攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

復元 の検索結果:

平賀源内という男

…なりズレる。 源内は復元・模倣したエレキテルを見せ物&治療用具として使った(とはいえ、これは西洋でも同じことで、どうして電気が治療になるか不明だったのも同じ。源内は「体内から火を奪うから」と説明したようだ)。しかも源内のエレキテルはあまり派手に電気を起こすことができないため間が持たず、仕方がないから食事を用意したり余興を用意したりしたそうだ。 源内は牢屋に入れられたが、脱獄して生き延びた 研究も商売もなかなかうまくいかない中、最終的には人を殺してしまい、牢屋で死んだ。それが、…

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編♯6】

…寄り型。まぁ鹿沼城の復元ジオラマなどでもわかることではありますが、石垣のある天守的な建物はかったと思うので、城イメージの城もなかではあるのですが、商品名からもわかるとおり鹿沼城にちなんだものです。 一般的なお城のイメージはまぁこういうもんです。イメージであってもお城の存在を食を通して感じられるところが大切なのかなと思っています。本当にこういう城があった! という事実があればそれはそれで面白いことではあるのですが。 パッケージは、これもまたイメージですが、石垣のある天守的な建物…

石川県立歴史博物館で開催中の特別展「御殿の美」を取材してきました

…で金沢城二の丸御殿の復元計画が進んでいるからです。これまでも河北門や橋爪門、玉泉院丸庭園に鼠多門と江戸時代の金沢城を蘇らせるために復元整備が進められてきましたが、その集大成として昨年から始まったのが二の丸御殿の復元整備事業というわけです。 いまはこんなふうに二の丸御殿があった五十間長屋の前では発掘調査がおこなわれています。 復元整備は段階的に行われる予定で(このあたりは名古屋城本丸御殿に近い)最初は入口付近(玄関・式台・実検の間・虎の間)が対象となっています。 金沢城は加賀藩…

城葱さんの「城もなか」道中記【福山城編】

…城の最大の見どころは復元された鉄板張りの天守の北側の側面!天守入り口からぐるっと回り込んで反対側へ。 黒い面も美しい!白い面と鉄板の黒い面の角から両面を捉えるのも味があります。黒い面を天守下から写真に収めようとするも、高さがあってなかなか難しく、人目をはばからず、地面から見上げるような撮影ポーズを何度も繰り返してしまいましたwさらにその下段にある、天守閣の礎石も見どころです。そこは、黒い天守を引きで撮影する撮影スポットのようです。 あとは、城の東側にある広い階段と石垣を抜けて…

城葱さんの「城もなか」道中記【九州編】

…らに門や石垣も立派に復元されています。当時のものではないにしろ、石の匠の技の結晶である石垣がドーンとある場所はいいもんですね。 資料館では、近くを流れる大淀川の流域の歴史や風土、武家の暮らしなどの展示があります。また、2階にいる島津義弘のロボット人形が印象的です。資料館を見学すると城攻め完了と思いがちですが、天ヶ城にはもっと奥に三の丸と大手門があります。ぜひ奥まで足を延ばしてみてください。山城など、建物のない城も好きな人たちにとっては、三の丸のほうが城らしさを感じることができ…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】3-1.「日本最初の星の城」の原典への旅(1)-戸切地陣屋へと連なる「星の城の系譜」…パガン、ヴォーバン、そしてサヴァール-

…元に当時の設計計画を復元し図示したのが図19です。 図18.戸切地陣屋現存遺構の各部計測値※図は『史跡松前藩戸切地陣屋跡 環境整備事業報告書』(上磯町教育委員会2000)より 図19.各部計測値から推定した戸切地陣屋本陣の設計および計画寸法 ※単位:メートル この「正方形の四頂に四つの稜角尖端を置き正方形の四辺・対角線・中央等分線を基準として幾何学的に堡塁を設計する」という手法が稜堡式築城術に存在するかを確認したところ、古くは17世紀末~18世紀初頭に築城の名手として名を馳せ…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】2.「日本最初の星の城」戸切地陣屋の防衛構造の概略

