攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

麒麟がくる の検索結果:

細川玉子さんによる京都御城印サミット開催レポート(初日)

…様では、大河ドラマ「麒麟がくる」にて大変注目を集めました、周山城の御城印が販売されておりました。 なんと、此度のサミットの為に、一日限定100枚の御城印をお作りくださいました。大変な人気でございました!なお、一日30個限定の、周山城の縄張図が描かれた缶バッジも、お城好きな方の心を揺さぶったかと思います。 此度の、京都御城印サミットの主催でもあります、森の京都DMO様では、森の京都ファンクラブの会員様を募集されており、クリアファイルや商品券が当たる、抽選会も行われておりました!…

「戦国合戦の基礎知識」の動画を公開しました

…出てくるたとえ話が「麒麟がくる」になっていたり、若干2021年を感じさせるかもしれません。ただ内容は時期を問わないテーマなので(そもそもネタ本は2011年に出版された榎本先生の「籠城 戦国時代に学ぶ逆境のしのぎ方」ですし)楽しんで見ていただければうれしいです。 【戦国合戦の基礎知識】合戦の流れ この番組では、合戦というのはゲームのように即断即決ではじまるものではなく、もっと入念な準備が必要だということを教わりました。社長が新規事業をはじめるときのように、まずは関係者にプレゼン…

「全国入城者数ランキング」についての補足動画をアップしました

…向にあるのですが、「麒麟がくる」関連のお城ではトップ10には入らなかったけど、14位に一乗谷城が、15位に福知山城がランクインしていました。とくに福知山城は臨時休業などもありながらも前年比7.9%増で過去最多の入館者数でした。もし緊急事態宣言による休業がなければトップ10入りしてたかもしれませんね。たしか福知山城は大河ドラマに出てこなかったと思いますが、明智光秀ゆかりの城として特番などでたびたび紹介されたのが大きかったのだと思います。一乗谷城(復原町並=福井県福井市)のほうは…

明智光秀と榎本秋――あるいは麒麟は来たのか(「麒麟がくる」と過ごした一年を振り返り)

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」がついに終わってしまいました。コロナの影響もあり、途中で中断もはさみながらの全44回の放送となりましたが、攻城団では中断期間中も含め、榎本先生に毎週コラムを書いていただきました。 ぼくも負けじと「『麒麟がくる』の城めぐり」や「麒麟がくる前に」というタイトルでコラムを連載しようとしたのですが、前者は5本、後者は9本しか書けず、プロの作家のすごさを実感することとなりました。ほんとは「麒麟がくる」の城めぐりは攻城団らしく、全国のいろんなお城を紹介できる…

細川藤孝と麝香のなれそめについて調べたら足利将軍が出てきた

大河ドラマ「麒麟がくる」では「6歳になった息子がいる」とセリフの中で登場済みの細川忠興ですが、ということは細川藤孝は結婚しているわけですね。忠興のお母さん、藤孝の奥さんである沼田麝香(じゃこう)とはどんな人だったのか、またふたりのなれそめについておもしろいエピソードがあったので紹介します。 正室・沼田麝香との結婚は生まれる前から決まっていた? 細川藤孝(1534年〜1610年)は1562年(永禄5年)頃に、若狭国熊川城主・沼田光兼(みつかね)の娘、麝香と結婚します。翌年には嫡…

戦国時代の足利将軍についてざっくり理解する

大河ドラマ「麒麟がくる」では三好家に暗殺された13代将軍・足利義輝の後継者として、足利義栄(よしひで)が14代征夷大将軍に就任しました。しかし室町幕府の歴代将軍、とくにその後半にあたる戦国時代の将軍は有名すぎる戦国大名たちの影に隠れてしまってあまり知られてないですよね。義輝のほか、銀閣寺をつくり東山文化を築いた足利義政や、最後の将軍となった足利義昭の名前はパッと出てくるんですけど、それ以外の将軍の名前は教科書にもほとんど出てきません。そこでざっくりではありますが、戦国時代の室…

明智光秀と斎藤龍興ーーあるいは越前でニアミス?

