攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

城 の検索結果:

お城のガイドツアーに「対話型鑑賞」を取り入れていきたい

先日開催した城たび〈ストリートミュージアムで巡る和歌山城ツアー〉のワンシーンをご紹介します。ツアー中に見つけた大手門の軒丸瓦の家紋について、ぼくを含む複数の団員でこんな会話をしました。 こうの | 大手門の瓦[和歌山城] 「この軒丸瓦の家紋は見たことないけどなんだろう」「何かしら史実に基づいた家紋だとすればどの家の家紋か」「大手門は浅野時代の途中に作られた(当時は市之橋御門)ので考えられるのは浅野家か紀州徳川家」「いずれかの簡略化された家紋か」「鬼瓦は三つ葉葵だから紀州徳川家…

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編♯6】

「城もなか」を求めて全国を飛び回る城葱さんが今回向かったのは栃木県と神奈川県。すでに6回目となる関東編は新発見の鹿沼城の城もなかに加えて、城もなかの聖地とも言える小田原への再訪です。鹿沼城の城もなかはサブレも併売する和洋折衷のお店で、小田原城の城もなかはひとつは商品名が「もなか」という王道感あふれるお店で、もうひとつは今風の洒落た餡を使ったこのコラムではおなじみのお店でした。どれも甲乙つけがたい魅力的な城もなかばかりです。おいしそうな城もなかの写真とあわせてじっくり楽しんでく…

【サイン本プレゼントあり】「日本百城下町 ゆったり街さんぽ」のご紹介

…涼先生の新刊「日本百城下町 ゆったり街さんぽ」(笠間書院)をプレゼント用に献本していただきました。抽選で3名の方にプレゼントいたします! 日本全国に残る城下町を黒田先生自らが足を運んで現地取材されています。 日本がもっとおもしろくなる! 風情を感じる全国の古町100をめぐる旅。作家で街歩き案内人も務める著者が「城下町」にスポットをあて、100の城下町すべてを現地取材。特に魅力に感じたトピックス1、2点に絞って紹介する城下町案内本! 黒田先生には攻城団で開催した「江戸城ガイドツ…

攻城団テレビで南部氏の歴史について話をしました

ひさしぶりに攻城団テレビに動画を公開しました。2024年一本目です。今回は南部氏の歴史について榎本先生に教えていただきました。南部氏は東北地方の戦国大名ですが、甲斐源氏の流れを汲む南部光行を祖としており、もともとは甲斐国の武士でした。その後、陸奥に本拠を移し、南部晴政の時代に最盛期を築くも、南部氏の一族とされる大浦為信の独立があり、さらに(こちらは確実に南部一族である)九戸政実の乱などの紆余曲折を経て、豊臣政権さらには江戸時代と生き抜いて明治を迎えます。 また大浦為信は津軽氏…

城葱さんの「城もなか」道中記【鳥取・島根編】

「城もなか」を求めて全国を飛び回る城葱さんが今回向かったのは鳥取県と島根県。山陰地方には国宝の松江城をはじめ名城がいくつかありますが、じつは城もなかが近年盛り上がっているエリアでもあるそうです。作り置きタイプや手作りタイプ、さらにあんこが瓶詰めになっている贅沢な城もなかもありました。おいしそうな城もなかの写真とあわせてじっくり楽しんでください!! 今回は100名城制覇に向けて、また国宝の城のうち私が未踏だった松江城を含めた島根県と鳥取県の城攻めにて、出会ってきた城もなかと城に…

【現在1764城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧

攻城団のサイトでは砦などをお城としてカウントしていませんが、ここでの「○○城」のカウントは原則として御城印販売元の記載や告知内容に基づき集計しています。 いますぐアクセス! 最近はお城で御朱印のようなものが販売されているのをご覧になった方も多いのではないでしょうか。 これは「御城印(ごじょういん)」といって、スタンプに代わる登城証明(兼おみやげ)として集める人が増えています。最近のお寺や神社でいただく「御朱印」ブームに乗っかったとも思われがちですが、じつはもっとも古いとされる…

