攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

櫓 の検索結果:

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城をめぐる戦いの様相⑤――城攻めの兵器、城を守る兵器

…イメージしてほしい)櫓にした「井楼(せいろう)」(これは城の中の櫓としても用いられた)や、支柱から伸ばした縄で兵士の入った箱を吊り下げる「釣井楼(つりせいろう)」などがあった。高い視点から弓矢で攻撃したり、城内を観察して城攻めに役立てたりするわけである。 堀をわたり、塀を乗り越えるためにも道具が必要だ。ドラマなどで塀に大量に取り付いた梯子を必死に上る兵士の姿を見たことがあるのではないか。竹束を組んだ「結橋(ゆいばし)」、梯子状の「梯子橋」で堀をわたり、同じく梯子状の「継橋(つ…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城をめぐる戦いの様相③――火攻めと土竜攻め

…ろう、という戦法だ。櫓の基盤部分に火を付て燃やしてしまう手法も使われたらしい。同じような作戦として、塀に穴を開けたり崩したりして突入する、というものもあった。 しかし、これは素人でも穴を掘ればできる、というものではない。そこで、普段は鉱山で坑道を掘っている職人たち、いわゆる「金掘衆(かなほりしゅう)」が動員された。実際、領内に多くの鉱山を有する武田信玄がこの作戦を得意としていたと伝わる。もちろん、籠城側もこの作戦の存在は知っているから対処をする。土中に瓶を埋めておくと、敵の掘…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】地形に合わせて縄張をする

…ント)の構造を決め、櫓(武器を備蓄したり立てこもって戦ったりするための建物。これが発展して天守閣になる)の位置を決めていく。 つまり、城の構造を設計するわけで、この工程を「縄張」という。地面に杭を打ち、縄を張って、どこに堀を掘るか、どこに建物を作るか、というのを示したことからこの名前がついた。ただ、いちいち縄を張っていくのは大変だったためか、大きな城では一部にしか行わなかったらしい。現代ならばこのように建築物を設計するにあたっては設計図を描くのが当たり前だが、戦国の城において…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の分類と歴史②――統治拠点と防衛拠点

…は、無数の堀や石垣、櫓によって強固な防御を形成しており、その守りの堅さはけして山城に劣るものではなかったのでは、という見方もある。城とは呼ばれずに「館」あるいは「城館」などと呼ばれるケースが多いものの、本書では城のひとつとして数える。 もうひとつは高地性集落、朝鮮式山城、南北朝期の山城の流れを汲む、防衛拠点としての城だ。まさに戦うための存在、といえる。これらの城は地形の防御力を活かすために、しばしば山の上に築かれ、山城と呼ばれる。山城の定義としては「比高(二つの地点における高…

【2021/2022】年末年始にお城は営業してる?(全国のお城の営業状況調査)

…城県水戸市 二の丸角櫓・二の丸展示館は12月29日~1月3日まで休館 川越城 埼玉県川越市 12月29日~1月3日は休業 鉢形城 埼玉県寄居町 城址は常時公開 ※鉢形城歴史館は12月27日~1月4日まで休館 ○ 高岡城 富山県高岡市 城址は常時公開 ※高岡市立博物館は12月29日~1月3日まで休館 ○ 金沢城 石川県金沢市 休みなしで営業 ※玉泉庵・時雨亭のみ12月29日~1月3日まで休業 ○ 一乗谷城 福井県福井市 城址は常時公開 ※一乗谷朝倉氏遺跡復原町並は12月28日~…

特別公開中の二条城西門を見てきた

…入口である東大手門は櫓門でありながら枡形虎口になっていないのですが(堀幅も超狭い)、これはそもそも戦うための城ではなく、天皇を迎えるために増築・改修された経緯や、その後の利用目的も諸大名や朝廷の勅使との謁見であったことを考えればわからなくもないです。 ただ反対側の裏門にあたる西門は典型的な枡形虎口となっているんですよね。(本丸の東門、西門も枡形虎口ですね) ただ裏門であることに加え、そもそも3代・家光の上洛以降は幕末の家茂上洛まで230年ほどの間、二条城が利用されなかったこと…

