攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

廊下 の検索結果:

二条城で開催された学芸員解説会に参加してきました(遠侍・勅使の間)

…側にある帳台の間には廊下側に出る扉があり、通り抜けられる構造になっています。しかし勅使の間はほかに出られる扉はなくただの箱状の部屋になっているだけです。ではこの部屋(帳台の間)が何に使われたのかと質疑応答の際に聞いたのですが、現時点ではよくわかっていないとのことでした。この室内にもきれいな絵が描かれているので用途が気になりますね。 天井画は上段、下段ともに同じものが描かれています(通常はちがう絵が描かれる)。 ただし辻金具は上段と下段と少しちがってます。下段の間の天井画は花菱…

中村優希さんによる「〈幻の安土城〉復元プロジェクト・歴史セミナー 安土城復元研究の過去・現在・未来」参加レポート

…や。身舎とも書かれ、廊下を除いた、部屋のある部分のこと)が穴蔵(天主台の内部にある地下蔵)にほぼ同規模で直上すること(=それぞれの階の母屋は真上から見れば丁度穴蔵の範囲に収まること) 地上1階の北側に付櫓状の土蔵を設けていること 逓減が大きいことで下階の屋根が上階に迫り窓が設けられなくなる問題を解消するために、出窓を設けていること(cf.松江城天守の出窓) 破風や突上戸など、様々な箇所に装飾金具を設けていること を挙げられていました。 上図は中村泰朗先生案安土城天主南北軸復元…

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編♯5】

…的な別館なので、渡り廊下を渡っていくところが、渡櫓を進むようで、ちょっとワクワクします。 石垣の石の展示は、御三階櫓とは反対側にあるので博物館の片隅にひっそりと並んでいます。立て看板があるから助かります。石垣の石の裏側ってこんなんなってんのかー、と実物で学べる場所でありつつ、美しく並べられている感じもいいところ。石垣の石が、抜けた歯のように見えておもしろいところです。 なお、小田原攻めの際の水攻めの話が有名ですが、湿地帯を利用した城なので、近くの水城公園にその名残の沼がありま…

福井城へ重ね捺し御城印スタンプラリーの取材に行ってきました

…なります。 完成です! collection.kojodan.jp 城下町を歩き、自分で御城印をつくる楽しさを 5色のスタンプを重ねて捺すだけの単純な仕組みですが、多色版画のようにきれいなイラストが出来上がりますよね。今回は復元された山里口御門と御廊下橋を再現していますが、個人的には水面の影の表現がすばらしいと思いました。 自分で捺すとさらに感動できると思いますので、ぜひ福井城にお越しください! fukushiro.com news.kojodan.jp kojodan.jp

名古屋城で開催中の企画展「初公開 門外不出 巨大杉戸絵」取材レポート

…きますが、あれです。廊下の幅が必要になるため、必然的に杉戸は巨大なものになり、今回展示されたものも約2mの非常に大きな杉戸でした。またいわゆる金碧障壁画のように金箔が貼られているわけではなく、直接板に絵の具で描くため襖絵とは少しちがった印象を持たれると思います。 杉戸が建物間の仕切りに使われたと説明しましたが、今回展示された杉戸絵は、 竹虎図杉戸絵(重要文化財)=大廊下と表書院の間 ※上の写真 松山鳥図杉戸絵(重要文化財)=表書院と対面所の間 雪中柴垣図杉戸絵(重要文化財)=…

全国のお城ガイドの情報をまとめたい 〜さらにいうと簡単に申し込めるようにしたい〜

…が、いまだに鶯張りの廊下を「敵の侵入に気づけるよう」とまちがった説明をしているのをたまに聞きます(あれは経年劣化で音が鳴るだけで、敵が廊下を歩いて侵入するはずがない)。 でもここはいまでもすでに取り組まれています。松江城の記事にもガイド養成講座を開いている(その受講者しかガイドとしてデビューできない)とありますし、ぼくが話を聞いたいくつかの団体もみなさん定期的に勉強会を開催されています。あとは自分たちが提供する価値に見合った値付けをするだけです。 もうひとつは需要の取りこぼし…

【クーデターで読み解く日本史】死んでこそ、忠臣のほまれは保たれる――元禄赤穂事件

…2月、江戸城内の松之廊下において浅野長矩(あさの ながのり)が「遺恨、覚えたか」と叫んで吉良義央(きら よしひさ)に切りかかったことだった。城内で刀を抜くことはご法度であるため、理由を詳細に聞かれることもなく長矩は切腹を命ぜられ、そのまま自刃している。一方、傷を負った吉良上野介義央はおとがめなしであった。 このような事情から、今日でも長矩が刀を抜いた理由ははっきりとは分かっていない。一般には「朝廷からの勅使接待を命じられた長矩が、各種儀礼を司る高家(こうけ)の義央に教えを求め…

