攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

大河ドラマ の検索結果:

【現在1766城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧

…どうする家康 静岡 大河ドラマ館』コラボ限定御城印 駿府城(静岡県静岡市) 駿府城公園 巽櫓 売店 500円 印刷 縦16cm、横10.5cm 2023年7月29日 姉帯城 御城印 姉帯城(岩手県一戸町) 御所野縄文博物館 300円 印刷 2023年7月29日 百地丹波城 御城印 伊賀 忍びの城版 百地丹波城(三重県伊賀市) 伊賀流忍者店 300円 印刷 A6 2023年7月29日 一乗谷城 御城印 一乗谷朝倉氏遺跡博物館開館1周年記念版 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館、道の…

攻城団のみんなが今年訪問したお城と高評価だったお城

…686回)は明らかに大河ドラマ「どうする家康」の影響でしょうね。おそらく4位の浜松城(500回)、6位の駿府城(490回)もそうかな。 姫路城(627回)や名古屋城(534回)、松本城(500回)などメジャーなお城は入城者数調査でも上位に入ってますし毎年のようにランクインしているのですが、今年はやっぱり大河ドラマのおかげでランキングが変動していて楽しいですね。(ちなみに去年は姫路城、松本城、名古屋城が、一昨年は彦根城、名古屋城、姫路城がトップ3でした) で、これは訪問回数での…

【家康の謎】徳川家康はなぜ天下を取れたのか?

…際のところであるし、大河ドラマ「どうする家康」を一年見てきた皆さんは賛成してくれるのではないか。別に三河武士たちは松平(徳川)のもとで一致団結なんてしないのである。彼らそれぞれに事情があり、目的があり、主君に要求もしてくる。大名(武将)たるもの、そんな彼らをコントロールするためにできる限りのことをしなければならない。戦国乱世では当たり前のことだ。 そのような三河武士団が後世においては忠義のヒーローとして語られているのはなぜか。彼らやその子孫たる旗本・御家人たちが「三河武士は忠…

【家康の謎】家康の死因は?

大河ドラマ「どうする家康」はいよいよ大坂の陣による豊臣家の滅亡と、広義の意味での戦国時代の終わりへ向かっている。しかし、この連載ではあえてひと足さきに家康の死にまつわる幾つかの物事について紹介する形を取りたい。何しろ戦国時代を終わらせ、太平の江戸時代を招いた男であるから、その死の前後の事情については語るべきところが多すぎるのだ。今回はそのうちのひとつとして、家康の死因にまつわる話をしたい。 家康は豊臣家を滅ぼした直後の1616年(元和2年)、駿府城でその75年という当時からす…

【家康の謎】家康はどうして豊臣家を滅亡させたの?

大河ドラマ「どうする家康」はいよいよ最後のクライマックスイベント――大坂の陣を迎えようとしている。家康は関ヶ原の戦いおよびその後の戦後処理、さらには江戸幕府の創設によって、「豊臣政権の最大実力者」から「新たな政権のトップ」へとその立場を変えた。だが豊臣政権の継承者である豊臣秀頼は生きている。この状態を「江戸幕府・徳川将軍による単独政権」とみるか、「徳川・豊臣二重政権」と見るかについて議論があることは、すでに紹介した通りだ。その後、歴史は江戸幕府の攻撃による豊臣家の滅亡という結…

【家康の謎】家康が直江状に激怒したのは本当?

いよいよ大河ドラマ『どうする家康』でも始まる天下分け目の決戦、関ヶ原の戦い。そのきっかけとなったのが家康による会津・上杉家討伐のための出陣であり、ひいてはその呼び水となったとされる「直江状」である。そもそもの始まりは、家康が五大老のひとり、上杉景勝にかけた謀反疑惑――「新しく城を築いたり、浪人を召し抱えたりしているのは、豊臣政権に逆らおうとしているのではないか」という主張であった。そこで家康は「誓詞を出せ」「弁明するために上洛せよ」と上杉家に要求した。 この疑惑に対処する立場…

【家康の謎】家康の領地の石高はどのくらいあった?