…地陣屋防衛構造の想定復元と「野崎の丘」地形図 さらに、これに当時戸切地陣屋に配備されていた各種砲群の射程範囲を視覚化し重ね合わせてみると、攻め手は「野崎の丘」の裾に到達した時点で本陣砲台からの火制範囲下に完全におさめられてしまうことがわかります(図13)。つまり、従来「一稜のみ」と評価されがちであった本陣稜堡はその実「その一稜さえあればよい」場所に的確に配置されていることがわかります。 図13.戸切地陣屋配備の砲火器類(築造当初~初期)の火制範囲 これに加え、丘の頂点に築かれ…

二条城で開催された学芸員解説会に参加してきました(遠侍・勅使の間)

…生に描いていただいた復元イラストで比較するとわかりやすいです。 (左)家康の築城時(右)寛永年間の改修時 現在、二の丸御殿を見学すると車寄から入って遠侍→式台→大広間→黒書院→白書院と奥に向かい、さらに白書院→黒書院(牡丹の間)→大広間→式台→遠侍と裏側を通って戻るルートになっています。このうち、最後に見学する部屋が今回対象の「勅使の間」です。 1626年(寛永3年)当時の復元図。 当時の大きな建物としては3つ、将軍・家光のための二の丸御殿、大御所・秀忠のための本丸御殿、後水…

中村優希さんによる「〈幻の安土城〉復元プロジェクト・歴史セミナー 安土城復元研究の過去・現在・未来」参加レポート

…てのセミナー「安土城復元研究の過去・現在・未来」が開催されました。ちょうど京都御城印サミットの初日と重なっていたためぼくは参加できなかったのですが、このセミナーに参加された早稲田大学城郭研究会の中村優希さんにレポートを書いていただきました。中村さん自身が高校生の頃から安土城の研究に取り組まれてきたこともあり、非常にわかりやすいレポートとなっています。補足や所感も読み応えがありますので、セミナーに参加できなかった方はもちろん参加された方もぜひ読んでください。 このセミナーのPD…

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編♯5】

…ンボル的存在でもある復元された土橋門や近くの井戸、枡形、土塁に塀と見所はたくさんありますが、本丸跡に残る大きな土塁や、三の丸の遊歩道外の土塁なども個人的にはいい感じでした。土橋門から三の丸の外側をぐるりと回る道も土塁の高さを感じるいい道でした。土橋門のある三の丸で終わらず、本丸の方まで足を伸ばして欲しいです。 館林城は市民の施設が立っていることから、市民の生活に城がある感じがして、なんだかほっこりするとともに、もう少し歴史のあるこの城の存在を感じる場所にならないかなぁと思いま…

【プレゼントあり】日帰りで行ける福島の城と城下町めぐり〈CJ Monmo〉

…となった家屋)を移築復元した店内 1.會津おにやんま【住所】会津若松市慶山一丁目14-52【電話】0242-85-7789【営業】朝食8:00~10:00/昼食11:00~15:00LO/会席18:00~21:00 ※朝食と会席は要予約【定休日】毎週月曜日、第2・4火曜日【駐車場】8台【キャッシュレス決済】PayPay、他【Instagram】@aizu.oniyanma_soba 続いて訪れたのは、会津の新たなランドマークとして注目を集める『Human Hub(ヒューマンハ…

福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館へ行ってきました

…す。最初にある大きな復元イラストは今後の発掘調査の内容を反映してどんどん書き換えていくとか。 フロア内には大量の出土品が展示され、パネルでの解説も充実しています。 そしてこの博物館がすごいのはすべて撮影可能だということです。(個人の趣味の範囲での公開であれば取材申請をしなくても撮影は可能です) ここに紹介しているのはほんの一部なので残りはぜひ訪問して自分の目で見てください。 ぼくが大好きなジオラマもあります。 30分の1のスケールで再現された城下町のジオラマは、これまでの発掘…