斎藤龍興(竜興)は「麒麟がくる」前半の主要キャラクターとして大活躍した斎藤義龍(義竜、作中では高政と呼ばれることが多かった)の息子だ。彼が大名となったのはわずか15歳のときだった。父の義龍が突然病死してしまったからである。それから数年で斎藤家に従っていた家臣たちが次々と離反し、以前から美濃を伺っていた織田信長も侵攻を開始。龍興は美濃を追われ、戦国大名斎藤家は三代で滅亡となってしまった。 彼は後世様々な物語でその凡庸さを指摘されるが、幼くして一国の大名とならざるを得なかったこと…

【本能寺の変の謎の謎】人はなぜ「本能寺の変」に惹かれるのか?

大河ドラマ「麒麟がくる」の最後に待っているはずの一大イベント。それが「本能寺の変」である。今回からしばらく、この「本能寺の変」について語られてきた諸説について紹介したい。 1582年(天正10年)、織田信長の勢力は絶頂期にあったといってよい。畿内は完全に制圧し、最大のライバルであった武田家もこの年に滅ぼした。上杉謙信も病に倒れ、すでにない。北陸の上杉、関東の北条、中国の毛利、四国の長宗我部らとは交戦あるいは交渉中で、そう遠からず解決すると思われた。まだ東北に伊達がおり、九州に…

琉球も、蝦夷も、まだ激動の渦の外にあった……

「麒麟がくる」前半の時期に日本の他の地域では何が起きていたか……を探る本シリーズも今回で最終回。今回は戦国時代にはまだ「日本」の一部と見なされていなかった地域、琉球と蝦夷地を見ていく。どちらの地域も直接的に戦国騒乱に巻き込まれてはいないが、間接的には影響が出ている。 琉球王国の最盛期を築いた尚真王の子と孫が王位に 中世、現在「沖縄」と呼ばれる島と周辺地域には琉球王国が存在した。東アジア〜東南アジア貿易の中継地点として繁栄した国際貿易港だ。日本なら堺・博多、そして中国、朝鮮、シ…

土佐の風雲児、長宗我部国親が活躍した時期はちょうど「麒麟がくる」前半と重なる!

…このあたりの事情は「麒麟がくる」劇中でも断片的に語られた部分である。長慶はときの将軍・足利義輝とたびたび戦ったがのちに和睦し、京に落ち着いた義輝を支えることになった。 四国における三好家の領地は阿波から讃岐にかけて広がった。一方、伊予には河野氏がおり、土佐では名門公家にルーツを持つ一条氏が敬意を払われ……という具合に、細川・三好が強者として立ちつつも群雄割拠・混沌の状況にあったのが戦国時代の四国であった。そんな中、土佐で頭角を現しつつあったのが国衆の一角、長宗我部氏だ。 土佐…

「麒麟がくる」物語序盤、中国地方は不穏な気配が高まりつつあった

…文20年)のことだ「麒麟がくる」では光秀の結婚や斎藤道三・土岐頼芸の対立などの、今後やってくる大きな事件への「引き」になるエピソードが続いていた頃のことである。動いたのは晴賢だ。兵を挙げた彼は対立する派閥を一掃し、主君の義隆も殺し、大内氏の実権を掌握してしまった。大内氏に従う国衆たちもほとんどが晴賢の行動に賛同する姿勢を示し、一旦中国地方の情勢は落ち着くかに見えた。 だが、そうはならなかった。大内氏参加の国衆のひとり、毛利元就が公然と反旗を翻したのである。元就と晴賢の決戦の舞…

斎藤道三と高政の関係が怪しくなっていた頃、信濃は武田信玄の手に落ちようとしていた

…地域のうち西半分は「麒麟がくる」前半の主要な舞台といってよい。美濃では若き光秀の煩悶や道三・高政親子の相克が、尾張では織田信長という英雄の知られざる側面が、それぞれドラマチックに描かれてきた。では、東はどうか。現在の山梨にあたる甲斐と、長野にあたる信濃では大きな動きがあった。甲斐の武田晴信ーーのちの武田信玄が長年をかけて信濃に侵攻し、そのほとんどを奪い取ることに成功したのだ。 中部の東側では武田信玄がその勢力を拡大しつつあった 信玄は甲斐の名門、武田氏の生まれである。この一族…

