攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

曲輪 の検索結果:

城葱さんの「城もなか」道中記【鳥取・島根編】

…空いており、いったん曲輪から降りなければ行けません。二の丸から本丸を、本丸から二の丸を眺めるのも攻め手・守り手の気分となるポイント。本丸の奥には勝日高守神社があります。 本丸まで攻め落としたら下山してしまいそうですが、忘れては行けないのは、山中御殿からいける塩谷口。 山中御殿を突き抜け、七曲へ登る道を素通りして、奥に行くと、塩谷口があります。個人的には特に好きだった見どころの石垣があります。人ひとりくらいしか通れなそうな石垣の隙間やそこから覗く青空。また降りて行けば、高い石垣…

2023年に訪問して良かったお城

…つなぎの城に大規模な曲輪は必要ないので、「賤ヶ岳の戦い」の前に急ピッチで改修したのも事実だと思います。 中腹にある駐車場から約30分ほど急勾配の登山道をのぼっていくと、あとはほぼ平坦なので山城としての難易度も低めです。この点がもっともオススメしたいところで、同じ滋賀県の山城、小谷城や安土城と比べてもはるかに楽だったのは驚きました。「山城に行ってみたいけど大変そうだし、遺構を見つけられるか不安だ」という方には全力で薦めたいのが玄蕃尾城です。 ただしひとりで行くのはオススメしませ…

諏訪原城~武田・徳川が奪い合った数奇な山城~

…堀を隔てて設けられた曲輪※のことを指し、曲輪の形が半円形のものを丸馬出、四角形のものを角馬出と呼びます。武田氏の築城術には丸馬出を多用する特徴があります。丸馬出を設けることで、攻めてくる敵はまっすぐに虎口に攻めることができず、敵の侵攻経路を制限することができます。また、馬出に兵を待機させておくことで、攻め込んでくる敵に対して、弓矢や鉄砲で攻撃することも可能となります。つまり、丸馬出は攻守両面を担う砦だったのです。 ※曲輪…尾根や斜面に作った平面地で、堀や土塁を設けて区画した区…

中村優希さんによる「〈幻の安土城〉復元プロジェクト・歴史セミナー 安土城復元研究の過去・現在・未来」参加レポート

…切り欠きは天主台麓の曲輪の形状や建物の配置に制限や影響を受けたためか、天主台隅部の崩壊を防ぐためのものであると解釈することができると思われます。なお、天主台の形状は後世の諸城郭の天守のように天守建物の平面形状をそのまま反映する整った形状であるというよりは、むしろ曲輪のように自然地形を反映した形状であるという見方をすることができ、この形状の成立過程からして安土城天主台は1つの曲輪でありながら、なおかつ実質的な役割は天主台であるという二面性を備えているのではないでしょうか。 また…

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編♯5】

…丸のほか、いくつかの曲輪で構成されています。 シンボル的存在でもある復元された土橋門や近くの井戸、枡形、土塁に塀と見所はたくさんありますが、本丸跡に残る大きな土塁や、三の丸の遊歩道外の土塁なども個人的にはいい感じでした。土橋門から三の丸の外側をぐるりと回る道も土塁の高さを感じるいい道でした。土橋門のある三の丸で終わらず、本丸の方まで足を伸ばして欲しいです。 館林城は市民の施設が立っていることから、市民の生活に城がある感じがして、なんだかほっこりするとともに、もう少し歴史のある…

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編#3】

…神社や天狗の像、小宮曲輪、松木曲輪と見たら、次はいよいよ大天主(詰城跡)へ! 本丸から富士見台方向へ向かう。八王子城の案内板でも、書いてあるのとないのがある、また端っこの方に書かれているマニアックポイントですが、その向こうに大きな堀切もあるし、富士見台まで行けば、天気が良ければ、ひょっこり富士山もちょっと見えます。時間があればぜひ行っておきたいところ。 甲斐上野城の城もなか 「雪の椿城」(瓦屋) 雪の椿城は、甲斐上野城の城もなかで、甲斐上野城が「椿城」と呼ばれたことから雪の椿…

【家康の合戦】高天神城の戦い 武田vs徳川の攻防戦!