福井城へ重ね捺し御城印スタンプラリーの取材に行ってきました

…なります。 完成です! collection.kojodan.jp 城下町を歩き、自分で御城印をつくる楽しさを 5色のスタンプを重ねて捺すだけの単純な仕組みですが、多色版画のようにきれいなイラストが出来上がりますよね。今回は復元された山里口御門と御廊下橋を再現していますが、個人的には水面の影の表現がすばらしいと思いました。 自分で捺すとさらに感動できると思いますので、ぜひ福井城にお越しください! fukushiro.com news.kojodan.jp kojodan.jp

【家康の合戦】大坂の陣(冬の陣、夏の陣)豊臣を滅ぼした家康最後の大戦!

…由-方広寺鐘銘事件 復元された石垣。豊臣大坂城は絢爛豪華だったという 関ケ原の合戦ののち豊臣政権はしばらくは存続していましたが、1603年(慶長8年)に家康は征夷大将軍となりました。すぐに豊臣を追い払おうとしたかというと、そうではありません。自身が将軍になると豊臣秀頼を大納言から内大臣に昇進させ、徳川秀忠の娘、つまりは自分の孫である千姫(7歳)を秀頼(11歳)と結婚させました。さらに2年後の1605年(慶長10年)に将軍職を秀忠に譲ると秀頼を右大臣に昇進させました。このように…

【家康の合戦】小牧・長久手の戦い 家康・人生のターニングポイント

…が改修した土塁と堀が復元されている 1584年(天正12年)3月6日、信雄は秀吉に通じたとして家老3人を殺害しました。これは秀吉に対する事実上の宣戦布告です。これに先立って家康は前年の1583年正月には星崎で信雄と会見しており、この年1584年の2月には使者を伊勢長島城に派遣して何やら密談をしています。おそらく秀吉対策を協議していたものと思われ、3月6日以降の動向がそれを物語っています。つまり、家康は信長・信忠亡き後の「織田政権」に対しては一貫して信雄を支持しており、連携して…

しぇるふぁさんによるJR福山駅から見る福山城の検証レポート

…これはどの現存城郭や復元城郭のライトアップ姿でも言えることですが、お城の櫓や天守が光に当たって白壁が強調されるように見えるので、日中より際立って見えてキレイだなと思いました。ただ、他の城と違ってこれは福山城でしか体験できない点だなと思ったのは、やはりこんなライトアップ姿を駅のホームからタダで堪能できる点ですね。この点だけは日本全国探しても広島の福山城だけだなと思いました。 そして山陽本線の5・6番ホームから見た場合は、やはり日中と同じく架線がかかってしまう点が気になるところで…

城葱さんの「城もなか」道中記【岩村編】

…町。表御門や太鼓櫓が復元されるなど、情緒あふれる城下町はドラマのロケにも使われるなど人気観光地になっています。地元ではカステラが有名とのことですが、もちろん我らが「城もなか」も存在感を発揮しています。しかも意外なコラボ餡を使ってました。おいしそうな写真とあわせてじっくり楽しんでください!! 今回は岐阜県の岩村の城もなかと出会う旅に、城めぐりをしながら行ってきました。 岩村の城というと、言うまでもなく、圧巻の6段石垣で有名な岩村城です。この6段の石垣のほか、岩村城下町の古い街並…

【家康の城】名古屋城 家康築城術の到達点!

…改めて感じます。木造復元に向けて課題の多い名古屋城ではありますが、本丸御殿の木造復元も完了し、今でも徳川家康の思いがたくさん詰まった名古屋城を再度見直す機会ではないでしょうか。 参考文献 現地案内板 名古屋城パンフレット、名古屋城本丸御殿パンフレット 「城の鑑賞基礎知識」(三浦正幸著、1999年9月16日、至文堂) 「歴史群像シリーズ 図説縄張りのすべて」(加藤理文ほか、2008年3月10日、学研) 「図説 近世城郭の作事 天守編」(三浦正幸著、2022年1月31日、原書房)…

【家康の城】江戸城 世界有数の一大城郭と城下町!

