攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

城下町 の検索結果:

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編♯6】

…プラスチックの袋に「城下町小田原」と書かれて、清月さんの印が添えられているオリジナルのシールが貼られています。三つ鱗の家紋が背景にあり、北条氏の城下町を物語っています。 あんは、粒あん。詰めたてほやほやのあんだけに、もなかの皮の隅々にまであんは詰まっていない。もなかの皮とあんはちょうどいい距離感です。 この城もなかを買ったのは、清月菓子店さん。 この城もなかの名前ですが、なんともシンプル。「もなか」です。 店頭で「もなか」という名称で売られており、城もなかであるが、城もなかを…

【サイン本プレゼントあり】「日本百城下町 ゆったり街さんぽ」のご紹介

…涼先生の新刊「日本百城下町 ゆったり街さんぽ」(笠間書院)をプレゼント用に献本していただきました。抽選で3名の方にプレゼントいたします! 日本全国に残る城下町を黒田先生自らが足を運んで現地取材されています。 日本がもっとおもしろくなる! 風情を感じる全国の古町100をめぐる旅。作家で街歩き案内人も務める著者が「城下町」にスポットをあて、100の城下町すべてを現地取材。特に魅力に感じたトピックス1、2点に絞って紹介する城下町案内本! 黒田先生には攻城団で開催した「江戸城ガイドツ…

城葱さんの「城もなか」道中記【鳥取・島根編】

…た雰囲気もある松江の城下町をぶらぶらしながら行くこともできます。有名な和菓子屋さんもいろいろあるので、私にとっては楽しめる正解のルート。松江城に徐々に自分の足で近づいていく感じもワクワクして楽しいです。 松江城へは短期間に三度も行ったので、見どころはたくさんありますが、まずは、天守。青空に映える黒い天守も美しいですが、夕陽が当たるので黒い松江城の天守が、赤くなる姿も見ることができます。 国宝の現存天守の松江城は、天守の外側から細かいところを見ても木造の匠の技というべきか、繊細…

【現在1766城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧

…分県佐伯市) 佐伯市城下町 観光交流館 300円 印刷 2020年11月 角牟礼城跡 御城印 角牟礼城(大分県玖珠町) 豊後森藩資料館、くすまちメルサンホール 300円 印刷 A6 2020年11月 賀田城 御城印 賀田城(島根県飯南町) 加田の湯 300円 印刷 2020年11月28日 小金城 御城印 小金城(千葉県松戸市) 流山鉄道・小金城趾駅、千葉ポートタワー 300円 印刷 2020年11月28日 玉造城 御城印 道の駅 多古あじさい館 300円 印刷 2020年1…

城葱さんの「城もなか」道中記【九州編】

…る所にあれば……。1城下町1店舗でできないかなぁと夢見ています。 なお、このお店は今回の九州一周城めぐりの出発点であり、終着点でもありました。本来は出発したところに戻ってくる必要はなく、城めぐりの効率性からも同じ場所にまた来る必要はありません。でもスタートで城もなかのイートインが嬉しすぎて、小倉城の城もなかで始まり、小倉城の城もなかで終わろうと思うようになり、自分の城攻めでは珍しく旅の出発と最後が同じ城ということをやってみました。 その結果、たまたまでしたが、最初に小倉城を攻…

全国各地で城もなかが進化中! 城もなかの可能性は無限大!

…)小田原内(小田原新城下町 1F 城下町市場))営業時間 10:00~20:00 / 定休日 不定休(minaka(ミナカ)小田原に準ずる) / 電話 080-9550-1000 全国進化系城もなか一覧 進化系城もなかは、全国各地にあります。ただ、城もなかほどはまだ普及・分布は進んでいないのかなぁと思うところ。わたしも食べたことがないものもあり、ネット等の情報でしかまとめられていないものもありますが、お城めぐりとあわせてお立ち寄りいただけるよう、表にしてみました。 全国の進化…

