攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

お家騒動 の検索結果:

【江戸時代のお家騒動】野村騒動 家臣間の些細な嫉妬が理不尽な移封にまで結びつく

【時期】1710年(宝永7年)【舞台】桑名藩【藩主】松平定重【主要人物】野村増右衛門 復興事業に活躍した能吏への疑惑 3代藩主・松平定重の頃、桑名藩は多くの天災に見舞われていた。巨額を投じて開発していた新田が洪水によって破壊されただけでなく、1701年(元禄14年)の大火事では城下町の半分が焼失する大被害を出した。元々財政が逼迫していたところ、復興のために更なる費用が必要になって、藩の借金は1万両という巨額に膨らんでしまう。 この時期に活躍したのが野村増右衛門吉正という人物で…

【江戸時代のお家騒動】延宝の郡上騒動 農民も巻き込んだ藩を二分する大騒乱

…江戸時代史を眺めればお家騒動はいくつも見つかるが、基本的には城内での武士たちによるいざこざ、権力闘争がその中心にあることがほとんどだ。そんな中でこの延宝の郡上騒動は少し様子が違う。家臣の対立が、農民たちをも巻き込んだ大きな騒動に発展したのである。 美濃郡上藩の四代目藩主・遠藤常春は10歳で家督を継いだ。もちろんまだ幼年であるから、親戚で大垣藩の藩主・戸田氏西や分家である遠藤常昭ら4名の後見人がつけられた。政治は江戸詰め家老の遠藤十兵衛・池田庄兵衛と国家老の遠藤杢之助・遠藤新左…

【江戸時代のお家騒動】お下の乱 強大化した重臣と藩主の意地が軍事衝突

【時期】1640年(寛永17年)【舞台】人吉藩【藩主】相良長毎、相良頼寛【主要人物】相良清兵衛(犬童頼兄)、相良半兵衛 相良清兵衛の孫が主家の娘を娶ったことで暴走 戦国時代以前からの血筋を誇る名門大名は、そのほとんどが戦国時代終盤から江戸時代初頭にかけて姿を消し、あるいは代々の領地から切り離された。それでも薩摩の島津氏をはじめわずかながら本来の土地を維持できた大名も存在する。関ヶ原の合戦で徳川方に味方した肥後の戦国大名・相良長毎(さがら・ながつね)はその幸運なひとりである。 …

【江戸時代のお家騒動】蒲生騒動 藩主夭逝が藩内の混乱を招く悪循環

…動は戦国時代に起きたお家騒動だ。騒動の舞台となるのは、豊臣政権時代に活躍した大名・蒲生氏郷が亡くなった後の蒲生氏である。氏郷は近江出身で、はじめ織田信長に仕えていたとされる。信長は氏郷がまだ13歳であった頃から彼の力量を見抜いていたようで、自分のもとで元服させたり娘の冬姫を娶らせたりしている。 その信長が本能寺の変で亡くなり、後を継ぐかのように羽柴秀吉が台頭してくると、氏郷は秀吉に従うようになった。そして1590年(天正18年)に小田原征伐が行われると、秀吉はこれに参陣しなか…

【江戸時代のお家騒動】最上騒動 3代にわたる改易への根深い藩内対立

【時期】1613年(慶長18年)~1622年(元和8年)【舞台】山形藩【藩主】最上義光、最上家親、最上義俊【主要人物】最上義光、最上家親、最上義俊 関ヶ原直後に起こった嫡子殺害事件がルーツ この「最上騒動」はひとつの事件を指すものではなく、長年にわたって混乱した山形藩の情勢を指すものである。最終的に最上家は、1622年(元和8年)に改易となるのだが、そこにいたるまでには大変な紆余曲折があったのだ。 山形藩最上家内部の混乱は最初から――つまり初代藩主・最上義光の頃からすでにあっ…

【江戸時代のお家騒動】⑤内乱すれすれの大規模闘争

…のだが――それでも、お家騒動というのは起きるときには起きてしまうものなのである。 身につまされる教訓⑤ 大喧嘩になる前にもう一度冷静に この⑤パターンお家騒動の結末は、どうにも凄惨なもの、取り返しのつかないものが多い。断絶・改易となってしまったケース、小規模ながら武力騒乱にまで発展したケース、そして藩役人たちが多く連座させられたケース――自らの権力を強化したかった大名にしても、特権を守りたかった家臣にしても、こんな結果を望んでいたのではなかっただろう。 多くの場合、事件という…