攻城団のみんなが今年訪問したお城と高評価だったお城

…年訪問して良かったお城 Advent Calendar 2023」の参加記事です。 昨日に続いてアドベントカレンダー用の記事です。 攻城団では団員のみんなが入力した攻城記録をもとに月間、年間のランキングを自動集計しています(月間ランキングは今年から)。2023年にみんなが訪問した回数を合計したランキングはこんな感じになりました。 kojodan.jp ページには300位まで掲載されてますのでぜひご覧ください。1位の岡崎城(686回)は明らかに大河ドラマ「どうする家康」の影響で…

2023年に訪問して良かったお城

…年訪問して良かったお城 Advent Calendar 2023」の参加記事です。 アドベントカレンダーというのは本来は12月1日からクリスマス当日までをカウントダウンする、期間限定の特別なカレンダーのことで、毎日小箱やポケットを開けるとお菓子が入ってる子どもにとって楽しいイベントです。IT業界の人たちの間ではだいぶ前からこのカレンダー部分を借りてきて「日替わりでブログを書く」イベントが続いていて、SNS全盛となったいまでも古き良きインターネットを愛する人たち(少し年齢層高め…

攻城団テレビで相撲の歴史について話をしました

…ので、これらの藩の居城(藩庁)をまとめたバッジはどうか」というアイデアをいただいたのが発端です。その際にいただいた参考資料がこちらです。各時期における藩が抱えていた幕内力士の人数です。 江戸時代の各藩抱え力士一覧【出典:日本相撲史(酒井忠正)】 年月 南部 仙台 出雲 久留米 阿波 小倉 庄内 因幡 薩摩 丸亀 讃岐(高松) 姫路 長州 平戸 肥後 島原 唐津 1753年(宝暦3年)10月 3 4 4 1764年(明和元年)10月 1772年(安永元年)10月 6 3 2 1…

【家康の謎】家康の死因は?

…年(元和2年)、駿府城でその75年という当時からすれば驚異的な長寿の人生を終えた。直接的な死因として通説で語られるのは、死の3ヶ月前に鷹狩りへ出かけた際、現地で用意されていた珍味――甘鯛と大鯛の天ぷらである。これは当時の上方で流行っていた料理であったらしく、家康と縁の深い商人である茶屋四郎次郎も勧めたので、家康は大いに天麩羅を食べた。ところがそのせいで食中毒を起こし、夜には具合が悪くなってしまった、という。 その後、家康は侍医の片山宗哲(かたやま そうてつ)による治療が功を奏…

【家康の謎】家康はどうして豊臣家を滅亡させたの?

…のである。有名な二条城での会見(二条城にいる家康の元へ秀頼が挨拶に出向き、会見を行なった一件)も、家康の方が秀頼も立場が上であることを示すためのものだったと考えられる。 一方で、秀頼と豊臣家は、江戸幕府と徳川将軍家に臣従する気はなかった。その象徴として考えられているのが、1611年(慶長16年)の三か条の法令である。幕府の政策に従うことを求めるこの法令に、天下の諸大名は従う姿勢を示した。しかし、秀頼は従わなかった。家康はついに豊臣家を一大名家として従わせることができず、かくし…

【家康の謎】家康はなぜ江戸に幕府を開いたの?

…い。例えば家康は二条城を築いているが、これを拠点に京都に定着し、室町幕府のような、京都の幕府として徳川家の政権を作る道はなかったのか。 この疑問に対するヒントになるかもしれない、一つの説がある。それは「二重公儀体制説」と呼ばれるもので、「関ヶ原の戦いの後も豊臣政権は一定の権威を持って残っており、東国の大名に支持される徳川政権(江戸幕府)と、西国の大名に支持される豊臣政権が並列して存在していた」という考え方である。はっきりとした証拠がないために信ぴょう性をどのくらいと見るかは難…

【家康の謎】家康は関ヶ原の戦いに出陣する前に江戸で誰にどんな手紙を出してるの?

