攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

虎口 の検索結果:

城葱さんの「城もなか」道中記【鳥取・島根編】

…す。まずは二の丸枡形虎口がお出迎え。美しすぎる方形がはっきりわかる枡形は眺めただけで何か清々しい気持ちになりました。枡形を抜けて階段上部から枡形を眺めるのが特にいい。そこからはテニスコートとなっている二の丸を抜け、曲がりくねった坂道で山を登ります。 尾根までくると、登り石垣と内膳丸のある右側と本丸のある左側に分かれています。まずは本丸を落とそうと左へ。段々に重なる石垣が、大迫力で現れる。山の上の幾重にも立ち並ぶ石垣は見応えありますね。また本丸を前に展望場となっていて、米子の街…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】読者からの質問とその回答

…る考え方は日本の桝形虎口や横矢掛り、屏風折などにも言えることなのですが、西洋式とのちがいは射程距離ですか? まず、キルゾーンは十字砲火を前提にした概念ではありません。「キルゾーン」とは現代の砲戦においても使用される「敵を効果的・効率的に殲滅するための空間」をさす言葉なので、砲科の性能・能力がそれを満たすに十分であればその構築に十字砲火は必須の条件では無いのです。ですので、ひとまずここは質問のご趣意を汲みつつ回答するため、「洋式稜堡構造における十字砲火と和式築城に見える十字砲火…

城葱さんの「城もなか」道中記【九州編】

…か忙しい城攻め。 北虎口門と狸櫓、地蔵坂櫓のあたりがお気に入りです。開けたところではなく周囲はちょっと狭い感じがしましたが、またそれが城らしさ、どこから狙われているかわからない緊張感で攻め手を怯えさせてくれます。 また狸櫓という、珍しく方角に関係のない動物の名前が入っていてかわいい感じがしました。そこから天守方向にある、珍しい石狭間も見どころです! 平戸城は城に泊まれる「城泊」ができるということでも有名ですが、ここに泊まれるのかなぁと、なかなか叶わぬ夢ではありますが、もし泊ま…

諏訪原城~武田・徳川が奪い合った数奇な山城~

…ています。馬出とは、虎口(城の出入口)の前に堀を隔てて設けられた曲輪※のことを指し、曲輪の形が半円形のものを丸馬出、四角形のものを角馬出と呼びます。武田氏の築城術には丸馬出を多用する特徴があります。丸馬出を設けることで、攻めてくる敵はまっすぐに虎口に攻めることができず、敵の侵攻経路を制限することができます。また、馬出に兵を待機させておくことで、攻め込んでくる敵に対して、弓矢や鉄砲で攻撃することも可能となります。つまり、丸馬出は攻守両面を担う砦だったのです。 ※曲輪…尾根や斜面…

城葱さんの「城もなか」道中記【千葉県編】

…の交差点で、食い違い虎口のように北にクランクして進むと、100mも行かずに右手にある。見落とせないほど風情のある存在感です。 店内の城もなかは、ショーケースに入った堂々たる姿。朱色の盆に乗せられているのがまた高級感と威厳が伝わる。 お店の奥には、江戸後期に建てられたという蔵が公開されており、お店の人にお願いすれば見せてもらえる。銀座木村屋の2号店として明治6年に創業され、昔から地域のお菓子屋、佐倉市を代表するお菓子屋として繁栄してきた老舗の和菓子屋ならでは。 直接城もなかと関…

「歴史遺産ウォーク in 那珂川『二つの山城跡と菩提寺を巡る歴史ツアー』」開催レポート

…に残り、土塁、空堀、虎口などが確認できました。武茂東城の南側に根古屋が形成されていたとされ、家臣屋敷があったと考えられていますが、現在は人跡未踏の竹やぶとなっていました。むつみ先生いわく、こんな素晴らしい城跡は大変貴重であると。何もないと思っていたら大間違いだそうで、参加者の方々は大興奮でした。 城跡を周り、菩提寺である「乾徳寺」へ 乾徳寺は曹洞宗寺院で、武茂城の大手門と伝わる門が山門となったと言われ、由緒ある風情のある山門でした。そして乾徳寺の参道が武茂城の大手道と考えられ…

