攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

琉球 の検索結果:

城葱さんの「(勝手に)城もなかアワード2022」大発表会!

…城最中」 です!! 琉球王国の城もなかにふさわしい、パッケージも斬新で印象的。城もなかのベストドレッサーともいえるパッケージ。沖縄の伝統工芸の紅型を用いて、首里城の姿が鮮やかに力強く、華やかに、かつ色とりどりで、見ているだけで元気になる。これから復興の道をたどる首里城の応援の旗印ともいえるパッケージが高く評価されたようです。 そして評価のポイントはもうひとつあり、箱型パッケージであることです。最中を衝撃から守ってくれる役割を果たしています。さらに4個セットは、4個で集合体とな…

【殿様の左遷栄転物語】将軍のブレーン・新井白石

…イルを変更したこと、琉球との外交関係を強化したことなどもある。 特に朝鮮通信使の件については、将軍の権威を高めるためにそれまで将軍が「日本国大君」と書かれてきたのを「日本国王」と変更させたことがしばしばクローズアップされる。これは天皇に対する不敬という非難が当時からあったが、その一方で「大君」というのは天皇に対して使われることもあるのだが、朝鮮側からすれば国王の子(太子)に使われる言葉なので両方に不敬だから、清(中国)の天子の下にある朝鮮の国王と同格の存在として、日本の天皇の…

城葱さんの「城もなか」通販記【あわ家惣兵衛さんの「首里城最中」】

…あん)は残しつつも、琉球王国、異国へ旅行に行って食べる、文化の異なる食べ物のように感じる“新種もなか”ともいえます。食べるだけでリゾート旅行気分! そんな気持ちを生み出す源が、このあんにあると感じました。 パッケージ 美しい……。新種のもなか、いかにも琉球王国の城もなかにふさわしい、パッケージも斬新で印象的。城もなかのベストドレッサーともいえるパッケージ。沖縄の伝統工芸の紅型を用いて、首里城の姿が鮮やかに力強く、華やかに、色とりどりで見ているだけで元気になる。これから復興の道…

【戦国時代の境界大名】伊東氏――二大勢力との死闘で滅亡するも……

…氏としては日明貿易・琉球貿易を進めていたのだが、その船のルートは島津氏の所領近くを通っていたので、島津との関係を悪化させたくはない。それぞれに、自分の都合によって伊東氏を振り回していたともいえるわけで、九州を代表する2大勢力に挟まれた境界大名の世知辛さがここにある。 伊東氏の絶頂と転落 尹祐、その長男の祐充、3男の祐吉と続いた伊東氏の治世は、たびたび内紛があって領内が安定せず、尹祐の時にせっかく手に入れた三俣も島津氏、及びその支族の北郷氏の攻撃によって失ってしまうという厳しい…

【戦国時代の境界大名】相良氏――大大名に挟まれながらも、九州の動乱のなかで戦い続ける

…文11年)には義滋が琉球(沖縄県)ヘ貿易を求めて船を出している。 たびたび一族や家臣による内乱もあり、また義滋・晴広を助ける上村頼興が、人気を伸ばす弟の上村長種を謀殺するような血なまぐさい事件もあったが、それが相良氏を揺るがすようなことはなかった。しかし、相良氏にとっての危機が近づきつつあったのもこの頃である。豊後(大分県)の大大名、大友義鑑が肥後へ進出する構えを見せていたのだ。義滋は阿蘇・名和といった周辺勢力と結び、また菊池氏を継承していた菊池義武(大友一族で義鑑の弟だが兄…

【戦国時代の境界大名】亀井氏――毛利氏との御家再興をめぐる死闘に転機到来!?

…ば、ほかに欲しいのは琉球(沖縄県)だけです。これを討って己の所領としたいと思いますので、是非お許しください」というのである。これに秀吉は大いに感じ入って、腰に差した金団扇に己の名と「亀井琉球守殿」を書きつけ、渡して証としたのだった(『寛政重修諸家譜』)。 また、のちに秀吉が朝鮮出兵にあたって「わしは将来明国(中国)を征服するつもりだが、お主はどこがほしいか」といったのに答えて、茲矩は「であれば台州(浙江省台州府のこととも、台湾のこととも)が欲しいです」と答えたともいう。 その…

【江戸時代のお家騒動】お由羅騒動 幕末薩摩の後継者争いに幕府も介入

…売の拡張に力を入れ、琉球との密貿易の発展などで収入の増加を図る。 また支出面での緊縮も視野に入れ、建物の修築費用の合理化や、上方との間を行き来する貨物船を自国のものに切り替えるなど、あらゆる手段を講じている。重豪の死後も、調所は斉興のもとで改革を進めていった。その結果、薩摩藩は負債の返済を無事に終えるどころか、莫大な貯蓄を手にするに至ったのである。 このように財政改革は見事に成功をおさめたが、この改革も終わりに近づいた1844年(弘化元年)頃から、また別の問題が持ち上がり始め…