ワントゥーテン 二条城夜会にいってきた

…ぐるっとまわって本丸櫓門のところから順路と逆行して二の丸庭園に入ります。庭園のライトアップは毎回同じですが、初見の方は感動すると思います。 そして最後に二の丸御殿前まで戻ってきて、そこでインタラクティブ・ランドアートという洒落た名称のイベントがあります。人間の動きにあわせてプロジェクション映像が追従したり変化するという、プロジェクションマッピングの進化版みたいなやつでしたが、鶴や虎、松に金雲など二条城内の彫刻や障壁画にも通じるおめでたいモチーフが投影されていて、なかなか凝った…

【画像73枚】名古屋城・西の丸御蔵城宝館の見学レポート

…ではですね。(東南隅櫓の近くに「清正公石曳きの像」が建てられていますので名古屋城を訪問された際はお見逃しなく) kojodan.jp さて、ここまで入口から壁伝いに展示物を見てきましたが、中央部分にも数点だけ展示があります。「名古屋城石垣普請扶持米請取状(なごやじょういしがきふしんふちまいうけとりじょう)」や名古屋城築城以前を描いた「那古野村之古図(なごやむらのこず)」などで、こうしたのも見逃せませんね。 ふたたび壁面展示に戻ります。名古屋城天守の四面すべての方向から正確に描…

城葱さんの「城もなか」通販記【あわ家惣兵衛さんの「首里城最中」】

…ともいえます。天守や櫓はない城、例えば今回の首里城のように屋敷や宮殿形状の城など(足利氏館とかの館系もいけるかも)の異なるタイプの城にも、城もなかを生み出せる道を切り開いた。ぜひこの道を通って、これまで城もなかを生み出すことに躊躇していた城にも、城もなかの創作に踏み出してほしい! と思うばかりです 沖縄から通販しているので、作られてからどうしても時間がたってしまう。もなかは皮であんを挟んでから、あんに含まれる水分を皮が徐々に吸ってしまい、皮のパリパリ感は時間と共に失われていき…

【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府4代・徳川家綱――安定期の病弱将軍「左様せい様」 1641年~1680年

…ら、尋常ではない。振袖火事という別名は「病死した娘の振袖を寺で燃やして供養しようとしたら、その炎が燃え上がって火事の原因になった」という話からきているのだが、これはあくまで伝説であろう。この大火によって江戸城もすっかり焼けてしまい、特に天守閣は燃えたまま後々まで再建されることはなかった。これは保科正之が「今はもう戦乱の時代ではなく、天守閣を作り直しても役に立ちません」と進言したためだという。そのため、今は皇居となっている江戸城にある城風の建物は櫓であって、天守閣ではないのだ。

【お城の基礎講座】89. 三大連立式天守(さんだいれんりつしきてんしゅ)

…天守に小天守と2基の櫓を多門櫓で結んだ連立式構造になっています。大天守と小天守を中心に乾櫓(いぬいやぐら)と天守二の門櫓などをつなぐ多門櫓で構成されています。曲輪内には東蔵と西蔵を設けており、塩蔵と銃弾蔵(鉛蔵)だったと言われています。連立式天守なので四隅に天守や櫓が建てられており、遠くまで見渡せて死角がないのが特徴です。大天守へ通じる小天守の玄関は唐破風が付いた御殿のような出入り口になっていますが、小天守から大天守に続く出入り口の扉は分厚く頑丈です。連立式天守は平山城の小高…

【お城の基礎講座】87. 三大海城(さんだいうみじろ)

…います。城跡には月見櫓(つきみやぐら)や水手御門(みずのてごもん)、艮櫓(うしとらやぐら)が現存しています。 現存する月見櫓と水手御門。船の到着を関するための櫓で「着見櫓」(つきみやぐら)とも呼ばれる。装飾性の高い櫓だ 今治城(いまばりじょう) 今治城は、瀬戸内海の海水を取り入れて三重の堀をめぐらせた海城です。慶長7年(1602)に藤堂高虎が築城を開始し、慶長13年(1608)に完成しました。本丸には日本初の層塔型の五重天守が建てられました。現在の天守は昭和55年(1908)…