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編#4】

…振ってしまい、土塁や虎口の形、土の盛り上がりや掘り切られたものをもなかにしても一般の人には響かない(城好きにとってはとてつもなく面白いお菓子となるわけなんですがw)。城もなかも売れなければ、なくなっていってしまう。城もなかは城好きだけのものではないということではないでしょうか。 また、この世の中、多くの城は建物がない土の城。正直、一般の人からすれば、そこは城だと認識されてない。模擬天守があることで城というもの(実際は土の城だけど)があったことを認識してもらえるように、同じく城…

ガイドブック「国指定史跡 柏木城跡」のご紹介

…を多用し複雑な形状の虎口を有するなど戦国期最新の築城技術を採用していることや、会津と米沢を結ぶ街道をおさえる構造を有し領国防衛の考え方を知るうえで貴重な史跡であることなどが評価され、今年3月15日に国指定史跡となりました。そして今回、国史跡指定を記念して、当時の歴史背景や発掘調査の結果、城跡の特徴などを盛り込んだガイドブックを作成いたしました。ガイドブックを片手に、柏木城跡を散策していただければ幸いです。 プレゼントの応募受付は終了しました。ご応募いただいたみなさんありがとう…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】地形に合わせて縄張をする

…・石垣の位置を決め、虎口(門を含む、城全体や重要拠点の入り口のこと。敵も味方も殺到する重要ポイント)の構造を決め、櫓(武器を備蓄したり立てこもって戦ったりするための建物。これが発展して天守閣になる)の位置を決めていく。 つまり、城の構造を設計するわけで、この工程を「縄張」という。地面に杭を打ち、縄を張って、どこに堀を掘るか、どこに建物を作るか、というのを示したことからこの名前がついた。ただ、いちいち縄を張っていくのは大変だったためか、大きな城では一部にしか行わなかったらしい。…

特別公開中の二条城西門を見てきた

…櫓門でありながら枡形虎口になっていないのですが(堀幅も超狭い)、これはそもそも戦うための城ではなく、天皇を迎えるために増築・改修された経緯や、その後の利用目的も諸大名や朝廷の勅使との謁見であったことを考えればわからなくもないです。 ただ反対側の裏門にあたる西門は典型的な枡形虎口となっているんですよね。(本丸の東門、西門も枡形虎口ですね) ただ裏門であることに加え、そもそも3代・家光の上洛以降は幕末の家茂上洛まで230年ほどの間、二条城が利用されなかったこともあり、城番のモラル…

【お城の基礎講座】80. 幕末の築城

…り、城の入り口である虎口(こぐち)は迷路のように重なっています。理論上はどんな攻撃にも耐えられるというものです。 松前城(北海道)は幕末に作られた最後の日本式城郭 幕末の築城② 西洋式の城 安政元年(1854年)に日米和親条約が締結されました。これにより函館を守るため幕府は新しい城を作りました。安政四年(1857年)に築城を開始した五稜郭(ごりょうかく)です。この五稜郭は西洋式の城として有名で稜堡式(りょうほしき)と呼ばれる星型の縄張りになっています。しかし五稜郭は予算の都合…

【お城の基礎講座】74. 中世城郭(ちゅうせいじょうかく)

…は土塁の土留め程度や虎口(こぐち)の脇に飾り程度に使われるだけでした。石垣を築くという技術がまだまだ未熟で低い石垣しか作れなかったからです。一方で地形を生かした縄張りなどが発達し、天然の断崖や切岸という人工の断崖などを作るなど、知恵と工夫が活かされた城作りになっています。基本的には非常事態の際にしか使われない山城のため、建物などもほとんどなく小屋程度のものが大半を占めていました。 まとめ 中世城郭は、それまでの朝廷による巨大な城作りから各武士たちが作る小さな城作りへと変化して…

【お城の基礎講座】69. 城下町(じょうかまち)