…た通りだ。 最後に、大河ドラマにおける未来、関ヶ原の戦い後の徳川の領地を見てみよう。関ヶ原後、豊臣家の蔵入地(直轄領)の大部分および西軍諸大名の所領が没収され、それらは論功行賞に加えて徳川家の直轄地に当てられた。この関ヶ原戦後の徳川家の領地は一般に400万石とされる(徳川家の蔵入地ということだと、大坂の陣後だが約230万石という数字もある。おそらく、旗本や御家人の所領を除いた数字ということだろう)。家康は広大な領地に加え、各地の重要な都市や鉱山などを己の蔵入地に組み込み、江戸…

攻城団テレビで来年の大河ドラマ「光る君へ」の予習を兼ねた特別講義をしていただきました

来年の大河ドラマ「光る君へ」は京都が舞台になるのでぼくも注目しているのですが、いかんせん平安時代についての知識がほとんどないので、今回は予習も兼ねて榎本先生にいろいろ教わりました。 最初にぼくがなんとなく理解したことを書いておくと、 藤原氏といえども最初から権力を握れていたわけではない けっきょく権力の源泉は「外戚」の立場 一族が大きくなると藤原氏の内部で争いが生まれる 紫式部は藤原道長が入内した娘(彰子)のために抜擢された というあたりでしょうか。そもそも紫式部と清少納言が…

【家康の謎】家康はなぜ五大老の筆頭に選ばれたの?

大河ドラマ『どうする家康』では徳川・豊臣(羽柴)の対立が終わり、家康は秀吉の支配下に入ってその天下統一を支える立場に変わっていく。この豊臣政権において、家康は「五大老」――すなわち、五人の主要な大名の、中でも筆頭の存在として遇される。 では、なぜ家康は五大老の筆頭となったのだろうか。五大老の名前を並べてみると、徳川家康・前田利家(死後、嫡男の利長に交代)・宇喜多秀家・毛利輝元・小早川隆景(死後、上杉景勝に交代)となり、このうち前田利家は織田政権時代から生き延びた大名であり、宇…

【家康の謎】家康はどうして関東に行かされたの?

大河ドラマ『どうする家康』でもそろそろ豊臣政権による北条攻め、そして家康の領地が東海・中部の五ヶ国から関東の八ヶ国へ移り変わる時期が近づいてきた。のちにこの関東の地こそが250年の大平を築いた江戸幕府の基盤になったわけだが、転封当時に家康とその家臣団は一体どのように受け止めていたのだろうか。 後世の私たちの目で考えると、五ヶ国が八ヶ国になったのだから大加増(石高としてはほぼ倍)ということになる。単純に喜んでいいように思える。しかし、一方で当時は京都こそが日本の中心であり、その…

【家康の謎】家康はなぜ上田城の戦いで自ら出陣しなかったのか?

…期の人物を主役とする大河ドラマでは欠かせない勢力になっている。2016年の『真田丸』の記憶がまだ新しい人も多いだろうし、今回の『どうする家康』でも、真田昌幸役には佐藤浩一氏が割り当てられているあたりからも、その役の大きさがよくわかるというものだ。では、どうして真田氏はここまで大きく扱われるようになったのか。それは三度にわたって徳川氏を痛い目に遭わせたからであり、その一度目が先週の放送回でも扱われた、いわゆる第一次上田城の戦いである。 そもそも、真田氏は徳川に従属する大名だった…

【家康の謎】家康はなぜ石川数正に出奔されたのか

ここまで大河ドラマでも長く描かれてきた通り、石川数正は家康第一の側近として活躍してきた人物である。松平(徳川)と織田の同盟にせよ、今川氏との手切れを受けての家康嫡子・信康の奪還にせよ、またその後の徳川氏の外交・内政にせよ、数正の働きは抜群であったという。いわゆる「神君伊賀越え」にも同行しており、家康にとって数正以上に信頼できる側近はほとんどいなかったのではないか。 そんな数正が、小牧・長久手の戦い後の家康・秀吉の睨み合いの時期に、突如として家中を出奔。家康にとって宿敵であった…