斎藤道三と高政の親子がギスギスしていた頃、関東では北条家が圧倒的優位に立っていた

…北に続いて、今回は「麒麟がくる」前半の時期の関東地方について紹介する。関東は光秀らが活躍していた東海地方とも近く、なによりもある大名を通して光秀や信長らの運命と深く関わってくる。その辺りを掘り下げてみたい。 関東では北条氏の時代がはじまろうとしていた 「麒麟がくる」の物語が始まる直前の1546年(天文15年)、関東では大事件が起きている。いわゆる「河越夜戦」だ。そもそも戦国時代の関東地方は他地域と比べても激しく諸勢力が入り乱れて争っていた。東北から関東にかけてのトップである鎌…

明智光秀が京都から東海各地をウロウロしていた頃、東北では内戦が終わろうとしていた

「麒麟がくる」が21回を最後に中断期間に入ってしまったので、今回からはしばらく特別企画にお付き合いいただきたい。ドラマで描かれてきた1547年〜1560年までの時期、東海や近畿以外の地域では何が起きていたのか? これを紹介することで、みなさんが戦国時代をより深く楽しむ助けになれればと思う。 そのとき東北では内戦が終わろうとしていた 「麒麟がくる」物語序盤、光秀が京都まで鉄砲の調査に出かけたり、織田信秀の軍勢が美濃を攻めたり、あるいは織田と今川が小豆坂で戦って、それを光秀が偵察…

明智光秀と織田信忠ーーあるいは二条御所篭城戦の謎

…とされる女性だが、「麒麟がくる」でも「吉乃(きつの)」という一般に知られた名前で登場している。 元服した信忠は信長に従ってあちこちの戦場へ出陣し、経験を積んでいる。特に1575年(天正3年)には「長篠の戦い」に参加し、さらにその勝利を受けて美濃岩村城を攻略する手柄を立てている。父・信長が安土城に移るのと前後して織田家の家督を譲られ、岐阜城主をつとめて尾張と美濃を支配する立場になった。もちろん織田家の実権は引き続き父の手にあったが、やがて信長が一線を退いた後には信忠こそが織田家…

#コロナに負けるな御城印好き達 企画について、takubomayさんに聞いてみました

… 可児大河ドラマ館(麒麟がくる)で販売されている明智城や金山城を始め、私も集めている武将印も企画されているお方です!可児大河ドラマ館用に企画、販売した御城印の写真を投稿していただきました。 #コロナに負けるな御城印好き達まだまとめてないけど貼っておきますね絵は多気城下です。スタンプも御城印も入手してない訪城もかなりあります。夜戦奇襲した城もあり。 pic.twitter.com/PU1dIjMgME — 如月 (@AhvHunter) 2020年5月4日 亀山城、新宮城ともに…

「麒麟がくる」第14回に登場した緒川城はどんなお城か

織田信長と斎藤道三の会見、いわゆる「聖徳寺の会見」がおこなわれました。前田利家、佐々成政といった武将もチョイ役で登場し、だんだんと知ってる名前が増えてきましたね。それにしても婿と舅が一度も会うことなく結婚するというのは現代のぼくらから見れば変わった話ですが、この当時の政略結婚ではわりと当たり前だったようです。余談ですが、ふたりの会見後に自宅に戻った光秀が母と嫁にからかわれるシーンがありましたけど、個人的にはああいうアットホームなシーンが好きです。 一度しか会ってない信長を「あ…

明智光秀と今川義元――あるいは貶められたイメージ

…違いである。 現在「麒麟がくる」で描かれている時期、今川義元は日本屈指の戦国大名であった。その通称は「東海一の弓取り」。これは「東海道地方で一番の武将」の意味である。のちには徳川家康の呼び名になったが、当時は義元こそがこう呼ばれていた。ただの公家かぶれにそんな異名がつくはずもない。義元は武田信玄や北条氏康らとも張り合った、戦国時代を代表する名将の一人であったのだ。 そもそも、今川家は源氏の名門である。室町幕府で将軍職を継承した足利家の分家、吉良家のさらに分家で、「足利が絶えな…

