攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

聚楽第 の検索結果:

【現在1766城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧

…で統一します) (「聚楽第」の御城印は京都市考古資料館で購入できます) どうすれば購入できる? ほとんどの御城印は現地の売店で購入できます。価格も300円前後のものが多いです。なお今回の調査ではそれぞれの御城印の写真だけでなく、詳細な購入場所の写真についても城メモにまとめてありますので、出かける前の参考にしてください。 御城印 の検索結果 | 攻城団 御城印集めのポイント 御城印の基本として、以下のポイントはおさえておきましょう。 現状すべて書置き(ほとんどが印刷) 御朱印帳…

攻城団テレビで「家康はなぜ名字を松平から徳川に変えたのか」という話をしました

…おそらく天正16年の聚楽第行幸の頃、その直前に足利義昭が鞆から京に戻って出家して源氏長者としての足利氏が消滅したから これは関白である秀吉が源姓への改姓を容認していることを示している(ちなみに秀吉の関白就任の際は近衛前久の猶子になっている) 家康が源氏を名乗ったタイミングが秀吉の死後か存命中かというのはかなり重要ですよね。もしかすると秀吉はかつての鎌倉公方のように東国支配を家康に任せるつもりでそのための征夷大将軍任官を想定していたのかもしれないとか、いろいろ妄想しちゃいそうで…

「守護代ってなに?」の動画を公開しました

…ということで、秀吉が聚楽第や伏見城、大坂城に大名屋敷をつくらせて大名を集住させたのも、のちに江戸幕府が参勤交代制を取り入れたのも守護在京制の効果を認めていたということなのかも。 今回の動画ではあくまでも一例として「畠山氏における遊佐氏」を取り上げましたが、もう少しいろいろ勉強した上で、あらためて守護代をテーマに撮り直してもいいかなと思ってます。学べば学ぶほどわからないことが増えて、いろんな関連テーマに興味がわいてくるので、歴史はほんとうにおもしろいですね。 www.youtu…

細川玉子さんによる京都御城印サミット開催レポート(初日)

…してしまったという、聚楽第の御城印の復活もあったりと盛り沢山! ブースはとても賑わっており、長蛇の列となっていました。 くまもんとひこにゃんの御城印帳も販売されており、大変可愛らしかったです。 さらに、ひこにゃんと同じ「もへろん先生」が描かれた、攻城団のマスコットキャラクター「ぼんてん・まる」ちゃんのポストカードがいただけるなど、魅力的な特典も満載でした。 そして攻城団様のブースのお隣にて、来場記念御城印の引き換えもおこなわれました。25日(土)は、明智光秀が描かれた“亀山城…

大晦日に攻城団テレビで〈【大河ドラマ直前予習企画】どうした家康〉をライブ配信しました

…8年(天正16年)の聚楽第での起請文には「源家康」と署名している(この年かその前年に本姓を源に戻した) 1568年(永禄11年)、27歳 1558年(永禄元年)頃から織田と武田が同盟を模索、1565年(永禄8年)に成立 織田は斎藤、武田は今川を攻めるために遠交近攻政策の一環 →これが元で武田家は嫡男・義信がクーデターを起こす(義信の妻は今川義元の娘) 今川氏真は上杉謙信との同盟を模索 家康は今川と武田が同盟を維持している間は攻められなくなった(織田の同盟相手の同盟相手なので)…

【家康の城】二条城 徳川の権威の象徴!

…ことがわかっており、聚楽第の旧材が再利用されたと考えられます。 編集部注 この天守台移築説には異論もあります 天守の姿を屏風から読み解くと、壁は白漆喰で塗りこめられていますが、柱や長押が見える真壁造(しんかべづくり)であることがわかります。また、屋根は瓦葺きです。二重目に入母屋破風がみられることから二重目が大入母屋造であり、その上に望楼がのる望楼型天守であると考えられます。最上重には軒唐破風があり、入母屋破風は木連格子にするなど格式の高い装飾を施しています。また、「洛中洛外図…

最上義光が山形城に瓦葺きの本丸御殿を築いた理由

…城の本丸御殿の瓦が、聚楽第の最上屋敷にあったものと同じものであることまで突き止められたという。一般に、城が中世城郭から近世城郭に進化するには、①土塁から高石垣へ、②掘立から礎石建築へ、③茅葺から瓦葺へという変化が生じるが、この変化は同時に生じるのではなく、この①から②を経て③、の順に起こる。つまり城の防御機能を高めて後に、装飾性を高めるという順であり、これは戦国大名にとっては合理的な選択である。 ところが、山形城はこの順が真逆である。なぜこんなことが起こったのか。このことは、…

五三の桐、五七の桐は知ってるけど、九七の桐とか五五の桐とか知ってた?