攻城団テレビで「家康はなぜ名字を松平から徳川に変えたのか」という話をしました

…のか、でした。NHK大河ドラマ「どうする家康」でも家康が松平から徳川に名字を改めるシーンがありましたが、たとえば上杉謙信ももとは長尾ですし、ほかにも名字を変えた戦国大名・戦国武将はたくさんいます。現代では結婚や養子縁組などかぎられた機会でしか名字が変わることはありませんが、この時代の人たちにとって名字が持つ意味とか役割を知りたくて、榎本先生に教えていただきました。アフタートークを含めると2時間を超える動画になっていますが、少しずつでもご覧いただけるとうれしいです。 www.y…

諏訪原城~武田・徳川が奪い合った数奇な山城~

…城主をつとめたという大河ドラマ「どうする家康」の登場人物たちともゆかりの深いお城です。そんな諏訪原城の歴史と高天神城攻略における戦略的要衝としての価値について書いていただきました。周辺地図を表示しながら読むとお城の位置関係がわかってより楽しめると思います。 はじめに 初めまして、島田市博物館 学芸員の岩﨑アイルトン望と申します。みなさんは、静岡県島田市に遺構が現存する諏訪原城という城をご存じでしょうか? 武田信玄の子・武田勝頼が、1573年(天正元年)に家臣・馬場美濃守信春(…

【家康の謎】家康は信長の姉妹を娶ったのか?

大河ドラマ「どうする家康」では序盤から現在描かれている中盤に至るまで、北川景子演じるお市が活躍している。お市は家康の同盟者・織田信長の妹で、浅井長政のもとに嫁ぐも、織田・浅井の同盟関係が破綻して長政が死ぬと織田へ引き戻された。さらに信長の死後に織田の重臣・柴田勝家のもとへ再嫁するも、その柴田が滅亡する際に運命を共にした、という女性だ。彼女と長政の間に生まれた3人の娘がそれぞれ有力大名のもとに嫁ぐなど、お市は戦国時代を語るにあたって欠かせない存在ではある。しかし、家康とお市の間…

攻城団テレビで忍者の話をしました

先週のNHK大河ドラマ「どうする家康」ではいわゆる「神君伊賀越え」の回でした。SNSを見てると賛否両論がわかれてる今回の大河ドラマですが、ぼく自身は毎週楽しく見てます。もともと古沢良太さんのドラマが好きだったのもあるけど、今回も傭兵集団である忍者との交渉を損得で進めるシーンや百地丹波の「口車に乗った」のセリフもよかったですね。セリフと言えば「やれたから、やった。までのことかと」や、本多正信の三河より追放されたけど、遠江からは追放されてないという屁理屈も最高でした。 そんな「ど…

【家康の謎】本能寺の変での家康黒幕説ってどんな説?

…あるし、実際に過去の大河ドラマでも部分的に(あくまでこういうことも考えられるという疑惑だったと記憶しているが)取り入れられていたような印象がある。しかし、現実的には説得力が薄い、と考えていいだろう。計画がドラマチックであるということは、つまりあまりにも綱渡りであるということだ。信長がこのような無理な計画を立てるとも、また光秀と家康が手を組むともちょっと思えない。このようなドラマチックな想像の余地を与えてくれるくらい、本能寺の変が魅力的な謎であるということはできよう。 なお、近…

【家康の謎】徳川四天王は誰が決めたの?

家康ものの大河ドラマでは必ず活躍する「徳川四天王」といえば、本多忠勝・酒井忠次・榊原康政・井伊直政の4人である。「四天王」というのは仏教世界観の話で、持国天(じこくてん)・増長天(ぞうちょうてん)・広目天(こうもくてん)・多聞天(たもんてん)という東西南北=四方を守護する天(仏の一種)のことである。ここから転じて、なんらかのグループにおける傑出した4人の実力者のことを「四天王(○○四天王)」と呼ぶようになった。徳川四天王という名付けも、その流れを受けてのものである。しかしこの…