中村優希さんによる「〈幻の安土城〉復元プロジェクト・歴史セミナー 安土城復元研究の過去・現在・未来」参加レポート

…屏風」には、安土城と城下町が緻密に描かれたとされ、安土城の外観が記録された点で、安土城復元において重要な価値を持つ作品です。織田信長はこの屏風絵を当時のローマ教皇グレゴリウス13世に献上し、教皇はそれをバチカン宮殿に飾らせたとされますが、その直後に教皇が急死し、遺品整理で屏風絵がどこかに移されて以来、現在まで屏風の所在が不明となっています。 新保先生は屏風そのものはもちろんのこと、当時屏風を見た人々や、屏風に関心を持っていただろう人々のことを辿っていくという、先生の言葉で言う…

【プレゼントあり】日帰りで行ける福島の城と城下町めぐり〈CJ Monmo〉

…馳せて 福島県の城と城下町【会津若松コース】 会津の街並みに息づく、懐かしさと新しさを訪ねて 旅の始まりは、腹ごしらえから。飯盛山にもほど近い市内慶山にある、2023年3月にオープンしたばかりのそば処『會津おにやんま』。趣のある古民家を活用した店内で、のど越し良く仕上げた二八そばが食べられる。店主の石井さんは日光や伊豆などの旅館で腕を振るった経験を持つ和食のスペシャリスト。そばはもちろん、天ぷらやビュッフェに並ぶ総菜、サラダにも丁寧な仕事ぶりが光る。 毎朝打つそばは福島県産「…

城葱さんの「城もなか」道中記【千葉県編】

…して提供され、佐倉の城下町の歴史と郷土の誇らしい食文化を若き童たちに身をもって伝えていること! なんと佐倉市では、毎年11月16日の佐倉市教育の日付近で市内の学校の給食に登場しています。年一度の行事食となっており「お城の最中」が出ることを楽しみにしている児童・生徒もいるそうです。あんは、給食オリジナルで、しかも学校それぞれで違うみたい。地場産物の「さつまいも」が多いが、地場産物の「やまといも」を使ったものや、あずきの餡を詰める学校もある。白玉付きのところもあったよう! そんな…

福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館へ行ってきました

…約500点の出土品や城下町を再現した巨大ジオラマもあり、朝倉氏の歴史についてたっぷりと学べる展示内容となっています。(さらに訪問時は特別展も開催中でした) 瀬戸さんに館内を案内してもらった 今回は博物館団体ガイド(4000円)に申し込んで対応していただきました。このガイドは人数に関係なく定額なので、たとえば4人なら割り勘でひとり千円になります。いちおう20〜30人をこえるとガイド2名になるとか上限もあるそうですが、家族や友人で訪問する際は検討してみてもいいかと思います。なお土…

福井城へ重ね捺し御城印スタンプラリーの取材に行ってきました

…ていた「ふくい“桜”城下町」イベントの期間中でもあったのであわせて見学してきました。 結果から言うと、この「ふくい“桜”城下町」がものすごい人出で、スタンプラリーをしている人にほとんど会うことができませんでした。各スポットの方に尋ねるとふだんはもっと来てますということだったので、天気が良すぎて花見とお祭りが優先されたのかもしれません。そんなわけで、ほとんどぼくとカメラマン(山口さん)のふたりで5か所のスポットをまわった記録となりますが、ぜひご覧ください。関係者なので贔屓目に見…

細川玉子さんによる京都御城印サミット開催レポート(2日目)

…福知山市は江戸時代に城下町として栄え、多くの方が行き来する町となりました。その結果、手土産文化が根付きお菓子屋さんが増え、今ではスイーツのまちとして発展されたとのこと。美味しいお菓子のお店が、市内各地にたくさんございます。さらに江戸時代では、福知山市のお菓子を献上していたという記述もあるそうです。 斬新なPRで常に話題になる福知山市!福知山市が多くの方に注目されること、とても嬉しいなと思います。 さらに、26日(日)には「福知山城・明智衆」の皆様も、ブースの応援にかけつけてお…

