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近年「本能寺の変」の原因のひとつとして挙げられることの多い「四国政策説」ですが、長宗我部元親と織田信長のパイプ役を担っていたのが明智光秀で、信長の方針転換により面目を失ったため(また出世争いから脱落したと自覚したため)謀反を起こしたとされ…
今回は天守を装飾する懸魚や蟇股についての解説です。懸魚が火除けのまじないの意味があることは知っていましたが、梅鉢懸魚や蕪懸魚などいろんな種類があるんですね。
八王子城は北条氏康の三男である氏照によって築かれた城ですが、関東の城でありながら石垣も多く見られる巨大な山城です。城域があまりに広大であったため、未完成だった可能性もあるとか。
今回は天守にある破風の構造についての解説です。個々の名称をおぼえるだけじゃなく、たとえば寺社建築にも見られる懸魚は鯱と同様に火除けのまじないとした装飾であるとか、意匠の由来も知るとより楽しくなります。
城址はどこも哀愁を感じさせますが、なかでも小谷城は格別です。自害した浅井長政だけでなく、生き延びたお市の方と三姉妹のその後の運命があまりにドラマティックだからでしょうか。
今回は天守にある4種類の破風についての解説です。唐破風はその見た目が特徴的なのですぐにわかるのですが、入母屋破風と千鳥破風はけっこうまちがえやすいですね。
全国の武将印リストの作成にご協力いただいた、takubomayさんに武将印コレクターとなった経緯などについてインタビューさせていただきました。
明智光秀といえば謀反、そして下剋上ですが、「本能寺の変」よりも30年ほど前に起きたのが「大寧寺の変」と呼ばれる陶晴賢による謀反です。その後、晴賢は毛利元就に討たれるのですが、下剋上はなかなかむずかしいですね。
かつて秀吉が築いた御土居はいまでも京都市内に部分的に残っていますが、鷹ヶ峰の御土居は誰でもフェンスの中を見学することができるんです。
今回は天守の屋根に使われていた素材についての解説です。多くの天守はいわゆる瓦ですが、なかには銅板などの金属を使ったものや、石を使ったものもありました。こうした素材のちがいによって天守の見た目に個性が生まれるわけですね。
京都文化博物館で開催されている総合展「明智光秀と戦国京都」を見に行ってきました。
「関ヶ原の戦い」の際は「九州の関ヶ原」や「東北の関ヶ原」など全国各地で家康陣営と三成陣営が戦っていましたが、この長谷堂城を巡る攻防が「東北の関ヶ原」と呼ばれています。
今回は天守の屋根についての解説です。姫路城や名古屋城の天守を見ると屋根の構造が複雑になってると思いますが、入母屋造や切妻造はそのまま入母屋破風、切妻破風と破風の名称にもなってますね。
七尾城は訪問した人の満足度が高い名城ですが、上杉謙信を撃退し、のちに攻め落とされたという歴史がその価値をさらに高めている気がします。