東京国立博物館で特別展「桃山―天下人の100年」を見てきました

…るってことですよね。廊下の裏側の柱なら見えないから、そのあたりのを取り外したのでしょうか。 甲冑や刀剣好きの方も満足できるはずです。第2会場では大量の甲冑、そして刀剣が展示されていました。伊達、上杉、徳川など有名武将にゆかりのあるものがたくさん展示されていましたが、ぜひ詳しい方に「こんなにすごいのが展示されてるんだ」ってことを紹介してほしい。 ……とまあ書いているときりがないのでこのへんで終わりにしますが、冒頭に書いたとおり大満足の特別展でした。日程調整して行ったほうがいいで…

【お城の基礎講座】43.御殿は何で構成されているか?

…た。それぞれの殿舎は廊下でつながれて一体となっていました。御殿は本来、本丸に建てるのが望ましいとされていました。しかし、慶長期(1596~1615年)以前の城では、本丸には御殿を建てられるほど広くはなかったため、二の丸や三の丸に御殿を置く城が多かったのです。 掛川城二の丸御殿(現存)。殿舎がいくつも連なる 御殿の「表」と「奥」 御殿には大きく分けて表と奥の二つの部分があります。表は城主の政治的な公邸です。表御殿、中奥、役所、台所などからなっていました。奥は城主の休息の場であり…

二条城で開催された二の丸御殿「黒書院三の間」学芸員解説会に参加してきました

…ちなみに通常は南側の廊下から覗き込む形になるので、とくに南面と東面はふだんぜったいに見ることのできない面となります。特別入室で見学される際はしっかり見ておきましょう。 黒書院の障壁画を全体で俯瞰してみたときに、大広間との類似点があります。それが集中と空白です。いずれも部屋の対角である北東隅と南西隅にスペースがつくられています。逆の対角にはモチーフを集中させていて、大広間と共通しています。 大広間三の間を描いたのが兄である探幽なので「三の間の構成はこうしよう」という指示があった…

【お城の基礎講座】21.廻縁(まわりえん)と高欄(こうらん)

…には、廻縁に相当する廊下が室内にできています。廻縁が雨に濡れないように壁を設けたためと考えられます。さらに、廻縁が雨に濡れないように縁先に壁や戸を設けて、すぐ下の重の屋根を省略すると唐造(からづくり)・南蛮造(なんばんづくり)の天守になります。小倉城天守は外観四重、内部五重の層塔型天守ですが、最上階の5階が4階よりも大きく張り出した形をしています。これが唐造(南蛮造)です。廻縁を室内に設けることで唐造が出来上がったのかもしれませんね。 ▲ 小倉城模擬天守。最上重のほうが下の重…

【お城の基礎講座】7.柱、梁、桁(はしら、はり、けた)

…周りに武者走りという廊下を巡らせるのが天守の構造の特徴です。天守の柱は一階では土台の上に建てられます。二階より上では下の階の梁の上に立てられています。それらの柱は、一間間隔で建てられるのが原則となっています。天守の柱はとても太く、一般的には八寸(約24 cm)から一尺五寸(約45 cm)角の柱を使っています。現在の住宅に使われる柱に比べると、地震に対する強度は300倍から400倍にもなるそうです。 梁(はり)と桁(けた) 柱と柱を頭でつなげるものが梁と桁です。建築の専門家では…

1.譜代大名の定義

…ていたとされる。 大廊下(上之部屋) 松の廊下(大広間から将軍との対面所へつながる廊下。元禄赤穂事件において浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかったことで有名)に沿って設けられた、最も格の高い殿席。おもに御三家が使用していた。 大廊下(下之部屋) 御三家以外で、特別な待遇を与えられた大名の殿席。松平の名乗りを許された加賀藩の前田家や、将軍家と姻戚関係を持った薩摩藩の島津家などが特別に使用した。 溜間 会津松平家や高松松平家などの家格の高い家門や、彦根藩の井伊家など譜代大名の中でも…

江戸城での控室は家格によってちがうらしい

…れており、通称「松の廊下」とも呼ばれる「大廊下」はさらに上下にわかれていました。大広間も二の間と三の間の区別があったようです。 諸大名の殿席区分 詰所 説明 大廊下 将軍家の親族(御三家、御家門)、加賀前田家。 溜の間 会津藩松平家、彦根藩井伊家、高松藩松平家の三家のみ代々で、それ以外は一代かぎり。幕府の政治顧問を担う少数の有力譜代大名。 大広間 国持大名(国主)および准国持大名(准国主)、四品以上の官位を持つ親藩および外様大名。 帝鑑の間 「譜代席」とも呼ばれ、この部屋に詰…