…24日から、一度江戸城へ入り、そしていよいよ出陣する9月1日までの間に、122通を超える手紙を出したとされている。家康はこの無数の手紙によって味方の状況を把握し、敵を切り崩して、関ヶ原の戦いの勝利を掴み取ったのである。関ヶ原の戦いが毛利勢の不戦や、小早川秀秋の裏切り(近年はそもそも東軍側で、状況的に西軍につかざるを得なかっただけという説も有力だが)によって決着したことを思えば、家康はこの時の手紙攻勢によって天下を掴んだといっても過言ではあるまい。 ちなみに、通説では7月24日…

石川県立歴史博物館で開催中の特別展「御殿の美」を取材してきました

…月)、ひさしぶりに攻城団テレビの取材に行ってきました。 今回は石川県立歴史博物館にご協力いただき、現在開催中の秋季特別展「御殿の美」を学芸員の中村さんに案内していただきました。取材の動画はこちらです。 www.youtube.com このブログでは取材を通じてぼくが感じたことや、取材のための予習で学んだことなどを書こうと思います。 金沢城に豪華な御殿が? そもそもなぜ御殿をテーマにした特別展が企画されたのかという話になるのですが、それは現在石川県で金沢城二の丸御殿の復元計画が…

【家康の謎】家康が直江状に激怒したのは本当?

…謀反疑惑――「新しく城を築いたり、浪人を召し抱えたりしているのは、豊臣政権に逆らおうとしているのではないか」という主張であった。そこで家康は「誓詞を出せ」「弁明するために上洛せよ」と上杉家に要求した。 この疑惑に対処する立場にあったのが、上杉家の重臣・直江兼続である。彼は後世に「直江状」として知られる一通の手紙を認め、家康に送った。それを読んだ家康は激怒したという。なぜなら、直江状において兼続は家康の要求を完全に拒否し、「武具を整備したり道を整えたりしているのは武士・統治者と…

【サイン本プレゼントあり】「おもしろすぎる家康の城図鑑」のご紹介

…(金)に発売されたお城ガイドブック「おもしろすぎる家康の城図鑑」(KADOKAWA)を株式会社KADOKAWAからプレゼント用に献本していただきました。抽選で5名の方にプレゼントいたします! 全ページフルカラーで、写真だけでなくマンガやイラストを使ってわかりやすいガイド本になっています。 お城のことわかると大河がもっと面白くなる!?徳川家康の人生にまつわる、お城の知識を「お城博士」ちゃんこと栗原響大くんがやさしく紹介!家康の人生に影響を与えたお城の知識とともに、そのお城ならで…

【家康の謎】家康の領地の石高はどのくらいあった?

…、父祖の地である岡崎城主としてのものだ。のちの岡崎藩の領地は5万石程度であった。まったくイコールではないだろうけれど、大きく違わなかったのではないか。さらに家康はまずもともと影響力の強い西三河を、続いて今川氏の勢力が衰えて混乱状態になっていた東三河を支配下に収め、三河統一を果たす。太閤検地によると三河は29万石。このくらいになると立派な大名と言ってよかろうが、西に隣接する織田信長の尾張は57万石だというから、正面向かって立ち向かうのは難しそうだ。家康が旧主君の今川を見限り、織…

攻城団テレビで来年の大河ドラマ「光る君へ」の予習を兼ねた特別講義をしていただきました

来年の大河ドラマ「光る君へ」は京都が舞台になるのでぼくも注目しているのですが、いかんせん平安時代についての知識がほとんどないので、今回は予習も兼ねて榎本先生にいろいろ教わりました。 最初にぼくがなんとなく理解したことを書いておくと、 藤原氏といえども最初から権力を握れていたわけではない けっきょく権力の源泉は「外戚」の立場 一族が大きくなると藤原氏の内部で争いが生まれる 紫式部は藤原道長が入内した娘(彰子)のために抜擢された というあたりでしょうか。そもそも紫式部と清少納言が…

【家康の謎】家康はなぜ朝鮮出兵に参加しなかったの?

