攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

2022-01-01から1年間の記事一覧

【戦国軍師入門】稲葉山城乗っ取り――軍師・半兵衛、鮮やかなデビュー

竹中半兵衛による稲葉山城乗っ取りのエピソードが事実なら、なぜ信長は2千程度しか守備兵がいないこのチャンスに軍事行動をおこさなかったんでしょうね。この半年間は美濃攻めの好機だったと思うのですが。

【戦国軍師入門】北九州をめぐる戦い――小早川隆景・立花道雪の激突

なぜ毛利氏が京のある東ではなく西へ侵攻したかというと博多がほしかったようです。 小早川隆景と立花道雪の対決という戦国ファンなら心躍るカードですが、ふたりは20歳ほど離れています。もっとも毛利元就は道雪よりさらに16歳ほど上なのですが。 あと多々…

【戦国軍師入門】厳島の合戦――策謀の限りを尽くした天才・毛利元就

厳島合戦の勝利は結果を知っているとそう難しくないように見えますが、毛利元就が打った数々の布石はまさに戦略家ですよね。なお宮尾城はこの戦いのために築かれたのではなく、それ以前から大内氏の城として存在していたようです。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城にまつわる面白い話③――「爆発炎上」した城?・信貴山城

松永久秀の謀反の背景には「麒麟がくる」で採用されたとおり、信長が久秀のライバルである筒井順慶を大和守護にすえたことにあるようですが、爆死伝説は昭和に生まれたエピソードみたいですね。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城にまつわる面白い話②――秀吉の一夜城(その2)・石垣山城

記事にあるとおり、間近の距離で築城工事をしている以上、北条方がまったく気づかないことはありえないと思います。むしろ約3ヶ月で石垣づくりの居城が完成していく過程を見せつけられるほうが守備側の精神的ダメージは大きいのではないかと。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城にまつわる面白い話①――秀吉の一夜城・墨俣城

秀吉についてのエピソードは創作あるいは誇張されたものが多いので、この墨俣一夜城にまつわる話も江戸時代に書かれた『武功夜話』にしか記載がないため真偽は定かではないのですが、建材を筏にして川に流すなどその後に秀吉が実行した水攻めのようにスケー…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】悲劇の舞台⑤――お市の方が殉じた城・北ノ庄城

北ノ庄城の天守は7層とも9層とも言われており、その前年に焼失した安土城に匹敵する規模であったと伝わっています。なかでも現在丸岡城で確認できる笏谷石の石瓦が使われていたことがルイス・フロイスの記録にあり、さぞすごかったんでしょうね。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】悲劇の舞台④――お市の方が最初の夫と死に別れた城・小谷城

元亀元年の姉川の戦いで敗北するも、そこから3年間、浅井氏は抵抗をつづけており、長篠の戦い同様、戦国大名同士の争いが一度の勝敗で滅亡に至らないことを示しています。ただどこまで計算だったかはわかりませんが、小谷城を攻めることで朝倉氏を要害・一乗…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】悲劇の舞台③――玉砕の舞台になった城・高遠城

仁科盛信は一族・重臣の逃亡や寝返りが相次ぐ中で最後まで武田家に忠誠を尽くした人物としてファンも多いですよね。盛信は自刃したものの、その子の信貞は生き延びて江戸幕府の旗本になっています。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】悲劇の舞台②――悲劇の女城主伝説の城・岩村城

秋山虎繁がおつやの方を正室として迎えたという有名なエピソードですが、史実と異なるという説もあるとか。ちなみに養子に出された勝長はその後も生き延びて、最後は本能寺の変で信忠とともに討死したそうです。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】悲劇の舞台①――夫の仇をとるための奮戦の舞台となった城・鶴崎城

妙林尼の史料はほとんど残っていないそうですが、耳川の戦いで夫が戦士したために出家し、名乗った名前だそうです。ルイス・フロイスの文書にも彼女と思われる記録があることを考えると、当時はそれなりに話題になったのでしょう。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑩――内部分裂で落ちた城・七尾城

その後、上杉謙信が死に、織田信長が天下人になったので上杉方についた遊佐氏が裏切り者のように語られていますが、はたして本当のところはどうだったのか。七尾城の戦いを別の観点から捉えた「マンガでわかる七尾城」もぜひ読んでください。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑨――武田信玄に苦汁をなめさせ、内応であっさりと落ちた城・砥石城

戦国時代の信濃をめぐる争いは村上義清抜きには語れません。もともと義清は信玄の父、武田信虎と同盟を結んでいたため信玄の侵攻を受けることとなり、上田原の戦い、砥石崩れと二度にわたり撃退したものの、攻め弾正こと真田幸綱により砥石城が攻略されると…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑧――わずかな兵に乗っ取られた城・稲葉山城

策略で奪い取った稲葉山城を放棄した竹中半兵衛はその後、隠遁生活を送ったそうですが、城を返したとはいえ主君を裏切ったわけで、斎藤龍興はなぜ殺さなかったのでしょうね。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑦――支城を失い、戦意を失った城・観音寺城

六角義治は一時期、亡命してきた一乗院覚慶(のちの足利義昭)を匿ったこともあるのですが、三好三人衆に通じて覚慶を追放したため、その結果として義昭を奉じた信長の上洛戦で戦うことになりました。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑥――水に沈んだ城――備中高松城

秀吉の才覚か、軍師・黒田官兵衛の知略か、あるいはその両者が最高に噛み合った結果か、この中国方面軍時代の秀吉の合戦はドラマチックなものが多いですね。のちの天下人ということで過大評価もあるのでしょうが、スケールがいち家臣の枠を飛び越えています。

榎本先生の最新刊「ナンバー2の日本史」について対談しました

今月発売されたばかりの榎本先生の最新刊「ナンバー2の日本史」について、その内容を紹介する番組を攻城団テレビでライブ配信しました。 動画はアーカイブで視聴可能ですので、ぜひご覧ください!