【江戸時代のお家騒動】竹鉄砲事件 人吉藩の勝利者なき内ゲバ闘争

【時期】1759年(宝暦9年)【舞台】人吉藩【藩主】相良頼央、相良頼峯【主要人物】相良頼央、相良頼峯 藩財政改革をめぐる対立が発端 竹鉄砲事件は人吉藩の八代藩主・相良頼央(よりひさ)が暗殺された事件である。にもかかわらず大きな騒動にならなかった。この事件が家老によって隠蔽されてしまったからだ。 事の起こりは1756年(宝暦6年)、まだ頼央の養父・頼峯(よりみね)が藩主だった頃に遡る。この頃、相次ぐ自然災害や江戸藩邸の修理費などによって、藩の財政は逼迫している状況だった。財政を…

【江戸時代のお家騒動】小姓騒動 主家乗っ取りを企む家老の欲望と顛末

【時期】1680年(延宝8年)【舞台】磐城平藩【藩主】内藤義概【主要人物】内藤義概、松賀族之助、山井八郎右衛門 家老が息子を藩主の地位に就けようと画策 磐城平藩で起きた小姓騒動の中心となったのは、松賀族之助(まつが・やからのすけ)という家老である。族之助は三代藩主・内藤義概(よしむね)がまだ家督を継ぐ前から小姓として彼に仕え、その後義概の寵愛と優れた政治能力を糧に出世を重ね、やがて家老として専横を極めるようになっていった。さらに主家を乗っ取るため、族之助は義概を自宅に招いては…

【江戸時代のお家騒動】庄内藩・酒井忠重のお家乗っ取り 暴君の野望恐るべし!

…。こうして、奇しくもお家騒動の下準備が出来上がってしまう。農民による一揆の時、そして領地没収後と忠勝に助けられた忠重。しかしそれにもかかわらず忠重は、忠勝の子・忠当に代わり自身の子を藩主に据えようと次第に画策するようになっていった。 野望達成まであと一歩のところで…… しかしそんな忠重の企みに気づいた者がいた。酒井家の家臣・高力喜兵衛(こうりき・きへえ)である。忠当と従兄弟の関係でもある高力は、彼を排除しようとする忠重と対立。高力らは忠当の舅にあたる老中の松平信綱に忠重のこと…

【江戸時代のお家騒動】浦野事件 加賀藩内の独立領を統合する

【時期】1667年(寛文7年)【舞台】加賀藩【藩主】前田綱紀【主要人物】長連頼、長元連、前田綱紀、浦野孫右衛門 加賀藩内の独立王国となっていた鹿島半郡 浦野事件は加賀藩主・前田家の家臣である長連頼・元連父子の対立が、主家をも巻き込み勢力を二分する騒動に発展したものである。加賀藩では五代藩主・前田綱紀の時に、後見人の前田利常によって改作法と呼ばれる農政改革が実施された。この改革は、検地による収益の推定、給人による直接支配の禁止、税率の決定などを含んだもので、家臣と農民を救うため…

【江戸時代のお家騒動】大村藩の御一門払い 藩内の抵抗勢力を一掃する

【時期】1607年(慶長12年)【舞台】大村藩【藩主】大村喜前【主要人物】大村純頼 バテレン追放令によって財政難に この「御一門払い」は、1607年(慶長12年)に肥前大村藩で起きた事件だ。読んで字の如く、藩主である大村家が庶家一門(=御一門)の領地を強制的に取り上げて、追放したのである。大村氏は、藩が成立する以前からこの地の在地領主であった。1587年(天正15年)に行われた豊臣秀吉の九州征伐ののち本領を与えられ、藩が成立する。初代藩主は大村喜前だ。 ところが、それから間も…

【江戸時代のお家騒動】④災い転じて大名権力を強化する

…ケースのうち、大きなお家騒動にはつながらなかったケース――有力家臣が排除されたケース――を紹介する。 身につまされる教訓④ 有能すぎる家臣は要注意! 「大名権力強化パターン」はお家騒動が勃発する事情においてはかなり似ている例が多い。力の強い家臣や一門衆がいたり、藩主の後継者問題が勃発したりして、そこから騒動に発展するわけだ。しかし「どうして解決したのか」になると実に千差万別である。藩主が有能だったケースもあれば、事件の中心になる家臣が死んでしまって収束したケースもあり、また何…