…兵の拠点である名護屋城に腰を据えていたのも、別に見物していたわけでなく、自分の出番に備えての待機であった。ところがこれが中止になった。なぜかというと、家康らによる朝鮮渡海は、豊臣秀吉本人による渡海とセットの計画であったからだ。これが中止になったので、家康らの渡海も中止になった、というわけである。 もともと秀吉としては自らの出陣にかなり乗り気であったらしい。朝鮮出兵が順調に進んだなら、東国諸大名の軍隊とともに乗り込んで支配地域を拡大し、さらなる目標である中国侵攻を自ら指揮するつ…

城葱さんの「城もなか」道中記【福山城編】

「城もなか」を求めて全国を飛び回る城葱さんが今回向かったのは広島県の福山城。今回はエリア周遊ではなく、福山城のみの道中記です。昨年リニューアルして、黒い鉄板が張られた天守が注目されている福山城ですので、これから訪問を計画されている方も多いと思います。訪問された際はぜひ城もなかや城菓子をお土産に買って帰ってくださいね。おいしそうな城もなかの写真とあわせてじっくり楽しんでください!! 今回は、昨年リニューアルして絶対見てほしい鉄板の面が象徴的な福山城を攻めた際に、出会ってきました…

【家康の謎】家康が関東に移ったときの江戸はどんな感じだった?

…は軍事拠点として江戸城を整備しただけでなく、港町としても拡大させ、いよいよ江戸は関東の交通において欠かせない場所となるに至ったのである。 つまり、江戸は家康が入る以前から、立派に徳川家の本拠地となるに相応しい場所だったのだ。一方、小田原は水上交通の便ということを考えると江戸ほどではなかっただろうし、鎌倉は谷の中にある狭あいな場所だったので徳川家臣団を収めるほどの敷地がなかった。秀吉による指示も、そのような前提を踏まえての前向きな助言だったと考えられるわけだ。もちろん、江戸にも…

【家康の謎】三河譜代ってなに?

…る。また伺候席(江戸城における待合室)も譜代大名ならこことここ、外様大名ならこことここ、という具合に分かれた。 ここで予防線を張ったのは、譜代大名と外様大名の間にけっこう揺らぎというか、移動があるからだ。例えば仙石家は時期でいえば外様大名なのだが、当初は譜代大名扱いで、途中から外様大名に直されたのではないかという話がある。戸沢家のように時期的には外様大名のはずなのに江戸時代の最後まで譜代大名扱いの家もあった。また、賤ヶ岳七本槍のひとりとして有名な脇坂家は、譜代の名門(堀田家)…

【家康の謎】家康はなぜ上田城の戦いで自ら出陣しなかったのか?

…、いわゆる第一次上田城の戦いである。 そもそも、真田氏は徳川に従属する大名だった。もっと遡れば武田氏の家臣であったのが、まず武田が織田によって滅ぼされ、続いてその織田も信長の死で混乱したため、独立大名化したのである。とはいえ、旧武田領は上杉・北条そして徳川に囲まれていたから、まったく独立したままで勢力を保つことはできない。そこで真田は徳川に付いたのだが、新たな領地として得た沼田城について、盟主である徳川から「北条と和睦するにあたって沼田を含む上野国は明け渡すことにした」と命令…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】読者からの質問とその回答

…こから派生した稜堡式城郭全般に対する質問など、さまざまな角度からの問いに対して時田学芸員が答えてくださっています。約18000字におよぶ、読み応えたっぷりの質疑応答となっていますので、ぜひお読みください! 読者からの質問とその回答 Q.時田学芸員が「現地でここは必見」とオススメできる見どころを教えてください(匿名希望さん) やはり一番感じてほしいのは戸切地陣屋がかの地に立つ所以となったロケーションの良さですね。それを感じられるおすすめのポイントは、正門の脇の土塁の上からながめ…