【お城の基礎講座】72. グスク・沖縄の城

…ましょう。 グスクは琉球(沖縄)の城 グスクとは、沖縄の城郭のことです。グスクは本州などの城とは全く違う形式のものです。大陸の先進的な技術や文化を取り入れて琉球(沖縄)独自の発展を遂げているのです。その特徴は壮大な石垣があり、その石垣は複雑な曲線を描いて続いています。また石垣は垂直に近い急な勾配で、反りはありません。石垣の隅がとがっておらず、丸みを帯びているのも特徴です。また石造りのアーチ式の門が城門とされています。実際に見てみると本州や九州四国にある城とは全く違うということ…

東京国立博物館で特別展「桃山―天下人の100年」を見てきました

…る重要文化財「浜松図屏風」もありました。 しかもこっちは撮影OKなんです。 反対の部屋にはトーハクおなじみの埴輪(はにわ)たちとか。 あとしゃちほこの起源とも言われる「鴟尾(しび)」とか。 常設展のほうにも狩野芳崖が描いた「山水図」とかが展示されていました。 アイヌや琉球のコーナーもあったので、次回は常設展を見る時間もしっかり確保しておこうと思います。 最後はドラマ「半沢直樹」で東京中央銀行のロケ地に使われた、本館の中央階段を見るのも忘れずに! news.kojodan.jp

【戦国軍師入門】3.戦国大名以外の勢力

…は独立した国家だった琉球(沖縄)などの東アジアの国々だった。しかし、戦国時代に入った頃、日本に多大な影響を与えるもうひとつの海外文化が接触してくる。それはヨーロッパの諸国だった。 当時のヨーロッパは大航海時代の真っ最中で、冒険的・経済的・宗教的な情熱に後押しされた船乗りが世界中に旅立ち、各地を植民地化して自分たちの富を増やしていた。特に日本はマルコ・ポーロの『東方見聞録』に「黄金の国ジパング」として紹介されたことなどもあって、多くの冒険家たち・商人たちの目標とされたそうだ。 …

琉球も、蝦夷も、まだ激動の渦の外にあった……

…れていなかった地域、琉球と蝦夷地を見ていく。どちらの地域も直接的に戦国騒乱に巻き込まれてはいないが、間接的には影響が出ている。 琉球王国の最盛期を築いた尚真王の子と孫が王位に 中世、現在「沖縄」と呼ばれる島と周辺地域には琉球王国が存在した。東アジア〜東南アジア貿易の中継地点として繁栄した国際貿易港だ。日本なら堺・博多、そして中国、朝鮮、シャム、ベトナム、マラッカ、スマトラ、ジャワなどの品々が琉球に集まったのである。最初は第一尚氏と呼ばれる一族の支配する王国が立ったがやがて滅び…

けっきょく江戸時代に藩はいくつあったのか

…)」と呼ぶそうです。琉球藩も立藩したのは1872年(明治5年)のことでした。 学者間で結論が出てないことをぼくが考えても時間の無駄なので、今回は江戸幕府樹立(=1603年)から、廃藩置県(=1871年)までを対象とすることにしました。データとしては立藩年(成立年)と廃藩年をそれぞれ保持しているので、あとから期間を変更しても最小限の修正で対応できると思います。 その藩はいつできたのか 藩の成立をいつにするかも厄介な問題です。前田家や島津家のように豊臣政権下での大名を「豊臣大名」…

「麒麟がくる」第9回に登場した那古野城と刈屋城、末盛城、妻木城はどんなお城か

…とが許され、たとえば琉球は中国の属国だったので琉球王の居城である首里城正殿の龍は4本爪でした。 ただ日本で3本爪の龍ばかり描かれているのは、さらに格下だからというわけではなく、遣隋使や遣唐使の時代に伝わった龍の絵を題材にしているからだと考えられています。(龍の爪の数が4本、5本と増えるのは明や清の時代なので) 「麒麟がくる」ではほんとに細かいところまでこだわっていて、第7話で光安と牧が囲碁をしている盤面は本因坊算砂の棋譜をモデルにしているそうです。 「麒麟がくる」第7話、囲碁…

【プレゼントあり】沖縄取材の振り返り

…訪問するまでほとんど琉球の歴史について、またグスクについて知らなかったので、見るもの聞くものすべてが新鮮でとても勉強になりました。沖縄の離島を訪問したのもはじめてで、恥ずかしながら尚円王・金丸の名前も聞いたことがあるような、ないような……というレベルでした。 blog.kojodan.jp なぜ那覇から遠く離れた島で暮らした農民が琉球王にまで成り上がったのか、金丸の人生は豊臣秀吉に匹敵するほどドラマチックなものですが、伊是名島に残るエピソードを通じて彼の優秀さを知ると同時に、…