「麒麟がくる」第9回に登場した那古野城と刈屋城、末盛城、妻木城はどんなお城か

…清の時代なので) 「麒麟がくる」ではほんとに細かいところまでこだわっていて、第7話で光安と牧が囲碁をしている盤面は本因坊算砂の棋譜をモデルにしているそうです。 「麒麟がくる」第7話、囲碁指導をさせていただきました。光安がまずい手を打って、牧が優勢に。たまらず光安が待ったさせて欲しいとお願いするところです。よく見ればどの手が悪かったか分かるかも!?盤面は本因坊算砂の棋譜に若干手を加えたもの。算砂は信長に仕えた棋士です。#麒麟がくる #囲碁 pic.twitter.com/ZBK…

明智光秀と徳川家康ーーあるいは本能寺の引き金

…ってくるのか。今後「麒麟がくる」を見ていく中での重要な楽しみとなるだろう。 その家康は三河国の国人、松平家の嫡子としてこの世に生まれた。松平家は戦国乱世に乗って一時は三河一帯を広く支配するほどに力を得たが、浅利陽介演じる父・松平広忠の代には隣接する駿河・遠江の今川義元に従わざるをえない状態に追い込まれていた。幼き日の家康、幼名を竹千代が今川家で人質時代を過ごさなければならなかったのも、すべてはそのためである。成長した彼は義元の名をいただきた「松平元康」として今川家のために戦っ…

城葱さんの「城もなか」通販記【亀屋廣清さんの「周山城最中」】

…年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で、明智光秀関係のお城や観光地は沸いているようです。そんな中、丹波平定を織田信長に命じられた明智光秀によって築かれた城であり、明智光秀ゆかりのお城のひとつ、京都府の「周山城」にて新たな「城もなか」が誕生しているとの情報を聞きつけ、さっそく城攻めしてその「城もなか」を食べたい!! と思いたちました。 しかし調べれば調べるほど、周山城はなかなかの城攻め難所。とくに電車・バス・徒歩で攻めるスタイル(ノン車城攻め)が主流の私には、攻めるのは一筋縄ではい…

明智光秀と明智牧ーーあるいは創作に語られる「母」

「麒麟がくる」で明智光秀の母・牧を演じるのは石川さゆりさん。歌手としてよく知られている人だが、どこか抜けたところのある光秀を見守る戦国の女の雰囲気が出でいて、物語を支える重要なキャラクターになっていると言えよう。ところが彼女が演じている牧(牧の方、明智牧)というキャラクター、これが難しい。本連載でここまで何度も触れてきた通り、明智光秀の前半生は謎に包まれている。とりあえず明智庄出身ということにはなっているが、別地域出身説も根強い。ということはつまり、「光秀の母・牧」の存在も怪…

福知山城を訪問したならぜひ立ち寄って! 地元ブロガー推薦のグルメ・カフェ・お土産スポット

…020年大河ドラマ「麒麟がくる」ゆかりの地として、賑わいを見せています。福知山は美味しいグルメのお店がたくさん!何度でも行きたい名店が揃っています。福知山城観光の際には、福知山城の目の前にある「ゆらのガーデン」内に飲食店が集まっており、一番行きやすくておすすめです(この記事内でも2店舗紹介しています)。また、福知山城から徒歩10分程の場所にある「広小路商店街」には、美味しいスイーツやおしゃれなカフェがあり、街歩きにおすすめの場所です。「広小路商店街」の近くには明智光秀を祀った…

明智光秀ゆかりの地おすすめ19選

…のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で主人公に選ばれるなど、ちょっとした明智光秀ブームがきているように思えます。 そんな光秀を今こそ取り上げ、日本史上最大のクーデター「本能寺の変」を自分なりに考察しつつ、各地に残された史跡を彼の生涯と共に紹介してみたいと思います。 本能寺 「明智光秀はなぜ謀反を起こしたのか・・・」 そんなことを考えながら何度も何度も足を運んでは想いにふけってしまうのが「本能寺」だったりします。光秀が主君信長に謀反を起こした理由としては未だに新説が出てくるほど諸説…