…がすすめられており、復元想像図も多数出されています。天守台の石垣工事は黒田長政が担当し、石材は伊豆半島から運ばれました。天守台は20間四方×高さ10間で、その上に五重の層塔型天守が建てられました。2017年(平成29年)2月、松江市は徳川家康が築いた当初の江戸城図「江戸始図(えどはじめず)」が見つかったと発表しました。ここに描かれた江戸城は1607年(慶長12年)から1609年(慶長14年)のころの様子だと思われ、これにより当時の天守や本丸の構造が明らかとなりました。特徴は3…

【家康の城】駿府城 家康初となる石垣づくりの近世城郭!

…の発掘調査や門や櫓の復元によって新たな事実が判明している駿府城で家康の考えをのぞいてみましょう。 家康にとっての駿府城 家康は駿府城を築城し、晩年を駿府で過ごした 駿府城と家康のかかわりは二つあります。一つは駿府城を築城した天正期と、もう一つは将軍職を譲った後の1607年(慶長12年)以降(慶長期)です。現在、駿府城公園にみられる堀をはじめとする遺構や復元された門・櫓などは慶長期以降のものです。慶長期以降のものは後述するとして、ここでは天正期に駿府城を築城するに至った経緯につ…

城葱さんの「城もなか」道中記【小田原編】

…97年(平成9年)に復元された小田原城の新しい名所です。この銅門を模した城もなか? 門もなか? もかつてありましたが、作っていたお店がなくなってしまい、過去の城もなかに……。門のもなかってなかなかないのに、ほんと残念。銅門を見ると、お店の場所に行って、何度もうろうろして、お店がなくなってる!(汗) とわかったショックなあの日を思い出します。私にとっては、そんな苦目の思い出も、小田原城の味となっています。 その他の小田原城の城菓子 1.河内屋製菓舗さんの「早雲城」 150円 小…

名古屋城で開催中の企画展「初公開 門外不出 巨大杉戸絵」取材レポート

…8年(平成30年)に復元されたもので、そこに飾られている絢爛豪華な障壁画も複製ですが、昨年西の丸御蔵城宝館がオープンしたことにより、障壁画の原本がこうして順次公開されています。とくに今回の杉戸絵はサイズが巨大すぎるため過去に天守内での展示も叶わず、また輸送の振動で絵の具が剥落する危険があることからよそへの貸出展示もおこなってきていないそうなので、まさに企画展のタイトル通り「門外不出」の初公開となります。 杉戸絵とは 杉戸絵とは杉戸に描かれた絵のことで、杉戸とは主に建物と建物の…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の変化③後詰決戦に備えて?

…から、藤井尚夫氏は『復元イラスト 中世の城と合戦』(朝日新聞社)で『信長公記』を分析し、平城の方が後詰決戦での救援が成功しやすい(他が5割や6割なのに対し、平城は10割)ため、落ちにくいと解説する。 これは実際のところ非常に頷ける話だ。つまり、山岳部の兵が展開しにくい場所にあるということは、敵が攻めにくいのと同時に、味方も助けにくいのが当然。広い平地が近くにあれば一気に攻撃できるのに、狭い場所ではそうもいかず、結果としてにらみ合った末に引き揚げざるを得なくなる、という可能性が…

【画像73枚】名古屋城・西の丸御蔵城宝館の見学レポート

…せん。まあ二条城には復元天守もないのですが。 話を戻すと、名古屋城(=尾張藩)にあった資料が愛知県、さらに陸軍(名古屋鎮台)に引き継がれ、それがのちに靖国神社に遊就館(ゆうしゅうかん)ができた際に寄贈されたそうです。 www.yasukuni.or.jp 第三章 天守台石垣 ほかにも「金城温古録(きんじょうおんころく)」や天守台石垣の中から見つかった石仏や石塔が展示されていたり、石垣を運んだという伝承がある車軸や石曳きの様子を描いた「尾張名所図会(おわりめいしょずえ)」もあり…