南山王の居城・南山グスクと、沖縄最南端の具志川グスクを取材してきました

…って三山が統一され、琉球王国が誕生したことを知っている方は多いと思いますが、最後まで残ったのが南山だということ、また尚巴志自身が南山の出身であることはあまり知られていないかもしれません。過去に中山王の居城である首里城(と浦添グスク)、北山王の居城である今帰仁グスクには訪問したことがあったので、今回は残るひとつである南山王の居城、南山グスクを訪問してきました。 今回は糸満市観光協会にご協力いただき、糸満市観光協会観光ガイドの会に所属されている中川陽介さんに案内していただきました…

琉球における築城の名人・護佐丸が築いた座喜味城を取材してきました

…かびますけど、じつは琉球にも築城名人がいたことをご存知ですか。その名を護佐丸(ごさまる)といいます。護佐丸は、三山を統一し琉球王国を成立させた尚巴志の家臣として今帰仁グスク攻略(北山討伐)で武功をあげた人物です。彼は第一尚氏王統建国の功臣として、今回訪問した座喜味グスクを築城し、のちには中城グスクを改築・拡張しています。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に指定された5つのグスクのうち、ふたつが護佐丸の手によるものだということは知っておきたいですね。 今回は読谷村…

かつての王都・浦添グスクと浦添ようどれを取材してきました(伊祖グスクも)

…グスクは首里城の前の琉球王国の王都があった場所とされています。1945年の沖縄戦で激戦地となり石積みの城壁は破壊され、また戦後復興の際にその石材も持ち出されたため、現在は城壁の一部が復元されているのみではありますが、「天日之子(太陽の子)」と呼ばれた英祖王が築いた大型グスクであり、またその王陵である「浦添ようどれ」を見ることで、琉球の歴史を学びたいと思います。 今回は「うらおそい歴史ガイド友の会」の親富祖(おやふそ)さんに案内していただきました。 まずは「浦添グスク・ようどれ…

琉球版・麒麟がくる!? 阿麻和利の居城・勝連グスクを取材してきました

…すね。でも今日からは琉球の麒麟児・阿麻和利(あまわり)の居城として、阿麻和利という人物とあわせておぼえてください。琉球にも日本の戦国武将と同じように魅力的なキャラクターがいたんだなとあらたな発見になると思います。 今回はうるま市史跡ガイドの会の仲村さんに案内していただきました。 勝連グスクは通称「進貢船のグスク」 勝連グスクは勝連半島(与勝半島とも)の中城湾に面した標高98mの小高い丘に築かれたグスクで、築城年代は12~13世紀頃と考えられています。その形状は当時、明との交易…

沖縄独特の茶文化「ぶくぶく茶」を体験してきました

…関係が深かった沖縄(琉球)にお茶の文化があることは不思議ではないのですが、沖縄には「ぶくぶく茶」という独特の茶文化があり、しかもそれが豊臣秀吉が1587年(天正15年)に開催した「北野大茶会」をきっかけに生まれていたという興味深い話を伺ったので、体験取材させていただきました。 今回伺ったお店は「やちむん通り」にある「うちなー茶屋&ギャラリーぶくぶく」です。 これがその「ぶくぶく茶」です。見た目はソフトクリームやかき氷のようでもありますが、玄米茶の上に泡を載せたものです。 秀吉…

琉球国王・尚円王の生まれ故郷である伊是名島を取材してきました

…離島です。この島には琉球王国・尚巴志王の祖父が築いた「伊是名城(いぜなグスク)」というグスクがあるのですが、第二尚氏王統の祖である尚円王の出身地でもあります。 このあたりは別記事でしっかり説明するつもりですが、琉球国王の尚氏には「第一」と「第二」があります。琉球を統一した尚巴志の王統が「第一」で(正確には最初の王は巴志の父である尚思紹です)、7代つづいたのちにクーデターで即位した尚円からはじまる王統が「第二」となります。「尚」という姓は明から賜ったともいわれており(諸説あり)…

【プレゼントあり】沖縄県立博物館で開催中の「グスク展」を取材してきました

…4章 グスクと権力―琉球王国への道―第5章 グスクの中の聖域―祈りの場としてのグスク―第6章 伝えられたグスクの姿―かつてのグスク、その記憶と記録―第7章 これからのグスク像―まとめにかえて― 山本さんのお話で印象的だったのが、通常こうした学術的な展覧会になると文字情報がどうしても多くなってしまい現地をイメージしづらくなるので、今回の展示ではジオラマ模型を用意したり、AR/VRといった技術を利用して、臨場感を伝えたり、現地のグスクの様子(ときにはかつての様子)を思い浮かべなが…

チャシとグスクについて

…、「グスク」は沖縄(琉球)の琉球民族による城のことです。文化圏が異なるため、城の成立過程や、その形態も異なっています。 弥一左衛門 | 夏[首里城] チャシ 「チャシ」とは、アイヌ語で砦・館・柵・柵囲いといった意味を持つ言葉です。 チャシは室町時代から江戸時代に築かれており、その建造の目的は、濠を掘り木柵や土塁をめぐらして館や砦として利用する場合と、宗教的行事や会合を行う祭場的な場としての利用に大別されます。 チャシの種類は、丘先式・面崖式・丘頂式・平地式・孤島式などがあり、…

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