城葱さんの「城もなか」道中記【九州編】

「城もなか」を求めて全国を飛び回る城葱さんが今回向かったのは九州。小倉城、中津城、天ヶ城、熊本城、さらに平戸城や岸岳城と、たくさんのお城を訪問し、城もなかを購入されています。こうして城もなか目線で見てみると、日本100名城のような一般的な知名度とはまたちがうお城選びができますね。あったら買うではなく、城もなかメインでの攻城計画を立ててみるのもいいと思います。おいしそうな城もなかの写真とあわせてじっくり楽しんでください!! 今回は、九州の城もなかと出会う旅に城めぐりをしながら行…

【家康の謎】家康は武術の達人だったの?

…三方ヶ原の戦いで浜松城へ逃げる最中、自らの弓で武田の兵を次々射抜いて道を開いたという。また、砲術も戦国時代きっての砲術の達人、稲富一夢斎(いなとみ いちむさい)に学んだとされている。ここまでくるといろいろ「盛った」のではないかという疑問もあるが、家康が戦国乱世の人らしくきちんと武術を学んでいたのは間違いないだろう。 ただ、家康(あるいは後世に残る家康伝説)の面白いポイントは、そのような優れた武術を必ずしもひけらかさないところだ。「一応嗜みとして身につけてはいるけれど、それが一…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】5.おわりに

…でしょうか。西洋式の城郭を日本の城の常識で測ること自体がナンセンスで、今回あらためてヨーロッパにおける築城術の歴史や系譜を知ることができたのは有意義でした。ぼくも早く自分の目で戸切地陣屋を見てみたいです! 前回の記事:4.「早すぎた」洋式軍学理論のゆくえ-戸切地陣屋、そして「日本の稜堡式城郭・堡塁」のその後 冒頭でもお話したとおり、戸切地陣屋の知名度は極めて低く、またその本質も百数十年にわたり解き明かされることはありませんでした。しかしここ5ヶ年の調査研究により、この城が、洋…

攻城団テレビで「家康はなぜ名字を松平から徳川に変えたのか」という話をしました

今回のテーマは、戦国大名はなぜ名字を変えるのか、でした。NHK大河ドラマ「どうする家康」でも家康が松平から徳川に名字を改めるシーンがありましたが、たとえば上杉謙信ももとは長尾ですし、ほかにも名字を変えた戦国大名・戦国武将はたくさんいます。現代では結婚や養子縁組などかぎられた機会でしか名字が変わることはありませんが、この時代の人たちにとって名字が持つ意味とか役割を知りたくて、榎本先生に教えていただきました。アフタートークを含めると2時間を超える動画になっていますが、少しずつでも…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】4.「早すぎた」洋式軍学理論のゆくえ-戸切地陣屋、そして「日本の稜堡式城郭・堡塁」のその後-

西洋の最先端の築城術を学び、見事に戸切地陣屋として具現化した藤原主馬でしたが、それで勝てるほど戦争は甘くはありません。勝敗は城や兵器をどう運用するかで決まるのに、残念ながら多くの藩士にとって主馬が江戸で学んできた理論や藩主・崇広の推し進めた施策は当時の理解を超えたものだったようです。せっかくの〈日本初の星形城郭〉もその真価を発揮することなく、その役割を終えることになります。 前回の記事:3-3.「日本最初の星の城」の原典への旅(3)-「野崎の丘」に実を結んだ19世紀フランス「…

全国各地で城もなかが進化中! 城もなかの可能性は無限大!

…。 リスト マップ 城もなか研究の第一人者である城葱さんの情熱は留まるところを知らないようで、今度は最近全国で増えつつある城もなかのアレンジ商品「進化系城もなか」をリサーチされました。パフェのトッピングになったり、フロランタンやソフトクリームなど洋菓子との組み合わせが多いようですが、現地で食べるタイプのものが多そうです。和洋問わず甘いものが大好きなぼくにとって、この進化系城もなかの世界もかなり魅力的ですね。城もなか同様、一覧表とマップを作っていただいたのでぜひご覧ください! …

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