…り攻撃を開始。周辺の曲輪から徐々に落としていき、5月28日には本曲輪、二の曲輪、三の曲輪などが残るのみとなり、さらに6月10日には堂の尾曲輪が落ち、本曲輪と二の曲輪を残すのみとなってしまいました。援軍要請されていた信長はようやく6月14日に岐阜を出立し、6月17日には三河吉田城に入城しました。 しかし、高天神城の小笠原はもう耐えきれないと判断し、6月17日に降伏、開城しました。信長の援軍がもう少し早ければ情勢は変わっていたかもしれません。降伏の知らせを聞いた信長はすぐさま岐阜…

【家康の城】名古屋城 家康築城術の到達点!

…ます。そのひとつは、曲輪を方形にしてずらすように配置していることです。曲輪と曲輪の間は細い通路=鵜の首(うのくび)と呼ばれ、敵の侵入を容易にさせない工夫がされています。全部で6か所の鵜の首があります。特徴の二つ目は馬出です。馬出は武田流築城術で知られていますが、武田氏滅亡後に召し抱えた武田家臣団によりその技術が大きく利用されています。馬出は本丸南の大手と東の搦手の2か所ですが、その大きさは全国有数と言えるでしょう。特徴の三つ目は枡形門と多門櫓です。馬出から土橋を渡った先には枡…

【家康の城】江戸城 世界有数の一大城郭と城下町!

…堀で仕切られた二つの曲輪があった程度で、城の改修は必要最低限に留めたと言われています。大きく築城を行うのは1603年(慶長8年)の将軍宣下を受けてからになります。つまり、将軍になった後にその城としてふさわしい形に大きく作り替えていったのです。 国家プロジェクトでの築城 江戸城にも最先端技術が導入され、国家プロジェクトで築城された 最初の工事は、神田山を切り崩して日比谷入江を埋め立て、前島を堀割して道三堀や平川へと接続させる工事で70家の大名に手伝い普請を命じています。諸大名は…

【家康の城】駿府城 家康初となる石垣づくりの近世城郭!

…5日には「御構え二の曲輪の堀普請をした」、2月13日には「城(堀か?)普請が出来た。石取りをした」と書かれています。つまり天正13年から15年にかけて駿府城普請が行われていたことがわかります。 家康が大拡張して17年間も居た浜松城から駿府城に移ったのには大きなわけがあります。それは前年に起こった「小牧・長久手の戦い」です。家康は織田信雄との同盟のもと、本能寺の変後に織田家臣団の中で一気にトップに躍り出た羽柴秀吉と激突したのが「小牧・長久手の戦い」です。この戦いでは、犬山城を奪…

【家康の城】浜松城 家康が大いに学ぶ機会となった城!

…や土塁で囲んだ4つの曲輪がある並立的な館城(やかたじろ)だったと想像されます。現在でも土塁などの痕跡が残り、地籍図によっても堀跡が確認できます。浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブで江戸時代に描かれた浜松城の縄張りを見ることができます。あわせてご覧ください。 浜松市 歴史資料 絵図 浜松城と城下の絵図 家康は武田信玄の遠江侵攻に備え、この引馬城の堀を西の高い丘まで延ばして城の面積を広げる形で城を大拡張しました。それが現在の浜松城の原型となっています。このとき、…

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編#2】

…お気に入りスポット。曲輪の上から狙われる感じと、高低差が際立ち、二股の分岐があるのもかっこいい場所です。通路を黒い柵などで囲っているところと特徴的ですね。少しだけ、京都に来た気分になるのは私だけでしょうかw 本丸跡では、近所の野球少年たちが必死にバッティング練習していました。地域に愛される城跡ですね。 その他の小机城の城菓子 1.折本やさんの「城サブレ」 1個180円 三層角右寄り型の皮の片面に黒胡麻きなこ味のサブレが詰まっている。城もなかの皮を使ったいわゆる「城もなかサブレ…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城にまつわる面白い話②――秀吉の一夜城(その2)・石垣山城

