攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

2023-01-01から1年間の記事一覧

【家康の謎】家康はなぜ嫡男信康を殺したの?

松平信康事件(築山殿事件)は信長から命じられたのではなく、むしろ逆で家康が婚姻同盟相手の信長に嫡子を排除することの許可を求めたと考えられています。大河ドラマでは五徳(徳姫)が父に言いつけると脅している様子が描かれていましたが、夫婦仲がラブ…

【家康の謎】しかみ像っていつ描かれたの?

しかみ像が三方ヶ原の戦い後に描かれたものではないというのは最近よく知られるようになりましたが、この絵のインパクトは大敗を喫した直後のものだと信じさせる説得力がありますよね。 (でもちゃんと否定していかないと誤情報が広まりつづけるので気をつけ…

「分国法ってなに?」の動画を公開しました

今回は戦国大名が定めた「分国法」について榎本先生に教えてもらいました。いまだにちゃんと理解できてないのですが、織田信長や徳川家康が作ってないことを踏まえても分国法ってそこまですごいものではなさそうです。

【家康の謎】家康が採った空城計ってなに?

空城計は「名探偵コナン」でも登場するくらいメジャーですが、そもそも正史ではなく娯楽小説『三国志演義』に書かれていたように諸葛亮孔明のエピソード自体が創作とされています。ちなみに『兵法三十六計』というのは「三十六計逃げるに如かず」で有名なア…

【プレゼントあり】日帰りで行ける福島の城と城下町めぐり〈CJ Monmo〉

攻城団に見本誌を送っていただいたので拝読したところ、初心者にも大変わかりやすく、福島県内のお城を訪問する際のモデルコースが掲載されていたので、記事の一部を転載させていただきます。 あわせて雑誌のプレゼントもご用意いただいたので、東北エリア在…

細川玉子さんによる「福知山お城まつり」レポート

4月15日(土)16日(日)の2日間に開催された「福知山お城まつり」のレポートを京都・長岡京おもてなし武将隊つつじの細川玉子さんに書いていただきました。たくさんのご当地キャラも集まって大変盛り上がったようですね。 福知山はスイーツでも有名ですが、…

城葱さんの「城もなか」道中記【千葉県編】

「城もなか」を求めて全国を飛び回る城葱さんが今回向かったのは千葉県。佐倉城と館山城という南北に位置するお城の城もなかを紹介していただきます。おいしそうな写真とあわせてじっくり楽しんでください!!

【家康の謎・番外編】十八松平と十四松平、あるいは徳川家康のルーツとは

今回は「家康の謎」番外編として、徳川家康のルーツについて榎本先生にコラムを書いていただきました。「なんとか松平」がたくさんあることは知っていましたが、これらの分家がどの代で分かれたかって知ってました?(とはいえこの家系図も真偽が怪しいそう…

細川玉子さんによる「どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」レポート

京都・長岡京おもてなし武将隊つつじの細川玉子さんに「どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」の訪問レポートを書いていただきました。 大河ドラマ館ってほとんど撮影NGの印象が強かったのですが、撮影可能な場所も多そうで素晴らしいですね。 木彫りのうさぎな…

四百年遠忌記念特別展「大名茶人 織田有楽斎」のプレス内覧会に参加してきました

京都文化博物館で開催される四百年遠忌記念特別展「大名茶人 織田有楽斎」のプレス内覧会に参加してきたので、そのレポート記事を書きました。

福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館へ行ってきました

昨年10月にオープンした福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館へ行ってきました。団員の瀬戸さんにマンツーマンでガイドしてもらったので楽しく見学できました。

【家康の謎】家康はなぜ三方ヶ原の戦いで戦ったのか?

平山先生によれば、信玄が浜名湖水運の重要拠点である堀江城を狙ったので、三河からの補給路を絶たれることを恐れた家康は出陣せざるを得なかったとか。家臣や国衆へのパフォーマンス説とあわせ技ってところかもしれませんね。

福井城へ重ね捺し御城印スタンプラリーの取材に行ってきました

福井城で重ね捺し御城印スタンプラリーがはじまったので取材に行ってきました。ちょうど桜が満開のタイミングで花見やお祭りに人が流れていたのですが、スタンプのデザインにもなっている春の福井城をぼくも堪能してきました。ぜひご参加ください!

細川玉子さんによる京都御城印サミット開催レポート(2日目)

圧倒的なボリュームなので2回にわけての掲載となりましたが、京都御城印サミット2日目のレポートです。

細川玉子さんによる京都御城印サミット開催レポート(初日)

2日間にわたりぼくといっしょに司会をつとめてくれた細川玉子さんに京都御城印サミットのレポートを書いていただきました。まずは初日のレポートをご覧ください!