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑤――飢えて落ちた城・鳥取城

秀吉による三木城攻めでは1年10ヶ月を費やすこととなり、味方の損耗、なにより貴重な時間が失われてしまったため、兵糧攻めのアップデートが求められた結果が、この鳥取城攻めでした。今回は事前の兵糧買い占めに加えて、海路も含む兵站線を完全に遮断すると…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく④――支城を漬され、大名の逃げた城・有岡城

荒木村重は大河ドラマの主人公になれるほど魅力的でドラマチックな人生を送った人物だと思います。逃げ延びたあとは道糞を名乗ったとか、自分を拾ってくれた秀吉の悪口を言ったのがバレると出家して道薫を名乗ったとか波乱万丈。 ちなみに今回はじめて知った…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく③――支城を潰され、草木も食い尽くした城・三木城

毛利氏の援軍を期待しての籠城戦だったわけですが、毛利が三木城までたどり着くには姫路城などを突破する必要があるので(海路で来るにしても容易ではない)どういう勝算があっての離反だったのか。荒木村重が毛利方についたあとは摂津の港を利用して花隈城…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく②――名将の死で落ちた城・箕輪城

上杉謙信ってけっこう援軍要請に応えてないですよね。それはさておき業盛の子は生き延びて仏門に入ったとか、業盛の弟・業親の子が井伊家に仕えて彦根藩の次席家老をつとめたとか、長野氏の一族がすべてこのときに亡くなったわけじゃないようです。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく①――「力の差」に圧倒された城・小田原城

城攻めは敵の3倍の兵力が必要だとして「攻撃三倍の法則」という考え方がありますが、その例外が多数あることはこれまでに見てきた通りです。おそらく兵站の心配がなく、籠城側に後詰めが期待できないなら、同数の兵力で包囲してれば勝てそうですね。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】奮戦の舞台③――長宗我部元親の策略と、それを見抜いた黒田官兵衛・植田城

いずれ降伏するにせよ、交渉を少しでも有利に進めるために合戦に勝利しておくというのは重要です。この植田城での戦いが回避されてしまったことで、秀吉の当初の条件である「土佐・阿波を安堵」(元親は伊予一国を返還で交渉)から、結果として土佐一国のみ…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】奮戦の舞台②――信玄と家康、虚虚実実の駆け引きが繰り広げられた城・浜松城

空城の計は『三国志演義』において蜀の諸葛亮が魏の司馬懿に対して用いた奇策ですが、本文にあるとおりフィクションの可能性が高そうです。順当に考えれば信玄がその後の戦いに備えて兵力を温存したというところでしょうか。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】奮戦の舞台①――女性が支えた城・末森城

前田利家の家督相続に反対して一時は浪人にもなった奥村永福ですが、帰参した後は前田家の重臣として活躍します。利家とともに九州征伐・小田原征伐にも参加し、豊臣姓を下賜されたとも。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は⑨――徳川本隊を釘付けにした城――上田城(第二次上田合戦)

伏見城や大津城が西軍を足止めしたように、東軍主力の本戦参加を足止めしたのが上田城であり、その戦いが有名な第二次上田合戦です。この戦いがなければ大坂の陣での活躍含め、真田の名前が後世に残ることもなかったでしょうから、一族にとっても意味のある…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は⑧――関ヶ原の戦い当日まで持ちこたえた城・大津城

彦根城を築城する際、家康は落城しなかった縁起のいい城ということで、この大津城の天守を移築するように命じたそうなので(そのエピソードが事実なら)、やはり関ヶ原の戦いでの勝利に大きく貢献したと家康は評価していたのでしょう。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は⑦――囮としての役割を果たした城・伏見城

会津征伐のために徳川家康が大坂を留守にして、その隙に石田三成が挙兵すると徳川方の伏見城を攻め落とす、というこの関ヶ原の戦いにいたるストーリーってどこまで本当なんでしょうね。あまりに出来すぎているというか、単純すぎるというか。 ちなみにこの戦…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は⑥――武田信玄・上杉謙信を撥ね除けた城・小田原城

かつて上杉・武田を撃退したという成功体験がのちの判断ミスにつながったとも言えますが、今回の話についてはそれぞれの戦いの背景というか、北条氏の同盟関係が変化していることに注目ですね。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は⑤――独眼竜の攻撃に晒された城・二本松城

この人取り橋の戦いにおける伊達政宗のラッキーは、非常にピンチの状態で武田信玄や上杉謙信が亡くなった織田信長のラッキーに似てますね(暗殺説もあるようですが)。ともあれ歴史に名を残すのに運は必要ということでしょう。

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