【サイン本プレゼントあり】「ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 戦国の城」のご紹介

お城の復元イラストで有名な香川元太郎先生の最新刊「ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 戦国の城」が8月26日に発売されます! 前回が「日本の城」だったのですが、その続編となります。全105城の復元イラストが収録されているそうですが、2年前に『明石城完全攻城ガイド』のために香川先生にお願いした明石城(築城当時)の復元イラストも収録されているそうです。 提供:香川元太郎 | 寛永期明石城復元図[明石城] 香川先生のイラストはぼくも大好きなのですが、色彩の見事さもあって、音が聞こ…

【お城の基礎講座】89. 三大連立式天守(さんだいれんりつしきてんしゅ)

…その他の門や櫓なども復元されており、伊予松山城はかなり大きな城郭として見応えがたっぷりです。 姫路城(ひめじじょう) 日本人なら誰もが知っているお城。超有名な姫路城です。世界遺産にも登録されており世界各国から見学者が訪れる、日本を代表する城です。大天守と小天守を多門櫓でつなぐ連立式天守ですが、松山城や和歌山城よりも大天守の規模が段違いに大きいのが特徴です。大天守と三つの小天守で構成された天守群は、当時の最高技術の粋を集めた壮大な城郭といえます。また石垣や門、掘りなどがよく保存…

【お城の基礎講座】85. 三大平山城(さんだいひらやまじろ)

…が平成17年に木造で復元され、石垣と合わせてとても見応えのある状態になっています。 津山城は一二三段として有名だ(写真提供:岡山県観光連盟) まとめ 近世城郭のうち姫路城、松山城、津山城が三大平山城として呼ばれています。それぞれ平山城の特徴をとてもよく表しているお城ですので、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか?ということで、三大平山城をご紹介しました。じゃあね🖐️ このコラムが毎日メールで受け取れます 以下のページからメールマガジン(無料)に登録すれば、このコラムの第1回か…

【お城の基礎講座】84. 三大山城(さんだいやまじろ)

…表御殿は平成になって復元されました。 岩村城は海抜717mの高所に築かれた近世山城で、石垣が見事だ! 高取城(たかとりじょう) 筒井順慶によって近世城郭に改修された高取城は、標高583mの高取山に築かれました。比高は最も高い390mです。江戸時代は本多氏、植村氏が城主を務めました。南北に長い尾根筋に高石垣が築かれ、27基の櫓が備えられた大城郭でした。かつては三重三階の天守が小天守とともに建てられていたそうです。27基の櫓が備えられた大城郭でした。 高取城は比高390mに築かれ…

【お城の基礎講座】82. お城の忠実な復元・平成の復元ブーム

…っかけに木造で天守を復元するという動きが加速し、「平成の復元ブーム」が生まれました。それ以外にも石垣や土塁、堀なども復元整備されるところが増えてきています。今回は、史実に忠実なお城の復元というテーマで見てみたいと思います。 お城の忠実な復元・平成の復元ブーム①天守の復元 平成3年(1991)、白河小峰城(しらかわこみねじょう)の三重御櫓と門が木造で復元されました。それまでの建築基準法では木造で2階以上の建物を作れなかったため、作りたくても作れなかった木造の復元でした。これはお…

【お城の基礎講座】81. 昭和の城再建ブーム

…できます。それが外観復元天守(がいかんふくげんてんしゅ)や復興天守(ふっこうてんしゅ)、模擬天守(もぎてんしゅ)と呼ばれるものです。昭和30年代から40年代にかけて天守の再建ブームがやってきて、たくさん建てられたためです。今回はこの昭和の天守再建ブームについて見てみましょう。 昭和の城再建ブーム① 外観を復元する 太平洋戦争後からの復興を遂げ、さらに高度成長期にさしかかった時に天守の再建ブームがやってきました。それが昭和30年代後半から40年代にかけてのことです。戦後復興から…

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