【江戸時代のお家騒動】大谷吉継による家臣団継承 越前国5万石の民生安定

【時期】1589年(天正17年)【舞台】敦賀領【藩主】大谷吉継【主要人物】大谷吉継 「秀吉の家臣」吉継が蜂屋氏家臣団をそのまま引き継ぐ 大谷吉継といえば、石田三成との友情に殉じたという清廉な生き方で人気の高い武将のひとりだ。刑部少輔に任じられたことから「大谷刑部」という呼び方でも知られている。実は彼も、騒動抜きで大名家を吸収しているのをご存知だろうか。 一般的に、彼は豊後の大友宗麟に仕えていた大谷盛治の子だとされている。しかし彼の出自には諸説あり、近江国出身とするのが有力だと…

【江戸時代のお家騒動】有馬氏の出世 騒動を起こさずに主家を吸収合併

【時期】1595年(文禄4年)【舞台】播磨国【藩主】有馬則頼【主要人物】有馬則頼、有馬豊氏 主君の改易によって外様ながら大出世を果たす 鍋島騒動は、鍋島家が家臣でありながら主家の実権を握っていたことに端を発した騒動だった。しかし、「騒動を起こさずに主家を吸収した」パターンもある。 播磨の有馬氏がそうだ。有馬氏は播磨の名門・赤松氏の支流である。播磨守護である赤松則祐の子・義祐が摂津国有馬郡に配されたことで、有馬氏を称するようになったのだ。八代目・則頼の時には一時所領を失うなど危…

【江戸時代のお家騒動】鍋島騒動「猫化け話」に象徴される龍造寺家の悲劇

【時期】1607年(慶長12年)【舞台】佐賀藩【藩主】鍋島勝茂【主要人物】鍋島直茂、鍋島勝茂、龍造寺高房 怪談「猫化け話」にこめられた龍造寺家の悔恨 数多くのフィクションの題材となったことから、別名「化け猫(猫化け)騒動」とも呼ばれるのがこの鍋島騒動だ。1607年(慶長12年)、肥前の大名・龍造寺高房が江戸藩邸で妻を斬り、本人も自殺を図るという事件が起きた。家臣の制止によって一命を取り留め一旦は快復したものの、乗馬大会で無理をしたため傷が開き亡くなってしまう。22歳という若さ…

【江戸時代のお家騒動】暗君に代わって主家を奪取する!

…であり、性質として「お家騒動」に近いため、本連載で取り扱うことにした。 これらの事件では流血を伴うような大規模な騒乱が起きなかった。下剋上が本質的に武力反乱であって多く合戦や粛清などを伴ったのに対し、「主家異動パターン」の事件ではこれがなく、血は流れても当主が死ぬだけなど小規模なものにとどまっている。争いの主役になったのは(しばしば中央政権の意向をバックにした)政治的闘争であった。また、主君に代わって支配者の地位に立った家臣にしても、野心よりはむしろ「やむにやまれず」という意…

【江戸時代のお家騒動】伊達騒動 バカ殿の押込め、守旧派 vs 革新派、幕府介入

…演目にもなったほどのお家騒動を勃発させる。後見人といっても宗良の方が若く、また宗勝と綱宗とが叔父と甥の関係であったため、権力は宗勝の方に傾いた。また宗勝は、1664年(寛文4年)に子の宗興が酒井忠清の養女を妻にしたことでさらなる権力を手にしており、実質的に仙台藩の藩主のようなものであったという。このような宗勝の強大な権威は、亀千代擁護派の家臣との対立関係を作りだすことになる。また宗勝は、自身が政宗の実子だというプライドもあったことから、自分が藩主になってもおかしくないという考…

【江戸時代のお家騒動】何でもあり! 江戸期最大のお家騒動「伊達騒動」

…騒動が非常に典型的なお家騒動であり、本連載で最初のサンプルとして提示するのにふさわしいと考えたためである。伊達騒動はいくつもの要素・事件が組み合わさった複雑な構造になっており、また多様なフィクションの題材になるなど非常に有名な事件でもある。さらに「時代が移り変わる中での保守派・革新派の内部対立」「藩主の隠居や首謀者の処罰による決着」「中央政権(江戸幕府)による介入」など、本連載でこのあと紹介する多様なお家騒動の特徴を多く有している。お家騒動って言われても、具体的なイメージがわ…

【江戸時代のお家騒動】宇都宮釣天井事件ーー秀忠派が長安事件の復讐を果たす?