【2020/2021】年末年始にお城は開いてるの?(全国のお城の営業状況調査)

…開 ※山手御門・稲荷櫓は12月29日~1月3日は休業 ○ 高遠城 長野県伊那市 休みなしで営業 ○ 小諸城 長野県小諸市 12月29日~1月3日は休業 上田城 長野県上田市 上田城櫓は12月1日~2月末日まで冬季休業。上田市立博物館は12月29日~1月3日まで休業 松代城 長野県長野市 12月29日~1月3日は休業 岐阜城 岐阜県岐阜市 休みなしで営業 ※元日のみ午前6時半~16時半 ○ 山中城 静岡県三島市 城址は常時公開 ※山中城跡観光案内所・売店は12月28日〜1月5日…

【お城の基礎講座】86. 三大平城(さんだいひらじろ)

…われています。天守、櫓、門などの建物と、石垣、堀などの土木構造物を完備した城です。その中でも三大平城と言われる松本城、二条城、広島城についてご紹介します。 三大平城(さんだいひらじろ) 三大平城と言われるものは、 松本城(まつもとじょう、長野県松本市) 二条城(にじょうじょう、京都府京都市) 広島城(ひろしまじょう、広島県広島市) です。 松本城(まつもとじょう) 松本城は天守、乾小天守、渡櫓、辰巳付櫓、月見櫓などが連結式と連立式が組み合わされた複雑な天守群を形成しています。…

【お城の基礎講座】85. 三大平山城(さんだいひらやまじろ)

…守と三つの小天守が渡櫓(わたりやぐら)で接続された連立式(れんりつしき)の天守群は、お城全体を大きく見せる効果もあり、とても壮大な城として人気があります。 姫路城は言わずと知れた名城だ 松山城(まつやまじょう) 松山城は、本丸などの主要な部分が標高132mの山の上にあります。松山城も姫路城と同じく天守と小天守や隅櫓が結ばれた連立式天守となっています。天守の構えとしては最も厳重なものと言われています。また門や櫓などが残されており、石垣も良く残っているので壮大なお城としてとても人…

【お城の基礎講座】84. 三大山城(さんだいやまじろ)

…いました。山麓の太鼓櫓や表御殿は平成になって復元されました。 岩村城は海抜717mの高所に築かれた近世山城で、石垣が見事だ! 高取城(たかとりじょう) 筒井順慶によって近世城郭に改修された高取城は、標高583mの高取山に築かれました。比高は最も高い390mです。江戸時代は本多氏、植村氏が城主を務めました。南北に長い尾根筋に高石垣が築かれ、27基の櫓が備えられた大城郭でした。かつては三重三階の天守が小天守とともに建てられていたそうです。27基の櫓が備えられた大城郭でした。 高取…

【お城の基礎講座】82. お城の忠実な復元・平成の復元ブーム

…に白河小峰城の三重御櫓と門が木造で再建されました。これをきっかけに木造で天守を復元するという動きが加速し、「平成の復元ブーム」が生まれました。それ以外にも石垣や土塁、堀なども復元整備されるところが増えてきています。今回は、史実に忠実なお城の復元というテーマで見てみたいと思います。 お城の忠実な復元・平成の復元ブーム①天守の復元 平成3年(1991)、白河小峰城(しらかわこみねじょう)の三重御櫓と門が木造で復元されました。それまでの建築基準法では木造で2階以上の建物を作れなかっ…

【お城の基礎講座】81. 昭和の城再建ブーム

…跡などにおいて天守や櫓、門などを復元するときの新基準が決定しました。令和2年(2020)4月17日、文化庁が発表しました。国史跡などで歴史的建造物を復元するとき、本来の意匠や構造が十分には分からなくても文化庁の許可を得やすくすると思われます。これで、新たな復元天守の建築や建て替えなどが進むと期待できます。詳しくはコチラの記事で。 お城の天守・門・櫓・御殿が復元しやすくなる。史跡の魅力・価値向上の新基準が決定しました。 | 犬山城を楽しむためのウェブサイト まとめ 昭和の天守再…