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編#4】

…家に飾りたい。小田原城下町もなかの風月堂さんにもあったよな……どこかで専門に作ってんだろうか……また新しい探究のターゲットができました。 また、この店を代表する銘菓だけに、大きな看板、各種認定証が飾られていて大変目立つ。お店の誇りが、城もなかって最高だよね。 丸寿さんへは最寄駅が辻堂駅です。辻堂駅のほか、藤沢駅からもバスに乗って行くこともできるようです。辻堂駅から丸寿さんまでは徒歩20分です。辻堂駅から北東に迎えば、丸寿さん、そしてさらに北に徒歩35分で大庭城があります。 私…

知ってる? 水野勝成

…始めた。その功績は、城下町の建設、産業の育成や全国初ともいわれる藩札の発行、全国2位の規模の上水道の敷設、荒らされていた神社仏閣の修理・再建等など数え切れないほど。戦場での破天荒具合からは想像もできない名君ぶりに、周囲も驚いたとかなんとか。 その13. 孫と出陣する75歳 島原の乱に九州の大名以外で唯一の参陣。勝成(75歳)は、息子、孫とともになんと三世代で戦へ。水野軍は最後列にいたがやっぱり本丸一番乗りを争った。何歳になっても、一番乗りはやめられない。 その14.隠居後も変…

城葱さんの「城もなか」道中記【岩村編】

…ドで知られる岩村城の城下町。表御門や太鼓櫓が復元されるなど、情緒あふれる城下町はドラマのロケにも使われるなど人気観光地になっています。地元ではカステラが有名とのことですが、もちろん我らが「城もなか」も存在感を発揮しています。しかも意外なコラボ餡を使ってました。おいしそうな写真とあわせてじっくり楽しんでください!! 今回は岐阜県の岩村の城もなかと出会う旅に、城めぐりをしながら行ってきました。 岩村の城というと、言うまでもなく、圧巻の6段石垣で有名な岩村城です。この6段の石垣のほ…

城葱さんの「城もなか」道中記【犬山編】

…たのは国宝・犬山城の城下町。近年、犬山城下町はスイーツ通りと呼ばれるほど、和菓子洋菓子のお店が立ち並んでいるのですが、もちろん我らが「城もなか」もしっかり陣取っているようです。おいしそうな写真とあわせてじっくり楽しんでください!! 今回は犬山の城もなかと出会う旅に、城めぐりをしながら行ってきました。 犬山の城もなか、つまり犬山城の城もなかです。犬山城は城めぐりを始めたばかりの頃に、国宝犬山城というものをはじめて知って訪れた若かりし頃の思い出も甦る印象深いお城です。何度行っても…

たかまる。さんの連載「家康の城」の最終回を記念して攻城団テレビで生配信しました

…須越し」をおこなって城下町そのものから再構築した名古屋城を取り上げて、築城・改修の背景や縄張り、遺構の紹介などをとくに家康との関係を中心に書いていただきました。 事前にたかまる。さんには「まあ1時間程度ですよ」と説明していたんですけど、気づけば2時間半くらい話してましたね。でも見てる人はどうかわからないけど、ぼく自身めちゃくちゃおもしろかったです。見てる方も楽しんでいただけたらうれしいですし、もしおもしろかったらぜひ感想を聞かせてくださいね。 せっかく作ったのでスライドも共有…

【家康の城】江戸城 世界有数の一大城郭と城下町!

家康が幕府を開いた江戸は、くしくも豊臣秀吉に命じられて移封した先。世界有数の一大都市となる基礎を築いた家康ですが、その道のりは平たんではなかったはずです。天下普請によって築かれた江戸城と家康時代の天守を最新研究結果から探ってみます。 江戸城を大城郭へ 山を切り崩して埋め立て、広大な土地を確保して大城郭とした 江戸城は太田道灌が築いた城と言われています。家康は、1590年(天正18年)の小田原征伐後に秀吉より東海五カ国から関八州への転封を命じられたため、それに従って江戸に入城し…

【家康の城】浜松城 家康が大いに学ぶ機会となった城!