…じてなかった。複数の曲輪と穴太衆による石垣を備えた、立派な城である。この城を80日余で仕上げたというのだから、すさまじい突貫工事である……塀や壁に紙を貼って白壁に見せかけた、といったある種のペテンはあったにせよ。 しかし、80日余かかったのだから、「一夜城」というのはこれだけではちょっと無理がある。にもかかわらずこの名がついたのには、さらなるペテンの存在がある。実は工事中の間、この城の前面には樹木が立ち並んでいて、小田原城から見えないようになっていた。そして完成するやこの木を…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】悲劇の舞台④――お市の方が最初の夫と死に別れた城・小谷城

…た山城であり、長政の籠もる本丸とその父の籠もる小丸の間には京極丸という曲輪があった。まず秀吉がこの京極丸を落として両者を分断し、さらに小丸を攻めて久政を死に追いやる。その翌日、本丸もまた落ち、長政は自刃して果てたのである。 この際、長政は妻・お市の方と三人の娘たち(いわゆる浅井三姉妹)を道連れにしようとはしなかった。彼女たちは信長の下に送り届けられ、しばらくは静かに暮らすことになる。ただ、嫡男の万福丸は密かに脱出したものの、捕らえられて処刑されたという。 kojodan.jp

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城・名勝負ピックアップ⑤――勇ましくも美しき女武将の活躍した城・安濃津城

…週間ほどで安濃津城は曲輪を次々と落とされ、ついには本丸にも危機が迫っていた。そんな絶望的な状況下において、信高は自ら城外に打って出て雄雄しく戦ったが、ついには彼自身も危機に陥ってしまった。そこに現れたのが、十代後半の若武者であった。赤い鎧を身にまとい、片鎌の槍を構えたこの若者は、信高の周囲にいた敵将を次々と討ち取ってしまった。信高はさぞ驚いたに違いない――それは誰あろう、自身の夫人(おみのの方、と伝わる)であったのだから。 彼女自身は「夫を救う!」というよりは「このまま城が落…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城をめぐる戦いの様相①――前準備をしっかりと!

…そこで、「どこそこの曲輪は最初から放棄しよう」などと防衛線を縮小し、実質的な防御力を上げる必要がある。 兵の配置を考えるに際しては、彼らの持っている武器のことも考えなければいけない。弓矢や鉄砲といった遠くから攻撃できる飛び道具は籠城側にとっても攻城側にとっても非常に有用だが、数がなかなかそろわない。そこで、何ヶ所かに集中的に弓矢や鉄砲を持った兵士を配置し、有効活用する必要がある。これに加えて、馬鹿にできない飛び道具が「石」だ。特別な訓練を受けていなくても使える投石は非常に有用…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】地形に合わせて縄張をする

…れをどのような形で各曲輪(城の区割りのこと)に分割するかを決める。堀や土塁・石垣の位置を決め、虎口(門を含む、城全体や重要拠点の入り口のこと。敵も味方も殺到する重要ポイント)の構造を決め、櫓(武器を備蓄したり立てこもって戦ったりするための建物。これが発展して天守閣になる)の位置を決めていく。 つまり、城の構造を設計するわけで、この工程を「縄張」という。地面に杭を打ち、縄を張って、どこに堀を掘るか、どこに建物を作るか、というのを示したことからこの名前がついた。ただ、いちいち縄を…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】本城の場所は「四神相応」であるべき?

…絶対的に必要だからである。日常的な居住空間として使うにしても、非常時に籠城するにしても、水が確保できなければ話にならない。 このような「水手」(飲料水)の問題も、城作りにおける重要ポイントである。井戸や貯水池のある区画は「井戸曲輪(水手曲輪)」と呼ばれ、厳重に守られた。籠城側としてはこれを守りきらなければいけないし、攻城側はここを破壊したり汚染したりできればかなり勝ちに近づく。それだけ重要なだけに、そもそも場所選びの時点から水手の問題は重視されたであろうことは想像に難くない。

【お城の基礎講座】89. 三大連立式天守(さんだいれんりつしきてんしゅ)