【家康の謎】家康が信仰していたのは何宗?

上杉謙信や武田信玄などそもそも出家後の法名(法名)で知られる戦国武将も多いですが、徳川家康が複数の宗教を信仰していたことはご存知でしょうか。江戸のまちづくりにおいても鬼門と裏鬼門の位置に寛永寺(天台宗)と増上寺(浄土宗)を建てたそうです。

「歴史遺産ウォーク in 那珂川『二つの山城跡と菩提寺を巡る歴史ツアー』」開催レポート

武茂城のガイドツアーが開催されました。このツアー参加者に配布する御城印を攻城団が製作したのですが、ツアーも御城印も大変好評だったようです。 那珂川町観光協会の山口さんにレポートを書いていただきましたのでぜひお読みください。

【家康の謎】家康の趣味は鷹狩らしいけど、なぜ鷹狩をするの?

戦国武将には鷹狩が好きな人が多いですが、家康は子どもの頃から鷹狩りが大好きで今川氏親の菩提寺でやろうとして怒られたこともあるとか。軍事訓練説よりも天皇や貴族の趣味に武士が憧れたという説のほうが説得力はありそうですね。

【家康の謎】家康はなぜ曳馬城を浜松城に改名したの?

浜松城はもともと曳馬(引馬)城という名前で、これは縁起が悪いという理由で改名した説があるのですが、だったら今川時代になぜ改名しなかったのかがわからないんですよね。ただほかに例はあるのかと言うと、信長が生まれたとされる勝幡城も同様だそうです。

細川竜太郎さんの姫路城攻城レポート

細川竜太郎さんに姫路城の攻城ブログを寄稿していただきました。

【家康の謎】家康はなぜ「徳川」に改姓したの?

いまとなっては「神君」の苗字として唯一無二の存在である「徳川」姓ですが、どうして家康が姓を変える必要があったのかをさぐっていくと、どうやら一族や家臣団を統制していくうえでの権威づけが目的だったようです。

【家康の謎】家康は源氏なのか

源氏でなければ征夷大将軍になれない、なんてことはないのですが、徳川家康の祖父である松平清康(あるいはそれ以前)から源氏を名乗っていたようです。ただその確たる証拠は家康自身も見つけられなかったようです。

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編#4】

「城もなか」を求めて全国を飛び回る城葱さんが今回向かったのは小山田城(町田市)と大庭城(藤沢市)。小田急でめぐる城もなかの旅ですね。おいしそうな写真とあわせてじっくり楽しんでください!!

京都市考古資料館で「THE 金箔瓦」を見てきました

現在、京都市考古資料館で開催中の特別展示「THE 金箔瓦」を見てきました。写真をいっぱい撮ってきたのでおすそわけ(でも瓦の質感は自分の目で見てもらいたいです)。

たかまる。さんの連載「家康の合戦」の最終回を記念して攻城団テレビで生配信しました

たかまる。さんの短期集中連載「家康の合戦」の最終回を記念して、徳川家康の合戦をテーマに榎本先生を交えて3人でトーク番組を生配信しました。

【家康の謎】家康は何回名前を変えてるの?

主君から一字もらったり、あるいは苗字の使用を許されたりと戦国武将はいろんな事情で名前を変えています。徳川家康も今川義元から偏諱を賜り「松平元信」と名乗るなど何度か名前を変更しました。

【家康の合戦】大坂の陣(冬の陣、夏の陣)豊臣を滅ぼした家康最後の大戦!

家康の最晩年におこなわれた合戦が「大坂の陣」です。豊臣一族を滅ぼしたいというよりはおそらく関白家としての豊臣家を羽柴家に戻し、いち大名として臣従させたかったんでしょうけど、うまくいかないものですね。

【家康の謎】家康はなぜ「家」の字を選んだの?

元康の「元」の字は今川義元から与えられた偏諱ですが、家康の「家」の字はどこ由来なのか。じつはいろんな説があるものの、じっさいのところよくわからないそうです。

細川玉子さんによる「京田辺伊賀越えスタンプラリー」参加レポート

京都・長岡京おもてなし武将隊つつじの細川玉子さんが京田辺市で現在開催中の「京田辺伊賀越えスタンプラリー」に参加してきたそうです。全スポットを制覇された写真満載のレポートをぜひお読みください!

【家康の合戦】関ヶ原の戦い 豊臣政権の内部抗争

日本でいちばん有名な合戦が「関ヶ原の戦い」でしょう。天下人・徳川家康の誕生を決定づけた合戦ではありますが、主力は豊臣恩顧の大名たちであるなど、かなり危うい勝利だったようです。三成にもう少しだけ人望というか柔軟性があれば結果はちがっていたで…

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