3.戦国大名から外様大名へ

…は以下のとおり。 大廊下(御三家の詰所だが、場合によっては外様の前田家・島津家・蜂須賀家も) 溜の間(徳川一族や譜代の名門など) 大広間(御三家の庶流や、伊達・島津・毛利などの外様の大大名) 帝鑑の間(基本的には譜代大名だが、時には外様も) 柳の間(外様で5万石程度の小大名が主) 雁の間(譜代の大名たち) 菊の間広縁(譜代の小大名、時には外様も) 無席(詰所のない大名たち) 大名たちにとってはこの控室の場所の違いが明確に「身分の差」と映ったことはいうまでもない。 また幕府が仲…

二条城で開催された二の丸御殿「式台の間」特別入室と学芸員解説会に参加してきました

…は天井画も必見です。廊下からだとちゃんと見えませんしね。ちなみに天井画も狩野派が手がけた作品ではあるものの、区分としては「建造物の一部」であるため重要文化財の指定とはなっていません。そのおかげで(障壁画のようにレプリカではなく)原画を見ることができます。天井画は京都市に下賜されてからはまだ一度も修復していないそうです。 式台の間の天井画は二羽の孔雀が描かれています。(口を開けたのと閉じたのが向かい合っているので「あ・うん」ですね) 周囲に描かれているのは富貴を表す牡丹唐草です…

二条城で開催された二の丸御殿大広間四の間特別入室と学芸員解説会に参加してきました

…うことはありません。廊下側の長押には金具があり、戸襖をはずして御簾をかけて使用していたそうです。この御簾をかけるための金具は今回見学した四の間にもありました。廊下側の室内にあるため、通常は見ることができないポイントですね。 大広間四の間について もっとも大きな部屋で、52畳半の広さ 天井長押まで4m、東西14.7m、南北6.7m 現在この部屋の原画が展示収蔵館で公開されている 四の間の障壁画「松鷹図」は誰が描いたのか これまで二条城は「狩野探幽または狩野山楽」と両方の説を併記…

二条城で「梅と牡丹の障壁画~廊下を彩る花たち~」のギャラリートークを聞いてきました

…「梅と牡丹の障壁画~廊下を彩る花たち~」として黒書院東廊下、通称「牡丹の間」にある原画が公開されているのですが、展示されている障壁画について学芸員が解説してくれるギャラリートークが開催されたのです。(解説してくださったのは中野学芸員) とてもおもしろい内容だったので、メモできた範囲でみなさんにシェアしますね。 まず今回、展示収蔵館で公開されている「牡丹図」と「梅図」ですが、じっさいの位置は以下の場所になります。 「牡丹図」は「牡丹の間」の北側と西側(四の間との境)にあり、現在…

【お寺まるごと美術館PROJECT】妙顕寺で酒井抱一「観世音図」を見てきた(夜桜ライトアップも)

…ね。 大本堂へわたる廊下から見た桜です。 平日ということもあってか、拝観者は10人くらいしかいなかったので写真も撮り放題でした。 記念写真用の部屋まで用意されています。バックにあるのは大本堂の天井と同じ柄です。妙顕寺の天井は昭和に入ってから修理されたそうで、このときに檀家の家紋が描かれました。 寺宝には酒井抱一や狩野安信の作品が 宝物殿は撮影禁止ですが、酒井抱一の「観世音図」や狩野安信の「釈迦之図」「龍之図」「虎之図」などが展示されています。酒井抱一は尾形光琳の後継者、江戸琳…

【お寺まるごと美術館PROJECT】妙蓮寺で長谷川派の障壁画を見てきた

…しいのが見れます。(廊下の写真だけ貼っておきますが、この奥の右側の部屋にあります) 庭園もよかったです。 「十六羅漢の石庭」と呼ばれる枯山水庭園ですが、妙蓮寺の僧だった玉淵坊日首(ぎょくえんぼうにっしゅ)が作庭したものです。なぜ日蓮法華宗の妙蓮寺に禅宗式の枯山水があるのかはよくわからないそうです。 中央にある大きな青石は臥牛石(がぎゅうせき)と呼ばれ、豊臣秀吉の寄進とか。 あと写真が苦手な人のために「ここから撮ると映えるよ」とガイドがありました。助かるなあ。 御朱印もいただい…

姫路城の「冬の特別公開」で東小天守と乾小天守を見てきました

…窓越しに西の丸の百間廊下が見えるのが素敵です。 この乾小天守が最後でほんとによかったです。混んでなければここで30分くらいはゆっくり見てたいのですが、そういうわけにもいかず5分ほどで降りました。 アドバイスとしては、とにかく人が多いので、撮影するにもそれほど時間をかけられません。あと乾小天守以外はかなり暗いです。そしてとにかく寒いのと待ち時間が長いので、防寒対策をしっかりして、できれば誰かといっしょに行ったほうがいいと思います。 外に出る頃には晴れてきました。 さっきはこの花…