…で構成されています。曲輪内には東蔵と西蔵を設けており、塩蔵と銃弾蔵(鉛蔵)だったと言われています。連立式天守なので四隅に天守や櫓が建てられており、遠くまで見渡せて死角がないのが特徴です。大天守へ通じる小天守の玄関は唐破風が付いた御殿のような出入り口になっていますが、小天守から大天守に続く出入り口の扉は分厚く頑丈です。連立式天守は平山城の小高い山の上に立てられることが多いですが、和歌山上も下から見上げると天守群がとても大きく見え、圧倒的な存在感を示しています。 松山城(まつやま…

【お城の基礎講座】84. 三大山城(さんだいやまじろ)

…体に階段状に作られた曲輪と、山麓の居館とで構成されていました。山麓の太鼓櫓や表御殿は平成になって復元されました。 岩村城は海抜717mの高所に築かれた近世山城で、石垣が見事だ! 高取城(たかとりじょう) 筒井順慶によって近世城郭に改修された高取城は、標高583mの高取山に築かれました。比高は最も高い390mです。江戸時代は本多氏、植村氏が城主を務めました。南北に長い尾根筋に高石垣が築かれ、27基の櫓が備えられた大城郭でした。かつては三重三階の天守が小天守とともに建てられていた…

【お城の基礎講座】82. お城の忠実な復元・平成の復元ブーム

…原諏訪城(山上)には曲輪や土塁などの遺構が残る 名古屋城本丸御殿は当時の工法で復元された 【おススメの本を一冊】 「日本の城 天守閣 完全名鑑」です。日本に建てられている現存天守、復元天守、復興天守、模擬天守、怪しい天守風建物などすべての天守が掲載されている完全保存版です。お城めぐりに必須の一冊。もちろん、たかまる。は持っていますよ。一応、リンク貼っておきますね。 日本の城 天守閣 完全名鑑 (廣済堂ベストムック) 発売日: 2018/02/05 メディア: ムック まとめ …

黒まめさんのオンライン研究会「躍動する熊野の武士団」参加レポート

…東西約120m。一の曲輪、二の曲輪、大堀切、土塁、階段状の石積みなどが見られる。石積みの石は、在地の砂岩。投石用と思われる川原石が出土。 説明板 居館から詰の城八幡山城を見る 土塁上の石積み ③中山城 安宅荘(居館跡があるあたり)から日置川をやや遡った田野井地区に位置する。最高所は約38m、大小2つの方形曲輪が組み合わさる。出土物は少ないが、15世紀後半から16世紀初頭を主として、16世紀後半や17世紀前半の遺物も出土している。 説明板 土塁に囲まれた曲輪Ⅱ 内堀 ④土井城 …

【お城の基礎講座】74. 中世城郭(ちゅうせいじょうかく)

…原諏訪城(山上)には曲輪や土塁などの遺構が残る 一乗谷城朝倉氏館(福井県)や江馬氏下館(岐阜県)などは遺構が残っていたり復元がされているなど、中世城館を見るのに適しています。 山城の構造 中世城館に最も多いのは山城です。山城は基本的に山の尾根伝いに段々畑のように小さな曲輪(くるわ)を幾つも連ねて要所要所に空堀や土塁を配置します。土で出来た城というのが基本です。石垣は土塁の土留め程度や虎口(こぐち)の脇に飾り程度に使われるだけでした。石垣を築くという技術がまだまだ未熟で低い石垣…

【お城の基礎講座】68. 庭園(ていえん)

…臣秀吉は大阪城の山里曲輪に庭園を作ったとされています。茶室や御殿と庭園を設けて大名たちをもてなしたということのようです。秀吉以降の近世城郭には必ずと言っていいほど庭園が造られたようです。本丸御殿と庭園や、二の丸御殿と庭園などがセットで作られていました。庭園の多くは大きな池を海に見立てて、起伏のある地形や大きな石などを置いて山や平野を表現していました。 現存する庭園 現在でも大名の庭園が残されていますが、それらの多くは城外に作られたものです。日本三名園とされているのが 水戸の偕…