…下町の出入り口は城の虎口と同じように、食い違い虎口(くいちがいこぐち)や枡形虎口(ますがたこぐち)などを作って厳重に守っていたのです。 まとめ 城下町は城の発展とともに発達してきました。現在でもその町割りがよく残っているところがあります。江戸時代の絵図を片手に街歩きをすると新たな発見があることでしょう。それもお城めぐりの楽しみのひとつですね。ということで、城を守る城下町というお話でした。じゃあね🖐️ このコラムが毎日メールで受け取れます 以下のページからメールマガジン(無料)…

【お城の基礎講座】66. 馬出し(うまだし)

…出し(うまだし)とは虎口(こぐち)の外側を守るために作られた小さな曲輪(くるわ)のことです。半円形の丸馬出し(まるうまだし)と長方形の角馬出し(かくうまだし)の2種類があります。馬出しが作られた虎口の防御力は最強と言われますが、今回はその馬出しについて見ていきたいと思います。 馬出し(うまだし)は虎口を守る小さな曲輪 馬出し(うまだし)とは虎口(こぐち)の外側を守るために作られた小さな曲輪(くるわ)のことを指します。馬出しと虎口は掘で区切られていて、細い橋でつながれているのが…

【お城の基礎講座】65. 枡形(ますがた)

…言います。この枡形は虎口の最終的な発展系と言われており、城内からの攻撃が有利になるように考えられています。近世城郭における出入り口の最終到達点ということですね。今回はこの枡形について学んでいきましょう。 枡形虎口(ますがたこぐち)の形 城の出入り口である虎口(こぐち)を石垣や土塁で囲った小さな広場のことを枡形(ますがた)と言います。枡とは、お米やお酒を測る方形の容器のこと。なので、基本的には四角い形になっています。枡形は虎口の最終的な発展系と言われていますが、最初は桃山時代に…

【お城の基礎講座】64. 虎口(こぐち)・城の出入り口

…口が必要です。それを虎口(こぐち)といいます。虎口には、敵の進軍を妨げる色々な工夫が凝らされていました。城兵の出入り口であると同時に、そこは逆に敵兵の進入口ともなり得るため厳重にする必要があるからです。今回はその虎口について学んでいきましょう。 お城の出入り口 お城の出入り口のことを虎口(こぐち)と言います。通常は城門が建てられています。本丸の虎口は表口の大手(おおて)と裏口の搦手(からめて)の2カ所があります。大きな城郭になると虎口はさらに増えます。虎口の中で最も重要なのが…

伊達政宗ゆかりの地おすすめ25選(居城・古戦場・墓所など)

…土塁や堀に石垣を伴う虎口などが残されていますが公園として整備され城跡としての説明などは乏しいようです。 昌官忠 | 正宗公立像[岩出山城] 所在地 宮城県大崎市岩出山城山 アクセス 車の場合:東北自動車道古川ICから車で15分 電車の場合:陸羽東線「岩出山駅」から徒歩15分 kojodan.jp 北目城跡 仙台市太白区にある「北目城」は、1600年の関ヶ原の戦いの頃から仙台城に移るまでの伊達政宗の居城として知られております。 調査によって確認された堀跡もその頃のものと考えられ…

こーたさんの「史跡犬山城跡指定記念シンポジウム 〜史跡犬山城跡のこれから〜」参加レポート

…ており、大手道が枡形虎口(ますがたこぐち)になっていて敵が攻めてきたら門を閉めて閉じ込められる仕掛けになっていた。 ・櫓(やぐら)の名称も、一般的には巽(たつみ)櫓などと方位を示す場合が多いが、犬山城では鉄砲櫓・弓櫓など用途を冠したものになっている。〔感想〕城主や家臣たちにとってはわかりやすくても、敵にとっては何が格納されているか筒抜けで心配にならなかったのでしょうか。 ・建造物としての遺構は天守のほか大手筋脇の石垣くらいしかないものの、犬山市の発掘調査により雑草や樹木の伐採…

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