…す。三の丸を整備して城下町を拡張したのは、家康が駿府城に移ったのちの堀尾吉晴時代かさらにそれ以降の譜代大名が城主のときなので、家康時代の浜松城は江戸時代の絵図にある「古城」=引馬城を東端として二の丸、本丸、清水曲輪あたりの中枢部と、そこから堀を挟んだ北西対岸の「作左曲輪」までと考えられます。 この間に徳川の築城技術は格段に向上します。それは武田の城での戦の経験や武田旧家臣の取り込みによるものです。特に「横堀」と「馬出」を取り入れたことは非常に大きな変化となりました。2014年…

城葱さんの「城もなか」道中記【小田原編】

….jp 2.「小田原城下町もなか」(風月堂) 1個170円 皮は三層角左寄り型。どこかで見たことがあるような、城もなかマップでも確認できる!そうです、上田城の城もなか、昌平堂さんの「上田城真田十万石」の皮と同じじゃないか! またここに城もなかの思いがけない関係を皮が導いてくれました。 特徴的な廻縁と高欄があり、破風の中も彫り込まれている。手が込んだ型で作られている。右側の入母破風の下からちょこんとくっついている小さな千鳥破風のようで、向唐破風のようでもある。そこも細部にこだわ…

城葱さんの「城もなか」道中記【福井県編】

…井県! 越前大野城の城下町には城もなかはもちろん、バリエーション豊かな城菓子がいろいろ見つかったそうです。読むとお腹が減る渾身のレポートをさっそくお読みください! 今回は、福井の城もなかと出会う旅に、城めぐりをしながら行ってきました。福井の城もなかというか、福井の越前大野城の城もなかと城もなかサブレに会いに行ってきました! 福井県にはかつて行ったことはあったのですが、越前大野城には初めての城攻めでした。なかなか福井県に行く機会もなかったので、大変貴重な旅となりました。福井県に…

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編#2】

…n.jp 2.「烏山城下町最中」(美与志堂) 1個150円 皮は「三層角左寄り型」だが、珍しいオリジナルの型。見方によっては四層にも見えないこともないが、ぱっと見では三層なので、三層と判断する。望楼の部分や屋根の瓦の筋までもしっかりわかる皮。 皮には、城もなかでよく見る焼き型によるものなのか、どうしてできるのか不明な色違いの帯がはっきりと縦に走っているのが見える。えびすや丸山菓子店さんの城もなかと比較しても、まったく感じの違うオリジナルの皮で、比較的シャープな印象の皮。 烏山…

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編】

…城もなかのため、また城下町を少しでも堪能するため、ぜひ足を延ばしてみていただければと思います。 園月堂本舗 福島店(長野県諏訪市中州5398-1)営業時間 9:00~19:00 / 定休日 不定 / 0266-58-1547 collection.kojodan.jp 園月堂本舗 清水店(長野県諏訪市清水1-2-12)営業時間 9:00~19:00 / 定休日 火曜日 / 0266-52-1543 collection.kojodan.jp 諏訪高島城への城攻め 諏訪高島城は…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑧――わずかな兵に乗っ取られた城・稲葉山城

…入ると、この城および城下町を古代中国の故事に基づいて「岐阜」と命名した。そこには天下統一に向けての意思が反映されている、という。信長が安土城に譲った後も、嫡男の信忠がここを拠点として武田氏への押さえをつとめたから、城の価値が失われたわけではない。しかし信長・信忠ともに本能寺の変で死に、信長の孫・織田秀信(おだ ひでのぶ)の代に関ヶ原の戦いの前哨戦で落城。徳川家康の娘婿にあたる奥平信昌(おくだいら のぶまさ)が領主となったものの、彼が居城として別の新しい城(加納城)を築いたため…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑦――支城を失い、戦意を失った城・観音寺城

