攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

築城 の検索結果:

【現在1766城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧

…020年3月1日 杵築城 御城印 杵築城(大分県杵築市) 杵築城天守 300円 印刷 はがき大 2020年3月1日 箕輪城 登城記念証 ジャコウアゲハ(橘・つわもの) 箕輪城(群馬県高崎市) 箕輪城ふれあい市(箕輪城跡東大駐車場) 300円 印刷 2020年2月 岸和田城 御城印 岸和田城(大阪府岸和田市) 岸和田城天守 300円 印刷 2020年2月16日 猪鼻城址 御城印 猪鼻城(千葉県千葉市) いのはな亭、千葉ポートタワー 300円 印刷 2020年2月15日 寺尾城…

城葱さんの「城もなか」道中記【福山城編】

…税込216円 福山城築城400年を記念したお菓子で、比較的新しい城もなかだと思われます。 皮は、重厚感と大迫力の五層角右寄り型!大きなもなかかと思いきや、比較的薄めのどちらかというと平面タイプ。横が大きい分、奥行きで調整し、適度な城もなかのサイズ感を確保しているというところでしょうか。この薄さも特徴であり、食べた時の食感が厚みのある城もなかと比べて違うのです。そして、口を大きく開けてかぶりつかなくてすみます。 しかし、この五重の天守は福山城がモデルではなさそう。福山城の場合、…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】読者からの質問とその回答

…新城=のちの五稜郭の築城に関する話題の中で「今は本制の城よりも『キュストバッテレイフェルドフルシカンシング』(kust-batterijen veld verschansing、海岸砲台群・野戦防塁群)の築造こそが急務である」と記しています。 うち後者、「沿岸台場の西洋流への刷新」についての例を挙げましょう。この時刷新された台場6ヶ所のうち、白神岬台場についての図面が道立文書館にのこっています(図2)。その形状を見ると戸切地陣屋の稜堡によく似た尖端を呈し、また三角状の砲眼側面…

城葱さんの「城もなか」道中記【九州編】

…ることはよくあるが、築城者の顔がリアルに描かれているのは独特。赤色へのこだわりが見えるが、官兵衛の兜、赤合子(あかごうす)にちなんでいるのでしょうか。いずれにせよ、この赤色が生える! 帯紐を締めるような赤い紙紐が、きゅっと腰で絞ったスタイリッシュな城もなかに見えるほか、紙紐でプラスチックの袋の中の空間を狭め、城もなかが動きにくくしているのかもしれない。プラスチックの袋があるにもかかわらず、あえて紙紐をつけているところは、珍しさだけでなく、デザイン性に富んでいると思います。 か…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】5.おわりに

…てヨーロッパにおける築城術の歴史や系譜を知ることができたのは有意義でした。ぼくも早く自分の目で戸切地陣屋を見てみたいです! 前回の記事:4.「早すぎた」洋式軍学理論のゆくえ-戸切地陣屋、そして「日本の稜堡式城郭・堡塁」のその後 冒頭でもお話したとおり、戸切地陣屋の知名度は極めて低く、またその本質も百数十年にわたり解き明かされることはありませんでした。しかしここ5ヶ年の調査研究により、この城が、洋式軍学の定理・理論を柔軟に理解かつ咀嚼しかつ当時世界の軍事の前提となりつつあった砲…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】4.「早すぎた」洋式軍学理論のゆくえ-戸切地陣屋、そして「日本の稜堡式城郭・堡塁」のその後-

西洋の最先端の築城術を学び、見事に戸切地陣屋として具現化した藤原主馬でしたが、それで勝てるほど戦争は甘くはありません。勝敗は城や兵器をどう運用するかで決まるのに、残念ながら多くの藩士にとって主馬が江戸で学んできた理論や藩主・崇広の推し進めた施策は当時の理解を超えたものだったようです。せっかくの〈日本初の星形城郭〉もその真価を発揮することなく、その役割を終えることになります。 前回の記事:3-3.「日本最初の星の城」の原典への旅(3)-「野崎の丘」に実を結んだ19世紀フランス「…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】3-3.「日本最初の星の城」の原典への旅(3)-「野崎の丘」に実を結んだ19世紀フランス「砲戦の時代」の防衛構造・戸切地陣屋-