【京の冬の旅】妙心寺鱗勝院で春日局の御霊屋と海北友雪の水墨画等を見てきた

…に向かって張り出した廊下の先にあり、水面にかかるように建てられています。クーラーのない時代ですから、ここで涼んでたんですね。舟遊びの際の発着場としても使っていたようです。 外観は写真を撮っていいよということだったので、(空いてたこともあり)撮りまくりました。 まず目立つのがこの「三」の漢字が書かれた家紋です。方丈にもたくさんありました。これは「折敷(おしき)に三文字」といって、稲葉家の家紋です。大三島神社の神紋と同じで、稲葉家の先祖はそっちのほうだそうです。ガイドの方は海賊み…

【京の冬の旅】妙心寺天球院で狩野山楽・山雪の「竹虎図」等を見てきた

…血天井 天球院の本堂廊下には血天井があります。これは「関ヶ原の戦い」の前哨戦で落城した伏見城の床板だそうです。鳥居元忠らが討死した籠城戦ですね。足で踏む床板として使っては供養にならないからと、天井に上げています。 京都のいくつかのお寺にはこうした伏見城の床板が天井に貼られてるそうです。もしかしたらここは写真撮影オッケーだったかもしれません。確認するのを忘れてました。庭はオッケーといわれたんですけどね。 kojodan.jp 金碧障壁画がデザインされた御朱印帳とクリアファイルが…

二条城で開催された二の丸御殿大広間三の間特別入室と学芸員解説会に参加してきました

…です。 またふだんは廊下側から見ることになるため、どうしても角度的に南面の障壁画はわからないのですが、部屋の真ん中に立って眺めてみると部屋の両隅(北西と南東)から松の木が生えているのがわかりました。いつもは北西側の木しか見えませんから、こういうのは貴重な機会です。 収蔵館でもふだんは見れない面の障壁画がよく公開されてますし、現在も大広間二の間の廊下側(南面、西面)の障壁画が展示されてるのでぜひ忘れずにチェックしてくださいね。 2月2日には探幽の「松孔雀図」について、学芸員の解…

「秋季特別ライトアップ FLOWERS BY NAKED 2018 ー京都・二条城ー」を見てきました

…。 (寛永期の絵図面を見たら「料理の間」とあり、当時は二の丸御殿とも廊下でつながっていました) この「秋季特別ライトアップ FLOWERS BY NAKED 2018 ー京都・二条城ー」は12月9日(日)までです。 今回ぼくは最終入場ギリギリの21時前に入りました。ぼくのように遅い時間帯にいけば窓口の混雑もないと思いますが、もっと早い時間にいこうと思ってる方は、コンビニであらかじめチケットを購入しておいたほうがいいと思います(料金はいずれも1200円)。 kojodan.jp

名古屋城本丸御殿を見学してきました

…院、湯殿書院以外にも廊下や控えの間(梅之間)なども見学しました。 絢爛豪華な装飾いろいろ 御殿内にはさまざまなタイプの釘隠しや障子の引き手がありました。格天井の細工もどれも美しいですね。 あえてどの部屋のものかは載せませんので、現地で探してみてください。 釘隠し 引手金具 格天井 欄間 見学を終えて じつに見事な復元でした。 狩野派の障壁画の復元模写だけでなく、さまざまな金具や欄間の彫刻にいたるまで、現代の職人のすばらしい仕事ぶりに感動しっぱなしでした。もちろん写真を見ておわ…

明石城と姫路城に桜の写真を撮影しにいってきました(写真満載レポート)

…ませんでした。 百間廊下にも花びらが舞い込んできてました。 窓からいい感じに撮れないかと思ってたんですけど、そうでもなかったですね。 西の丸からの写真はこんなところです。 三国堀のところから見た天守はほんとにいいですよね。大好きな構図です。 こうの | 桜の海から顔を出す[姫路城] 姫路城はしょっちゅう見学ルートが変わってる印象がありますが、現在は昔に戻って「い」「ろ」「は」と正しい順番に天守へ向かうようになっています。 天守内の見学ルートも逆回りに変更されてました。 ガイド…

佐賀城を攻城

…しょだったのですが、廊下や部屋の中を走り回ってました。二条城の二の丸御殿だとありえないんですけど、まあそのくらい庶民的な場所と思えば、悪くないですね。 佐賀城といえば、1874年(明治7年)に江藤新平らが起こした「佐賀の乱」が有名ですが、その当時から残っているのがこの「鯱の門」です。 城の内側からも。 鯱が大きいですね。 この「鯱の門」以外は石垣や堀などが残るだけなんですけど、天守台もありました。 火災で焼失してしまったので、いまは天守は残ってないんですけど、九州でも1,2位…

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