…による補強がなされ、城下町も形成された。しかし、六角氏がこの城を放棄するとともに廃城になっている。 六角氏がこの城を捨てなければいけなかったのは、1568年(永禄11年)の織田信長による侵攻が原因だった。信長は足利義昭を奉じて上洛したかったのだが、その進行ルートには信長の上洛に反発する三好三人衆と通じる六角氏と観音寺城が陣取っていた。信長もまずは「近江通過の保障がほしい」と平和裏な説得を試みたが、六角氏側が受け入れなかったので、両者は激突することになった。 時の当主であった義…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく④――支城を漬され、大名の逃げた城・有岡城

…あった。平城であり、城下町全体を取り囲む惣構えを備えていた。『日本史』で知られるポルトガル人宣教師のルイス・フロイスが「壮大にして見事なる城」と書き残していることから、結構な規模であったらしい。 村重は信長に忠実で、彼の近畿支配構想において重要な人物だった。そのため、村重の謀反を聞いた信長は最初、その報せを信じなかったといわれている。なぜ謀反に踏み切ったのか、その理由ははっきりとはわかっていない。しかし、彼が信長の敵である石山本願寺に内応していたことは明らかとなっているため、…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は⑦――囮としての役割を果たした城・伏見城

…城だ。その2年後には城下町の建設も開始され、城下には大名たちの屋敷が築かれていった。ところが、この城自体は4年後に大地震で倒壊してしまう。その後、木幡山に場所を移して再建され、豊臣政権の政治拠点となった。 秀吉の死後は一時徳川家康が入ったものの、関ヶ原の戦いで焼失。一度は再建された(大坂城を包囲する城のひとつとしてだったようだ)が、豊臣氏が滅亡すると役割を失い、廃城となる。そしてこの伏見城こそは、関ヶ原の戦いの序盤の舞台となった場所である。家康が「五大老のひとり、上杉景勝が謀…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は⑥――武田信玄・上杉謙信を撥ね除けた城・小田原城

…れに見る巨城であり、城下町を丸ごと包みこむ約12キロの大外郭が特徴であった。のちには豊臣秀吉の率いる大軍の前に白旗を揚げることになるが、戦国時代を代表する城のひとつといえるだろう。 そんな小田原城を襲った危機は三回。この項ではそのうち二回について紹介することにしたい。まず、1561年(永禄4年)に上杉景虎(謙信)が11万3千ともいう大軍で押し寄せてきた。時の当主、北条氏康は鉄砲や兵糧を集めて籠城の構えをとりつつ、同盟を結んでいた武田氏と今川氏に救援要請を送る。それを知った景虎…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城・名勝負ピックアップ⑩――戦うことなく炎に消えた城・安土城

…できることで、安土の城下町は大いに栄えたとともに、信長はいつどこに出陣することになっても迅速に兵が動かせたわけだ。 また、この安土城には天皇が行幸するための建物が築かれていたらしい。実際に行幸が行われることはなかったようだが、信長はもともと将軍や天皇といった権威を活用するのが意外なほどうまかった男である。「天下人の城」に天皇を迎えることで、さらなる権威付けを図った、というのは十分にありうる話だ。防衛という面から見ても、標高199メートルの安土山に築かれ、壮大な石垣を備える安土…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城・名勝負ピックアップ⑦――外交交渉で裸にされた城・大坂城

…にあった「惣構の堀(城下町全体を含む防御構造)を埋め立てる」という項目を拡大解釈し、内堀以外のすべての堀を埋め立て、かつ塀や櫓まで破壊する、という強硬手段に出たのである。もちろん、こんなことをして和睦が続くはずもない。大坂城方は再び合戦の準備を始め、それを再戦の口実にして家康もまた再び諸大名に出陣を命じた。戦国時代の最後を飾る大戦、「大坂夏の陣」の幕開けである。 堀を埋められてしまった大坂城では、もう籠城戦はできない。家康は策によって天下の名城を無力化してしまったわけである。…

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