【時期】1622年(元和8年)【舞台】宇都宮藩【藩主】本多正純【主要人物】本多正純、徳川秀忠、加納殿 大御所家康の懐刀・本多正純の絶大な権力 本多正純は、父の正信とともに幕政の中心を担っていた人物である。幼少期より徳川家に仕え、徳川家康が秀忠に将軍職を譲り大御所として駿府に移った時も、家康に伴われて駿府城に入っている。正信や大久保忠隣といった重臣でも秀忠を補佐するため江戸に残されたことを考えれば、家康が正純を駿府に伴い傍に置いたことは、彼にいかに大きな信頼を寄せていたかをうか…

【江戸時代のお家騒動】里見騒動ーー大久保長安事件のとばっちりと見せしめの改易

【時期】1614年(慶長19年)【舞台】館山藩【藩主】里見忠義【主要人物】里見忠義、徳川秀忠 大久保忠隣との姻戚関係が仇となる 大久保長安事件と、それに続く大久保忠隣の失脚。これのとばっちりを受ける形で改易処分となったのが、外様大名・館山藩主の里見忠義である。忠義は10歳の時に父・義康が亡くなったため、幼くして里見家を継ぐこととなった。しかし若年ながらも、重臣たちの補佐を受けて領内の検地や諸役の免除を実行。また商業の面でも、領内における貨幣の交換比を定めるなど、数々の政策を執…

【江戸時代のお家騒動】大久保長安事件ーー幕府中枢の権力闘争が原因?

【時期】1613年(慶長18年)【舞台】幕府【主要人物】大久保長安、徳川家康、大久保忠隣、本多正信 徳川政権の金庫番・大久保長安の“陰謀”が死後発覚 1613年(慶長18)、徳川家康の側近を務めた大久保長安という男が、中風(脳梗塞・脳出血)のため69歳で亡くなった。長安は黎明期の江戸幕府において、財政や交通、産業などの分野でその敏腕を発揮し、幕府の創立に多大な功績を残した人物である。特に産業面において、石見や佐渡、伊豆の金銀山を開発して歴史的な増産に成功しており、その有能ぶり…

【江戸時代のお家騒動】江戸幕府=徳川家内の激烈な生き残り闘争

…代初期の政争が生んだお家騒動 最初に紹介するのは、江戸時代初期に起きた三つの事件だ。「大久保長安事件」「里見騒動」「宇都宮釣り天井事件」である。それぞれ「代官として活躍した大久保長安の謀反計画にまつわる疑惑と処罰」「そのとばっちりを受けた外様大名・里見家の取り潰し」「父の代から辣腕を振るった名政治家・本多正純の失脚」というのがその概要である。 つまり、中央政権の政争(とその波及)という色合いが濃く、これだけ見るとお家騒動とは何の関係もないように思える。これらの事件はすべて、主…

【江戸時代のお家騒動】江戸時代お家騒動、3つの特徴

…連載で扱う江戸時代のお家騒動の特徴を3つに分けて整理したい。ひとつには「戦国時代のような直接的な武力のぶつかり合いはほとんど見られない」ということだ。なにせこの時代、日本の頂点に立つ江戸幕府は(内実はともかく)強大な存在であり、大名家はちょっとした手違いや失敗を原因に厳しい処罰を受けたのである。藩内部で武力闘争などあろうものなら一発で改易・取り潰しとなったため、戦国時代のような激しい内乱は起きようがなかったのだ。 さらに幕府は謀反を防ぐため参勤交代(1年交代で江戸と地元を往復…

丸亀城 城と迷信

…を使って水面まで降りた。その時、大きな石を上から落とされて井戸の底に沈んでしまった。こうして裸重三も城の人柱にされたと伝わっている。 このふたつの伝説は真実とは考えにくい。豆腐の売り歩きは江戸になってからの文化であるし、石工が道具を使って石垣を登っても特段警戒するようなものではないからだ。伝説ができたのはその後の生駒氏の運命が影響している。親正の曾孫の代に起きたお家騒動が原因で、生駒氏は諸侯ではなくなっている。あまりにも早い支配者の交代に、市民が理由をつけた結果かもしれない。

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