細川玉子さんによる「瀬名様と信康様の軌跡を辿る、岡崎の旅」

NHK大河ドラマ「どうする家康」では新解釈の信康事件(築山殿事件)が描かれましたが、岡崎城周辺にあるふたりのゆかりの地レポートを京都・長岡京おもてなし武将隊つつじの細川玉子さんに書いていただきました。信康事件は謎の多い事件ですが、現在提唱されている諸説も整理してくださっているのでドラマの復習にもなると思います。 皆々様、ご機嫌麗しゅうございます!京都・長岡京おもてなし武将隊つつじの、細川玉子にございます。 いつも記事をご覧くださり、本当にありがとうございます! 此度は【どうす…

【家康の謎】いわゆる「三英傑」って誰が決めたの?

…う。とはいえ、近年は大河ドラマで戦国時代後期をテーマに扱うたびに「三英傑」というワードが出てくるのが常態化しているため、他地方の方でもご存知の向きが多いだろうとは思うが(ましてや、攻城団のウェブサイトを見に来られる人なら!)。 ではこの三英傑、いつ頃誰が決めたものなのだろうか。まず、そもそも「織田信長、徳川家康、豊臣秀吉の3人が天下人として1セット」という概念そのものは、江戸時代にはあったらしい。「織田がつき 羽柴がこねし天下もち 座して喰らふは徳の川」という落首(狂歌)や、…

「分国法ってなに?」の動画を公開しました

…ってないんですよね。大河ドラマのように今川義元の薫陶を受けた家康なら「徳川かな目録」を作っていてもおかしくはないのですが。(一方で武田信玄は「今川かな目録」を参考に「甲州法度之次第」を作っている) 分国法ってそもそもなんなのかもよくわかってなかったので、 分国法とはどういうものなのか おもな分国法にはどんなのがあるのか なぜ分国法を作ったのか(メリット・デメリット) などについて榎本先生に整理していただきました(以下、引用部は榎本先生のメモより)。 分国法とは 戦国大名が家中…

細川玉子さんによる「福知山お城まつり」レポート

…の【どうする家康岡崎大河ドラマ館】の記事につきまして、大変多くのご反響をいただき、本当にありがとうございました! 此度は、4月16日(日)に出陣させていただきました【福知山お城まつり】の、我々の参陣記録を綴らせていただきます。 news.kojodan.jp 福知山お城まつりへは、これまでに5回ほど参陣させていただいており、福知山の町が大好きなわたくしにとって、毎年楽しみにしているお祭りです😊今年も参陣が叶い、とても嬉しかったです! なお、いつも大変良くしてくださる【福知山城…

細川玉子さんによる「どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」レポート

…どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」を訪問してきた京都・長岡京おもてなし武将隊つつじの細川玉子さんにレポートを書いていただきました。写真もたくさんでめちゃくちゃ楽しそうな大河ドラマ館ですね! 皆々様、ご機嫌麗しゅうございます!京都・長岡京おもてなし武将隊つつじの、細川玉子にございます。先日は【京都御城印サミット】へのご参陣や、攻城団様での記事を読んでくださり、本当にありがとうございました! 此度は愛知県岡崎市にございます【どうする家康 岡崎 大河ドラマ館】へ伺って参りましたので…

細川玉子さんによる京都御城印サミット開催レポート(初日)

…市右京区京北様では、大河ドラマ「麒麟がくる」にて大変注目を集めました、周山城の御城印が販売されておりました。 なんと、此度のサミットの為に、一日限定100枚の御城印をお作りくださいました。大変な人気でございました!なお、一日30個限定の、周山城の縄張図が描かれた缶バッジも、お城好きな方の心を揺さぶったかと思います。 此度の、京都御城印サミットの主催でもあります、森の京都DMO様では、森の京都ファンクラブの会員様を募集されており、クリアファイルや商品券が当たる、抽選会も行われて…