…具や彫刻があるものは聚楽第の遺構の可能性が高い目印にもなっています。 大徳寺唐門(国宝) 有名な信長の肖像画にも桐紋が描かれています。Wikipediaには「五七の桐花紋のついた裃を着た織田信長像」とありますが、五三の桐だと思います。もっとも信長の桐紋も足利将軍家(おそらく足利義昭)から下賜されたもので、それを秀吉に又貸しならぬ又下賜したわけですね。 ちなみに戦国大名は家臣に家紋の使用を許可するといったことをわりとよくやっていて、信長もほかに「永楽銭(永楽通宝)」をマンガ「セ…

東京国立博物館で特別展「桃山―天下人の100年」を見てきました

…ていて、その横には「聚楽第図屏風」と並んでいて圧巻でした。Wikipediaでパブリックドメインの画像を見たことのある方は多いと思いますが、これの本物を見れるんです。後期は後期で岩佐又兵衛が描いた船木本とか徳川の二条城が描かれた勝興寺本が展示されます。 『洛中洛外図屏風』《上杉本》(米沢市上杉博物館所蔵) 『聚楽第図屏風』部分(三井記念美術館所蔵) 図録ではわからないことのひとつが、個々の作品のスケール感なんですよね。どのくらいの大きさなのかはやっぱり自分の目で見てみないと掴…

「光秀と信長―天下布武の道―」参加レポート

…った秀吉が妙顕寺城や聚楽第を築いたのは信長を反面教師としたからだろうとのことでした。 つづいて、「本能寺の変」の原因というか、光秀の動機についての話に移ります。まず「本能寺の変」が起きる半年前まで、信長と光秀の関係は良好であった、絶大の信頼を得た腹心だったことが史料からは確認できていて、では半年前になにがあったかというと、それは「本能寺の変」が起きる1582年(天正10年)の前年11月、信長が三好康長に対して阿波・讃岐を与えたこと、いわゆる四国問題です。 四国問題を再整理する…

【お城の基礎講座】12.壁の種類

…昔の天正期に完成した聚楽第(じゅらくだい)天守にはすでに白漆喰が使われていたと考えられています。つまり、豊臣のお城にも塗籠が採用されていたということです。ということは、黒いお城=豊臣、白いお城=徳川というのは正しくないということですね。 下見板張り(したみいたばり) 下見板張りは、土壁の外側に板を張ったものです。ただ張るだけではなく、横方向に少しずつずらして上に重ねて張っていきます。また、煤(すす)と柿渋(かきしぶ)を混ぜて作った墨を塗っています。そのため黒くなり、優美な塗籠…

伊達政宗ゆかりの地おすすめ25選(居城・古戦場・墓所など)

… そして瑞巌寺本堂は聚楽第にそっくりの仙台城大広間を彷彿させる貴重なものです。 1587年、豊臣秀吉は政庁兼邸宅として京都に豪華絢爛たる「聚楽第」を築きました。 その聚楽第を模倣するように建築された仙台城の大広間は、桃山美術の粋を集めた千畳敷とも称された書院造りでした。 随所に、漆塗り、飾金具,彫刻が施されており間取りは聚楽第とよく似ていたと言われています。 そんな聚楽第そっくりの仙台城をさらに模倣したのが瑞巌寺なのです。 今は聚楽第も仙台城も現存しておりませんので見ることは…

御城印のつくり方

…考えてください。(「聚楽第」の御城印の桐紋が77mm程度) よってそれよりも大きいスタンプ台をご用意ください。シャチハタ系の手頃なものから、朱肉の場合は寺社が御朱印のために使うような高級なものまでいろいろ選べます。 御城印を印刷する 次に紙を選びます。御城印の場合、郡上八幡城や鳥取城のように地元の和紙を使っているところもありますが、もしそういうのがあれば使ったほうが地元のアピールにもなるのでいいと思います。なおこうした和紙印刷の場合は特殊な印刷機を使わないといけないケースがあ…

紅葉の名所、大徳寺高桐院にいってきました

…した。 これがかつて聚楽第にあったという利休邸を移築した書院「意北軒」です。利休切腹後に取り壊されようとしていたのを玉甫紹琮が移築したそうですね。 襖絵は狩野探幽の弟で宗家を継いだ狩野安信が描いたとされる水墨画です。 さらに書院につづく茶室「松向軒」は1628年(寛永5年)に忠興自ら建立したもので、忠興好みの二帖台目で、三帖の水屋がつき、茶室には珍しい黒壁を使うなど、壁や天井にも趣向が凝らされていて有名です。この茶室はもともと北野大茶会で使われたとも伝わるそうですが、高桐院で…

【京都】2019年秋に開催される歴史好き向けの特別公開・特別拝観・ライトアップイベントまとめ

…大門は寺伝によれば、聚楽第の裏門であったものを、1663年(寛文3年)に移築したと伝わります(さらに古い年代という説もあり)。 正伝永源院 秋の特別公開・寺宝展 期間:2019年11月2日(土)~12月8日(日)10:00~16:30(受付終了 16:00)※11月11日~11月15日は拝観休止 拝観料:700円 建仁寺塔頭で、織田信長の弟である織田有楽斎と熊本藩主・細川家の菩提所です。本尊は釈迦如来で客殿、庫裡、鐘楼、唐門などのほか有楽斎に関する遺品も多く伝わります。境内に…