…ォーバン以降の稜堡式築城定理に即し、かつ先述した戸切地陣屋遺構の考古学的分析から推定した設計構造と合致することを確認しました(図25)。 図25.サヴァール教本における稜堡式要塞設計の基本模式図(左・中)と、戸切地陣屋の平面構造の推定図(右)。サヴァール教本による構造理解がヴォーバンの理念を継承しているのが伺えるとともに、両者が非常に近似していることがわかる。 さらに、そのうち127章を読み進めていくと、標準的な稜堡式要塞を実際に造った場合の各部の寸法・角度についてサヴァール…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】3-2.「日本最初の星の城」の原典への旅(2)-戸切地陣屋の基礎テキスト「サヴァール教本」とその時代的背景-

…tfication(築城術、と訳されることが多いです)」を冠しながら、その語はいわゆる「築城」だけを指しているものではない、ということです。防衛拠点となる城郭・堡塁とその周辺だけではなく、より広域……いうなれば「大砲の弾が届く範囲」すべて……を対象とした陣地における優位の構築、それを「fortification=要塞化」として説いているのです。 この背景をつかむためには、18世紀末から19世紀初頭の軍事における砲科の占める位置の変化を理解しなければいけません。18世紀以前、大…

諏訪原城~武田・徳川が奪い合った数奇な山城~

…て教わります。今年で築城450年を迎える諏訪原城は、天正年間に武田勝頼によって築かれました。のちに徳川家康が奪取し、一時期は今川氏真が城主をつとめたという大河ドラマ「どうする家康」の登場人物たちともゆかりの深いお城です。そんな諏訪原城の歴史と高天神城攻略における戦略的要衝としての価値について書いていただきました。周辺地図を表示しながら読むとお城の位置関係がわかってより楽しめると思います。 はじめに 初めまして、島田市博物館 学芸員の岩﨑アイルトン望と申します。みなさんは、静岡…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】3-1.「日本最初の星の城」の原典への旅(1)-戸切地陣屋へと連なる「星の城の系譜」…パガン、ヴォーバン、そしてサヴァール-

…そもそも西洋の稜堡式築城術とはどういうものなのかを教えていただきます。そこにはちゃんとした理論があり、弟子たちに受け継がれながら発展していきました。いわゆる鎖国の中で藤原主馬がなぜ西洋の築城術を知り得たのかについても調査がおこなわれ、オランダ語に翻訳されていた文献が特定できたそうです。すごい。 前回の記事:2.「日本最初の星の城」戸切地陣屋の防衛構造の概略 これまで、日本における星形城郭・台場(五稜郭・戸切地陣屋、あるいは四稜郭など)について、その特徴的な形状から西洋の稜堡式…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】2.「日本最初の星の城」戸切地陣屋の防衛構造の概略

…」は、地形を活かした築城にとってうってつけの場所であり(図10・11)、江戸中期~後期の藩家老にして史学者であった松前広長(まつまえ ひろなが)が著した『松前志』(天明元・1781)や探検家・近藤重蔵(こんどう じゅうぞう)が1807年(文化4年)に幕府に提出した『惣蝦夷地御要害之儀ニ付心付候趣申上候書付』およびこれに同行した田草川伝次郎による『西蝦夷地日記』、また松前の改築城に際し1850年(嘉永3年)に招聘され意見を求められた高崎藩の兵学者・市川一学(いちかわ いちがく)…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】1-3.戸切地陣屋ができるまで(3)-松前崇広・藤原主馬の軍制改革と、その「思わぬ」結末-