明智光秀と明智光安ーーあるいは戦国武将の死にざま、生きざま

…料の中で、おそらく「麒麟がくる」で参考にしているだろうと推測されるのは『明智軍記』。江戸時代に書かれた本だから信憑性は怪しいが、光安のことがはっきり書かれている。これによると、光安は明智光継の次男で、兄(光秀の父)の光綱が死んだ後は明智家の当主として家を守ってきた。斎藤家との関係も良好であったようで、義龍との間柄は「水魚の交わり」と記されている。しかし、道三が義龍に討たれると、この関係が急激に悪化する。光安は道三派だったのだろう。あるいは、父を討つような主君は信用できない、と…

「麒麟がくる」第6回に登場した越水城はどんなお城か

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」、第6回「三好長慶襲撃計画」もおもしろかったですね。主人公が本来会うことのできなかったような人に対面したり意見したりといったシーンは過去の作品でも見られたし、ある意味では(ひとりの主人公の視点を通して物語が進行する以上)しょうがないのですが、昨日の戸襖越しに将軍・足利義輝が聞いているという演出はうまかったですね。いくらなんでもこの時点の光秀が直接、義輝に拝謁できるわけないので、そのリアリティは守りつつ、たまたま壁一枚を隔てたところに居合わせた将軍…

明智光秀と松永久秀――あるいは似た者同士

「麒麟がくる」第1回にはさまざまな印象的なシーンがあったが、京都にやってきた光秀と松永久秀が邂逅する場面はその中でも記憶に残っている人が多いはず。胡散臭く、人懐っこく、それでいてどこか妙に義理堅い久秀の姿は非常に魅力的なものである。 そもそも、光秀と久秀には似ているところが多い。一つは、信長に謀反を起こしていること。そしてもう一つは、前半生がよくわからないことだ。久秀は阿波生まれとも、京都西岡の商人だったとも、摂津の百姓だったともいうが、今のところ確実な証拠はない。はっきりわ…

【プレゼントあり】沖縄取材の振り返り

年末年始に二度にわたって沖縄を訪問しましたが、合計8本のレポート記事を書きました。年末に訪問した際は初日に首里城を見学し、さらに沖縄県立博物館・美術館を訪問して「グスク展」を取材し、翌日から一泊二日で伊是名島を取材しました。令和最初のクリスマスを伊是名島で過ごしたのもいい思い出です。「グスク展」はのちに年始に訪問した際も自腹で見学するほど満足度の高い企画展でした。 blog.kojodan.jp 今回の取材で訪問するまでほとんど琉球の歴史について、またグスクについて知らなかっ…

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」キャスティング一覧

…年放送の大河ドラマ「麒麟がくる」について、明智光秀役の長谷川博己さんは発表されていましたが、ほかにも今川義元や足利義昭、木下藤吉郎(豊臣秀吉)などのキャスティングも発表されました。 望月東庵、駒、菊丸、伊呂波太夫など架空の人物も登場しますので、光秀の謎の前半生をこうしたキャラクターでドラマにするのでしょうね。 出演者リスト 役名 俳優 メモ 明智光秀 長谷川博己 本作の主人公。 煕子(ひろこ) 木村文乃 美濃の土豪・妻木家の娘で、光秀の正室。 明智光安 西村まさ彦 光秀の叔父…

明智光秀ゆかりの地・亀岡市を訪問するなら空いているいま!

…、今年は大河ドラマ「麒麟がくる」の放送で観光客が増えすぎることを抑制するためか、見学料が300円必要になりました。(来年1月17日までの予定) でもただ有料化しただけじゃないのがすごくて、これまで聖域(神域?)として立入禁止になっていた天守台に上がれるようになっています。 天守台には明智光秀が手植えしたとされるイチョウの木があって、いつもは下から見てるだけなのですがそばまで近づけるのはいまだけです。 (この左にある神殿は撮影不可ですが、写り込まないように撮影すればオッケーです…

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