たかまる。さんの連載「家康の合戦」の最終回を記念して攻城団テレビで生配信しました

…思います。 ちょうど大河ドラマ「どうする家康」でも信長が鳴海城を孤立させるために(また家康が兵糧を入れた大高城との補給路も断つために)周辺に多数の砦を築くという作戦を採りましたが、じつは同じように城砦群を築いて攻撃目標の城を孤立させる試みを家康自身が高天神城を攻める際にやっています。 こういう相似形はひとつの例ですが、家康という人は太原雪斎や今川義元にはじまり、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉と多くの人からさまざまなことを学んだのだろうと思います。 余談ですが高天神城を紹介する際…

細川玉子さんによる「京田辺伊賀越えスタンプラリー」参加レポート

…ました。 これまでの大河ドラマでも、様々な描き方をされてきた、神君伊賀越え。「どうする家康」では、どのように描かれるのか楽しみですね! と、観光協会の皆様と盛り上がりました。 スタンプラリーも制覇し、観光案内所をあとにしましたが、京田辺市は玉露が大変有名とのことで、せっかくなので"玉露グルメ"をいただこうと「宇治茶カフェ MAIKO茶ブティック」様へ伺いました。お店はアル・プラザ京田辺のすぐお近くです。 collection.kojodan.jp お洒落な店内には、喫茶として…

【サイン本プレゼントあり】「ぶらり徳川家康ゆかりの城跡+忍びめぐり」のご紹介

…ますが、内容のほうも大河ドラマ「どうする家康」の時代考証・小和田哲男先生、忍者考証・山田雄司先生と豪華な顔ぶれとなっています。 書籍『ぶらり真田家ゆかりの31城跡めぐり』、『ぶらり明智光秀の城&史跡めぐり』に続く、城跡を中心に史跡を楽しむ歴史ガイドブック。 徳川家康は運ではなく、情報(忍者)を持っていたから天下を取れた。まるで現代の情報化社会を先にいっていたような話だが、家康の「城」と「忍び」を通して、家康の実像が見えてくる。本書は、徳川家康に関連した城や忍びの各地スポットや…

細川玉子さんによる神君伊賀越えの紹介

…催中だそうですよ。 大河ドラマ「どうする家康」、皆様はご覧になられておりますでしょうか?放送後はSNSも大変盛り上がり、今後の展開も楽しみですよね! わたくし「細川玉子」は、京都府は長岡京市の公式武将隊「京都・長岡京おもてなし武将隊つつじ」として活動しており、此度は"京都"の家康様ゆかりの地をご紹介させていただきます。 京都・長岡京おもてなし武将隊つつじ 京都府長岡京市の公式武将隊として活動。勝龍寺城を中心に、明智光秀、ガラシャ姫、細川忠興らの武将や姫が、殺陣(たて)や詩吟、…

大晦日に攻城団テレビで〈【大河ドラマ直前予習企画】どうした家康〉をライブ配信しました

…は攻城団テレビで〈【大河ドラマ直前予習企画】どうした家康〉を配信しました。年末の慌ただしい中で長時間視聴してくださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。 長時間と書きましたが、なんと約9時間半もやってました。1年前の「日本100名城一気語り」が8時間半弱だったので記録更新です。事前の打ち合わせがだいたい2時間半だったので、榎本先生にはせいぜい倍の5時間くらいかなと話していたのですが(先生は8時間は覚悟してるとおっしゃってました)まさかそれをこえるとは。途中、披露を隠…

【サイン本プレゼントあり】「ぶらり真田家ゆかりの31城跡めぐり」のご紹介

…も掲載しております。大河ドラマ真田丸以降に新たに分かった発掘調査結果(沼田城、岩櫃城)の新情報も掲載。城跡古地図(戸石米山城、沼田城、松代城、上田城、岩櫃城、真田丸)を随所に掲載しているので、実際に現地へ行った際には、本を見ながら痕跡探しを楽しめます。取材班が現地で見つけた、おすすめのグルメや温泉、博物館や観光施設なども掲載。珍しい城の軍編成を記載した『八幡山番帳』、『九度山からの真田昌幸書状』、『沼田攻略を武田勝頼が褒めた書状』、『真田信綱の血染めの陣羽織』、『外国人が見た…

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