【お城の基礎講座】67. 横矢(よこや)

…りすみ)です。これを曲輪や地形にあわせて組み合わせて作っていきます。敵に対して死角を出きるだけ少なくしていくことがポイントです。 伊賀上野城の横矢。高石垣との組み合わせは最強 大阪城。横矢を掛ける位置には櫓を設ける 大阪城。ここを攻めようとは思わないだろう。なぜなら、横矢を掛けられるからだ 様々な横矢 様々な横矢を順にご紹介します。 入隅(いりすみ) 城郭の隅部を内側に折り曲げるもの。 出隅(ですみ) 城郭の隅部を外側に突出させるもの。 横矢枡形(よこやますがた) 城壁に枡形…

【お城の基礎講座】66. 馬出し(うまだし)

…ために作られた小さな曲輪(くるわ)のことです。半円形の丸馬出し(まるうまだし)と長方形の角馬出し(かくうまだし)の2種類があります。馬出しが作られた虎口の防御力は最強と言われますが、今回はその馬出しについて見ていきたいと思います。 馬出し(うまだし)は虎口を守る小さな曲輪 馬出し(うまだし)とは虎口(こぐち)の外側を守るために作られた小さな曲輪(くるわ)のことを指します。馬出しと虎口は掘で区切られていて、細い橋でつながれているのが通例です。馬出しの役割としては攻めてきた敵を迎…

細川藤孝と麝香のなれそめについて調べたら足利将軍が出てきた

…には「沼田丸」という曲輪があります。ここには沼田氏に与えた屋敷があったそうで、沼田氏も代々細川家に仕えました。 kojodan.jp 奥さんの実家を家臣にするというのはそう珍しくないのかもしれませんが、沼田氏と三淵氏を結びつけるために画策された結婚なのに、その両家ではなく細川氏が大名として残っていくというのも興味深いですね。ちなみに三淵氏のほうは藤孝の兄・藤英が信長によって嫡男とともに明智光秀の坂本城で自害させられますが、次男は助命されて藤孝に仕えて三淵氏も残っています。(こ…

【お城の基礎講座】56. 土塁(どるい)の構造

…を防ぐために、通常は曲輪の外側に作られました。堀を掘って余った土を盛って土塁とすることが多く、この方法を「かき上げ」といいます。土塁と堀はセットと考えると言われるのは、このためです。斜面の角度は通常は45度にされます。それよりも急だと雨などによって崩れやすくなり、それよりも緩いと敵が上りやすくなるからです。中世の山城や平山城の場合、自然の地形を生かしたものがあり、特に自然の地形を切り崩して土塁としたものは「切岸」(きりぎし)と呼ばれています。 土塁の名称 土塁の名称は、次の通…

【お城の基礎講座】52. 曲輪(くるわ)の名前

お城の基本となる曲輪(くるわ)は、その配置が重要です。なぜなら、防御施設として機能できるかが決まるためです。そんな曲輪には役割や方位によって様々な名前がつけられました。今回は曲輪の名前について学んでいましょう。 名称 曲輪(くるわ)に付けられている名前について、一般的なものを見ていきましょう。 本丸 天守や御殿などが建つ城の中心となる曲輪のことを指します。中世城郭では、主郭(しゅかく)や本郭(ほんかく)とも呼びます。 二の丸 本丸の次の位の曲輪です。二之丸、二丸とも書きます。…

【お城の基礎講座】51. 縄張り(なわばり)の三つの基本形式

…る一定の区画のことを曲輪(くるわ)といいます。この曲輪をどこにどのように配置するかが城の成否を決めると言っても過言ではありません。これが縄張(なわばり)です。近世城郭では、曲輪の並べ方によって三つの基本となる形式にわけられます。今回は、縄張(なわばり)の三つの基本形について学んでいきましょう。 輪郭式(りんかくしき) 本丸の四方を輪のように二の丸が囲み、さらにその外を三の丸がぐるりと囲む形式を輪郭式(りんかくしき)といいます。四方に対して均等な防御能力を持ちます。江戸時代の軍…

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