大文字山(如意ヶ岳)にのぼってきました

…城が中尾城です。 kojodan.jp しかし義晴自身は城が完成した翌年に病死したため、ここには嫡男の13代将軍・足利義輝が入城しますが、1550年(天文19年)11月21日に起きた「中尾城の戦い」で三好軍に攻められると、義輝は城を自ら焼いて近江に撤退しました。 山麓にはこんな看板があります。 「応仁の乱」以降の京は、それこそ信長が常駐しなかったこともあり、「本能寺の変」や秀吉の聚楽第まであまり注目されませんが、三好長慶と足利将軍との対立などちゃんと学べばおもしろそうですね。

戦国末期の駿府城の瓦について

…のが見られ、大坂城―聚楽第の系譜を引く五葉文+三反転均整唐草文+飛び唐草の軒平瓦は同じく1590年(天正18年)以降の堀尾吉晴期浜松城・渡瀬繁詮期横須賀城において同系譜のものが見られる。 駿府城軒平金箔瓦の文様と同系譜である久野城軒平瓦は、版木の数量が少なかったためか文様がかすれており、駿府城軒平金箔瓦と比べ文様が稚拙である。そのため、おそらく駿府城とは異なる工人が携わっている。また、久野城軒平瓦と駿府城軒平金箔瓦間の文様はパツ・モチーフは同一だが、異なる点が多い。しかし駿府…

【お寺まるごと美術館PROJECT】妙顕寺で酒井抱一「観世音図」を見てきた(夜桜ライトアップも)

…顕寺といえば、秀吉が聚楽第の前に築いた京都の居城、妙顕寺城を思い浮かべた人も多いかと思いますが、その妙顕寺です。もともとはいまの二条城の近くにあったのですが、妙顕寺城を築城するために現在地へ移転させられました。 現在、妙顕寺跡には城址碑があるだけです。 kojodan.jp でもそもそもは鎌倉時代の1321年(元亨元年)に創建された、京都における日蓮宗最初の寺院です。日像上人が後醍醐天皇から賜った勅旨は重要文化財に指定されていて、宝物殿で見ることができます。 ちなみにここも「…

築城の名手(1)藤堂高虎が築いた城

…、天正13年) 京都聚楽第(1586年、天正14年)※秀吉の命により縄張り 粉河城(1587年、天正15年)※秀吉から紀伊粉河1万石を与えられ、猿岡山に城を築く 赤木城(1589年、天正17年) 伏見城(1594年、文禄3年)※秀吉の命により助工 宇和島城(1596年、慶長元年)※宇和郡7万石の領主として起工 伊予大洲城(1597年、慶長2年)※大洲1万石の加増を受け、城を築く 順天倭城(1597年、慶長2年)※慶長の役で朝鮮に宇喜多秀家らと城を築く 膳所城(1601年、慶長…

【京の冬の旅】本法寺で長谷川等伯筆「佛涅槃図(複製)」や狩野山楽筆「唐獅子図屏風」を見てきた

…転したのは豊臣秀吉が聚楽第を築城するにあたっての都市改造で、1587年(天正15年)のことですから、1571年(元亀2年)に上洛した等伯は一条戻り橋の近くにあったという移転前の住所で暮らしてたんでしょうね。 もうひとりの有名人が本阿弥光悦で、もともとは光悦の曾祖父である本阿弥清信が獄中で日親上人と出会って信者になったようです。本法寺の開祖、日親上人はなかなかトガッた人で他宗派の批判をしたりしてよく捕まったみたいです。(そういうアウトロー気質というか、体制に与しないあたりは長谷…

北野天満宮で御土居を見てきました

…ます。 ここの境内は聚楽第完成後の1587年(天正15年)10月1日に豊臣秀吉が北野大茶湯(北野大茶会)を催した場所でもあります。北野天満宮は位置的には聚楽第からも徒歩20分程度なのでちょうどいい場所だったのでしょうね。 この茶会は当初10日にわたって開催される予定がたった一日で終了されることになり、もちろんなにか遺構が残っているわけでもないのですが、じつはこの北野天満宮には秀吉にまつわる遺構があります。 それが境内西側にある「御土居」です。 正確には秀吉が京都の総構えとして…

『真田丸』前半まとめ(とこれから起こることを整理)

…が、天正15年9月の聚楽第完成、天正16年の茶々の懐妊の前に、九州平定がおこなわれました。そもそもは将軍・足利義昭が島津義久に大友攻撃を命じているんですね。 pic.twitter.com/N68lK5tSdM — 攻城団 (@kojodanjp) 2016年5月22日 第21回「戦端」 天下統一のために北条を攻め滅ぼす口実を探している秀吉、秀吉に対抗するために協調できる勢力を残しておきたい家康、大戦を起こしてひと儲けしたい利休と、それぞれの思惑が交錯します。 氏政は家康がわ…

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