【お城の基礎講座】79. 江戸時代の築城

…ました。 明石城の坤櫓(左)と巽櫓(右)。現存する三重櫓も貴重だ 天下普請(てんかぶしん) 幕府が命じて作らせる天下普請(てんかぶしん)も引き続き行われています。大坂の陣で焼け落ちてしまった大坂城の再建工事や、二条城の拡張工事、江戸城の増築工事などです。 現在の大阪城の堀や縄張は江戸時代になってから徳川幕府によってつくられたものだ 外様大名(とざまだいみょう)による築城 今までのものは外様大名への備えのための幕府としての築城でした。しかし一方で、外様大名による築城もいくつかあ…

熊本城の夜間公開にいってきました(12/6まで!)

…こともできれば、宇土櫓のそばまで近づくこともできます。(その他の曜日は天守前までです。これまでも昼間は日曜祝日だけ工事用車両のためのスロープが開放されていましたが、夜間もそこを歩けます) もし予定がつくようなら週末にあわせて訪問するのがいいですね。 大天守の二の丸側は色が変わるのですが、間近で見れるのは週末限定のエリアだけです。 宇土櫓のライトアップを近くで見ることができるのも週末限定の特権ですね。 カップルや家族連ればかりの中、コースケさんとおじさんふたりで訪問して、それぞ…

【お城の基礎講座】78. 武家諸法度(ぶけしょはっと)

…要だとされましたが、櫓・門・塀などは元通りに修復するのであれば届出の必要はなくなりました。これが意味するところは、普請(ふしん)と言う土木工事は許可が必要で、作事(さくじ)という建物の修復については届出の必要がないということです。幕府が普請を厳しく取り締まる姿勢が伺えます。しかし、いずれにしても新しい城を作ることは基本的には認められなかったのです。 福島正紀は居城・広島城の修復を無許可で行ったとがめられて改易された まとめ 元和元年(1615年)に出された武家諸法度はその後の…

【お城の基礎講座】75. 織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく)

…じょう)で初めて多聞櫓(たもんやぐら、多門櫓とも書く)が築かれたり、天守ぐらいの大櫓が建てられていました。どれもも近世城郭にあるものですが、これらは各地においてそれぞれの発展をしてきたものでした。それを新しい城という形に集約させたのが織田信長です。 安土城(滋賀県)の大手道がよく復元されている。近世城郭の完成を見た場所だ 新しい城作り 織田信長は城作りだけでなく兵農分離(へいのうぶんり)も進めていました。専門職としての武士や兵隊を作るということです。そのため、それらの武士を常…

【お城の基礎講座】67. 横矢(よこや)

…横矢を掛ける位置には櫓を設ける 大阪城。ここを攻めようとは思わないだろう。なぜなら、横矢を掛けられるからだ 様々な横矢 様々な横矢を順にご紹介します。 入隅(いりすみ) 城郭の隅部を内側に折り曲げるもの。 出隅(ですみ) 城郭の隅部を外側に突出させるもの。 横矢枡形(よこやますがた) 城壁に枡形(四角形の突出部)を設けるもの。 合横矢(あいよこや) 城壁に二ヶ所以上の突出部を並べて、その間に挟まれた凹の部分に両側から攻撃をしかけるもの。 左袖(ひだりそで) 合横矢で、城内から…

【お城の基礎講座】65. 枡形(ますがた)

…うらいもん)、内側に櫓門(やぐらもん)を備え、とても厳重な作りになっていきました。最も厳重な形は、高麗門と櫓門の二つの門を構え、さらに多聞櫓で三方を取り囲んで、堀をめぐらせたものです。英語ではdeath boxとでも呼ぶのでしょう。(参考:「城バイリンガルガイド」) 城バイリンガルガイド 改訂版: Samurai Castles Second Edition (Bilingual Guide to Japan) 発売日: 2019/12/10 メディア: 単行本 江戸城の枡形…