…の統括拠点(陣屋)の築城を命じられます。 「松前藩単独による北方防衛の遂行」を目指し着々とその歩みを進めていた崇広らにとって、この決定は無念でもあり屈辱でもあったでしょう。主たる収入源である蝦夷地での交易圏を失うなど藩財政は危地にあり、陣屋竣工までの期限もそう長くはありません。しかしこの時松前藩が幸運であったのは、藩主が先進的な崇広であり、洋式軍学を修めた主馬がおり……そして、松前領内屈指の城地(じょうち)である「野崎の丘」が残されていたことでした。いよいよ、「日本最初の星の…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】はじめに

…ても五稜郭に先立って築城された日本初の星形要塞(稜堡式城郭)として大変価値の高いお城です。この連載ではまだまだ知らない人が多い、あるいは存在こそ知っていてもその真価を理解できていないぼくのような人たちに対して、戸切地陣屋の魅力やすごさを北斗市郷土資料館の時田太一郎学芸員に解説していただきます。 北海道北斗市野崎に所在する松前藩戸切地(へきりち)陣屋は、中近世ヨーロッパにおいて対銃砲戦の城郭構造として発祥・発達した稜堡式築城術を日本で初めて採用した城郭であり、1855年(安政2…

二条城で開催された学芸員解説会に参加してきました(遠侍・勅使の間)

…です。 (左)家康の築城時(右)寛永年間の改修時 現在、二の丸御殿を見学すると車寄から入って遠侍→式台→大広間→黒書院→白書院と奥に向かい、さらに白書院→黒書院(牡丹の間)→大広間→式台→遠侍と裏側を通って戻るルートになっています。このうち、最後に見学する部屋が今回対象の「勅使の間」です。 1626年(寛永3年)当時の復元図。 当時の大きな建物としては3つ、将軍・家光のための二の丸御殿、大御所・秀忠のための本丸御殿、後水尾天皇のための行幸御殿です。 このうち二の丸御殿以外は焼…

中村優希さんによる「〈幻の安土城〉復元プロジェクト・歴史セミナー 安土城復元研究の過去・現在・未来」参加レポート

…めに 滋賀県は安土城築城450年を迎える2026年に向けて、安土城の往時の様子をより一層明らかにしていくことを目的とした「幻の安土城復元プロジェクト」に現在取り組んでいます。しかし、完成後間もなく焼失した安土城は往時の姿を伝える資料の数が限られており、安土城の復元をめぐって解決すべき様々な議論や課題が存在しているという現状があります。そこで、今回のセミナーでは、安土城、特に天主に関する資料や発掘調査による知見などを見直し、安土城復元という課題を深めていくことが目的とされました…

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編♯5】

…な「忍城」。そして、築城には狐の尾曳(おびき)伝説、上杉・武田・北条の三つ巴の中で、上杉・北条の支配を受けつつ、徳川家康の関東入封とともに、徳川四天王の榊原康政が城主となった「館林城」。歴史や縁の深いお城は、その歴史的なおもしろさに加えて、頼もしい城もなかなどのお菓子により城の楽しさに気づき、広めてくれるといいなぁと願うばかりです。 さて今回は、どんな地域の、どんな特徴的な城もなかに出会うことができたのか、そして、その城もなかが生まれたふたつの城はどんなお城だったのか、ご報告…

【プレゼントあり】日帰りで行ける福島の城と城下町めぐり〈CJ Monmo〉

…が、執政の直江兼続に築城を命じた城『神指城(こうざしじょう)』である。完成すれば日本有数の規模を誇る平城となるはずだった。方形二重の輪郭式平城で「回」の字状の縄張りに、本丸と二の丸、各郭外側を堀が囲む。大手口は石垣を産する慶山へ続き、人夫らが切り出された石を運び出したという。景勝がこの地に城を求めた理由は諸説あるが、水運に適した阿賀川をすぐ西に、周辺の13村を移転させて大がかりな町割を描いており、会津に壮大な新・城下町が誕生していたかもしれない。だが天下人・豊臣秀吉亡き跡の覇…

