが、大坂城でどう暮らしていたかは定かではないようです。