【お城の基礎講座】57. 土塁(どるい)の種類

…石垣の上に建てられる櫓や土塀の基礎の役割もしていました。 腰巻石垣(こしまきいしがき) 土塁の補強のために土塁の下の部分のみを石垣としたものを「腰巻石垣」(こしまきいしがき)と言います。土塁の崩れや土の流れを止めるための土留めの役割がありました。そのため腰巻石垣は鉢巻石垣よりも低くなっています。水堀の中から土塁が立ち上がるところに多く作られているのが特徴です。 彦根城の堀にある腰巻石垣 江戸城の堀にある鉢巻石垣 まとめ 土塁にはその作り方によって、たたき土居、芝土居、鉢巻石垣…

【お城の基礎講座】53. 水堀(みずぼり)

…屋城の内堀。現存三重櫓である西北隅櫓と石垣、水堀が画になる 堀の仕掛け 水堀は、堀の幅が広ければ広いほど防御能力が高くなっていきます。つまり堀幅が広くなると渡っていくことが困難になっていくからです。重い鎧などを着た武士は堀を泳いで渡ることは簡単にはできませんでした。重いために沈んでしまうこともありました。堀の中で動きが鈍くなっているときには、城内からの鉄砲や弓矢の攻撃でやられてしまうこともありました。さらに水堀の中には、つるを伸ばす植物を植えるのがよいとされていました。なぜな…

nanoblock(ナノブロック)から首里城が新発売!

…」放映時には「上田城櫓門」という渋い限定商品も販売されていました。 kojodan.jp 今回の「首里城」は840ピースのブロックを組み合わせて正殿と守礼門が作れるとか。 提供:株式会社カワダ 提供:株式会社カワダ さらにこの守礼門のパーツを組み替えて「龍柱」も再現できます! 提供:株式会社カワダ(ピンセットは別売りです) 提供:株式会社カワダ nanoblockの完成度にはいつも驚かされますが、今回の首里城もすごいですね。ぼくもさっそく注文しましたが、ひと足先に自宅のテーブ…

【お城の基礎講座】49. お城の縄張(なわばり)

…主の居館である御殿や櫓、門、水堀などいたるところに作られ、城の周囲に城下町を構えるようになりました。江戸時代には縄張りを研究する「軍学」という学問が盛んになりました。儒学などの学問とともに大名の教養とされたのです。荻生徂徠(おぎゅうそらい)、山鹿素行(やまがそこう)という当時有名な儒学者によって大名たちに伝えられました。しかし、江戸時代に新たな城を造ることは武家諸法度(ぶけしょはっと)によって元和元年(1615年)から禁止されていたため、軍学は机上の学問だったようです。 まと…

【お城の基礎講座】48. 城の蔵(くら)

…す。構造としては多門櫓とほぼ同じです。多門櫓は石垣や土塁の上に建っているのに対し、蔵は平地に立っています。また多門櫓は石落としや狭間(さま)などの攻撃装置を持っていましたが、蔵にはそういったものはありません。蔵と言っても農家などにある土蔵よりは大きくて立派なものでした。広さは奥行きが2間(約4m)から3間(約6m)、間口は3間(約6m)から10数間と大小様々ありました。土蔵には石を並べた布基礎(ぬのぎそ)が設けられ、その上に木の土台を敷き半間ごとに柱を建てました。布基礎とは一…

【お城の基礎講座】38.いろいろな城門

城門には櫓門(やぐらもん)、薬医門(やくいもん)、高麗門(こうらいもん)、埋門(うずみもん)など形式によって種類がたくさんありますが、その他にも様々な形式の門もあります。今回は、それらいろいろな城門と題して、棟門(むなもん)、冠木門(かぶきもん)、塀重門(へいじゅうもん)などを見てみたいと思います。 特殊な門 様々な城門と言っても、門そのものの構造はほとんど変わりません。つまり、鏡柱(かがみばしら)、冠木(かぶき)、控柱(ひかえばしら)などです。しかし、それらを省略した形式や…

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する