細川玉子さんによる「どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」レポート

…きました。「岡崎城を築城したのはわたくしなのでは?」と思える、不思議な力を感じました😊 さすが家康様! 岡崎城のことを伺うなら、「葵」武将隊の家康様しかおられませんね😊 そして、稲姫様へは【おすすめのお土産品】について、お聞きさせていただきました。稲姫様は「『葵』武将隊とこらぼさせていただいている、備前屋様の三河葵です!」とお答えくださいました😊 (撮影許可をいただいています) 以前、援軍様からいただいたこともございます!お餅入りの最中が食べ応えもあり、とても美味しかったです…

細川玉子さんによる京都御城印サミット開催レポート(2日目)

…の地を賜り、八木城を築城したと伝えられています。室町時代になると、細川氏が丹波を領国として守護するようになり、内藤氏を丹波守護代として任命。八木城を拠点に、丹波地方へ勢力の拡大を行っていったそうです。その後、父上、明智光秀の丹波攻略が開始。1575年(天正3年)に八木城は落城し、父上の手で城の改修が行われましたが、本能寺の変の後に、廃城となったといわれております。 内藤氏と申しますと、キリシタン大名としても知られている、内藤如安(ジョアン)様の一族です。父の宗勝様が八木城主と…

細川玉子さんによる京都御城印サミット開催レポート(初日)

…の戦いの後、大坂城を築城されるまで、秀吉様が本拠地とされており、別名「天王山宝寺城」や「天王山城」とも呼ばれております。現在の山崎城跡は、最後の城主となった豊臣秀吉様の時代のものが多くあらわれているとのことで、秀吉様の個性が強く出たものだと考えられるそうです。現在も、多くの遺構をご覧いただけます。 さらに福島館長は、山崎の戦いの際に、大山崎に伝わる民の動きなどもご研究されておられ、此度のご講演も大変興味深いお話をお聞きいただけたと思います。 大山崎町歴史資料館は、JR東海道線…

【家康の謎】家康はなぜ曳馬城を浜松城に改名したの?

…う城があった。最初の築城は15世紀、吉良氏の家臣だった巨海新左衛門尉(おおみ しんざえもんのじょう)という人の手によるものだったとされる(今川氏による築城という説も)。 これが16世紀になると今川氏の支配下に置かれ、今川氏真の頃には飯尾連竜(いのお つらたつ)が城主として守っている(ちなみに、今川支配下にあった頃の曳馬城には、今川家臣のさらに下についていた豊臣秀吉が訪れたことがある……という逸話も)。ところが、その連竜が今川氏に反旗を翻したところ、策謀によって駿府へ誘き出され…

細川竜太郎さんの姫路城攻城レポート

…6年の赤松貞範による築城とする説や戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏の家臣、黒田重隆・職隆父子による築城を最初とする説もある。戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された。池田氏に始まり譜代大名の本多氏・榊原氏・酒井氏や親藩の松平氏が配属され、池田輝政から明治維新時の酒井忠邦まで約2…

知ってる? 水野勝成

…ピソードがたくさん出てきて驚きました。ドラマの主人公にしても盛り上がるのでは、という猛烈でアクの強い人物だったようです。 そういえば、水野勝成が城主を務めた福山城は2022年、築城400年ということで綺麗に改修された姿がお披露目され、色々とイベントも行われていましたね。 この機会に、少しでも水野勝成の全国的知名度が上がるとうれしいです。 当時実際に作成したサイトはこちらです。 katsunari.main.jp kojodan.jp kojodan.jp kojodan.jp

細川玉子さんによる神君伊賀越えの紹介

…この城は信長様の命で築城されました。山口甚介殿は家康様らが向かっていることを知り、配下を向かわせたそうです。ともあれ家康様一行は何とか対岸へ渡り、山口甚介殿の待つ山口城へと向かったそうです。 kojodan.jp 木津川で船を渡し終えたときのこと。忠勝様が、渡し終えた船の船底を槍で突き破壊したそうです。追手が船を使用するのを防ぐため行ったとのこと。豪快な印象のある忠勝様ですが、冷静な判断と用心深さも兼ね備えていたのですね。さすが戦上手。頼りになります。 木津川の渡しがあるこの…

【家康の合戦】高天神城の戦い 武田vs徳川の攻防戦!

