団員の十林寺さんが板橋区立美術館で開催中の館蔵品展「狩野派学習帳 今こそ江戸絵画の正統に学ぼう」を見てきたそうです。さっそくレポートを書いていただいたので紹介します。
「本能寺の変」はおもしろすぎるのだ、という総括がすべてですね。いつどこで誰が何をしたかという情報がすべてで揃っているのに、唯一光秀の動機だけがよくわからないので奇説珍説が百花繚乱となっています。
今回は再建された天守のうち「復元天守」についての解説です。その多くが第二次世界大戦で焼失したのですが、旧国宝(戦前の国宝)に指定されていたものが多く、写真などの資料が残っていたので再建できました。
新発田城というと3匹のシャチホコが載った復元三重櫓が有名ですが、もともとは上杉景勝に反乱を起こした新発田重家の居城でした。もし「本能寺の変」が起きてなければ、上杉家は滅んでいたかもしれませんね。
二条城で開催された学芸員解説会に参加してきたので、そのレポートを書きました。今回もスライドをぜんぶ撮影したのでみんなに共有しますね。
今回は全国に残る現存12天守についての解説です。もちろん修復をつづけながらなのですべての部材が創建当時のままなんてことはないのですが、木造建築のすごさを実感しますね。
「戦国みにまる」の製作者で現在クラウドファンディング実施中のshigekiさんに、このゲームのおもしろさについてインタビューさせていただきました。
金沢城は加賀百万石、前田家のイメージが強いですが、その前は「百姓の持ちたる国」と言われ、本願寺勢力が支配する土地でした。佐久間盛政が初代城主をつとめたのですが、統治は容易ではなかったでしょうね。
合戦において天守そのものを囲まれることはほぼなかったものの、大坂の陣や戊辰戦争では天守に大砲が撃ち込まれるなど敵の攻撃目標になったり、また味方の避難場所として使われました。軍事的性格が強いお城の場合、天守に井戸やトイレなどの設備が備え付け…
歴史はどこか一か所だけで進行するものではなく、各地で同時に起こり、また相互に影響を与え合うものであることがこの連載を通じてわかったと思います。最終回となる今回は当時まだ日本の外にあった琉球と蝦夷地についてのぞいてみましょう。
天守の急階段というと丸岡城(62度)を思い浮かべる人も多いと思いますが、じっさいには松本城や彦根城もほぼ同じ(61度)だそうですね。身長の高いぼくは頭をぶつけないように上り下りするのが大変です。
岩村城といえば女城主・おつやの方ですが、彼女は織田信長の叔母にあたるものの年齢は信長のほうが10歳年上だったようです。敵将・秋山虎繁との結婚はユニークなエピソードとしてよくクイズにもなりますね。
今回は天守の屋根をかざる鯱についての解説です。火除けのために置かれてるのは知ってましたが、鯱の頭が虎というのは知りませんでした。
佐賀城は龍造寺氏、そして鍋島氏の居城です。もともと龍造寺氏の家臣であった鍋島氏が城主に取って代わったわけですが、単によくある下剋上ではなく、両者はもう少し複雑な関係となっています。
今回は古風な天守らしさを象徴する廻縁と高欄についての解説です。松本城は雪が多いため、当初廻縁として造った廊下を屋内に設計変更したという話を聞いたことがありますが、姫路城はなぜでしょうね。