…正4年)に横須賀城を築城。1579年(天正7年)には小笠山砦、三井山砦を、1580年(天正8年)には能ヶ坂砦、火ヶ峰砦、獅子ヶ鼻砦、中村坂山砦を築き、徐々に高天神城を包囲していきました。 武田方としては駿河湾沿いの城を維持し、ここから高天神城に兵糧を入れていましたが、高天神六砦がその補給ルートを遮断したため高天神城は孤立状態に陥ったのです。家康はただ単純に城攻めをしたのではなく、高天神攻略のために時間はかかっても周囲をしっかりと取りながら確実に落としていったところが、高天神城…

しぇるふぁさんによるJR福山駅から見る福山城の検証レポート

…すね! 2022年に築城400年を迎え、8月28日に改修工事を経てリニューアルオープンした広島の福山城。福山駅の目の前に立地するという特殊性から「駅ホームから見えるお城」や「新幹線車内から望めるお城」として有名ですが、では具体的にはどのホームからどのように見えるのか、駅ホームへの入場方法や入場券の購入方法の解説を含めて、実際に現地に行って調査してみました。 福山駅構内の案内&入場きっぷの購入方法 こちらが福山駅の北口エントランス。福山城の石垣の模したデザインになっていますね。…

【家康の合戦】姉川の戦い 家康の活躍で浅井・朝倉を撃退した戦い!

…拡張する形で浜松城を築城し、岡崎城から居城を移しています。武田の遠江侵攻に備えるためと考えられていますが、武田と同盟していた浅井・朝倉と対立し、それは武田との対立を意味しているのですが、それを予測して浜松へ移ったのかもしれません。 家康の活躍で勝利 -姉川の戦い- 姉川の戦いの布陣図(国土地理院地図をもとにたかまる。が作成) 浅井軍5,000、朝倉軍8,000が姉川の北岸、野村・三田村に布陣します。一方の信長軍は「陣杭の柳(じんごのやなぎ)」に、家康は近くの岡山に布陣しました…

大晦日に攻城団テレビで〈【大河ドラマ直前予習企画】どうした家康〉をライブ配信しました

…とするため、上田城の築城を支援している しかし督姫と氏直の婚姻が成立して同盟が結ばれると徳川・真田の関係は悪化する(氏直が家康に沼田城・岩櫃城の引き渡しを要求してきたため) 家康からの引き渡し命令を昌之は拒否、徳川から上杉に乗り換える 閏8月に上田城攻めが行われるが、徳川方の大敗 井伊直政が増援部隊として派遣されるが石川数正が出奔したため撤退する →真田昌幸も運がいい 石川数正は秀吉との外交路線の対立から孤立。融和派の数正に対し、酒井忠次や本多忠勝など強硬派が家中では圧倒的多…

城葱さんの「(勝手に)城もなかアワード2022」大発表会!

…を見たということで、築城を断念したという逸話があり、この逸話から、作られなかったが構想されていたお城の夢をモチーフに城もなかが生み出されています。 つまり、夢見ていたが、悪夢で断念、築かれることなく歴史に消えていったお城を、現代に城もなかという形で築城しているといえるのです。 この類まれなる発想とそれを実現したという面白いストーリー、城の構想だけがあったという伝説を城もなかにより築城の夢を叶えるという、なんとも夢のある、ファンタスティックな新たな動きに興奮が抑えきれず、満場一…

たかまる。さんの連載「家康の城」の最終回を記念して攻城団テレビで生配信しました

…古屋城を取り上げて、築城・改修の背景や縄張り、遺構の紹介などをとくに家康との関係を中心に書いていただきました。 事前にたかまる。さんには「まあ1時間程度ですよ」と説明していたんですけど、気づけば2時間半くらい話してましたね。でも見てる人はどうかわからないけど、ぼく自身めちゃくちゃおもしろかったです。見てる方も楽しんでいただけたらうれしいですし、もしおもしろかったらぜひ感想を聞かせてくださいね。 せっかく作ったのでスライドも共有しておきます。 www.docswell.com …

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